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ラケディア、麗しの  作者: 本条謙太郞
第2章 リュクルスのケイデーへの旅
24/24

語ること 2

「おれは()()を為したくない」


 まさにこの一言は、ラケディア、麗しの都の青年がその生において新たな一歩を踏み出す画期となった。ペルピネの南端、ケイデーの麓、緑壁の奥深くでリュクルスは確かに述べた。剣に依らぬ、と。

 だが、対話の相手となった黒髪の少女にとって彼の言葉は俄に理解しがたいものであった。それは昨日なされた威嚇、力による強制とは正反対のものである。


「昨日と今日で何が違う? リュクルスはゲルダとゲルギウスに強いたはず。ゲルダたちを力で従わせた」

「ならば言おう。違いは明白だ。おれはもはやラケディアの市民ではない。市民として決して許容されぬ行いをしたのだから」

「ラケディアは”恵み”を許さない? 父ガイオンは食べた」


 彼はしばし天井を見上げる。想像しながらも、できればそうあってほしくないと望んだことが結局のところ現実であった。


 ——緑壁で生きるとは、彼らの中で生きるということだ。


「ラケディアは許さない。猛きマヌもお許しにならない」


 彼の返答を受けて、今度はゲルギウスが嘆ずる番である。

 ラケディア市民に憧れるこの善良な青年にとってもまた、恐れていた予想が現実のものとなった瞬間だった。リュクルスとマルガリティアの反応から”恵み”が麗しの都における禁忌であろうことは想像がついたが、彼は努めて目を背け続けた。この瞬間まで。

 だが、こうも明らかに告げられては誤魔化しがきかない。


「……しかし、父は」

「おれはきみの父について述べはしない。その姿を見たこともなく語り合ったこともない者については何も」

「リュクルス(けい)、はっきりと言ってください! 父は!」

「ゲルギウス。おれはおれが知ることのみを述べる。……ラケディアにおいて人を喰う者はこう呼ばれる。——”魔物”と」


 鋭利な棘を備えた言葉は、吐き出すリュクルスの喉を容赦なく切り裂いた。


「どう呼ばれても構わない。ただ、リュクルスがゲルダに”恵み”を捨てさせたいのなら、力で行うしかない」

「剣で脅かされて従うのであれば、きみが嫌う奴隷と何の違いがある?」

「違う。奴隷は納得しない。心から従わない。恐れで支配される」


 物わかりの悪い目の前の青年に、森の民の少女は苛立ち混じりに答えた。なぜこれほどに単純なことが分からないのかと言外に、如実に表しながら。


「では、きみと剣を交え、おれが勝てば納得するのか?」

「リュクルスが勝った後、ゲルダを望むなら、ゲルダは納得する」

「”望む”とはどういうことだ」

「リュクルスが勝てばゲルダを殺すことができる。”恵み”とすることも。殺さないならばゲルダを望んだということ。ゲルダの()以上にゲルダ()()を望んだ」


 会話の中で彼はおぼろげながらに森の民の感覚をつかみつつあった。

 それは人体を食料とすることを禁忌としたラケディア市民には思いもよらぬ発想である。

 この緑壁に生きる者たちにとって「物質としての肉体」と「精神を秘めた”人”」は価値の比較が可能な関係にある。人が人であるためには肉としての有用性以上のものを示さねばならない。

 敵を下してなお生かすということは、勝者が敗者の人間存在に価値を見いだしたと認めるに等しい。平地よりも貴重な食料を敗者の生存のために割くほどの価値を。


 兄妹の集いで鳥獣に食い荒らされた幾多の死体と昨夜彼らに振る舞われた()もまた、比較対象可能な物質である。”上の集い”の襲撃者達は敵を選別した。喰うためのものとうち捨てるものに。

