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雨が育てるものは草花だけではない1


 雨が降りそうなので走り出した。


 空は見える限りがどんよりと重たげに、街に覆いかぶさるようである。行き交う人々の足並みも皆同様に速くなり、小刻みなその足音がさらに雨を呼ぶようにも思えた。


 ぽつぽつと地面が二、三点、あざやかに色づいたのを見れば、次には頭に手にも滴が降りかかった。あっと言う間の変化である。充分に予期していた出来事ではあるが、それでも表情は苦く変わった。


 目に飛び込む滴を避けるために手をかざし、運ぶ足の速度を上げる。互いに俯いているために人とぶつかりそうになり、運動能力の高い彼の方が幾度か横にとびのいた。


 一日の仕事を終えて帰る道だった。どの時間よりも人通りが多いころ。道にあふれるような人間たちに、傘を携えている者は見て取れなかった。どころか中には顔に雨を受け、悠々と歩を進めている者もいる。

 

 横を走り抜けざま彼の目に、その老紳士は印象的だった。ステッキを手に泰然と空を見上げたその姿は、奇異とまではいかなくとも、相容れないものに思えていた。


 冷たくはないのか。濡れたなら。


 降りかかるものを避けようとはしない。いくつもの理由が脳裏をめぐっては消えていったが、どれもがなんとも収まらなかった。とらえた紳士の表情は、決して諦念ではない穏やかなものであったために。


 考えごとは半端に断ち切られてしまった。


「こっちへ」


 ふいに真横で声が言い、同時に腕を引かれていたために。


 声の主を確認する間はなく、彼の道は曲げられていた。知っている声には間違いないことと、握る手に躊躇いのないことに、迷う隙を奪われたのだ。

導 かれるまま走ってしまった。途中から道は道でなくなり、芝生の上を駆けていた。


 ざかざかと降る雨を、雨を受ける街を柵の向こうに見ている。グリーンの広がりを越えて向こうに。見える範囲に人の姿はない。それぞれ目指した建物の中に落ち着いていることと思われる。予定通りに。


 さて、彼の予定を打ち砕き、建物から引き剥がして天が下に連れてきた者が居る。見れば彼女はぎりぎり濡れない縁に立ち、低い空を挑むような目で見ていた。


「強い降りになってしまってびっくり。かすめる程度かと思っていたのに、予想は全然外れたわ」


 身を翻し、木の根にすとんと座り込む。目指して駆け込んだだけのことはあり、ここはなじみの場なのだろう。選びも迷いもしないのだった。


「でも、あまり濡れなくて良かったわね」


 フレディは笑い返し(かすかに)、彼女の横に腰をおろした。おかしなことになってしまったな、と思っている。

 

 家に走りこむつもりであったのに、着いたのは大樹の下だ。今ごろは肩に多少はかかったであろう雨粒を、手ではらっているはずだった。


 緑に座り木にもたれ、しきる雨を映している。居間に座り、暖炉にかざしているはずの足を、草の上に投げ出す羽目になろうとは。


 灰色の空がのしかかる様に、雨の音しか聞こえぬことも作用して、閉じ込められているような心地になった。拠りどころと言うなら、背にしている大樹が唯一。


 けれどまるで罠のように、この木の下に鎖されているのだ。ここから出て行くことはできない。一歩でも踏み出したなら、幾百の水糸に襲いかかられてしまう。


 草を濡らし土に跳ねる滴の確かな力強さを目の下に見れば、気持ちはうんざりと落ちていく。この間にも雨は一層の激しさを増し、町並みは水煙の向こうに霞んで遠ざかっていた。

 白くしっとりと風に揺れている煙は、見るだけの優雅とはかけ離れ、轟と音を伴っている。


 なぜこんなことに。再びフレディはいぶかしむ。水と音とに、閉塞感はじわじわと膨らみ増していくようだった。


 なぜ自分がここに居る?


「お仕事帰りね、フレディ。だいたいこの時間なの?」


 話しかけられたことはありがたく、とびつくような応えは、平素より大きな声であったかもしれない。


「何かが起きない場合はだね。明るいうちに帰れるのは一週間ぶりだ。と言っても雨だけれど」

「でも明るいわよ」


 無邪気に言われてしまえば、肯くしかなかった。他になんと言ったらいいのかわからないでいる。自分としては、せっかく早く帰れるその日が晴れではないのは不満なのだ。

 けれど彼女の言うように、雨でも明るい空ではある。


「君は、散歩?」

「えぇ」


 得意気に。なぜ。


「私も何もなければね、この頃に歩くことにしているの。魔女たちの時間だから」

「魔女の――なに?」


「時間を言ったのよ。黄昏時をそう言うって本に書いてあったの。だから、魔女とすれ違っているかもしれないわ」


「すれ違っても気づかなければ」

「ないのも同じだとそう言うのね。それは賢者の言い分よ」


 最後まで言えずに遮られた言葉の続きを、まさに彼女は知っていた。誰かが(賢者が?)先に、指摘をしていたことらしい。しかし『言い分』扱いをしてしまっては、『賢者』の意味するところは軽い。


 もっと尊重されるべき識者に、彼女の意見は支持されてでもいるのだろうか。まるでそんな、言い方だった。


 もっとも誰ともすれ違いようはなくなっている今現在、どうでもいいような話である。そう考えてフレディは、はっとするような思いで訂正を入れた。

 いつとなっても、どうでも構わない話なのである。黄昏時に過ぎ行く人の、フードの中身を見てはならない。持ち上げられた賢者の立場を貫いて、今後も見ない気づかぬを押し通そう。


「すごいわ、どんどん強くなるみたい」


 感嘆含みで言うように、雨脚は限界を知らぬほどに激しさを増していた。風もまた力を得、時折ざぁと四方辺りに吹き飛ばす。

 けれどどれほど強く吹きつけようとも、樹の下に入り込んでくることはなかった。


 距離だけの問題だろうか。

 まるであかりが灯るように、彼の心に浮かび上がった言葉だった。四方に伸びた木の枝は、たわわに葉をつけて撓っている。


 初めて守られているという感覚を覚えた。雨やどりをしているのだとの自覚も、遅れはしたがやっと。


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