浮気の言い訳が『異世界に召喚されていた』だったので、現実世界の証拠を突きつけパーティーから追放した。
「双葉ただいま……。いや、やっと帰還したと言ったほうが正しいのかな……」
日曜日の午後六時。
三日間の出張を終えて帰宅した婚約者の哲也は、玄関を開けるなりひどく芝居がかった足取りでリビングに現れた。
私はソファに深く腰掛け、無表情に彼を見つめる。
三日間一睡もしていないような隈を隠しもせず、ただじっと。
「お帰り哲也。全然連絡つかないから心配してたのよ」
私の声は自分でも驚くほど冷えていた。
出張と言って外泊していたこの三日間、哲也とは連絡が一切つかなかったのだ。
でも本当は心配なんてしていない。だって出張なんてのは嘘なんだもの。
哲也の白いワイシャツの襟元には、私の持ち物にはない鮮やかな朱色の紅が付着している。そして部屋中に広がるほどの甘ったるいバニラの香水。夜のお店でよく嗅ぐ安っぽい匂いが漂う。
「ああ、すまない、心配をかけた。だが、それには深い、本当に深い事情があるんだ」
哲也はフラフラと私の前まで来ると、おもむろに天を仰いだ。そして額に手を当てて震える声で叫んだ。
「信じてくれ双葉! 俺は三日前横断歩道でトラックに轢かれかけて……、気づいたら異世界に召喚されていたんだ!」
…………は?
「……異世界?」
「そう! ルグランデ聖王国という国だ。俺はそこで『伝説の勇者』として魔王軍と戦っていたんだ。今さっき、ようやく魔王を倒して元の世界に戻るゲートを潜り抜けたところで……」
哲也は必死な形相で自分の右腕をさすってみせる。
どうやら彼は私が三日間かけて収集した「熱海の温泉旅館での目撃情報」や「浮気相手のSNS投稿」よりも、自分の妄想のほうが通用すると信じているらしい。
私はゆっくりとスマホをテーブルに置いた。
いいでしょう。その『異世界設定』、現世の証拠で完膚なきまでに解体してあげるわ。
「へぇ、魔王との戦い……、大変だったわね。じゃあ、まずはその『魔女の呪い』みたいなシャツの汚れから説明してもらおうかしら?」
「待って双葉、疑っているのか!? この傷……、いや、この汚れを見てくれ!」
哲也はここぞとばかりに襟元の口紅を指差して身悶えした。
「これは魔王軍の幹部、淫魔ならぬ淫妃との死闘でついた呪いの刻印なんだ! あいつは吐息ひとつで男を惑わす香気を放ち、触れただけで命を吸い取る紅を塗る。俺は死に物狂いで聖剣を振るい、三日三晩一睡もせずに戦い続けたんだ……!」
「……三日三晩、不眠不休で?」
「ああ! ルグランデ聖王国の聖女ノアも『哲也様無理をなさらないで!』と泣いて止めてくれたが、俺は君の待つこの世界に帰るためにボロボロになりながら戦った! 身体に纏わりついているこの匂いはその時に浴びせられた魔力の残滓なんだ。消したくても消えない、忌まわしき異世界の記憶なんだよ!」
哲也は片膝をつき、まるで悲劇のヒーローのように肩を震わせる。
……なるほど。ノアっていう女と熱海の高級旅館で三日間イチャイチャ三昧……、じゃなくて、三日三晩の「レイドバトル」を楽しんでいたわけね。
私はゆっくりと立ち上がり、キッチンのカウンターに置いてあったクリアファイルを手にした。
「そう。勇者様は大変だったのね。でもおかしいわね。あなたのスマホのスクリーンタイムによると、その三日間、一日の平均使用時間が十四時間を超えてるんだけど」
哲也の動きがピタッと止まった。
「異世界ってWi-Fi飛んでるの? それとも聖王国の魔導ネットワークで日本のまとめサイトやSNSを見てたのかしら。熱海の観光スポットとか露天風呂付き客室のランキングとか」
「……えっ、いや、それは……、ゲートが不安定でこちらの電波を拾ったというか……」
「ふーん。じゃあ、その魔女の呪いがついたシャツのポケットに入っている、これ。……これはギルドカードか何か?」
私はピンセットで彼のポケットから覗いていた「薄ピンク色の紙」をつまみ出した。
「これ、高級ラウンジの領収書よね。但し書きが『ご飲食代』じゃなくて『同伴費用および延長料』。……ねえ勇者様、ルグランデ聖王国の通貨って日本円で、しかもペイペイ決済が主流なの?」
哲也の顔から急速に血の気が引いていく。
異世界転移の言い訳という幻想ファンタジーに、私は無慈悲な現実を突きつけた。
「次はあなたのカバンの中に隠してある聖女からの贈り物について、詳しく聞かせてもらおうかな」
「そ、それは……! あ、洗礼の儀式に必要な聖遺物で……!」
哲也が震える手でカバンを隠そうとするが、私はそれを無造作にひったくり、逆さにして中身をリビングのテーブルにぶちまけた。
中から転がり出たのは一組のペアリング。
そして旅館の名前が入ったアメニティの小袋と――決定的な一枚の「自撮りチェキ」だった。
そこには浴衣姿でだらしなく顔を赤らめた哲也と、胸元を強調した派手な女・ノアが露天風呂をバックに密着してピースサインをしている姿が写っていた。
「……勇者様。この聖女ノアの首筋に思いっきりキスマークつけてるけど? これも魔王軍との戦いの傷跡かしら」
「あ、いや、それは……、その、聖女が魔力供給のために……」
「黙れ、ハゲ散らかし予備軍」
