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ラケディア、麗しの  作者: 本条謙太郎
第2章 旅

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エウロイの黄金

 エウロイ河はケイデー山の中腹に湧き、緑壁を貫き平原に至る。その流れは人も獣も惹きつける。

 人はその河岸に幾多の集落を築いた。獣たちも恐らくは、彼らが理解するところのたまり場のようなものを。

 

 リュクルスの率いる“隊列”は一人の賓客(シャルメ)を連れて、あるいは客に連れられて、エウロイ川岸に足を運んだ。彼らが仮寓する“上の集い”の集落から人の足に踏み固められた細道を辿ることしばし。密生した木々は水面のほど近くまで進出している。

 そして、ラケディアの青年は再び、慣れ親しんだ川と出会った。

 都市にあった頃、エウロイは大河であった。泳いで渡るには骨の折れるだけの堂々たる体躯を白亜の都の民に見せつけていた。緑壁に踏み入った後、兄妹と遭遇し、不本意な滞在を強いられたのもまたこの川の傍らであった。ただし、かつて見た大蛇の腹のごとき威容は遙か遠く、そこは尾の始点と言える程度に痩せていた。彼はそこで隷民の少女を()()()。彼女が何者であるかを。そして、自身が()()()()()()()()を。

 この日、緑壁において二度目の出会いを果たしたエウロイ川は、もはや尾の終点に近い。


「ここなら存分に身体を清めることができますね。みんなで! ね、そうですね、()()()()()()()()()


 傍らに立ち、流れを見下ろすマルガリティアの声には隠しきれない棘がある。否、隠そうとしていないのだろう。


「ああ。まさに()()の述べるとおり、いい解決策だ。一度に楽にすみ、時間もかからない」


 青年は普段と変わることなく淡々と答える。


「でも残念でしょう? ()()()()()()()()()()()()はきっと、剣を交え、従えたシャルメさんにその身体を清めさせたかったのでしょうから」

「愚かなことを。事情は話したはずだ」


 もつれ、乱れ、ところどころ汗で張り付いた金の髪。少女はそれを両の手でかき上げ、大きくため息をつく。そして視線を横に移した。自身と並んで立つ男の横顔に。頬は精悍に締まり無精髭に覆われつつあるが、その下層にはいまだ十分な若さを残した男の顔である。それはまさに男の顔であった。出会ってから既に一月は経とうというのに、マルガリティアは()()を眺める度に新しい何かを発見する。

 今日は鼻梁であった。高く屹立した。たくましく、好ましい。だが、脳裏に浮かんだ感想を少女は入念にすりつぶし、脇に追いやった。意識の。


「女から先に入る。それでいい? リュクルス」


 後方からゲルダが語りかける。道中延々続いたマルガリティアの“ラケディアの戦士様”はもう聞き飽きた。そう言いたげな風情で。

 彼女からしてみれば、リュクルスとシャルメが()()()()()()()()は至極当然の営みであった。子を作るために人がすべきことは母から教えられて知っている。 “上の集い”が彼ら“隊列”に何を求めているかも分かっている。それはこの世界(緑壁)において、語るまでもない常識である。だからこそ、この森の民の少女は不思議に思う。マルガリティアの態度にも、自分たちの主——リュクルスの()()()にも。



 ◆



 幼くもラケディア男子たるアルカン(子羊)渾身の雄叫びを耳にした後、ゲルダと兄、一拍遅れでマルガリティアは急いで小屋を飛び出した。皆が一様に危惧したのは誘拐である。

 アルカンは羊なのだ。まだ幼く小柄ゆえ取れる毛は少ないが、取れることには変わりがない。さらに、絞めれば少量とはいえ肉も取れるだろう。柔らかい肉が。彼は“隊列”の中にあっては偉大な執政官(アルカン)であるが、森の民が彼を()とみるか、()()と見なすかは測りがたいところ。幸いなことに子羊の鳴き声は後を引く。二度、三度、長く伸びる。発生源を特定するのは容易かった。

 息せき切って小屋に飛び込んだ三者が見たものは、裸の女と裸になりつつある男と、二人の足元に頭突きを繰り返すアルカンの姿であった。

 ゲルダはシャルメに、マルガリティアはリュクルスに事情を尋ねた。ゲルギウスはといえば、二人の女の後ろで所在なげに羊を見守るのみ。自身が口を挟む場面ではないと理解するがゆえに。たとえ理解せずとも口を挟むことは不可能であった。少女達の口調はそれなりの——つまりこの青年が尻込みするほどの——威勢を備えていたからだ。

