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Melting Brue Sapphire2


 私の好奇心は満たされないまま一夜が明け、本日も雪が舞い降りそうな、雲の厚さ。舞い降りるだなんてかわいらしいものならいいけれど、これ以上本格的に降られてしまうと、この街の機能が危うくなる。


 思わず新聞を隅から隅まで読んでしまったのは、公園で王子様が死んでしまっているかもしれないと考えたから。あの調子で池の端に居続けたなら、確実に凍死してしまう。


 らしき男の死亡記事のないことに安心して、私はオーバーを着込んで外に出た。


今日の予定はまず図書館。そしてヘンドリックス夫人の午後のお茶にご招待を受けている。かなりの遠回りにはなろうとも、私はあの公園に向かわなくてはならない。



「ずいぶんと歩いたのね、メアリーアン。この雪の中を楽しそうだこと」

「えぇ。途中までは確かにとても楽しかったです。帰り道のことを思いつくまでは」


 迂闊だった。三日目の雪は奥が深いということを忘れていた。そう、決して忘れてはいけないことだったのだ。雪とは凍りつくものなのだということは。しかも新たな雪まで降り出してしまって、もーっ。


「とにかくオーバーを脱いでこちらにいらっしゃい。ジェシー、手伝ってちょうだい。メアリー、あなた髪も拭かないと風邪をひいてしまうわ」


「ご迷惑をおかけしてごめんなさい。こんなはずではなかったんだけど」

「こんな日にお茶に招く私も悪いわ。ごめんなさいね」


「そんなことは。だって、雪が降るなんて誰も知らなかったことだもの。それに雪くらいで予定を変更するわけにはいかないわ。一度決めたことは翻さない。それはこの国野民の数少ない美徳の一つなのに」


 私の言葉に夫人は微笑み、私は幸せな気持ちになった。夫人のいろいろな意味を隠しているような笑顔は、私のお気に入りのひとつ。それだけで幸せになれる。これはとても素敵なこと。


 そうだわ。公園のあの人の話を、夫人にならしてしまおうかしら。いつも私の話から私以上のことを理解してしまうもの。私の知らないことが、わかるかもしれない。


 今日はあの場所で見つけることはできなかった。こんなお天気だから、いたら困ると思ったけれど、いけければいないでやっぱり困る。だって、気が付いてしまったから。


 もう二度と会えないということも、あるのだということ。

 私はなにを期待して―――


「メアリー、今日は私のおいを紹介するわね。そのつもりであなたを招待したの。これからこの家で一緒に暮らしてくれることになったのよ」


 ヘンドリクス夫人は私を居間に促しながらそう言い、私は少々うわのそらではい、とうなずいた。おい。それは初耳かしら。まだ凍りついているような頭で、記憶を探るのは難しい。


「さあ、フレディ。お客様がおみえになったわよ」


 窓の側。美しい花紫色のカーテンの側のソファから立ち上がった男の人の姿を見て、私は文字通り、息を飲む。


 王子様。

 あなたときたら、こんなところに。


「はじめまして。フレデリック・フィデリティです」


 名前、王子様の名前。そんなさらりと、現実を。

 はっ。


「メアリーアン・シモンズです。この先の通りの角に住んでいます。いつもヘンドリックス夫人には、大変お世話になっていて、その、……ご迷惑をおかけしまして、どうもすみません……」


 情けないことにだんだんと、声が小さくなっていった。なんだか怒ったような顔をされた気がした。そして私はなぜ謝る。そんな理由がどこにある。


「なにを謝っているの? メアリー。おかしな子ね」


 はい。


「お座りなさいな、フレディ。あなた、愛想なさすぎよ。やっぱり名前が変だったんじゃないかしら」

「おばさま。そういう問題ではないでしょう」


 私の態度よりも、確かに王子様の名前の方がおかしいかもしれない。と、奇妙に安心しながら、私はいつもの椅子に座った。


 それに、愛想はかなり薄い。かなり。王子様が昨日心配した氷よりも、さらに薄い、薄すぎる。

そしてなぜ、そのソファにまた戻るのか?