 拠り所を失い宙に浮いた意識を持て余すリュクルスだが、思考の片隅では透徹した計算を淡々と進めていた。それは幼時から刷り込まれた日常である。

 人を食糧と見なす森の民の生活様式から考えて、死体の遺棄は貴重な食糧を無為に捨て去る行為である。にもかかわらず兄妹の集いには10以上が放置されていた。単純に、全てを持ち帰ることができなかったのだろう。山間の獣道を使って物資を運搬する手段は人力以外になく、襲撃者の側はそれを用意できなかった。選び抜かれた()()()()を連れ去ることしかできなかった。

 よって、戦いで命を落としたか、あるいは最初から数が少なかったか、いずれにしても()の数はそう多くはない。ただでさえ少ないところに、昨日朝”隊列”との遭遇戦で4人の戦士を失っている。シャルメの父と兄弟を含む、恐らくは”上の集い”の中核となる戦士達を。


 ——確かにこの地ではラケディアの戦士は引く手あまただろう。これほどに脆弱な人々の世界においては。


 1つの村を滅ぼしたほどの勢力が、1人の男の存在によって存亡の縁に追いやられている。たった1人の男によって。


「……でもゲルダさん、”望まれた”人と奴隷はどう違うんですか? どちらも負けて、生かされています」


 青年の背から顔を出したマルガリティアが会話に割り込んできた。ラケディアの奴隷であった彼女にとっても森の民の感覚は興味深いものである。


「奴隷は望まれたのに納得しない者。命惜しさに従う。卑怯な者」

「負けた人は皆納得するんでしょうか。わたしにはそうは思えません」

「マルガリティの言うとおり。納得できる勝負はめったにない。大体は負けた側は不満に思う。だからゲルダたちは奴隷を作らない。——”恵み”にする」


 その口ぶりは鮮やかですらあった。少女の言は人の意思よりも世の理を示すもの。森の民の世界の。


「勝負に負け、負けに納得して、さらに”望まれた”場合、勝者と敗者の関係はどのようなものになります?」


 隷民はまさにゲルダが定義した奴隷に近い。敗北に”納得”せず力によって強制された者達である。ゆえに麗しの都は隷民を抑え込むために必要な唯一のもの――力を磨いた。そしてひたすら脅した。一方森の民の世界では”納得しない”者を生かしておく余裕はない。ゆえに”恵み”に変える。

 生まれ育った村をラケディアの戦士達に蹂躙された後、遅れてやってきた市民リュクルスに対して、マルガリティアは服従しなかった。命を危険にさらしても自身の意思を曲げなかった。にもかかわらず青年はそんな彼女を殺さなかった。つまり森の民の理屈に従えば、彼は少女に「価値」を認めたことになる。

 どれほどの?

 少女は自問する。おそらくそれは彼女を旅の連れにすることによって背負い込む苦労。例えば従民都市タンタリオンでは同胞と一触即発の対立が生まれた。例えば道中少女の安全を確保する手間があった。何よりも、少女によって絶え間なく為された精神への攻撃に耐える苦しみがあった。それら全てを対価とするに足る価値をリュクルスは認めたのだ。マルガリティアに。

 自覚したとき、埃に汚れた首筋が薄らと赤く染まった。不随意に。


「主従。鳥のごとく在る民が、自由な意思で従う」

「ゲルダさんは……リュクルスに負けたらその、主従に?」

「戦う必要もない。ゲルダはリュクルスに勝てない。もう分かっている」


 勝者に擬せられた青年は得心がいかぬ面持ちを浮かべた。誇りと自由について語りながら至極あっさりと敗北を認める心性は推し量れないものだ。


「”納得”しているのならば、なぜ剣で語れと?」

「リュクルスは本当に愚か。なぜ分からない。——リュクルスの言葉には価値がない。力に価値がある」

「おれの価値はその力をおいて他にない。認めよう。だが……」

「違う! 本当に愚か」


 慣れない「正しい言葉」をしゃべるもどかしさがゲルダの苛立ちを増幅させた。


「リュクルスは力でゲルダ達を従える。だからもう、リュクルスは()()()()()()

