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12.邂逅2

 だから私ではなくて誰なのかと、それを尋ねているんじゃない。


 拒絶されることに慣れていない、シェリーは自分の弱点に気付いていた。

 慣れていないから対応できない。次にはどう言い直したなら答えがもらえるのか、わからないのは経験が少ないためなのだ。


 誰もが自分のために望むものを見つけて差し出してくれた。そんな暮らしが、こんなところでツケとなる。

 頭を振って、あきれてしまいたい気持ちが起こる。いったいどういう状態なのよ? 対話をしようとしている相手と、次の言葉を見つけられずににらみ合ったままでいるなんて。


 頭など振らなくても、充分にあきれることはできる。話をしたいだけなのだ、自分はただそれだけなのに。

 ただ、彼がカノンにこめていたもの。それを知るために。


 誰かに聴かせるためではなくては、あれだけ切ない音は出せない。持論は極論かもしれない。

 けれどそれは心に沁みたいくつかの演奏とそれを奏でた人物に、裏切られたことのない法則だった。


 過去の確かな記憶に助けられ、少し、自信は取り戻される。力を抜き、彼から外したシェリーの目は、マントルピースの上でとまった。


 写真。記録された過去の時間。

 引き寄せられるように足は動き、迷いもなく、手は一枚を選び出した。


「この子だわ」


 途端に、彼の手に奪い取られる。はね退けられたシェリーは、壁に手をついた。


「なにをしに来たんだ、君は! 邪魔をするな! いったい誰なんだ? なんなんだよ。勝手に触るなッ」


「私の名前なら二度も言ったわよ。これはあなたよね」


 何もなかったように向き直り、彼の握る写真立てを横から覗いて指を差す。

 彼は、見た。そして目を――、一点から離せなくなる。


 飾り門の前に並んで立つ二人の少年が、笑顔を向けている写真。年の差は六つ七つはあるだろうか。年上の少年の表情はどこか堅く、取っている姿勢も、写真屋の指示なのだろう、ぎこちない。


 帽子とスクールのジャケットを身につけた彼には、目の前にしている今の顔にはすっかり消えてしまっている幼さが見えた。


 写真からは夏の陽射しが伝わる。背後に映る木々は生き生きと茂り、門を這う蔦の葉も勢いに満ちていた。影は小さく足元に丸い。夏も夏、真夏の光景。

 明らかに兄弟だとわかる目を、年下の少年は眩しそうに細め、邪気のない笑みで真っ直ぐカメラを見ている。


 怖れはなく、躊躇いもなく。それは絶対的に愛されることを、知っている者の瞳だ……。


「弟さんのためのカノンだったのね。名前は、なんと言うの?」


 写真を凝視したまま、彼は小さく口にした。


「ジャック」


 続ける声は消えそうに。


「もうつかまらない相手だ」

「ジャック」


「死んだよ。冬に」


 ふと目を閉じ、それから彼は腕を下げ、写真を遠ざけた。ふらつくような足取りで背中を向け、写真立ては元の場所にと戻された。


 カタンと金属の音をたて、錆びてしまった銀のフレームが、これまでもあった姿で再び立つ。醸し出されていた夏の日も、しぼむように消えてしまった。

 今も季節は夏であるはずなのに、夜であることを合わせ考えても説明がつかないほどの冷やりとした空気に、部屋の中が変わっていく。


 太陽に下に走り雲がかかったような急激さで、部屋は妙に平坦な、殺風景な部屋になっていた。


 写真はただ写真である。夏の日はただ過去なのだ。

 フレームは、氷のように冷たそうに見えた。


「わかっただろう、鎮魂なんだ。邪魔をされていいものじゃない。帰って――、君の家に帰りなさい。パレードのヴァイオリン弾きとは違う。見ていても、なにも楽しくはないよ」


 そう言うと彼は、寒々しい暖炉を離れ窓の側にと戻り、またヴァイオリンを構え直した。

 左手の薬指が、細い線を弾き高い音が跳ねる。弓が弦に届くまでの隙間に、シェリーは急いで言葉をねじ込んだ。


「あなたの音は私を悲しませるわ」


 手放してしまったら、二度とこれほどに近寄る時はないだろう。後悔は予想に易く、とんでもない早口になっていた。


「苦しくなる。弾いているあなたはあなただけじゃなくて、聴いている私たちまで悲しくさせているのよ。知らなかった? 今まであなたにこにこを、誰も言ったことはないの?」


「知らなかったな」


 冷たい。


「たまにはいいだろう。世の中、光ばかりじゃないんだ。死には背を向け光の中へと逃げ出すように。忘れるなよ、簡単なことじゃないだろう。ジャックは生きていた、今はもう戻らない。仕方ないのか? それだけなのか? 自分のことを考えろ? 生活をしろと? 生きていけと? いったい、なんのために」


「誰も、そんな。逃げたわけではないと、そう……」

「君がそう思うのなら、思っていればいいんだ。こんな僕の話など、君にはわからないだろう」


「私が思うのではなくて、あなたのことだわ。誰も、忘れたわけではないと、私は思う。悲しんでいないわけじゃないって思うの。ただみんなそれぞれに悲しみ方が違うんだって。そうではないの? それは、亡くなった方とそれぞれ、接し方も違っていたからよ」


「日も浅いのに、誰もが簡単に過去に埋めてしまったんだ。悲しんでいることはわかる。あぁ、そうなんだろう。誰でもそれぞれに悲しむものだ。彼らの悲しみもまた、僕にはわからないものなんだろう。だからお互い様だと、君はそう言いたいんだろう? そんなことはわかっている。だから。僕は弾いているだけだ」


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