 シャルメはゲルダに対し、端的に語った。

「彼を清めてさしあげて……あとは、お分かりでしょう?」と。

 リュクルスはマルガリティアに答えた。

「この女が突然肌を晒した。恐らく、おれが暗器の類いを恐れていると思ったのだろう。身の潔白を示そうとしたらしい」と。

 ゲルダは無表情で答えた。

「夜になさってはどうです」と。

 マルガリティアもまた無表情で返した。

「ふぅん……?」と。

 いずれにせよ、“隊列”の者たちは身を清める必要があった。もう何日も水浴びをせず、その身体には獣臭が絡みついている。純然たる獣であるアルカンもまた。

 シャルメは彼らを水場に導くことに決めた。



 ◆



 女たちがアルカンを洗いつつ自身の体を清める間、リュクルスとゲルギウスは腰を下ろし、木の根にもたれ周囲を睥睨した。ただし幾分かの弛緩とともに。ここ緑壁において他の“集い”の者と偶然に遭遇することは稀である。二つの集団が同時期に、同じ場所に向かおうとした場合を除いて。

 ゆえに二人が警戒したのは獣の類いであるが、こちらとて大した脅威にはなり得ない。緑壁には大型の肉食獣はほぼ存在しない。少なくとも、リュクルスは一度も出会ったことはなかった。おそらく適度に、あるいは完全に狩られてしまったのだろう。この地には、巨大な肉食の獣を遙かに凌ぐ()()()()()()()()()()()()が無数に存在するのだから。


「ところで(けい)、この後、我らはどう振る舞いましょうか?」


 昨晩から今に至るまで、多くの出来事が矢継ぎ早に彼ら“隊列”を襲った。ゆえに腰を据えて話すことができなかった重要な話題、つまり「未来」について語るのであれば、この時が好機といえた。


「きみに望みはあるか?」

「私は……ラケディアに赴きたいと望みました。今もまだ、多少は」

「ではそうするといい。だが、もう気づいているだろうが、ラケディア、麗しの都がきみを受け入れることはない」

「はい。想像は付いています。(けい)の振る舞いと言葉を見聞きすれば。父ガイオンの教えは恐らく……少々誇張されていたようです」


 黒い巻き毛の下、ゲルギウスの瞳は虚ろにさまよう。彼は直視せざるをえなかった。生粋のラケディア市民であるリュクルスと自分たち兄妹の常識にはかなり大きな差が存在することを。彼らが知る戦の作法も“恵み”も、ラケディアにあっては「魔物」のそれであることを。


「重ねていうが、おれはきみの父を知らない。だからその言を肯定も否定もしない。だが、きみたちの行動を見る限り、きみたちはラケディアが“魔物”と称する存在に限りなく近い」


 ゲルギウスとゲルダの姉妹について語りながら、実は自分のことを述べている。リュクルスはその事実から目をそらしえない。


 ——おれももはや“魔物”だ。きみたちが“魔物”であるように。


 内心嘆ずる。だが、これまでの未練がましい泣き言とは微かに異なる響きを、この日の繰り言は秘めていた。微かに。


「そのようです。ですから、他の道を探さねばなりません」

「そのようだ。——ゲルギウス。おれもまた同じだ。()()()を探さねばならない」

「では、“燔祭の遣い”には?」


 リュクルスは小さくかぶりを振ったきり、無言で会話を終えた。


 青年の視線の先には三つの身体が揺れている。無邪気に、慎ましげに、あるいは軽やかに。代わる代わる抱き上げられ、洗われる子羊とともに。

 それは神話の一場面とすら思われた。彼我の距離が女体から肉感を剥ぎ取った。そこにあるのは自身とは全く異質の生物、否、物質である。

 先刻シャルメの成熟した肢体に覚えた欲情は、同じ対象を目にしながら今や霧散していた。


「シャルメを娶りますか? 兄」

「いや。誰も娶りなどしない。ラケディアにおいては。——きみたちはどうだ? 男と女は常に一組でつがうのか?」

「いえ。大体は、男一人に女数名です。父にも居ました。母の他に女が」

「やはり男の数が少ないか?」

「はい。しかし、それほど大きな差ではありません。どちらかといえば、強い男に守られることを女が望むのです」

「ラケディアでは男は女を守りなどしない。ラケディアの女は“共同体(コムネス)”の歴とした市民。自分の身は自分で守る。外敵と対しても、我らは性別を理由に誰かを守りはしない。市民が一丸となり、市民を守る」


 説明を加えながら青年の脳裏をよぎるのは、やはりエイレーネの肢体であった。真実、リュクルスはエイレーネを庇護せんと望んだことは一度も無い。類似の発想が生じる機会すらなかった。それは麗しの都の市民たる彼女を侮辱するに等しい望みだからだ。