「理解している。きみたちは”隊列”の……」


 聞き終わらぬうちに少女は勢い込んで立ち上がり青年を見下ろした。傲然と。


「ゲルダ達は”僚友”ではない。――リュクルスは(ぬし)。主は従者を背負う。それを認めるなら、ゲルダはリュクルスに従う。”恵み”も諦める」





 ◆





 朝の対話は無言のままに終わった。

 ゲルダの決定的な言葉の後、リュクルスは何かを語る気力を持たなかった。事実彼は混乱の極みにある。


 昼前の陽は若々しく、容赦なく世界を照らした。”集い”の「空地」において身を隠すに足る暗がりはない。全てが白日の下にある。

 一見平常を保ちつつも微かな放心は隠しきれない。そぞろ歩きに出ようとする男をマルガリティアはあえて見送った。アルカンを託して。


 リュクルスとアルカンはともに広場に歩み出す。

 旅の始めにおいてはこの子羊のみが”隊列”の仲間であったことを彼は不意に想起する。燔際の使いという光輝に満ちた役目を与えられて失意のうちに旅立った。それは明らかに死出の旅であった。

 しかし、途中立ち寄った名もなき村で彼らは新しい同行者を得る。偶然にも。”名もなき御方”の祭司(アポリア)マルガリティアを加えた一行は進んだ先、緑壁の縁でゲルギウスとゲルダの兄妹に出会った。偶然にも。

 だから偶然にも男と羊の行く手に森の民の女――シャルメが現れたとき、1人と1匹が動じることはなかった。


 夕暮れの弱光においてさえ見事な艶を示した長い黒髪は、昼の陽光の元にあって涼しげな風合いを加えている。女の歩みに合わせてそれは揺れる。昨日と打って変わって明るい生成りの着物を纏う立ち姿は、日の熱昇りきらぬ夏の午前によく映えた。


 シャルメが歩み寄るのを視界に捉え、彼はやむなく立ち止まった。できることならば自然な成り行きですれ違いたいところだが、女の視線が自身に固着されていることはすぐに分かった。


 ——おれは何を言えばいい。語ったところで通じぬ相手に。


 昨夜の宴が自身を貶めるために仕組まれた罠であったならば、彼は気を病む必要はなかった。敵として立ち現れた者に対してとるべき態度は二つしかないからだ。戦うか降伏するか。

 しかし兄妹との対話を経た今、酒宴がまさに歓待であったことは明らかである。この”集い”の主導的立場にある女は彼ら”隊列”を受け入れた。


 女の細面に控えめな笑顔が浮かぶ様は、リュクルスに自身と彼女の関係を容赦なく、誤解しようもなく伝えた。

 2人は昨日の夕暮れに刃を交わした。正面から堂々と戦いはなされた。そして一片の疑義も見いだせぬほど彼は圧倒的に勝利した。さらに殺さなかった。”恵み”とはしなかった。


「怪我はないか?」


 迷った末に浮かんだ台詞は妙なものとなった。

 宴の謝辞にも宿を借りた礼にも抵抗がある。となれば時間を遡り、戦いの場について触れる以外なかった。

 女は瞳を軽く見開いて軽く首をかしげると再び微笑んだ。

 意思疎通をなし得ない2者が友好の念を示そうとするとき、笑みと手振り、特に得物を持たないことを示す素振りは分かりやすい様態といえた。ゆえにラケディアの市民は笑みを浮かべず素手を見せない。彼らは他者の友誼を乞う必要などないのだから。

