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13.邂逅3

 誰に伝えようとも思わず、誰に溶けることもなく。


 言葉を尽くし、語りかけたのだと思う。彼を知る誰も彼も。


 共に、等しくジャックを亡くした彼らは、互いに伝え合えるはずだったのではなかったか。なぜ彼だけが、違う場所に立ち、一人となってしまったのか。

 ジャックがそれだけ特別な人間だったのかもしれないし、どこかで何かがすれ違ってしまったのかもしれない。


 いろいろなことが起こるものだよ。ピーターの言うとおり、この地上ではいろいろなことは起きてしまうのだ。

 

 何かか、どんな風にでも、躓いて、行き違うことだってある。どんなに親しい間にでも、岐れ道に立つ時があるのだと、――そんなことは知ってはいても、認めてしまうのは辛いことだと言うのに。


 祖母が亡くなった時。

 深い悲しみに襲われたけれど、いつからか変化は訪れていた。泣き笑い、思い出を語り合う。きっかけがあったわけではない、いつしかそう変わっていたのだ。

 憶えていることを喜んでくれるだろうと思い、光に月に風や花に、彼の人を思い出すことであたたかくなる。


 けれどそれを語ったところでどうなのだろう。

 自分だけの話なのだと、彼は自ら線を引いている。他人がそれをどう感じているのかどう扱っているのかなど、信じられはしないのだ。


 僕の話は君にはわからない。

――彼の話は彼にもわからない、だから誰にもわからない。


 どうしても伝わらないだろうか。わかってもらえないものなのだろうか。

 人はそれぞれに悲しむものだ。それはそう。

 それでも、悲しんでいることは同じだということが、救いとならないはずはないのに。そう思っていたけれど。


 はずはない、そう思うことが思い上がりなのかもしれない。自分の思いを押しつけることになるのかもしれなかった。こうだからこうでしょう、と自分の枠にはめ込んで。


 けれどシェリーは、知って欲しいと思っていた。

 会えないけれど側に居る。忘れるけれど思い出す。空気を感じる。纏っていた空気を、今になっても。


 そんな想いを、聞いてくれたならいいのに。感じるあたたかさを、分け合うことができればいいのに。

それを知って欲しいと思うことは、ただ自分のわがままなのだろうか。頷いて理解して、近寄って欲しいと思うのは。


 遠い。

 どうして? 世の中、闇ばかりではないはずよ。


「次は君はなにを言うんだ? なにを用意した? ジャックは僕のこんな姿を望んではいない?」

「誰もがあなたにそう言ったのね……」


「君には何もわからない。君は、僕もジャックも知らないのだから」

「違うわ」


 首を振るとシェリーは、正面に回り、彼の目をまっすぐに見つめた。彼は向かい合い身じろぎもせず、そして受け止めもしなかった。


「あなたを知っている、私は。もう知っているもの。私たち、こうして話をしているし、それに、あなたはずっと弾き続けて私にカノンを聴かせていてくれたじゃない。ジャックが何を望んでいるのか、それはあなたが考えるといいわ。あなたしか知らないあなたのジャックのことなのだから、あなたの言うとおり私にはわからない。あなたが教えてくれなければ、名前も知らないままだった。でも今は知っているわ。あなたが教えてくれたから」


 無理なのだろうか……。


「彼はジャックよ。写真が残っていてくれて嬉しかったわ。私も、彼に会うことができたもの」


 手ごたえなどあるわけがない。話し終えても、何も変わりはしなかった。

 聞こえているのか? そんな疑いすら生まれてしまうような、ガラスの表情。


 あぁ、ジャック。写真の中の彼を振り仰ぎ、同じ年くらいの少年の笑顔に、救いを探す思いだった。

 すがれるものなら過去の光に、優しい思い出は癒しとならないのだろうか。ジャックを欠いたこの世は、何も持ってはいないのか。何も。


 生きていることだけで、裏切っているような思いに囚われている。袋小路。ジャックが死んでしまったことがいけない。彼はこの人を残して、先に逝くべきではなかった。


 そんなことこそ、どうにもできることではないとわかるけれど。


 誰かが死なねばならないのなら、代われるものであれば、なぜあの人が、まだ若いのに。死に順番などはないし、選び取れるものではない。

 逃げ場でないとは思わないけれど、誰もそこからの未来を知ることはない。神の摂理だ。神の存在を、死は、わかりやすく教えている。


 では生きることは? 彼の問いかけ、つぶやくような吐き捨てたような『なんのために』。

 ピーターの言葉がまた頭に浮かぶ。

『……のために生きているんだね』。


 なんのために、と言ったのか、その部分がどこかへ行ってしまった。記憶の海で、何かが飲み込んで逃げた。

 魚?! どこなの?!


 探しても無駄だという判断は簡単だったのに、こんな時に未練が騒ぎ立てる。それを見つけ出せさえしたなら、説得も可能かもしれない。

 けれど捜索に当てる時間を、別の方法の組み立てに使う方が建設的だとわかっているのに。


 理性的とは言えない、多分に感情で動いている。正しいと思えたなら。


 空気は堅く、彼の硬質の結晶のような冷めた瞳は、これだけの言葉を引き出した今でも、最初と何も変わっていないように見えていた。


 一条の光でも、見い出すことができたならいいのに。かすかなきらめきが一瞬でも差したなら救われる。

 光は希望に結びつくから。そして一欠片でも光があったなら、欠片のままではいないから。集まり、あふれて。朝日のように。


「どうして君たちは僕に関わろうとするんだ……?」


 彼は右手を下ろした。左手の中で、ヴァイオリンは待っていた。


 ジャックもこうして見上げただろうか。兄の持つ木の命。箱の中は空洞だと知っている楽器・ヴァイオリン。

 その空間は、何かを満たすために空けられているものなのではないのか。中に何もなくて、音は響きを持つことができるだろうか?


 弦と弓とが踊りだすとき。瞬間に、広がり包み込むオーラは、彼の手から伝わるもの……でしょう?


『カノンがいちばん、好きだよ』。


 声を聞いたのね? あなたたち。彼の声を、聴いていたのね。


 これは空想だろうか。


 シェリーはわからなくなっていた。何を見ているのか――彼の顔を。今では自分のことを見返している彼の顔を。


 音楽が消えた部屋の中は今では、急速に空気すら消えていくようだった。

 沈黙のヴァイオリンを見て、思う。彼が動かさなくては音はない。だから、夜に響いたのはこの人なのだと。


 なんのために……。


「あなたのカノンは、私の耳に届いたわ。私のために弾いたのでなくても、私は聴いたもの。聴いていたのよ。あなたがヴァイオリンを弾くでしょう? それは私に聴こえるの。私だけじゃない、私たち」


 いちばん初めにわかっていたそのことを、またこの場所で思っている。


「あなたが聴こえてしまうのよ」


 泣き声のようだった。右の手が探るように動き、弓は握りなおされた。


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