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第6話 謎の男

 私とサルファ殿下は、日が沈んだ頃に行動を開始した。

 先行してトルマリン邸の様子を探っていたラドラムによると、アンドラスは1時間ほど前に帰宅していたらしい。

 トルマリン侯爵とその夫人はアンドラスの帰宅より前に外出。どこかの晩餐会に呼ばれたようだ。

 他、出入りをしていたのは屋敷の人間ばかりで、来客は特になし。


 …という内容をラドラムが普通に喋ったので、私は衝撃のあまり穴が開くほど見つめてしまった。

 そのせいか、その後はまた「ウス」としか言わなくなってしまった。

 殿下によると、仕事に関する話はちゃんとできるんだそうだ。まあそうじゃないと従者なんてやれないだろうけど。

 この後も、ちょっと離れたところから周辺の警戒を続けてくれるらしい。


「じゃあ、始めるわよ」

「う、う、う、うん、わ、わ、わかった」


 作戦は簡単。トルマリン邸を囲む鉄柵の隙間からエコネズくんを中に入れ、そのまま柵の外から操作。屋敷に入り込み、アンドラスの部屋まで行って盗聴を開始する。


 サルファ殿下がいつも以上にまごついているのは、エコネズくん操作中は私と道端でイチャついているカップルのふりをするという作戦だから。

 その為に二人とも帽子を被ったりかつらで変装している。

 本当に恥ずかしいしやりたくないんだけど仕方ない。操作にはすごく集中力がいるんだもの。途中で誰かがやって来てもきっとすぐには気付けないから、横で見張っててもらわないといけないのだ。

 それに、女が一人で突っ立ってるよりカップルの方がずっと自然だろうし。本当に不本意だけど!!


 私に寄り添いながら何だか赤くなっているサルファ殿下は本当に頼りなくて、もう一度念を押そうかと思ったけど、やめた。今は時間が勿体ない。

 屋敷の裏手に回り、周囲に誰もいないのを確認して、そっと鉄柵の向こうにエコネズくんを差し入れる。背中に盗聴器を付けたせいでちょっと変な形だけど、遠目には普通のネズミだ。

 ガレナ様から預かった小さな魔石コントローラーを握りしめ、慎重に魔力を流し込んだ。



 操作の練習は1時間くらいしかできなかった。何とかそれなりに動かせるようにはなったけど、あとは気合いでやるしかない。

 庭草をかき分けて走り、裏口が空いた瞬間を狙って中に入り込む所まではスムーズに行った。壁際を素早く走り、何かの物陰に隠れる。

 ここからどうにかアンドラスの部屋まで行かないと。確か2階の端の部屋だ。エコネズくんはちょっとだけなら壁を登れるので、手すりを使えば2階にも行けるはず。


 魔力ソナーを頼りに、できる限り壁際を走らせていく。

 柱は整った形をしてるからすぐに分かるけど、何だか丸いものやデコボコした物もある。きっと廊下に置かれた花瓶やら鎧やらだと思うけど、一定距離ごとに置いてあるおかげで隠れやすい。

 問題はソナーのグラフだと壁と扉の区別が付けにくいこと。もし走っている眼の前でドアが開いて誰か出てきたら、すぐ見つかってしまう。扉の凹凸を見逃さないように注意しないと。


 やがて壁に突き当たった。エコネズくんを右折させる。多分こっちのはずだ。

 その瞬間、足音らしきものが聞こえ、咄嗟に物陰に隠れる。きっと使用人だ。

 …今屋敷のどのあたりにいるのかは、進んだ距離と方向、盗聴器から聴こえてくる音や声で推測するしかない。

 ただしこの盗聴器も、ごく僅かだけど魔力を発している。普通なら気付かれない程度のものだけど、エコネズくんが動く魔力と合わさったら、ものすごく敏感な人間なら気付くかも…とガレナ様は言っていた。

 なので出力はできる限り極小に抑え、慎重に進めていくしかない。


 それにしても本当に難しいわ、これ…!何度も立ち止まってはソナーを見て盗聴器に耳を澄ませ、周囲の状況を確認しなきゃいけない。思った以上にちょっとずつしか進めなくて、つい焦ってしまう。

