第1話 陰気な王子
「ああ…なんてことだ。リモナがまさか、婚約破棄されるだなんて…!」
「アンドラス様とは、素晴らしい良縁だと思っていましたのに…!」
眼の前には、頭を抱えるお父様と泣き崩れるお母様。
はい、そうです。巷で流行りのアレです。
こんなの物語の中だけだと思ったでしょ?ところが残念、物語を真に受けて真似をしちゃう人間っていうのはいるものなんです。私の元婚約者とか。
まあ私だって、まさか本気でやったりしないよね?とか心のどこかでは思ってたんだけど。やっちゃう人っているのねー。知りたくなかったわそんな事。
お父様お母様はショックを受けてるけどね、そもそもね、男爵令嬢が侯爵家の嫡男に嫁ぐとかありえないでしょ。
しかも釣り仲間の趣味のサロンで、酔っ払ったトルマリン侯爵の「私より大きいパーチを釣れたなら、そなたの娘を我が息子の妻にしよう!」なんて戯言を真に受けて婚約とか。絶対他の貴族は引いてたでしょ。
うちは貧乏貴族だから、上位貴族と縁を持つチャンスだって必死だったのは分かるけどさあ。
まだ子供のうちに勝手に相手を決められたアンドラスもまあ、被害者ではあるわね。それはそれとしてゴミカス野郎だし絶対許さないけど。
言っておくけど、私だってそれなりに努力はしたのよ?
あのクソカス野郎に気に入られようと頑張って愛想良くして、勉強して、マナーも身につけて、刺繍も音楽もダンスも魔術も頑張った。
カスに「パン買ってこい」と言われれば買ってきたし、「これじゃねえよクリームパンが良かったんだよ!」と言われればりんごパンを噛み締めつつクリームパンを買いに行った。
「授業サボるから代わりに返事しといて」と言われれば代返したし、ばれて廊下に立たされた。
テスト前には毎回「ノート貸せ」って言われるから、授業範囲をきれいに纏めたノートを渡した。あんまり重要じゃなさそうな所をさもテストに出ます風に書いたりなんかしてないし?
…そう、私も正直言ってアンドラスとは結婚したくないと思ってた。
性格は悪いし頭は悪いし根性が曲がってるし小心者のくせに威張りたがり、金遣い荒い割に私にはプレゼント一つ寄越さない、控えめに言ってもクズ。顔はそこそこ良いし家は金持ちだけど、それを補って余りあるカス。あんなのと一生一緒にいるなんて考えただけでも地獄すぎる。
お父様とお母様が「耐えてくれ、我がサンストン男爵家のためなんだ」って言うから我慢してたけど、本当はずっと凄く嫌だった。
だから婚約破棄自体は喜んで受け入れるんだけど、問題はアンドラスがドブカス野郎なりに知恵を回して、私が悪いようにでっち上げている所。
私がラベンディア様(アンドラスが一方的に片思いしてる伯爵令嬢。すごい美人)に嫉妬して嫌がらせしたとか、実は庭師のハライトと不義密通をしているとか、自分の取り巻きの男たちにも色目を使ってたとか、宝石をこっそりくすねられたとか、そういう話を前々から周りに吹聴していた。被害者ぶりながら。
ラベンディア様の件はともかく、宝石や取り巻きの件は口裏を合わせて来るだろうし、ハライトの件は無罪を証明するのは難しい。
何しろ向こうはいくらでも証人を用意できるのだ。私とハライトが密会しているのを「たまたま見てしまった」通行人だの商人だの…。お金持ちってほんと最悪。
未婚のイケメンというだけで私の不倫相手に選ばれたハライトには同情するしかない。うちみたいな給料安い家に何年も仕えてくれてるいい人なのに。
「ああ…トルマリン侯爵はきっと怒っていらっしゃる。どうしたらいいんだ…!」
「そうよ…あの方に睨まれたら、うちみたいな下位貴族はおしまいだわ…!」
お父様とお母様はまだ嘆き続けている。
悪い人たちではないし、私にとって大事な家族ではあるんだけど、「そもそもあんたらのせいでしょ」と言いたい気持ちもある。…そんな自分が嫌でもある。
二人だってきっと、侯爵家に嫁げば私も幸せだと思ってたんだろうし。
どうしてこうなっちゃったんだろう。世の中は最低最悪だ。少なくとも、うちみたいな貧乏貴族にとっては。
今回の件で我が家はトルマリン侯爵家から睨まれ、流された悪い噂のせいで社交界からは爪弾き。弟がこの家を継ぐ前に取り潰されるかもしれない。
私はまともな嫁ぎ先など望めないし、何とか仕事が見つかればいいけれど、下手をしたらどこかの色ボケ爺とか金持ち商人の後妻にでもされる。アンドラスと結婚するのと大差ない地獄。
…だから、私は覚悟を決めた。
どうせ生きててもろくな事はない。今までもろくな事はなかったし。そろそろ楽になっても良くない?