 しかしここ緑壁においてリュクルスは”共同体”の戦士ではなかった。ゆえに何らかの行動が求められた。

 彼は極めてぎこちない動きで互いの戦いを模した素振りを見せた後、腕や腰、頭を触り、痛みを感じる演技をしてみる。

 滑稽な仕草というほかはないが青年は大真面目であった。そして残念なことに彼の努力は報われなかった。最初驚いた表情を浮かべた女はやがて肩を揺らして笑い出す。


「おれはきみの身体を案じたのだ。それを笑いものにするなど」


 口ではそう告げながら実際怒りは湧いてこない。目の前の女は負かした相手である。対等の敵手ではない。


 笑いの発作を収めたところで、シャルメはおもむろにリュクルスの手を取り歩き出す。


「どこへ行く」


 答えはなかった。

 広場を囲むように建つ家屋の一角に女は男を導く。右の手を女の左手に絡め取られながらもリュクルスは大人しく付き従った。

 彼らの歩みの後ろをアルカンが追従した。


 薄汚れた戦士と薄汚れた導き手(アルカン)は見事に誘われた。





 ◆





 充満する香油の匂いに支配された小屋の中には大きな水桶が幾つも並んでいる。


 シャルメは彼を屋内に招じ入れると二言三言語りかけ、笑顔を見せた。そして正面から抱きつくように身体を重ね、両の腕を男の背に回す。

 手の動きから、女が胸甲を留める革紐を外そうとしていることはすぐに分かった。

 ラケディアの戦士の反応には思考が介在する余地などない。戦士の武装を解く試みとはつまり、明白な敵対の仕草である。敵対者を至近に捉えて身体は相応の行動を取ろうと動き出す。

 ゆえにリュクルスの意識は抑制のためにこそ用いられた。剣を抜かないために。


「止めろ。——何をしているか分かっているのか」


 女の優美な肩を男の頑強な手のひらが包み、押し戻す。そして太く低い警告の声は実体を持つ第3の腕のように機能した。


 明確な拒否を受けたシャルメは一瞬瞳を大きく見開き、自身の肩を握りしめる男の手を確認すると小さく首をかしげた。

 成熟した女と見えながら、その素振りは幼さすら秘めている。凛とした佇まいで男と対峙した戦士の姿と、撫でた犬に吠えられて呆然とする子どもの姿が、1人の人間の中に同居している。


 ——マルガリティアも常にこのような調子だ。この上なく立派であるかと思えば恐ろしく子供じみた振る舞いもする。


 かつて”共同体”で交流を深めたエイレーネからは感じられなかった二面性。リュクルスが死出の旅で得た些細な報酬である。人とはどのようなものであるか、極小とはいえ彼は新たな知見を得たのだ。

 青年の目から見て、マルガリティアとシャルメには似通ったところがあった。年若い”名も無き御方”の祭司(アポリア)は、彼に些細な悪戯をすることを好む。不似合い極まる花冠を男の頭に乗せてみたり、子羊(アルカン)の前足を持って男の腕を引っ掻いてみたり、無意味で不合理な行いをなすことが増えた。鬱陶しそうに振り払うと満足げに微笑み、再び大人しくなる。

 ゆえに彼はシャルメの行動もまた同様の結末に落ち着くことと予測した。

 そして見事に裏切られた。


 思案顔は一瞬のこと。

 得心がいった風情で頷くと、女は腰を縛る紐をほどき、おもむろに裾をたくし上げていく。

 生成りの貫頭衣はみるみるうちに織り込まれ、白い肌が解き放たれていく。


 リュクルスは女が衣を脱ぎ捨てる様を目前にしながら言葉を発しなかった。

 それは余りにも予想外のことである。

 他者が意外な動きを示したときには理由を探る必要があった。周囲の世界が自身の予測を超えた装いを示すとき、そこには常に生命の危機が隠されている。ゆえにラケディアの戦士は現象から原因を考察する。


 一糸まとわぬシャルメの立ち姿。艶やかに梳られた黒髪を毛皮のごとく纏わせた白い肌さえも、青年が培った生き方を屈服せしめることはなかった。

 敵の前に裸体を晒すことの意味を彼は探した。

 微動だにせず。しかし右の腕は即応の準備を整えて。剣を抜くことも、あるいは若木の幹のごとく逞しい腕で女の首を折ることもできるように。

 彼女の異常な行動が訴えるところのものを推察するのはそれほどに難しいことではなかった。裸であるとは何も持たないこと。例えば剥き出しになった男の首筋に突き刺す合口(あいくち)のようなものを。


