10月22日(1)
十月二十二日 水曜日
「さて、ミリア、お前の罰の話だが」
「は、はい」
振り向きざまに、エンマ様を見上げる。こうなったら覚悟を決めるしかない。
もしも命に関わる罰なら、信也君も巻き添えにしようと企みながら、エンマ様の言説を待つ。
「まず、現界に行って鷹野信也の手伝いをしてもらう」
「はへっ?」
思わずわたしの口から、普段よりも間の抜けた相槌がもれた。
「す、すみません!」
すぐさま謝ると、エンマ様はわたしに手を向けて制止させる。
怒らせたかとも思ったけど、肌の色が青白いままなので、怒ってはいないようだ。
「すでに時間は戻っているからな。後で鷹野信也のいる場所へと送ろう。死んだという事実を、夢だと思っている可能性もある。相談役として、鷹野信也をサポートしてほしい」
話の内容を、必死に整理させる。その内に疑問が浮かんできた。
「でも、生きている信也君には、わたしの姿は見えないのでは?」
「その点は心配ない。ミリアにも現界で生活してもらうからな」
「それって……」
「中界で生まれたミリアにはふさわしくない言葉ではあるが、ようするに生き返るという意味だ」
「わたしが……生き返る?」
にわかには信じがたい話だった。中界で生まれたわたしが、現界で生活することになるなんて。
確かに中界には、現界人の姿を借りて生き返り、いろいろな調査をする部署もある。
それが案内人であるわたしに適用される。生まれて初めての経験どころか、中界初の経験者かもしれない。
そこに何が待ち受けているかなんて、想像もつかなかった。
「でも、サポートといわれても、いったい何をしてあげればいいのか……」
「生き返った鷹野信也は、中界での出来事を誰にも話してはならないと言ってある。信じる者がいるとは思えないが、何かしら問題が起きかねんからな」
「そりゃあ、そうですね」
「鷹野信也は山倉優美を助けるため、いろんな行動を取るだろう。だが、その行動が本当に正しいのか、間違っているのか、迷う場面もあると思う。そんな時に、相談相手として誰かいた方がいいだろう? となると、事情を知っているミリアが、一番適任ということになる」
「は、はあ……」
あいまいに返しつつも、わたしのやるべきことは、やっぱり頭の整理だった。
まず生き返る、そして信也君の相談に乗ってあげる。整理すればこんな感じだろうか。
これ以上なにかあれば、本気で脳がショートしかねない気がする。
「それに関連してだが、ミリアには一週間の間、鷹野信也と同じ家に住んでもらう」
「で、でも、信也君のお母さんとか……」
「それはこちらでなんとかできる」
自身ありげに、頷くエンマ様が続ける。
「鷹野信也の姉として、美利亜という名前で過ごせるよう、母親に記憶を与えよう。どうかな?」
紙に漢字で書いて、エンマ様が説明してくれる。美しくて利巧で――亜はよく分からないけれど、わたしにピッタリの名前だ。
「それで終わりですか?」
恐る恐る尋ねると、エンマ様は指を一本立ててみせた。
「最後に一つ。ミリアと鷹野信也を送った次の日、つまり十月二十三日だな。その日は、朝から最寄りの駅に行くのだ」
「駅ですか?」
「いろんな男が言い寄ってくるだろうから、その中から自分で判断して、一人の男を選ぶといい。一週間という短い間でも、真剣に、心から好きになれそうな男性をな」
「なんでそんなこと……」
淡々とぼやくと、エンマ様の表情がとたんに険しくなった。
「ミリア……」
「は、はひ!」
緊張が全身へと走り、震えているのが分かる。逆鱗に触れてしまった――そんな予感がした。
だけどエンマ様の姿は変わらず、諭すような口調でわたしに話しかけてきた。
「最近、ミリアの噂をよく聞くのだよ」
「わたしの噂って、もしかして中界一の嘘下手とかいう……」
