10月22日(4)
麻奈ちゃんを天界に送った後、わたしはようやく信也君の家へと降り立った。
辺りはすでに暗くなっており、家の中から光があふれてくる。
ちょうどその頃、信也君がこちらへと走って帰ってきた。
「やっほぉ! 信也君!」
手を振るもまったく気づかず、信也君はわたしの前を素通りしてしまった。
「あ、そっか。カルバドスのおたんこなす」
つぶやいてから、家の中へと入ろうとしている信也君に、再度声をかける。
「待って、信也君」
体を震わせつつ、信也君は振り返った。
「なんだ、まだ帰ってなかったのか?」
「うん、いろいろあってね、信也君を待ってたんだよ」
「僕を?」
「自分の家になってるっていっても、ちょっと不安だからさ。信也君と一緒なら、さすがに追い返したりはしないでしょ」
迷子になっていたなんて、口が裂けても言えない。中界からこっちに来るまでに、必死で考えた言い訳だった。
「そりゃそうだけど。こんな時間に見知らぬ女の子を連れ込んだら、それはそれでボコボコにされそうだなぁ……」
わたしの嘘は、どうやらバレずに済んだようだ。これで中界一の嘘下手という汚名も返上できる。
「ただいま」
「た、ただいま」
信也君の背後から、こっそりと家の中を覗き込む。
板張りの廊下が、まっすぐと伸びていて、その横に二階へと上がる階段があった。左右にはそれぞれ部屋がありそうなものの、どんな部屋かまでは伺えない。
「おう、帰ったか。遅かったな?」
左の扉から出てきたのは、霊安室に後から来た女性だった。
短い黒髪と言葉遣いだけなら、男性と間違えそうな風貌だ。
お母さんは娘として、わたしを認識しているのか――不安を胸に抱いてしまい、堂々と姿を現せないでいると、
「なんだ、美利亜も一緒だったのか。お前もいいかげんブラブラしてないで、母さんに楽させてくれよ」
お母さんから、声をかけてきた。どうやら現界のわたしは、働きもせずに毎日出歩いてばかりいる、親不孝者らしい。
それでもお母さんの発言は、わたしの存在を肯定するもの。遠慮なく信也君の背後から姿を現し、満面の笑顔を送る。
だけど、笑みの送り先はすでに、元の部屋へと引き返していなくなっていた。
「よかったな、ミリア」
「ま、まあわたしはエンマ様の言うことを信頼してたけどね」
笑い飛ばしてみせると、信也君は何か言いたげに口を開いた。だけど、そのまま何も言わずに閉じる。
「ねえ信也君、家の中を案内してよ」
提案すると、信也君はなにやら心配そうな面持ちでこちらを見ていた。
「その前に一つ、家の中では僕のことを信也と呼び捨てにしてくれ。僕もミリアを姉さんと呼ぶから。弟を君付けで呼ぶ姉はあまりいないだろうし」
「わかったよ、信也」
ふざけ半分で返事をするも、信也君は納得したのか、靴を脱いで家の中へと入った。
「じゃあ、ついてきてよ」
信也君の後ろから、廊下を進んでいく。
まずはお風呂とトイレを説明される。
お風呂はそれほど大きくなかったけれど、中界のわたしの家のよりふた周りは大きかった。ゆったりと入れて、気持ちよさそう。
トイレもきちんと清掃されていて、清潔感にあふれている。わたしも少し、見習わなければ。
その後、玄関横の二部屋を素通りし、信也君は二階へと上がった。
廊下はすぐに行き止まりになった。左右にそれぞれ扉が一つずつある。
信也君はまず、右の扉を覗き込んだ。だけど、わたしを招き入れるわけでもなく、案内するわけでもなかった。
ただ単に覗いて、確認をしているといった感じ。その上どこか、落ち着きがなかった。
なんだかこっちが、不安になってくる。
「どうかしたの、信也。キョロキョロして」
我慢できずに尋ねると、信也君はあごにてをやりながら、首を傾げていた。
「いや、姉さんはどこで寝るのかなって。もしかして廊下かな?」
「なんでそうなるのよ! ここが信也の部屋なら、反対じゃないの?」
「いや、そっちは物置……」
信也君の返答も聞かず、向かいの扉を開ける。
そこには、見慣れた風景があった。
ベッドと必要な電化製品以外にはなにもない、シンプルな構成。わたしは毎日、この光景を目の当たりにしている。
「どうしたんだよ?」
「わ、わたしの部屋……」
「はっ?」
理解できていない信也君は、間の抜けた声を発していた。
「わ、わたしの部屋……わたしの部屋!」
わたしは無意識のうちに、部屋の中へと踏み込んでいた。床から伝わる感触も、踏み慣れたものだ。
「わたしの部屋だよ!」
振り返って絶叫すると、信也君が耳を塞ぎながら答える。
「そんなに何度も言わなくたっていいよ。廊下で寝ずに済んでよかったじゃないか」
「違う、わたしの部屋なの! わたしが中界で使ってる部屋!」
「へっ?」
「わたしが中界で暮らしてる部屋が、そっくりそのままここにあるの!」
そう、中界でわたしが毎日帰宅する、わたしの自宅がそのままそこにあった。
さすがにトイレや風呂まではついてなかったけれど、この構成、ベッドのさわり心地、色あせた壁紙、どれをとってもわたしの部屋に間違いなかった。
信也君はわたしの驚きとは正反対に、落ち着いたようすだった。
「住み慣れた環境でいいじゃないか」
「そ、それは、そうだけどさ」
「それよりも、物置にあった荷物、後で返してくれるよう、ちゃんとエンマ様に伝えておいてよ」
まったく意に介さず、偉そうに述べる。
「なによ、自分だって死ぬんだから、自分で伝えればいいじゃない。大体、本当に中界に荷物があるかなんて、知らないっての……」
信也君には聞こえないよう、顔をそらせてからぼやく。
「信也、美利亜! ご飯ができたぞ!」
一階からお母さんの声が聞こえてくる。信也君はわたしを引っ張り、一階へと降りた。