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終焉の詩姫

終焉の詩姫【心の丈】

作者: 立川マナ

ストーリーは本編からさかのぼること四年前から始まります。砺波が中学二年の頃のお話です。ではでは。コーヒーブレイクにでもお使いください♪

「あっつい」


 夏休み真っ只中。真夏の午後二時。都会だというのに、しぶとくセミは生き残ってるようで、どこからか「みーん、みーん」と馬鹿の一つ覚えのような奴らの鳴き声が聞こえてくる。それが余計に暑さを強調させて、わたしを苛立たせる。なぜ、一日の中でも一番暑いこの時間帯に掃除をしなきゃいけないんだ。わたしは大きなため息をついて、バケツの水にひたした雑巾を取り出してぎゅっと絞る。

 やる気が出ない。水滴を滴らせる雑巾を手に、ぼうっと天井を見上げた。

 小学四年生から中学三年生までのカインには、二ヶ月に一度(と決まってるわけではないが、大体そのくらいの頻度で)、掃除当番が回ってくる。元教会である、ここ『実家』の掃除だ。特に、木製のチャーチチェアーの水拭きを念入りに行うようにパパから言われている。これがまた面倒くさい。

 でも、一応これもパパから『おつかい』だ。――わたしは気を引き締めるようにため息をつき、水拭きをはじめた。

 誰かの足音がパパのオフィスのほうから聞こえてきたのはそのときだった。


砺波(となみ)?」と背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。わたしは(せっかく始めた)水拭きの手を止めて、おもむろに振り返る。そして眉をひそめた。

 そこには、短い黒髪の、どこか見覚えのある奴が立っていたのだ。わたしは目を薄めて食い入るようにじっと見つめる。ここに居るのだから、カインであることは確か。どこかで会ったことがあっても不思議ではないのだが……どうも、こいつを見てると懐かしさがこみ上げてくる。

 しばらく見つめていると、「参ったな、忘れられてる」とつぶやいてそのカインは頭をかいた。――その仕草に一気に記憶がひきずりだされ、わたしは目を見開いた。


「和……幸!?」


 思わず立ち上がって、駆け寄っていた。「嘘でしょ?」と言ってつま先から頭までを視線で何度も往復する。


「何が嘘なんだよ?」


 ぎこちなく笑うその顔は、確かに和幸だった。同い年のカイン。小学生時代は毎日のようにつるんでいた幼馴染。わたしよりずっと背が低くて根性なくて、わたしともう一人の幼馴染にいいように遊ばれていたいじられキャラ。別の中学にはいって、それからずっと会っていなかった。

 それが……いつのまに、こんなに――。すっかり背は追い越されているし、わたしよりも丸みがあった体つきもがっしりとした体格に変わっている。 


「久しぶりだな」


 声には当時のなごりがあるが、それでもずっと低くなっていた。男の子ってちょっと会わないうちにこんなに変わるものなの? ――卑怯よ。


「小学校卒業して以来だから……二年ぶり、か?」


 その笑顔にはまだあどけなさが残っている。それを見るとなぜだかホッとした。久々に会ったんだ。思い出話でもしようか。そう思って、微笑もうとしたときだった。


「お前、何も変わってないよな」わたしをジト目で見下ろし、和幸はからかうようにそう言った。「特に、その顔。小学生のまんまじゃねぇか」

「な……」


 一気に目が覚めたようだった。血が逆流して、脳が沸騰する(わけないけど)。何かのスイッチが入ったかのように、頭の中でいつもの調子を取り戻した『わたし』が怒りをぶちまけ始めた。

 なにを言うのよ、こいつは!? いつもわたしにいじめられてたくせに……急に背が高くなったからってなに調子に乗ってるのよ!? 会っていきなり、見た目のこと……童顔だってこと、人が気にしてることを――わたしは気がつくと、足元のバケツをつかんで、思いっきり、中の水を幼馴染にぶっかけていた。


「つ……っめてぇ!」


 『実家』に響いた叫び声に、わたしはハッと我に返った。手にはバケツ。目の前には頭からびしょぬれになった和幸。


「また、やっちゃった」


 頭に血がのぼると手がでちゃうのよね。パパにもしょっちゅう注意されてるってのに。やば……と、慌ててバケツを放り投げる。何もなかったかのように和幸に微笑みかけ、「涼しくなったでしょ?」と自慢げに言い放った。ものは言いよう。言ったもん勝ちってやつ? ――とはいかないようで、


「冗談じゃねぇよ!」と、和幸は怒鳴って半そでのTシャツ(ずぶぬれ)を脱ぎだした。「いきなりバケツの水ぶっかける奴があるか」

「うるさいわね」わたしは腰に手をあてがい、和幸を睨むように見つめる。「もう、子供じゃ……」


 子供じゃないんだから、ぐちぐち文句言うな。そう言いかけて、わたしは口を噤んだ。上半身裸でTシャツを搾る和幸は、確かにもう『子供』じゃなかったのだ。力のこもった手の甲には血管がうきあがり、硬そうな二の腕の筋肉はきゅっと引き締まっている。ぷにぷにしていたはずの腹は引き締まり、うっすらと割れている。変な感想だけど、これが腹筋なんだ、と思った。

