勇者の称号編 第五話―シンクレア家―
それから少しして、アリシアが呼んだ馬車が山中に到着した。馬車が出せないとセオドアに話した御者の男性が他にもう一人別の御者を連れて来てくれたお陰で、放置されたままになっていた馬車も動かす事が出来た。どうやら、アリシアが上手く伝えてくれたらしい。
二人の御者が、洞の中に捕らわれていた五人を手分けして馬車に乗せて。二台の馬車は連なって山を下りた。ライリー達もアナスタシアではなく馬車に乗せてもらい、共に村へと戻って来たのだが。
「……なにこれ?」
ライリーが無意識に呟くのも無理ないくらい、村はすっかり様変わりしていた。
御者の男性から事情を聞いたらしい村人達によって、長閑で簡素だった村は今や、賑やかなお祭り状態と化している。
このお祭り状態の真相は、知らない間に魔族と魔物が山に出現していた事、その魔族と魔物を偶然居合わせた若い精霊使い達が倒してくれた事に対して、村人達全員が感謝を伝える為のものなのだという。
本来、魔物や魔族の討伐には、正式な依頼の手続きと依頼料が必要となる。しかし今回は馬車の確保の為の調査が、結果的に魔物や魔族の討伐になってしまっただけ。故にセオドアは「俺達が勝手にやったことだから」と言って、村長からの謝礼金を頑なに受け取らないでいた。
「宿代だって?頂けないよ!あんた達は恩人だ!」
だが、それでは納得の出来ない村人達は、何かお礼をしたい、と、妥協案を考えた。それが、宿屋の女将の発言へと繋がる事になる。この発言により、ライリー達の宿泊費は全て無料となった上、宿の食堂で通常の宿泊費では供されないであろう豪勢な夕食も振る舞われる事になったのだった。
普段の長閑さが様変わりする程だった騒ぎも、流石に深夜まで続く事はなく。
ライリー達は女将からの厚意に甘え、食堂で夕食を頂いた後、用意された宿泊部屋で就寝した。
今日の出来事と、明日の山越えの事を考えて早めに眠りに就いたセオドアは、まだ夜の明け切らない早朝に目を覚ました。否、目覚めてしまったが正しい。
昨晩、夕食を終えて部屋に戻った後のライリーとの会話が、セオドアの脳内で再生される。
「……セオドアくん、ユンくん……あの、二人に話があるんだ……」
部屋に戻ったライリーは、セオドアとユンに話があると切り出した。
「山で女性の魔族を燃やした炎のこと、なんだけど……」
ライリーは、あの時魔族を焼き尽くした炎が、彼女から発生するところを見ていたらしい。
「灯火の精霊が言ってたお姉ちゃんを取り巻く炎と、なにか関係があるのかなって……」
現在、炎は彼女から消えている。サイラスが嫌悪を、ティティーが恐怖を、灯火が危機を感じ取った炎。灯火は精霊の炎だと言い、神殿の司教ウィリアム・ヴァレンティンは魔物の炎であると断言した、彼女に纏わり付く炎。
結局、ユンもセオドアも、ライリーに答えを返す事が出来なかった。ライリーも二人から答えを期待しての事ではなく、目撃した事に対する報告という意味合いだった為、話はそのまま停滞。ライリーが話題を変えた事で、結果的にその場で終了となった。
「……え?」
宿泊部屋の窓から偶然見えた光景に、思わずセオドアの口から声が洩れる。
夜明け前の薄闇の中を、彼女が一人で佇んでいた。
昨日のお祭り騒ぎが幻だったかのように、夜明け前の村は静寂の腕に包まれている。
夜と朝とが交じり合う、特有の静けさと寂しさの中、誘われるように彼女は外に出た。夜明けまでは、まだ少し遠い。
「――眠れないのか?」
「……セオドア君……」
起きているのなんて、自分だけだと思っていた。そんな訳はないのに、何故明け方とは〝今世界で起きているのは自分一人だけなのではないか〟という感覚を呼び覚ますのだろう。
「……夢をみたら、目が冴えてしまって……」
「夢?」
「……ぼろぼろの服を着た、小さな男の子が泣いているんです……私はその子に笑って欲しいのに、どうしても身体が動かせなくて……やがてその男の子は炎に包まれて……そのまま消えてしまうんです……」
『炎がコノ子ヲ呑ミ込ム前ニ……ッ!』
セオドアの脳裡に、彼女の灯火を名乗った小さな赤い精霊の言葉が過る。
『あの炎はダメよ!あれは暖める為のものじゃない……全てを焼き尽くす猛火なの!』
空が、白んでいく。もうすぐ夜が明けるのだろうか。
「……」
セオドアも、彼女も、お互い言葉を発しない。まるで、夜明けを待っているかのように。