 だめだ、もっと落ち着かなきゃ。集中しないと。

 そう思ってたら、サルファ殿下が少し動いた。片手で柵を掴み、私の正面に立つ。いわゆる壁ドンな体勢だ。


「あ、あの、だ、誰か、来た、から…」

「分かってる。無言じゃ怪しいから、このまま小声で会話しましょ。でも私、あんまり喋る余裕ないの、殿下よろしく」

「よ、よろしくって」

「何でもいいから!」


 サルファ殿下はやっぱりまごまごしてるけど、私は今それどころじゃない。エコネズくんの操作で手一杯。

 殿下はゴクリと生唾を飲み込んでから口を開いた。


「む、昔むかし、あ、あるところに、おじいさんと、お、おばあさんが…」


 何故か童話を暗誦しだした。他に思いつかなかったのね…。

 会話してるっぽく見せるために、適当に相槌を打ちながら操作に集中する。



 できるだけ物陰に隠れつつ、そっと使用人の足音を追う。うーん、こっちの方向で合ってると思うんだけど…。

 足音が止まった。ボソボソとした話し声が盗聴器越しに聴こえる。

 耳を澄ませようとした瞬間、いきなりガッ!と大きな音が鼓膜を襲い、それぞれ受信器を片耳に付けていた私と殿下は同時にビクッとした。

 更にガッ、ガッという音。それから、フーッという声。


「…猫の声?」

「うん、た、多分、襲われてる」

「!!」


 咄嗟にエコネズくんをその場で一回転させる。またフーッて唸り声。威嚇成功。

 でもまたすぐに襲ってくる、どうしよう。猫に捕まったら、エコネズくんには抵抗する手段がない。きっとオモチャにされて、ボロボロに壊されてしまう。

 ううん、それならまだいい、猫は捕まえた獲物を飼い主に見せびらかす事がある。エコネズくんを屋敷の人間に見られたらまずい。

 ガレナ様は「もし調べられても、誰が作ったかまでは分からないよ」と言ってたけど、万が一ばれたら大変だ。第1王子殿下まで巻き込む事になるかも知れない。

 焦る私の耳元に、サルファ殿下が小声で言う。


「り、リモナ。い、いざとなったら、僕が中に入って…」

「それは駄目!」


 殿下を危険に晒す訳には行かない。

 だってこれは私の事情、私の戦い。私が自分で、何とかしなきゃ…!


 決意を込めてぎゅっとコントローラーを握り締める。

 私の命令を受け取ったエコネズくんが、素早く走り出した。

 猫はきっと追いかけて来るはず。限界ギリギリのスピードで逃げる。ガタンと揺れた音は、エコネズくんが何かの段差で飛び跳ねたんだろう。でもそれよりソナーに集中。壁や障害物にぶつかったら終わりだ。


 猫は素早いし、目もいい。このまま走っても撒くのは無理。じゃあ、猫が入れないくらいの隙間を見つけて逃げ込む?一体どこにそんなものが?

 必死で考えながらソナーを頼りに走り回る。もう位置がどうとか言ってる場合じゃない。今は逃げなきゃ。

 また何かの置物、ぶつかりそうになったのを寸前で回避する。

 だめ、猫が追ってきてる気配がする。きっとジリジリ差を詰められてる。逃げなきゃ。逃げなきゃ…!

 パニックになりかけたその時、女の人の声が聴こえた。


『トム!トムー!どこいったの?晩ごはんよー!』


 一瞬の間の後、まるで返事をするかのような「にゃあ」という鳴き声がした。

 さらに『あ、いた、トム!』という声。あっという間に後ろに遠ざかっていく。



「…た、助かった?」

「…そう、みたいね…」


 どっと汗が噴き出てきて、大きく息を吐いた。花瓶らしき物陰で一旦エコネズくんの操作を止め、ハァハァと浅く呼吸する。

 限界まで集中して走らせていたから疲労が凄い。頭がぼんやりして、嫌な汗をかいている。


「リモナ、だ、大丈夫?」

「大丈夫…、近くに人は?」

「い、今は、誰も」

「じゃあ、少し休んだら続けるわ。すっかり位置が分からなくなっちゃったから、まずは…」


 そう言いかけた時、向こうの角からラドラムが歩いて来た。通行人のふりをして近付いてくる。

 そのまま横を通り過ぎながら、ボソッと呟いた。


「来客あり。商人風」


 …トルマリン邸に誰かがやって来たらしい。侯爵夫妻が不在の時に来たって事は、アンドラスの客?

 休んでる場合じゃない、早くあいつの所に行かなきゃ。いえ、その来客を探して追った方がいいの?玄関はどっち…?

