ここは入口
夏のホラー2011参加作品です。他に二作品ありますので、あらすじや文字数から読みやすいものをお選び下さいませ。ご興味を頂ければ、他の二作にもぜひお越し下さい。
ハッピーエンド、バッドエンドともに用意しておりますが、この作品がどちらなのかはここでは申しません。お愉しみ頂ければ幸いです。
私の言葉が理解できる者を歓迎する。ようこそ。
ここに一人の男がいる。この際、名はどうでも良いが、人間に与えられる【名】には想いが込められているとも言う。貴方には伝えておこうか。この男の名は、荒木啓一。込められた意味など、私は知らぬ。貴方への情報として活用するだけなのだから。
荒木は不幸な男だ。何が幸福で何が不幸なのか、私は知らぬ。本人がそう言っているのだから、不幸な男だ。最近では、幸福ということについて考え続け、周囲には誰もいないにも関わらず、考えが口から出ることもあるようだ。貴方にも聞こえるように尽力致そうか。
「どいつもこいつも……わかってねぇ。お前らの不幸なんてメじゃねえってのに、自分が一番不幸だってツラしやがって。そんなのが一番の不幸だってなら、俺が代わってやりたいぜ」
ほう。面白そうなことを言い出した。
いかがかな。荒木の声は貴方に届いているか? 私は荒木の考えに付き合うことにする。貴方にも面白いものが見えるかも知れない。しばらく付き合ってみるのも悪くないはずだ。
さて、荒木を他の不幸な環境に置いてやろうと思う。荒木が幸福を掴むのかどうか、見てみるとしよう。
「 どいつもこいつも……わかってねぇ。お前らの不幸なんてメじゃねえってのに、自分が一番不幸だってツラしやがって。そんなのが一番の不幸だってなら、俺が代わってやりたいぜ」
同じことを言っているようだが、境遇は全くちがう。荒木が『メじゃねえ』と言っていた者の中から選んだ一人と同じ境遇に置いてやったのだが……ふむ。荒木はやはり不幸なようだ。別の者と同じ環境に代えてやろう。
「 どいつもこいつも……わかってねぇ。お前らの不幸なんてメじゃねえってのに、自分が一番不幸だってツラしやがって。そんなのが一番の不幸だってなら、俺が代わってやりたいぜ」
なるほど。私の思い違いか。荒木は最も不幸な目に遭っているのではない。荒木そのものが最も不幸なのだな。どんな目に遭おうと、荒木が最も不幸な男なのは間違いないのかも知れない。
「ちくしょう……俺にも、金さえあれば……」
金か。それを望む人間は多いようだが、それほど価値のあるものなのか。試してみようか。
さて、荒木を金の有り余っている環境に置いてやろうと思う。
「結局、どいつもこいつも金目当てか。本気で俺と接しているヤツなんていやしねえ。部下という駒とビジネスとしての女がいるだけだ。何で誰も俺に本気で向き合ってくれねえんだよ」
荒木は金の使い方がわかっていないのか、金があっても結局不幸な男のようだな。
「ちくしょう……友達や恋人さえいれば、金なんていらねえのに……!」
贅沢な男だ。友達や恋人のいる環境に置いてやれば、また、金さえあればと言い出すのだろう。どちらもある環境ならば文句はないのか? ふむ。試してみようか。
さて、荒木を友達も恋人も金もある環境に置いてやろうと思う。
「あー、退屈だ。何でこう毎日退屈なんだ。手に入らねえものなんかねえし、周りもいいヤツばっかだし。刺激がねえんだよな、刺激が。毎日生きるのが大変な家にでも生まれたかったぜ」
そうか。段々わかってきたぞ。貴方はわかっているかも知れないが、どうやら荒木は、あるものは全て当たり前で、ないものが欲しいようだ。自分の手にないものを求める。そして、手にしたらもう、それは当たり前に荒木の一部なのだ。何を手にしようと、そこから相対的にないものを探し、それを求める。そして、それがないことが不幸なのだ。つまり、どうしても不幸だというのか。
荒木を幸せにはできないのか。せっかくだから、私としては荒木を幸福な男にしてやりたいものなのだが……そうか。『相対的にないもの』を探すから不幸なのだ。逆に、何もないところで『相対的にあるもの』を探せば幸福になるはずだ。ふふふ。面白くなってきた。
さて、荒木を金も仲間もいない環境においてやろうと思う。最初? 元々は金も仲間も平均的にあった。繰り返すが、『何が幸福で何が不幸なのか、私は知らぬ』。荒木自身が不幸だと言っていたからそう判断しただけだ。貴方が幸福なのか不幸なのかも、貴方が決めるのだろう。荒木は不幸なのだ。
「へっ、へへへ。こんなに簡単だとはな。食い物はとりあえず盗ったから、次は金も盗んでやるか。その後は女でも襲って……へへ。働く必要なんてねえ。こんなに楽に好きなことができるなんて、俺はなんて幸せなんだ」
ようやく、荒木は不幸な男ではなくなったか。しかし、せっかくだから、もっと幸せにしてやりたいものだ。今以上に何もないところへ移してやるとしようか。
さて、荒木を音も光もない空間に置いてやろうと思う。
聞こえないから喋ることもできない。荒木の声が聞こえないのはそのせいだ。貴方には見えないか? では、私が伝えよう。荒木は這いつくばって草を食べている。実をつけたものを口にすると、笑顔になっている。雨が降ってくると、仰向けになり口を開く。『俺はなんて幸せなんだ』と口にした時と同じ表情だ。荒木の考えに付き合った甲斐があるというものだ。くくく。
さて、荒木の命も無くしてみようか。荒木が最高の幸福を得るために。
何か言いたそうに見えるな。こう見えても私は忙しい。遊びながら働くのは大変なのだ。しかし、せっかくだから、貴方に応えよう。
ふむ。私が何者なのか? この際、名はどうでも良いが、人間に与えられる【名】には想いが込められているとも言う。貴方には伝えておこうか。私の名は死神。込められた意味など、私は知らぬ。くくく。
私の仕事? 命を司ることだ。貴方にわかりやすく言うのならば、私の言葉を理解できる者に私の存在を伝え、不要な命を削り取るということになる訳だ。荒木はなかなか愉しませてくれた。これだから遊ぶのはやめられない。命を削り取る前には、せっかくだから望みでも叶えてやりたくなるものだ。せっかくだから、な。くくく。
いかがかな。私の声は貴方に届いているか? くくく。
後ろを向いても私はいない。ふふふ。そんなに周囲に気を配らなくとも、心配ない。そんなところに私はいない。ちゃんと私は貴方の中にいるぞ。くくく。
さあ、私は名乗った。貴方の名も聞かせてもらおう。仕事の相手なのだ。仲良くしようじゃないか。恐れることはない。込められた意味など要らぬ。貴方の名は次の者への情報として活用するだけなのだから。くくく。
あまり手間をかけさせないで欲しい。こう見えても私は忙しい。遊ぶ時間がなくなってしまう。
さあ、幸せにしてやろう。くくく。