「ですが兄、今後は? ここは緑壁です。あの女は兄に()()を望むでしょう」

「より正確には、あの女に連なる者たちの全て、か。ところで一つ聞きたい。——ここ(緑壁)では、女は庇護の代償として何を差し出す? 隷従か?」

「いいえ。前にゲルダが口走ったとおり、森の民は鳥の民です。隷従など決して」

「ではなんだ」

「子です。子を産みます」


 ラケディアにおいて子は“共同体”のものであった。市民という()()を用いて、共同体がそれを生み出す。一方緑壁において、子は人——女が生み出す。

 そこまで理解を終えたとき、リュクルスは気づいた。


「ゲルギウス。……大凡想像は付くが、敢えて尋ねたい」


 いつになく迷いを含んだ“兄”の言葉にゲルギウスは少々身構えざるをえなかった。


()()()()()()はどうなる?」


 それはあまりにも自明に過ぎる問いであった。


「独り生きる他ありません。ですが……」

「……」

ここ(緑壁)では、女が独りで生き延びることはできません」



 ◆



 女衆とアルカンが水浴びを終え、入れ替わりに男達が川に足を浸した。

 身につけた胸甲と貫頭衣を脱ぎ捨て、革で編んだ履き物一つで石の中を歩いて行く。二人の青年の裸体には、およそ無駄なものがない。微かにのった脂肪の膜を、強靱で混じりけの無い筋肉が盛り上げている。


「兄、見て下さい! ようやく私の腕も本調子に近づいてきました!」


 ゲルギウスは邪気のない笑顔とともに自身の右腕を掲げて見せた。盛り上がった肉の一筋だけが、そこにかつて刀傷が存在した痕跡を止めている。


「きみは運がよかった。もう少し深く斬られていたら筋まで達するところだ」

「はい。私は運がよかった! 敵の未熟など大したことではありません。真の幸運は、(けい)に出会えたことです」


 自身よりも一回り大きい立派な身体を持ちながら、心には裏表を持たないこの若者を好ましく思った。


 ——おれは有望な年少者を導く機会を二度も与えられた。幸運にも。一人は立派なラケディアの戦士となった。もう一人は緑壁において、立派な戦士になるだろうか。


 “少年団”で初めて面倒を見たダイオスは、立派なラケディアの戦士となった。

 二度目、彼がゲルギウスに伝えられるものはそう多くはない。ラケディア市民の心構えなど、この地においては無意味である。ただし、いかに世界の(ことわり)が異なろうとも、変わらず価値を保つものもある。それは「力」である。


「腕が完治したのちは、きみに戦い方を教えよう」

「本当ですかっ! 兄! もうじきです。手を握り込む力も戻ってきた。あと数日! そうしたら教えて下さるんですね? ラケディアの戦い方を!」


 膝まで浸す川水を大きく跳ね上げるゲルギウス。大声は、川岸でお喋りに夢中の女達をすら振り向かせるほどのものだった。


 刹那、リュクルスの視線が女達のそれと絡み合う。ことにマルガリティアの。

 彼は少女を見た。この場で拵えたらしい新たな花冠を載せた、金の髪の少女を。


「ゲルギウス。そう騒ぐな」


 たしなめつつ、足下に転がる手頃な岩に腰を下ろす。


 彼らが浴場とした辺りは川の流れが蛇行する辺り。水流の滞る地形をあえて選んだ。

 鍛錬で幾度となく泳いだ経験から彼はよく理解している。一見穏やかに浅く流れる川の水が、ときに驚くべき怪力を発揮することを。水は人の身体などものともしない。注意を怠れば容易に足を滑らせ、不意を突かれ、あっという間に流されてしまう。

 ゆえに流れが勢いを減ずる曲部を探した。そこはおよそ山が産する全てのものが流れ着き、滞留し、沈潜する場である。


 腰まで浸かり、さらに前掲し、頭を水に潜らせる。ゆっくりと。汗と垢でこわばった深い茶の髪をほぐすように。

 そして水の中、瞼を開く。存外透度が高い。

 ゆえに光が達する。


 大小無秩序に散った岩石の狭間に鈍く光る()()に。

 その存在を彼に教えたのは、ゆえに光であった。夏の午後の。


 リュクルスは手を伸ばし、つまみ上げる。

 砂と呼ぶには大ぶりな、麦の一粒に比する塊を。


「……黄金(クルス)か」


 感想は至極平凡なもの。リュクルス——ラケディアの光輝ある市民にとって、その金属は明らかに興味の外にあるもの、忌むべきものだった。


 だが、唯一の友たる「声」はその限りではない。

 久方ぶりの大音声が青年の頭蓋を駆け回る。


 ——響く声に従えよ!

 石を(かね)に変えよ!

 汝、定められたる者よ!

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― 新着の感想 ―
>二人の足元に頭突きを繰り返すアルカン >マルガリティアもまた無表情で返した。 >「ふぅん……?」と。 これは見事に同レベルのかわいさ加減
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