第十話 「恋を知らない男」
試験室を出た瞬間。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
一ノ瀬雪乃が壁へ寄りかかった。
完全に疲れ切っている。
「死ぬかと思った……」
「国家試験で命削るな」
「最後の三十秒長すぎない?」
「分かる」
俺もかなり精神を削られていた。
白鷺優斗。
あの男、笑顔のまま人の中身を覗いてくる。
気持ち悪い。
⸻
中央管理棟廊下。
一ノ瀬がこちらを見る。
「……ねえ」
「なんだ」
「さっき、なんで名前呼んだの?」
「試験だからだろ」
「それだけ?」
「それ以外あるか?」
一ノ瀬は少しだけ黙る。
そして。
「……そっか」
笑う。
でも今の笑顔は少し弱かった。
俺は小さく息を吐く。
面倒だ。
最近、一ノ瀬の感情が前より読みにくい。
演技と本音が混ざり始めている。
⸻
その頃。
Eクラス。
「恋愛監査試験!?」
柴崎が爆笑していた。
「なんだそれ! 公開処刑か!?」
「国家認定羞恥プレイだろ」
改良班も笑う。
「で? キスした?」
「してねぇよ!」
「なんだつまらん」
「何期待してんだお前ら!」
松永だけは真剣だった。
「もし焼きとうもろこし食わせてたら満点だった」
「お前の信頼どうなってんの?」
⸻
その時。
旧校舎ゲートが開く。
全員止まる。
現れたのは――白鷺優斗。
Eクラス全体が凍った。
「……国家権力来た」
「終わった」
「とうもろこし没収される」
「だから国家案件扱いするな」
白鷺は穏やかに微笑む。
「少し見学を」
嫌な笑顔だった。
⸻
数十分後。
白鷺はEクラス農地を歩いていた。
畑。
川魚。
燻製器。
狩猟罠。
完全にサバイバル集団。
「……興味深いですね」
白鷺が呟く。
「恋愛不適合者隔離クラスとは思えない」
松永が胸を張る。
「食料自給率八十七%です」
「なんで誇らしげなんだよ」
「燻製技術も向上中だ!」
改良班まで参加した。
白鷺は少し笑う。
本当に少しだけ。
「なるほど」
そして。
「ここには“生存”がある」
空気が静まった。
白鷺は畑を見回す。
「A組にはないものですね」
その時だった。
一ノ瀬が小さく言う。
「……ここ、変ですけど」
「変だな」
「でも、好きです」
Eクラス全員が止まる。
柴崎が俺を見る。
農業班女子が固まる。
松永がとうもろこしを落とした。
「え」
一ノ瀬は少し困った顔をした。
「え?」
「いや今」
「なんか告白っぽく」
「違っ……!」
珍しく一ノ瀬が赤くなる。
本気で動揺していた。
演技じゃない。
Eクラスがざわつく。
「マジ?」
「一ノ瀬さん照れてる?」
「国家レアイベントだ」
俺は黙っていた。
今の感情。
読めなかった。
いや。
違う。
読みたくなかった。
⸻
その様子を。
白鷺優斗だけが静かに見ていた。
微笑みながら。
そして。
「……なるほど」
小さく呟く。
「少し、仮説が変わりました」
嫌な予感。
白鷺は俺を見る。
「九条くん」
「なんです」
「君は“恋を知らない”」
静かな声。
「ですが」
そして。
「彼女は、君といる時だけ少し違う」
空気が止まる。
一ノ瀬も動けない。
白鷺は笑う。
「面白いですね」
その笑顔は。
まるで研究者が実験動物を見つけた時みたいだった。
⸻
その夜。
監査局から通知が届く。
《学園祭特別企画》
《恋愛適性公開イベント開催》
嫌な予感しかしない。
そして最後の一文。
《九条蓮・一ノ瀬雪乃ペア、強制参加》




