眠り姫(とわの別れに)
この夏老親を見送りました。同居、介助から介護そして看取りと歩んだ道のりに今現在 思う事を徒然なるままに、綴りました。
『お父さんと沢山あっちこっち旅行や登山してね、日本中いろんな所を見て来たからね、十分楽しんだからもういいの。今はねえ、こうして目を閉じて「あの時はこうだったな…」って思い出してね、もう一度 旅を楽しんでるのよ。』
長患いの悪化に伴い一昨年の冬 自宅で倒れ、危篤状態に陥り救急搬送。奇跡的に一命を取り留めたものの、目覚めた時には自力で起き上がるどころか寝返りを打つこともままならぬ体になって居た義母。
今宵 眼を閉じたら明日の朝陽を見られるかもわからない、いつお迎えが来ても不思議ではない、そんなゆめとうつつを行き来するような日々が、それから長く続いた。
それでも一旦危機を脱して少しずつ回復を見せ、介護施設に入所。それからおよそ1年半、回復と悪化を繰り返しながら義母の体は緩やかな坂を下り続け、この夏、静かに最期の時を迎えた。
施設入所中、面会に訪れた兄弟たちがこざっぱりした景色のいい居室で静かに床に臥している彼女に、かける言葉に詰まりながらも「元気になったらまた兄妹で集まろうや」と励ますと、義母は穏やかに微笑みながら上記のように返答したんだという。
亡骸が自宅に戻り葬儀の日を待つまでの間、猛暑の遠路を急ぎ別れを言いに飛んで来てくれた、年老いた伯父・叔父貴たち。今にも目を開いて「あら来てたの」と笑って起き上がりそうな、柔らかな微笑を浮かべたようなもう物言わぬ義母の枕元で、数か月前の面会時に交わしたという言葉を語って聞かせてくれた。
葬儀で展示してくれるというサイネージに使う思い出の写真を選ぶため、古いアルバムをごっそり引っ張り出して来て親族 皆で見た。達者な文字で几帳面に整理された数々の古い写真に、懐かしい・或いは見た事も無い人たちの笑顔や風景が並ぶ。旅行や、家族親族や、古い家や、車や、職場や、友や……
中でも沢山あったのは山の写真、単なる風景ではなく登山の記録だ。
そういえば、百名山を極めたいと言って登山を趣味とした義父に、いつも無理やり連れていかれるのよと溢しながらも度々付き合っていた義母だった。若い頃は登山など一切経験がなかったそうだが、中年期に差し掛かってから歩き始めたとは思えないスタミナと忍耐強さで登山家でも難儀するような山々の頂きを、夫と一緒に次々踏破していった。
そして山仲間から「あの山の紅葉が素晴らしかったよ」などと聞けば、その翌週には「いい事を聞いたから行ってきたわ!」と嬉々として土産話を語りあっていたという。
還暦間近な頃になってから、親戚づきあいで仕方なく始めた詩吟も気付けば20年続け、いつの間にか大きな大会で優勝したり免許皆伝を取っていた。
先入観が少なく好奇心は人一倍旺盛で、とにかく何事にも物おじしない。努力や苦労をひけらかすことなく誰に対しても穏やかで笑顔を絶やさなかった。義理堅く弩が付くほどの心配性で、沢山の病を抱え自分の身が危うくなってもなお 、変わらず子や孫の事を気遣い続けていた。
面会に行けば起き上がれないベッドの上で「(仕事を)無理しなさんなよ、体壊すくらいならとっとと辞めたがいいよアンタならもっといい働き口も見つかるから!」って毎度毎度、いい年したこちらの事を真剣に心配する。
その言葉を聴きながら、いやいや今はあなたの方がよっぽど大変なんですよ?わかってる?って私等は思い、親って子が幾つになろうとも親なんだなぁとちょっと笑ってしまうのだった。
逝去の連絡を受け 駆け付けた早朝の施設で。お世話になったスタッフの方々が口をそろえて「本当に誰に対しても穏やかで優しい、とても心の綺麗な方でした」と涙ぐみながら、別れを心から惜しんでくださった。