 どしゃぶりの雨にうたれたかのように、水を滴らせる黒髪。その水滴は頬を伝い、顎へと流れていく。水の流れが示す輪郭は、やはり二年前と違っていた。丸みは一体どこへ行ってしまったんだろう。――すっかり、男になっていた。

 わたしはごくりと生唾を飲み込んでいた。心臓が変なリズムを刻んでいる。今まで感じたことのない熱いものが喉までこみあげてくるのを感じた。


「久々に会ってとんだ挨拶だな」


 呆れたように和幸はそう言ってこちらに顔を向けてきた。わたしは慌てて顔をそむける。自分でも認めたくないけど、わたしは子分同然だった幼馴染に見とれていた。だって、ずるいじゃない。ちょっと会わなかった間に、こんなに変わってるなんて……わたしなんて、未だに小学生に間違えられるんだから。

 つい、拳に力がはいっていた。


「ま、こういうとこもお前らしいか」


 急に和幸はそう言って笑い出す。「どういう意味よ?」とわたしは腕を組んで吐き捨てるように乱暴に尋ねた。


「外も中も成長してないって意味だよ」


 あっけらかんと和幸はそう言ってのけた。また……また、わたしが気にしてることを! こいつはよくもそう抜け抜けと! 久々に会ってとんだ挨拶してるのはそっちじゃないのよ。むかっ! ときて、わたしは顔を赤くして和幸に勢いよく振り返る。


「うるさいわね!」と叫ぼうと口を開けたが、その前に和幸が「でも」と遮ってきた。

「脚だけは色気あるよな」


 ちゃかすような声色ではなく、感心したような言い方だった。「へ」と思わず変な声を漏らして、わたしは自分の脚を見下ろした。そういえば、掃除のためにハーフパンツを太ももの付け根までめくりあげていたんだった。すっかり忘れていた。最悪、恥ずっ! わたしは「ちょっと……!」と頬を赤らめて、あわててハーフパンツをおろす。


「変なとこ見てんじゃないわよ! この変態!」


 それも、上半身裸で……! とはどうも言いづらかった。


「褒めてんだから、素直に受け止めろよ」


 和幸は腰に手をあてがって、呆れたようにそう返す。

 また、血が騒ぎ出した。体中が熱くなって、頭がオーバーヒートしそう。気温のせいじゃない。夏の日差しのせいじゃない。よく分からないけど、とにかく体の内側から熱が放出されているようだった。目がまわりそう。まずい、まずい。


「あんたに……」と夢中で怒号をあげて、考えるよりも先に足元に転がっていたバケツを手に取っていた。「あんたに褒められたって嬉しくないのよ!」

「は!?」


 『実家』に鈍い金属音が鳴り、ハッと我に返ったときには、頭を抱えてうずくまる和幸。そして、手にはへこんだバケツ。

 やば……また、やっちゃった。


「てめぇ、砺波……」


 和幸は頬をぴくぴくとひきつらせ、おそらくたんこぶができたであろう箇所を手でおさえながら、わたしを睨みつけてきた。

 わたしは肩をすくめて、ごまかすように微笑んだ。


「久しぶり」と今更ながらにつぶやく。


***


 二週間後。『実家』では、掃除当番が回ってきた和幸がせっせとチャーチチェアーを雑巾で拭いていた。Tシャツの半そでをまくりあげ、額ににじむ汗を腕でぬぐう。

 窓を見上げて真夏の日差しに目を細め、ふうっと大きなため息をついた。――そのときだった。

 ギイっと耳障りにも思えるさびた金属の音がして、『実家』に光が満ち溢れた。和幸は雑巾がけの手を止めて、誰だ? と立ち上がる。

 開かれた『実家』の扉の前で、逆光を浴びる人影。凛とした立ち姿。腰に手をあてがうシルエットは、自信に満ち溢れている。

 カツカツと軽快なヒールの音が彼に近づき、段々と人影の正体が明らかになっていく。弧を描く細い眉。人形のように長い睫毛。丸く大きな黒い瞳。ほんのりと桃色に染まった頬。男なら、彼女を見た途端、「守りたい」という衝動にかられることだろう。しかし、足元には、そんな幼い顔立ちには似合わないハイヒール。そして、ロングTシャツでほとんど隠れてしまうほど短いホットパンツ。そこからのぞく脚は、まるで中学生とは思えない、モデルのようにすらっとした長い白い脚だ。