思えば、こうして二人きりになったのは初めてかもしれない。
初めましては、セオドアの一方的な邂逅だった。灯火の精霊に憑依されていた彼女に、彼女としての意識は無かった。二度目の出逢いは彼女もセオドアも言葉を交わす事もなく、ただお互いに会釈をしただけ。そして三度目は、ユンとの戦闘時。彼女がセオドアの名前に詰まり、セオドアはなし崩し的に名を名乗ったが、それだけだった。セオドアと彼女の間に、会話らしい会話はなかった。それからすぐにアリシアが来て、慌ただしく出発する事になって。移動の為に確保した馬車の中ではライリーを交えて話す事こそあったが、二人きりではなかった。だから、これが……、
「……これが、本当の初めましてかもしれないですね……」
「!」
胸中の言葉を、言い当てられたのかと思った。
「――ねぇ、セオドア君……今もまだ、私に炎は見えますか……?」
「……いや」
彼女の言葉に、セオドアは首を振って否定を示す。
どうしてだろう。彼女は今、綺麗に微笑んでいる筈なのに。まるで、泣いているように見えるのは。
「それじゃあ、私の傍にいる大きな雪豹は〝アナスタシアちゃん〟、ですか……?」
「……見えるのか」
セオドアが僅かに目を開く。
そう。窓から見えた彼女は一人だと思っていたのだが。彼女の傍らには、アナスタシアが控えていた。恐らく彼女が部屋を出た事を察したアナスタシアが、自主的についてきたのだろう。
「今までは、本当に見えなかったんです……でも、目が覚めて、外に出たら……」
昨日までは見えなかった、村にいる精霊達の姿が、見えるようになっていた。
ライリーから聞いた通り、精霊達は様々な姿をしていた。そして近くに、大きな雪豹の姿を見つけた。
「初めまして、アナスタシアちゃん……改めて、よろしくお願いします」
彼女がアナスタシアの首筋を撫でている様を見て、アナスタシアが気持ち良さそうにしているのを見て、本当に見えているのだとセオドアは確信した。
「予定を変更する」
翌朝、食堂にて。全員が朝食を摂り終えたのを確認して、セオドアが声を発した。
「これからアナスタシアで、直接シンクレア家に向かう」
セオドアの発言に、彼女を除く全員が疑問を抱く。
「え?でも……」
――……精霊の見えないお姉ちゃんじゃ、アナスタシアさんに乗れないんじゃ……――
この村まで馬車で移動した事も、山中で女魔族と対決する事になったのも。精霊の見えない彼女が、アナスタシアに乗る事が出来ず、移動手段が馬車となった結果だった筈。
その疑問を声に出し掛けたライリーに、彼女が答えた。
「ライリー君。私、見えるようになったんです」
精霊の姿が、と、嬉しそうにはにかみながら、彼女がライリーに告げる。
そんな彼女の言葉にライリーが返答するよりも速く、今度はティティーが反応を示す。
『ほんと!?お姉ちゃん、ティティー見える?ティティーここ!』
「はい。よろしくお願いします、ティティーちゃん」
最早定位置となったライリーの肩から手を振るティティーに、きちんと目線を合わせた彼女に、ユンやアリシアも彼女の言葉が真実なのだと理解した。
ティティーは嬉しさのあまりライリーの肩から立ち上がり、彼女の周囲を飛んでいる。
「いつから見えるようになったの?」
「今日の朝からですよ」
『うれしい!お姉ちゃん!ティティーといっぱいお話しして!』
和やかな雰囲気のライリー達の会話とは対照的に、精霊使いとその契約精霊達には硬質的な緊張感が漂っていた。
「……十中八九、あの消えた炎が原因だろうな」
暖かな空気を壊さぬように、ユンが控え目に口を開く。ユンの放った言葉の通り、先日の魔族との一件の後から、彼女に纏わり付いていた筈の炎は消えていた。
「だから一刻でも早く、当主の考えを仰ぎたい」
「……?」
セオドアの放ったその言葉に、ユンはどこかに違和感を覚えた。だが何故違和感を覚えたか解らず、次の瞬間には、感じた違和感は霧散する。
セオドアは脳裡で、神殿の司教、ウィリアム・ヴァレンティンの発言を想起する。ウィリアムは言った。シンクレア家に依頼を出した、と。
依頼を受けたシンクレア家当主は、当然ウィリアムから彼女の仔細を聞いている筈。だからこそ当主はセオドアに、連れて来るようにと命令を下した。それにアリシアの言っていた、〝御三家の交流復活〟。
「アナスタシアならすぐに到着出来る……事態は俺達が思っている以上に複雑で……多分、急速に深刻化している」
「じゃあ、すぐ出発する?」