 焦っていると、盗聴器から人の足音が聴こえてきた。多分、二人。エコネズくんの方に近付いて来ている。

 今動いたらまずい。息を潜めて通り過ぎるのを待つ。足音はすぐ近くで止まり、ガチャッと扉が開く音が聴こえた。


『ただいまアンドラス様を呼んでまいります。こちらで少々お待ち下さい』

『ええ、分かりました』


 ……!やった、ここ応接間の前なんだわ!災い転じてなんとやら。あいつの部屋まで行かなくて済んだ。

 この客人、声からして年配の男性っぽいけど、こいつが目当ての人物かもしれない。

 サルファ殿下と目を合わせ、頷き合う。この盗聴器の精度なら、扉の外からでも会話は十分聴こえる。そのままエコネズくんを静止させ、耳を澄ませた。



『こんばんは、アンドラス様』

『おい、ゲサイド、一体どうなってる!なんでリモナがサルファ殿下と…!』

『申し訳ありません。どうも殿下は、以前からあの令嬢を気にかけていたフシがあるようです』

『なんだと…?リモナを…?あの陰気王子、なんて趣味が悪いんだ!妙にあいつの方を見てる気はしたが…あんな「ハイ」って言うしか能がない、俺の命令もちゃんと聞けないような作り笑顔の地味ペチャパイ女、どこが良いんだ!?』


 このクソカス野郎本当に殴りたい。作り笑顔はともかく地味ペチャパイで悪かったわね!!

 しかも私が実行できなかった命令って、エレクトラム歌劇団の3ヶ月待ちのチケットを今すぐ手に入れて来いとか、あんたが取った赤点を撤回するよう先生に頼んで来いとか、あんたの代わりに魔獣討伐訓練に参加してこいとか、できる訳ないやつばかりじゃないの!!

 思わず拳を握りしめる。これが盗聴器越しで良かった、眼の前で言われてたら我慢できなかったかもしれない。

 …それはともかく、相手のゲサイドとかいう奴、一体誰?貴族ではなさそうだけど、私と殿下の事を知っているような口振り。


『しかもリモナは俺に逆らおうとしたんだ!クソ、思い出しても腹が立つ…やっぱりあいつ、俺の事を裏切るつもりだったんだな。陰気王子を味方につけて良い気になりやがって…ゲサイド、リモナはお前が何とかするって言うから任せてたんだぞ!どうなってるんだ!』

『殿下の動きは私にも予想外でして…』

『そもそも、何とかって一体どうするつもりだったんだ!?てっきり修道院送りにでもするのかと思ってたが、そんな様子は全然無かったぞ!』


 …え?修道院送り?

 こいつ、私を暗殺するつもりじゃなかったの?


『まあ、手段は色々ございますのでお任せ下さい。大丈夫です、近々何とかします。チェティーネ様の事だって、私の言う通りになったでしょう?』

『…そうだな。初めはよそよそしかったのに、すぐに俺に媚びを売ってきた。しかし、鉱山の件ってどういう意味なんだ?父親のポリバス伯爵は顔色を変えていたが、何かあったのか?』

『少しばかり、ポリバス伯爵に都合の悪い事が起きているのですよ。下らない事です、アンドラス様が気にするほどのものではございません。それより、身辺にお気をつけなさいませ。逆恨みをしたリモナ嬢が貴方様を狙うかも知れませんぞ』

『むっ…確かに、あの性悪女ならあり得る…』


 有り得ないわよ!!!!私を何だと思ってるのよこいつは!!

 …いえ、それより、今の会話には重要な情報がいくつも含まれてた。チェティーネ様とポリバス伯爵。鉱山。

 間違いなく、アンドラスを煽動して操ってるのはこのゲサイドって奴だわ。

 更に耳を澄ませようとした私の肩を、突然サルファ殿下が掴んだ。


「…り、リモナ、引き上げよう」

「は?何言ってるの?もっと情報を…」

「もう十分だ。は、早く逃げた方がいい。見つかる前に…!」


 サルファ殿下の目は焦っているように見える。何か危機を感じている…?

 興奮していた頭がふっと冷静になっていく。

 確かに、もう結構な時間ここでこうして立っている。そろそろ誰かに見咎められてもおかしくない。引き上げ時なのかも…。


「分かった、じゃあエコネズくんを回収して…」

「そんな時間、ない」


 殿下はいきなり私の手からコントローラーを奪い取った。間髪入れずに私の手を掴んで走り出す。


「ちょっと、エコネズくんはどうするの!?」

「盗聴器、み、耳から外して…!」


 サルファ殿下は既に盗聴器を外しているみたいだ。何だか分からないけど、私も走りながら慌てて取り外す。

 その直後、どこか遠くでボンっという音がした。えっ、この音、まさか…。

 問いかけようとした瞬間、殿下が急に立ち止まった。私を後ろに庇うようにして、音もなくナイフを抜く。


 …道の先。暗闇の中に、誰かいる?

 黒塗りの刃が、月明かりに鈍く光る。


「…逃さんぞ。リモナ・サンストン」

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