私の氷点下の怒声に哲也がヒッ、と喉を鳴らして縮み上がる。
私はスマホを操作し、あらかじめ特定しておいた画面を彼の鼻先に突きつけた。
「あんたが命がけで守ったらしい聖女ノアのインスタの裏垢。見てあげなさいよ。投稿日は昨日の夜、場所は熱海」
画面には高級な金目鯛の煮付けを前に、哲也が財布から万札を出している隠し撮り写真。
添えられたテキストはこうだ。
『#婚約者いるとか嘘ついてた #実際はただの独身カモ #頭頂部薄くなってきたからハゲって呼んでる #旅行代あざすw #三連泊最高』
「な、なんだこれ……。ノアちゃん俺のことを勇者様って……!」
「勇者じゃなくて『カモ』なのよ、哲也。あんた、三日間でいくら使った? 婚約指輪のローン、まだ残ってるわよね?」
哲也はガクガクと膝を震わせ、今度こそ本当に床に崩れ落ちた。
その姿は異世界に召喚された勇者どころか、現世で最も惨めな、ただの「裏切り者」だった。
「……哲也。今日でパーティー追放よ。というか当然婚約破棄ね。この家、私の名義で契約してるから今すぐ出ていって」
「ま、待ってくれ双葉! 俺が悪かった 異世界なんて嘘だ、全部デタラメなんだ! 君が一番なんだよ!」
「知ってるわよ。そんな面白くない嘘、最初から信じるわけないでしょ。……はい、これ」
私は足元にあらかじめ用意しておいた「ゴミ袋」を哲也に放り投げた。
中には哲也の着替えと、彼が大切にしていたフィギュアたちが無残に詰め込まれている。
「あなたの言う通りにしてあげる。今すぐ私の前から消滅して」
「待ってくれ双葉! 許してくれ!」
ゴミ袋を抱えたまま哲也が私の足首にしがみついてきた。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、勇者の威厳など微塵もない。
「俺は騙されてたんだ! あの女が無理やり熱海に行こうって……、俺は双葉との結婚資金を増やそうと、その、カジノ的な何かがある異世界に行こうとして……!」
「まだ異世界設定引きずってるの? 往生際が悪いわね」
私は冷たく彼を見下ろし、しがみつく手をヒールで軽く踏みつけた。
「あ、痛いっ! 暴力だ、これは聖騎士に対する――」
「勇者の次は聖騎士? 違うでしょ、あなたはただの不法侵入者よ。あと一分以内に出ていかないなら警察を呼ぶわ。そうそう。あなたのスマホ、さっき両家のご両親も入ってる家族LINEグループに、そのチェキと領収書の写真全部転送しておいたから」
哲也の顔が今度は土色を通り越して真っ白になった。
「な、なな、なんてことを……!」
「『勇者哲也、熱海の魔女に敗北して婚約破棄。現在現世から追放中』ってタイトルもつけてあげたわ。じゃあね。二度とその汚い顔、私の世界の視界に入れないで」
私は渾身の力でゴミ袋ごと哲也を玄関の外へと蹴り出した。
「ぎゃふん」という今時マンガでも聞かないような情けない声を残して、ドアが重厚な音を立てて閉まる。即座にサムターンを回しチェーンもかけた。
静寂が戻ったリビング。
私は大きく息を吐き窓を開けて空気を入れ替えた。安っぽいバニラの香りが五月の爽やかな風に流されていく。
――一ヶ月後。
私はお洒落なカフェで友人とアフタヌーンティーを楽しんでいた。
あの「異世界勇者」と暮らしていた部屋は解約料を全額あちらに持たせて解約した。今はセキュリティ万全のオートロック付きマンションに引っ越し、家具もすべて新調して清々しい毎日を送っている。
哲也からは最初毎日のように謝罪のメールが百件以上届いた。「異世界の門が閉じて正気に戻った」だの「君という名の聖女を失いたくない」だの、相変わらず寝言ばかり。けれど弁護士を通じて接触禁止を通告したらメールはパタリと止まった。
どうやら彼の両親にもこっぴどく絞られたらしく、今は実家で強制労働という名の家業手伝いに励んでいるらしい。彼にとっての魔王は実家のお父さんだったというわけね。
「それにしても、浮気の言い訳に『異世界』を持ち出すなんて、ある意味才能よね」
友人がスコーンを頬張りながら可笑しそうに笑う。
「正直私にはよく分からないんだけどね。そのイセカイっていうのは男の人が逃げ込みたくなるほど素敵な場所なの?」
「さあ、どうだろう。でもスマホの電波が届いて、コンビニがあって、浮気の証拠がしっかり残るこの世界のほうが、私にはずっと分かりやすくて快適だわ」
私は新しく買い替えたスマホを開きSNSをチェックする。
そこには共通の知人を介して知り合ったばかりの、誠実そうな男性がアップした写真が並んでいた。
キラキラした高級旅館でもなければ魔法の聖杯でもない。彼が自分で作ったという少し不格好だけど美味しそうな肉じゃがの写真だ。
「……双葉、顔が緩んでるわよ。もう次のパーティーメンバー見つけちゃった?」
「メンバーなんて大層なものじゃないわよ。ただ、一緒に美味しいご飯を食べてくれる人をゆっくり探そうかなって」
異世界なんて行かなくていい。
伝説の武器も選ばれし勇者の称号もいらない。
私の物語はこのリアルな現実の穏やかな日常の中で、最高にハッピーな結末を迎えるのだから。
(完)
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