「なんだそれは?」
「ち、違うならいいです!」
両手を振って、失言を打ち消す。
エンマ様はすぐに『中界一の嘘下手』から興味をなくすと、咳払いを一つして続けた。
「君は死んだ人を迎えに行った際、何をやっても無駄だ、別れを言っても聞こえないなどと、迎えに行った死人に告げるらしいな」
「は、はい」
エンマ様の言うとおりだ。信也君だけでなく、他の死者にもよく言う。そして、同僚には冷たいと非難されるのだ。
だけど、事実を言っているだけなのだ。悪気なんて一つもない。
「いいかミリア。愛する人のためなら、人はどんな苦しみにも耐えられるものだ。それと同時に、愛する人を失えば、どんな苦しみよりもつらいのだよ。最近はそういう感情を持つ人間も、少なくなってきているがな」
「はぁ、そうですか」
返事だけはするものの、あまり実感が湧かなかった。
他人を愛するどという感情を、体験したことがない。
「ミリアには、心の痛みがわかるような、そういう仕事が出来るようになってほしい。生きた人間として過ごし、恋愛の一つでもすれば、それがわかるはずだ。だから向こうで生活してもらう。わかったか?」
「はい、一応」
返事は肯定していたものの、心の中では否定的だった。
ようするに、生きている人と同じような恋愛――死んでも離れたくない、無駄とわかっていてもお別れを言いたくなる――を体験できそうな男性を、探せばいいのだろう。
間違いなく、そんな感情はあり得ないだろうけど。
恋愛の一つや二つ体験したところで、きっと考え方は変わらない。事実しか述べていないのだから、変わるはずがないのだ。
「わかりました。信也君のサポートと、恋愛の経験、共に頑張ってきます!」
右手で敬礼を作り、エンマ様へと告げる。
なんだかんだと言っても、心はすでに好奇心で一杯だった。罰といっても、本当に罰らしい罰なんて一つもない。
信也君の世界で生活するなんて、罰でなくてもお願いしたいぐらいだ。
「質問がなければ時間を戻すが?」
あらためてエンマ様に問われ、少し考えてみる。先ほどからあった胸のわだかまりを、思い切ってエンマ様へとぶつけてみた。
「どうして信也君の願いを、聞いてあげたのですか? 死んだ人を生き返らせるために時間を戻すなんて、初めてですよね? それなのに……」
生唾を飲み込み、エンマ様の回答を待つ。
エンマ様は少し間をおき、顎鬚をなぞりながら語りだした。
「さっきも言ったが、好きな人の為ならどんな苦労もいとわない……といった感情を持つ現界人が、少なくなっている気がするのだ」
よく分からないけれど、エンマ様はそれを由々しき事態と受け止めているようだ。
「不倫、浮気は当たり前。質の悪いやつらは何人の男、女と同時に付き合っているかを、自慢げに話している。本当の恋愛というものがどんどん薄れているような気がするのだ」
恋愛経験のないわたしは、本当の恋愛などと言われても、いまいちピンと来ない。
ただ、不倫や浮気が悪いことであるのは分かる。それを自慢げに話すなんて、どう考えてもおかしい。
「そんな中で、あの鷹野信也という青年は、死んでなお最愛の女性を想っていた。自分を犠牲にしてでも、彼女を助けたい。自分はどうなってもいいからとな――彼の言葉には力がこもっていたよ。最近の若者にはないものを、持っている気がする」
「それで、チャンスをあげたくなったんですか?」
「そういうことだ。まあ、他にも理由はあるがな」
鼻息を荒げて笑うエンマ様に、
「他の理由ですか?」
当然のごとく尋ねる。するとエンマ様はとてつもない理由を暴露していた。
「ああ、暇つぶしだよ」
「ひま……」
呆気にとられるわたしをよそに、エンマ様は大声で笑い出した。建物が震えるように軋み、張り詰めた音が鳴り響く。