此処で最期を迎えさせて貰えて本当に良かったと、心配りの行き届いたケアにこちらこそ感謝の想いしかなかったのだが、その上に掛けて頂いた温かな言葉に家族一同本当に救われる思いだった。
丁度1カ月前。最後の一時帰宅を覚悟しながら皆で集った際。この時の義母は既に会話も認知も曖昧な状態だった。眠ってるのか起きてるのか、ここがどこかもよく理解してないような様子で家族とのひとときを過ごしたのだが、ひ孫の顔を間近に見た途端にイキイキとした優しい笑顔が戻ったことがあった。
その日のことを彼女は、施設に戻ってから職員の方々に話していたそうだ。
「ひ孫が可愛くて、かわいくてね」とニコニコ顔で嬉しそうに幾度も話してくれたんですよと、介護スタッフの方がのちの面会時に教えてくれた。
そうだったんだ!あの後は面会に行っても眠っていることが殆どで会話もあまり交わせなかったからわからなかったが、義母は確かにひ孫と家族で囲んだひとときをしっかり認知し、心から喜んでくれていた。その想いの光を大切に胸に抱いて安らかに夫の手を取り旅立っていったんだと、実感として知る事が出来た。
それは見送った家族親族みんなにとって、とても大きな福音だった。
24時間をベッドの上で過ごすようになってから、苦痛や悲しみや寂しさ、諦めや苦悩、不安も恐れも…胸中穏やかならぬ時はきっと想像を超えるほどにあったに違いない。
それでも面会に訪れると、いつも穏やかな表情を見せてくれた。時には静かな寝息をたてていて、呼びかけに目覚めれば ぼんやりと視界も思考も霞むような状態でも「ありがとう」と迎えてくれた。
そんなあなたのとてつもない心の強さとブレない優しさは、一体どこから湧き出ているのだろうな…。いつも何処か不思議で、身内ながらそこに神々しさすら感じていた。
体の自由を失くし、本当の別れの日へと近づく足音をきっと日々耳の奥に感じながら、人の心は一体何処まで強く嫋やかで在れるんだろうかと。
もちろん24時間手厚く向き合って下さる介護スタッフの方々の心籠ったケア、その安心感のお陰がとても大きかったという事は、間違いがない。家族の面会以上に、日々弱っていく義母の心身を支えて頂いたと思う。
その上でも、思うようにならない身体で何をするにも誰かの手助けが要り自由が限られ衰えていく日々に、不自由や不満不本意はきっと言い出せばキリない位にあっただろう。
目覚めればいつも視界に入るのは変わらない白い天井、ぼんやりと霞む窓外の景色…不自由な目でテレビを見るでも、ラジオを聴くでもなく、美味しいものを好きに食せる訳でもない。好きな人と楽しく話すことも趣味に手を動かす事も難しい…。
体の自由というものとは大分かけ離れてしまった長い夕闇…そんな中であなたは何を思っているのだろう、どんな夢をみているのだろうかと、面会でその寝顔を見るたび、ふと思わざるを得なかった。
淡々と坂を下り 迎えを待つことを静かに受け入れ夢とうつつを揺蕩いながら。あなたはきっと、これまで歩んできた波乱万丈な人生を心の中でずっと静かに、辿り直していたんですね。
幾度も幾度も、家族や友の笑顔を胸に描き直し、感動を噛み締め直し、楽しかった事悲しかった事大変だったこと驚いたこと…喜びや楽しさや安らぎや。触れ合った沢山の人達と愛し愛され過ごし絆紡ぎ続けた長い旅路を振り返る、そんな心の時間をずっと、過ごしていたんですね…。
その「来た道を辿り直す旅」から目覚めることなく、あなたは静かに虹の橋を渡っていきました。
あの世とこの世その境目もきっと分からなかっただろうという位に、安らかなやすらかな寝顔のままで…。