「おれはきみを疑いはしない。きみがそのような卑劣な企みを為そうなどと」


 リュクルスにとって、女の剥き出しになった乳房も張り出した腰もある種の侮蔑とさえ映った。

 女は敵意を持たぬ証を裸体で示した。だまし討ちの器具を持たぬことの証明を為した。だが、それは裏を返せばリュクルスが彼女を恐れているだろうとの推測を元になされた行動である。

 猛きマヌの都に生を受けた市民である自身が脆弱な森の民の女に怯えるなど、全く以てあり得ないこと。青年にとってシャルメの行動は軽侮に等しく感じられた。


「シャルメ。おれはきみを恐れない」


 彼は腰に吊った剣を取り、女の足下に投げ落とした。


 ——使いたければ使えばいい。刃を鞘から抜き放つまでに、おれはこの女の首をへし折ることができる。


 腹の奥からせり上がる不可思議な情動は自身を侮った森の民の娘に対する憤り。

 彼はそのように認識した。少なくとも彼の()()は。


「……リュクルス」


 2人が共有する唯一の認識は、互いが名前以外の何物をも共有しえないということである。ゆえに女は彼の名を呼んだ。角がそぎ落とされた、丸みを帯びた音で。


 偶然にも男女の境界を示すように転がった剣を女は難なく踏み越えた。そして男の元に辿り着き、先ほど拒まれた行為を再び為した。両の腕を男の背に回して。


 自分の身体が発する悪臭に慣れきった嗅覚を、女の匂いが刺激した。香油の甘く滑らかな、蜜のごとく優しい刺激が。

 20歳の青年にとって、それは圧倒的な体験である。それは女体であった。


 事ここに到り、リュクルスは理解した。なぜこれほどまでに昂ぶり神経を尖らせているのかを。

 ラケディア、麗しの都が作りあげた精緻な機関(からくり)が今、狂わされようとしていた。


 ——かつてあの兄妹の父が辿った道がこれか。この女と交わり、子を為し、森の民として生きるのか。他の村を襲い、敵を殺し、その肉を食うのか。”恵み”として。おれはそうやって生きるのか。この薄暗い森の中で。


 抗する力は残されていない。

 他の道もまた残されていない。死を眼前にした人の生において最も自由な一時を過ごしながら、彼は世界に絡め取られつつあった。ゲルダが情け容赦なく白日の下に晒し、突きつけた()()。そして今肌も露わに抱きつく女が彼に負わせようとするもの。半壊した”上の集い”を維持するという。

 かつて背負いたいと切に願った共同体の責務、光輝ある重荷は、結局彼には与えられなかった。代わりに授けられたものを前にしてリュクルスは目眩を抑えられない。


 ——おれはもはやラケディアの市民ではない。共同体の一員でもない。テセウスの子を名乗ることさえできない。おれはただのリュクルスだ。では、ただのリュクルスは()()を望むのか? 心から。


 シャルメの息づかいは耳元で響く。背には二本の腕が蠢く。

 彼は捕食される羽虫に過ぎない。蜘蛛の目映い糸に絡め取られて、ゆっくりと時間をかけて囓り取られていく。


 それでもよいのではないか。

 この生き様も捨てたものではないと思い直す。森の中で生きる未来を夢想してみる。この蜘蛛が産むであろう子は偉大な戦士になるだろうか、と。

 彼は恐る恐る女の剥き出しの背に腕を回し、怖々と撫でた。10の敵を屠るに勝る緊張を秘めて。


 腕の中で女が身をよじった。


 事実、リュクルスはその行く手を定めつつあった。否、定める必要すらない。行く手は一つしかないように思われた。

 彼には。


 しかし、小屋の中にいるもう1人のラケディア戦士は昂然と異を唱えた。

 甲高い、しかし強烈な芯を持った叫びを放った。

 緑壁の奥深く、それは響き渡る。


 彼は執政官(アルカン)である。ラケディアの。

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