「毎日同じような仕事をしていると、普段とは違った事件に憧れる。そこにたまたま鷹野信也が現れた。それだけだ」
「エ、エンマ様って、結構砕けた性格してるんですね」
「それを知らなかったのはミリア、お前だけだ。他の者はみんな知っている」
再び笑い出すエンマ様に、わたしの緊張は完全にほぐれていた。
これからはエンマ様を前にしても、普段通りに振舞えそうだ。
「それではミリア、現界へと送ってやろう」
指を鳴らすエンマ様に、目をつむってひたすらに待つ。
しばらくして目を開けるも、まだエンマ様の部屋の中にいた。
「……エンマ様?」
「今のはミリアの姿を変えただけだ。鏡を見てみるか?」
上から降ってきた手鏡を、うまくつかんで覗き込む。
そこには普段のわたしとは違う、うっとりするぐらい美貌を持った、理想の女性がいた。
肩までの黒髪は、ツヤとハリが今までのわたしとは天と地の差だった。パッチリと開いた大きな瞳は、きらきらと輝いている。
鏡から視線を、自分の体へと移す。赤いハイヒールのおかげで身長はわずかに高い。
そして、ずんどうな本来のわたしとは違うスリーサイズ。出るところは出て、引っ込むところは引っ込む。まさに理想的体型だ。
「それじゃあ、現界に行って来ます!」
「ああ、すぐに送ろう……っと、一つ忘れていた」
「ま、まだ何かあるんですか?」
脱力感が全身を襲い、思わず背中が丸くなる。そろそろ覚えきれない可能性が出てきていた。
「別に言わなくてもいいぞ、困るのはミリアだからな」
少しこめかみをピクピクさせながら、エンマ様がボソリとつぶやく。
ここでエンマ様を怒らせては、今までの罰を撤回されかねない。
「いえ、なんでもないです。エンマ様の話、とっても聞きたいなあ!」
「わざとらしいやつだな、まったく」
呆れ果てるエンマ様に、全身全霊を込めた営業スマイルを送る。
苦笑をまじえながら、エンマ様は話を再開した。
「困難な事件や突発的な事故から身を守るために、中界の姿――ようするに生者から可視されない姿に戻れるようにしておく。鷹野信也の世界で死んでしまっては、なんの意味も成さないからな」
「戻るって、どうやって戻るんですか?」
「スイッチの役目をするキーワードを作っておくのだ。唱えれば、ミリアの姿は見えなくなる」
「もう一度唱えると、現界人にも見えるようになるわけですね?」
「そうだ。キーワードはどうする? ミリアの好きな言葉でいいぞ」
首を傾げて考えてみるが、覚えやすいキーワードはまったく思いつかなかった。
仕方なく、最初に思い浮かんだ雑言を伝える。
「カルバドスのおたんこなす……でお願いします」
「そ、それでいいのか?」
「日頃から、言ってやりたかったんですよ」
現界に行っている間は、カルバドスに会わない。それならばこれくらい、平気だろう。
「では、今度こそ現界へ送るぞ。約束はきちんと守るように」
「はいっ!」
手を上げて返事をすると、エンマ様が手をかざす。
わたしの体は信也君を包んだものと同じ、明るい光に飲み込まれていった。
気がつくと、わたしは始めている場所にいた。室内ではあるけれど、もちろんエンマ様の部屋ではない。
ビデオテープがいくつも並んでいるのに、ビデオデッキが一台もないという、特殊な空間だった。
人々はビデオテープの箱を手に取り、何やら考えこんでいる。
「っと、それよりも信也君を探さないと」
わたしは室内を見回して、信也君の姿を探した。エンマ様は信也君と同じ場所に送ると言っていたので、この近辺にいるはずだ。
しばらく室内を歩き回っていると、信也君の姿はすぐに見つかった。中界に来た時とは違い、今は学生服を着ているものの、間違いなく信也君本人だ。
すでに室内から出ようとしている信也君に、わたしが近づいていく。