 さすがのヘンドリックス夫人はまったく負けずに、


「フレディ、メアリーにはいちも退屈を紛らわせてもらっているの。さぁ、本を閉じてこちらへいらっしゃい。お茶の時間なのよ、私の居間は」


「はい」


「パイを見てきますからね。私がいない間は、あなたが主人役なのだから、きちんとお客様をおもてなししてちょうだい。できるわね、フレディ」


「もちろんです。おばさま」


 素晴らしい姿勢で夫人に一礼すると、ミスタ・フィデリティは私の前の椅子を引いた。テーブルを挟んで、向かい合った彼の金の髪、それから青い瞳。王子様の名前は、フレデリック。


 なんだかふいにおかしくなってしまった。ひとりであんな空想をして。まるで子供が見る夢のように。

目を覚ますのよ、メアリーアン。


「昨日は、ありがとうございました。危ないところを助けていただいて」


「……あなたのことは、おばから聞いていました。近所に楽しませてくれる方がいると。こちらこそ、お世話になっているようで。ありがとうございます」


 丁寧だった。どこまでも丁寧だ。そしてまったく嫌味がない。


 夫人の身内だということが、わかると思った。この人の空気は、この部屋にぴったりと合っている。

視線がマントルピースで止まった。あぁ。


 私はひとつ、思い出した。あぁ、そう。おい。夫人の自慢のおい。そうよ、フレデリック。

 私の視線に気付き、彼は言った。


「ずいぶんと昔の絵ですね」


 マントルピースの上。細かい飾り細工のフレームの中の絵を、読めない瞳で見つめている。こういう時はふつうは、懐かしげな顔をするものだけれど、違うのね。


 私もおいのフレディの話なら、夫人から聞いている。優等生で礼儀正しく、妹をかわいがって。同じ瞳を持つ、年の離れた妹を。


「でも、とてもかわいい……、素敵な絵だわ」

「そうですか」


 口元だけで微笑んだ。


 紅茶を飲むふりをして、私はカップの隙間から、こっそり彼の瞳を覗いて見ている。


 青い瞳。絵よりもずっと、深く青く澄んで。

 宝石みたい。


「二人とも、ほら見てちょうだい、とってもおいしそうでしょう。見事なきつね色! どう?」

「いい香りー。いつもながら本当に、天才的だわ。私だとこうはいかないのはどうしてかしら」


 夫人はまたしても、ミステリアスに近い笑みを浮かべる。私に何か秘訣を隠しているに違いない。


 贅沢なフルーツタルトを切り分けて、二杯目の紅茶をカップに注ぐ。スコーンのために用意された蜂蜜の黄金色が、上る湯気に霞んで見えた。


「フレディはきちんとお相手をしていたの? メアリー」

「えぇ、それは」


「この子はね、実は人見知りが激しいだけなの。そのうちあなたにも慣れるわ。怖い顔をしていても、怒っているわけじゃないのよ。わかってあげてね」


「おばさま」


 抗議の声をあげた彼の顔は、少しだけ赤く染まっているように見えたけれど、もしかするとそれは、傾けたカップの紅茶の影かもしれない。


 夫人は私にこっそりと、本当のことよ、と囁いた。私も彼に気付かれないように、密かに夫人に合図を送る。わかったわ。だいじょうぶよ。


 ミスタ・フィデリティは意外にも甘党で、お砂糖は二杯。小さなスプーンが大きな手には不似合いで、私にはそれもちょっと楽しいことだわ。


 穏やかな午後の時間。外が雪だなんて、夢の中のように遠くに思えてくるくらいの時間が過ぎてから、私は、……気が付いた。


 ……あぁ、そうか。なんて。あ、スプーンが。


「あらメアリー、どうかしたの?」

「あ、いいえ。なんでもないの。ごめんなさい」


 テーブルの下に潜り込んだスプーンを拾い上げる。

 あぁ、そうか……。


 紅茶の湯気の向こうで、サファイアの瞳が少し曇っていた。私の目に映るこの現実は、なんて悲しくて切なくて。なんて心に響くのかしら。


 宝石の瞳から、氷の涙。


 この王子様はばかではないから、わかってしまっている、自分で。

 この恋は決して望んではいけない、ということを。


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