通夜に際し自宅を出るとき(納棺)には、お気に入りだった花柄のブラウスを着て、その上に長年人の目に触れる事のなかった色鮮やかな古い着物が掛けられた。
それは、80余年前義母の七五三祝いに仕立てられたものだった。空襲で街ごと焼かれ家も家財も全てを失ったとき、戦火を免れる為に地中に埋めていたたった一つの廿楽に納められていたものだ。それを「私が死んだら棺に一緒に納めてほしい」と、だいぶ前から言い残していたものだった。
白い和紙の包みがほどかれ、長い時を経てみんなの目に初めて触れたその祝いの着物は、目にも鮮やかな濃い空色の正絹地に赤や黄や桃の華やかな花々が咲き乱れる、本当に艶やかな美しい姿をしていた。
戦前義母の父は とある大きな企業の工場長だったそうで、義母は5人兄弟の中ただ一人の女の子「おひいさま」として大層慈しまれていただろうことが、その鮮やかな稚児着物一反からも伺い知ることができた。戦後 焼け出された母子6人の極貧生活でも決して手放さなかった。大事に和ダンスに仕舞って、誰に見せる事も無かったが義母は毎年きちんと虫干しをして大切に保管し続けていたのだった。
「きれいだねえ!」着物を開いた時、居合わせた皆が わあっと沸いた。
一世紀近くも仕舞われていた宝物の着物を、願い通り再び身に纏う事になった義母。病に痩せだいぶん小さくなってしまった体にそれは不思議なくらい丁度よく合い、安らかに眠るまだ生気の残る薄桃に艶のある頬を、一層温かな色に輝かせているように見えた。
ごくごく質素な告別式が恙無く終わり、棺の蓋がとうとう永遠に閉じられる。大好きだった花を手向けて最後のお別れ。
わたしが一番最初に迷わず手に取り 眠る義母の頬の横に置いたのは、青紫のリンドウだった。
「誠実、尊敬、高貴、気遣う気持ち、思いやり、悲しむあなたに寄り添う、等」リンドウにはそんな風な意味があるそうだ。
「誠実」とあるのは、太陽の光が降り注ぐ時だけ花を咲かせるという律儀な特徴があるから、と後になって知った。群れず野山で独立してすっと立つ姿。涙を連ねたような蕾をいつも上を向いて咲かせていく。どの言葉も姿も、あなたにとても相応しいと思った。
棺は沢山の花で隙間もない程に埋め尽くされた。そして最後に、実兄が持参してくれた義母の両親の婚礼写真や、病で戦前に早逝してしまったというその父親と一緒に撮ったセピア色の家族写真がそっと、胸に置かれた。
あなたの最後の旅装束、あでやかな祝いの稚児着物を纏って安らかな寝顔で静かに横たわる姿は、大切な人の迎えを眠りの中で待つ「眠り姫」かのようでした。
じいちゃん、ありがとうね。もう少し時間を頂戴 そして優しく迎えに来てね、その願いを聞き届けてくれて。
ばあちゃん、本当にありがとう。あなたの大きな愛情とその生き様を私達にしっかりと、全て示し伝えてくれて。
朗らかな笑顔、ユーモアと好奇心に輝く瞳。我慢強く質素でありながら凛と美しい背に湛えた、深い優しさと誠実さ…その強く逞しい姿と心根を、忘れません。
あなたが遺してくれたもの、伝えてくれた大切なものを必ず あなたの後を歩む大切な人達へ、伝えていきます。
さよーなら、またいつか!どうか安らかに。待ちくたびれただろうじいちゃんと、また喧嘩しながら楽しく過ごしてね。
そして末永く、みんなを見守っていてください。
決して、綺麗ごとだけでは片づけられない出来事や葛藤も多々、ありました。
それでも今思う事は「ありがとう」に尽きます、あなたが地道に大事に大事に積み上げてきてくれたものが、新しい命とその笑顔や希望に淀みなく繋がっていることは一つも疑う余地がありません。
己の心の整理と、いつか大切な人に伝えたいと願い書き綴った忘備録のような文章ですが、ここまでお読み下さり誠にありがとうございました。