「私は無実です、でもアンドラス様に誤解をされるような行動を取ってしまったのかもしれません。その罪を命をもって償わせていただきます…」とか何とか遺書に書いておけば、ちょっとは同情を買えるかもしれないし。
ハライトとは本当に何でもなかったとよく強調しておこう。巻き込まれちゃって可哀想だもの。
嘆く両親の声を聞きつつ脳内で遺書の内容を考えていると、突然居間のドアが開いた。
「だだだ、旦那様!奥様!お嬢様!」
メイドのプレーナだ。何だかひどく慌てている。
「大変です!!サルファ王子殿下が、訪問されました…!!」
「……は?」
「…きゅ、急に訪ねてきて、すまない」
「い、いえ…」
「こ、このようなところではありますが、ごゆっくりおくつろぎを…」
ボソボソと喋るサルファ殿下を出迎えたお父様とお母様の顔は引きつっている。そりゃそうよね、どう考えてもゆっくりくつろぐために来たわけじゃないし。
サルファ・ファイ・ヘリオドール。この国の第2王子。
…アンドラスの、一番の親友。
と言ってもまあ、アンドラスがそう吹聴して回ってるだけなんだけど。サルファ殿下はアンドラスに擦り寄られても、いっつもよく分からない表情で視線を彷徨わせてるだけ。
第2王子という華々しい立場でありながら、何だかとにかく陰気で不気味なのが、このサルファ殿下なのだ。
誰に対してもろくに喋らないし、いつも俯いていて、時々小声でブツブツ呟いてるし、よく分からないタイミングで謎の笑みを浮かべている。はっきり言ってキモい。
それでも王子だし顔もよく見れば悪くないから、一部のご令嬢からは「ミステリアス」とかって人気らしいけど、正直キモい。
第1王子とは年が近いのに「このサルファ王子の方を次の王に」みたいな話が全然持ち上がらないあたり、派閥抗争好きの貴族たちからも「こいつはダメだ(ヤバい)」と思われてるんだろう。
ちなみに、いつも一緒にいる(実は今も後ろに立ってたりする)従者のラドラムは王子以上に喋らなくて、「ウス」以外の言語を知らないんじゃないかって言われてる。主従揃ってヤバい。
その第2王子が、このタイミングで我が家にやってきた。絶対ろくな用件じゃない。
…いいえ、それでも耐えないと。
これがきっと最後の苦行だもの。何とか乗り越えて、安らかに天国に行くのよ。
「それで王子殿下は、我が家に一体何の御用で…?」
「…そ、それは、その…」
サルファ殿下は何やらボソボソと呟いた。全く聞こえない。それでいてチラチラと私の方を見ている。
本当、何しに来たんだろうこの人。どうせもう全部終わりなのに。
アンドラスの差し金?王子にも私を糾弾させようって腹かしら。どうしてもうちにトドメを刺したいの?
内心でイライラしていると、王子がいきなり顔を上げた。なんだか必死な顔だ。
「…そ、そちらのリモナ嬢に、こ、婚約を申し込みたい」
「は?死んでも嫌ですけど?」
……。しまった。つい本音が出てしまったわ。
もはや建前を並べ立てるような気力が私の中に残ってなかったのかも知れない。
お父様とお母様は完全に凍りついている。私だって凍りつきたい状況だもの。
何でこいつ、いきなり婚約とか言い出してんの?
はっきり言ってこいつ(王子をこいつ呼ばわりは不敬だけど、もうそんなのどうでもいいくらいムカついてる)は嫌いだ。
こいつはアンドラスが私をイビるのをいっつも黙って見ていた…という程度ならまだ良かった。
黙って見ていて、後でニヤニヤと笑いながら「なあ、い、今、どんな気持ち…?」とか「嫌なら…こ、婚約を解消すれば…いい…」とか言ってきた。ニタニタと。
それが出来たら苦労しねえんだっつうの。言うならアンドラスの方に言えよ。あ、言った結果がこの婚約破棄?そこから何で私に婚約を申し込むとかになるの?
…いやもういいわ、考えるのめんどくさいわ。
どうせもう言っちゃったし。せっかくだからもう一回言っておこう。
「死んでも嫌ですけど」
「に、2回言った…!!」
お父様とお母様は驚愕に目と口を見開いている。ごめんね。私にもわかんないの、この状況。
本当に全部めんどくさくて、ソファから立ち上がった。
「申し訳ありませんけど、死んでもお断りします。では、失礼しますわ」
「3回目…!!」
後ろは振り返らなかった。どうでもいいし。