 和幸の前で立ち止まると、少女は脚を肩幅に開いて仁王立ち。腕を組んで、どこか気に食わない表情を浮かべた。


「手伝うわよ、掃除」


 いきなり言われて目をぱちくりとさせる和幸に、少女はぎらりと睨みつけて怒鳴る。


「この前のお詫びよ! 水ぶっかけたやつ」


 それくらい分かるでしょう、と言わんばかりのイラついた表情だ。少女は和幸の返事も待たずにさっさとしゃがむと、バケツに入っている雑巾に手を伸ばした。

 そんな彼女を不思議そうに見下ろして、和幸は「砺波」と声をかける。砺波は落ち着かない様子で「別に謝らないわよ。これでチャラなんだから」とぶつくさ言って雑巾を絞り始めた。――まるで何かをごまかすように。


「いや、そのことじゃなくて」


 和幸は表情を曇らせて、目の前にしゃがむ砺波を食い入るように見つめる。砺波は恥ずかしそうに頬を赤らめて目を反らした。「なによ?」とさりげなく続きを促す。心臓がまた慣れないテンポの鼓動を刻み始めていた。自分が期待に胸を膨らませていることに、悔しいながらも、砺波は自覚していた。


「お前」と和幸はいぶかしげな表情を浮かべる。「下、穿き忘れたのか?」

「……は!?」


 砺波はぎょっとして和幸に振り返る。心臓が凍結でもしたかのように一瞬にして大人しくなった。頬からは赤みがひいて、そのかわりに痙攣のようなものが起きていた。


「ちゃんと穿いてるでしょ!」


 砺波はロングTシャツの裾をひっぱり、下に隠れていたホットパンツを見せ付ける。すると和幸は目を丸くして「ああ、本当だ」と安堵したように苦笑する。


「てっきり、寝ぼけて下着で歩いてきたのかと……」


 そんなわけねぇよな、と和幸は声を上げて笑い出す。――まったくもって笑えないのは砺波だ。わなわなと震えながら脚をさすり、「他に、言うこと無いわけ?」と低い声でつぶやく。


「え?」


 いきなり耳が遠くなったかのように、和幸はとぼけた声を出した。その瞬間、砺波の中で何かが『切れた』。感情に流されるままバケツを持ち上げ、気づいたときには雑巾と一緒に中の水を和幸にぶっかけていた。

 空になったバケツを手に、砺波は「あ」と力の抜けた声を漏らす。

 またも頭からぐっしょりと濡れた和幸は苛立ちを必死に押さえ込みながら、息を吸い込む。そして、


「全然、反省して無ぇじゃねぇか!」和幸の怒鳴り声があたりに響いた。


***


 あれから……会っていなかった時間を埋めるように、わたしたちは毎日のようにお互いの家に行き来して夜中まで話し込んだ。高校に入ってからその回数はぐっと減ったけど、それでもわたしはしょっちゅうあいつの家に泊まりに行っていた。

 あの馬鹿に対して特別な気持ちがあることは、どこかで気づいていたのかもしれない。気づかないふりをしていただけかもしれない。怖かったんだ。あいつとの関係が変わって、自分まで変わってしまうのが。いつでも寄りかかれる肩が傍にあったら、いつか自分一人で立てなくなる。身も心も全てさらけ出せる相手ができたら、せっかく封印した弱い自分がまた現れてしまう。そんな不安があったんだと思う。それに……自分の気持ちを相手に伝えることが『負け』のように思えて仕方がなかった。――わたしは結局、弱かったんだ。


「砺波、これどう?」


 隣からきゃぴきゃぴとした声が聞こえてきて、わたしはハッと我に返った。その途端、あたりに響く騒がしい話し声や店内に流れるポップな音楽が耳に入ってくる。振り返ると、爛々と瞳を輝かせて、ショートヘアの少女がハンガーがついたままのデニムのミニスカートをわたしに押し付けてきた。


「ほら、砺波なら絶対似合うよ」同じクラスの(みどり)だ。嫌味のない素直な言葉。本当にそう思っているのだろう。「いいよねぇ、脚綺麗だから、何でも似合って」


 その言葉にわたしは鼻で笑った。


「気づいてもらえなきゃ、意味ないわよ」

「え?」


 きょとんとする碧の手からミニスカートを奪うように取って、わたしは目の前のハンガーラックにそれを戻した。


――妹としてうちに居候してもいいからな。


 夕べ、あいつはそう言った。わたしを『妹』と言った。それが答えなんだろう。この二年間、穿き続けたわたしの『プライド』への。

 ずらりと並ぶミニスカートに別れを告げて、わたしは踵を返して歩き出す。厚手のロングスカートが邪魔して歩きづらい。でも、もう寒空に歩いても脚が冷えることはない。今はそれでいいと思った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 『終焉~』にサブタイトルがついていたので驚きました。短編小説ですね。 これ、いいです。ツボですw 人がいちばん変化してゆく年頃に、久しぶりに再開した幼なじみ。『男』になった和幸を見てどぎま…
2010/12/15 12:48 退会済み
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