アナスタシアを撫でながら、アリシアが問い掛ける。アナスタシアも、請われればすぐ様飛べると示すかのように、セオドアを見据えている。
「あぁ……アナスタシア、頼む」
セオドアの言葉に、アナスタシアが心得た、とばかりに頷きを返した。
「じゃあ、乗って」
村人達から惜しまれながら、お別れの挨拶を済ませた後。全員が乗り易いように身を屈めたアナスタシアに、既に騎乗しているアリシアが言った。
「あの……アナスタシアちゃんの大きさが、えーと……なんか大きくないですか……?」
少なくとも、初めて目にした早朝よりも、確実に大きくなっている。確かに元々大きい体躯をしていたが、絶対にこんな大きさではなかった。詳しいサイズは知らないが、例えるならば原付から軽自動車くらいには大きさが変化していると思う。
疑問を素直に口に出した彼女に対するアナスタシアの回答は、なんと低い唸り声だった。
「え!?」
朝、傍にいてくれた時には撫でさせてくれたり、足に尻尾を絡めたりしてくれていたのに、何故今は威嚇するかのように唸られているのか。
何か気に障る事をしてしまったのかと慄く彼女に、アリシアが「違う」と否定を発した。
「呼ばれ方が不満なだけ。ナーシャでいいって言ってる」
「……ナーシャ、ちゃん?」
彼女に愛称で呼ばれた途端にぴたり、と止まった唸り声に、セオドアが感心したように声を洩らす。
「珍しいな、アナスタシアが愛称を許すの」
「セオドアだって認められてない。誇っていい」
「いや、そんなドヤ顔で言われても」
「どやがお?」
「あ……なんでもないです」
油断するとつい、前世の言葉が出てしまう。理解されない言葉も多いので、彼女も気を付けているのだが。
「……ナーシャは体躯の大きさを変えられる」
アリシアは疑問符を浮かべていたが、彼女の疑問にまだ答えてなかった事を思い出したのか、全員の騎乗を確認すると簡潔に言葉を紡いだ。
「じゃぁ、飛ぶから。掴まって」
どこに?という質問は、する暇がなかった。
一瞬で上空に到達したアナスタシアは、重力から解き放たれたかのように、天空を自在に駆けていく。それは飛翔というよりも、疾駆という表現に近かった。
先日登って魔族と遭遇した山が、瞬きの間に視界から過ぎ去っていく。ライリーの肩に掴まったままのティティーは『すごい!はやい!』とはしゃいでいる。
サイラスはアナスタシアに腰掛けていたが、レィリィンは横に居た。自身の翼を羽撃かせ、アナスタシアに追随している。
――……レィリィンさんも飛べるんだ……――
そんな思いが顔に出ていたのか、レィリィンがライリーに言葉を掛ける。
『人を運ぶには適さない』
翼や鳥足を持つ半鳥獣型といっても、レィリィンの容姿は人に近い。確かに翼のある背に人を乗せる事は不可能だろうし、抱えて飛ぶにしても限界があるだろう。あくまで飛行は、移動手段の一端だという。
馬車よりも速いアナスタシアは、もしかしたら車くらいの速度が出ているかも知れないのに、身体は空気抵抗を全く感じない。快適な室内で椅子に腰掛けているかのように、アナスタシアの四肢は空を掻いている筈なのに、その振動すら伝わってこない。
馬車での移動を続けていたら次に到着する予定だったであろう街すらも、その速度で通り過ぎれば、アリシアが小さく呟いた。
「……見えた」
呟きと共にアリシアが指差した先に、通り過ぎた街とは別の街が姿を現す。
眼下に広がる街の面積は先程通り過ぎた街よりも広大で、その街の繁栄と発展が簡単に予想出来た。
「――ようこそ、シンクレア家のお膝元……《アンリブレア》へ」
滑空を開始したアナスタシアの背の上で、アリシアが街の名を告げた。
アナスタシアが降り立ったのは、街の外れに建てられた屋敷だった。
上空から見ていても街で一番大きいのではと思っていたが、いざ眼前に仰ぎ見るとやはり相当な広大さである事が分かる。どうか此処じゃありませんように、と願っていたささやかな希望が打ち砕かれた瞬間だった。完全なる場違い感に、ライリーは打ちのめされる。隣の彼女も同じ思いなのか、必然的にライリーと彼女は目が合った。
到着した屋敷の広さに戦々恐々となる神殿姉弟(※義理)をよそに、精霊使い組は泰然自若としている。セオドアにとっては生家であり、アリシアもシンクレア家に連なる者として当然であろう。一方で、ユンも特に動じた様子は見せない。御三家とはやはり他と隔絶された存在なのだという事が、その様子から窺えた。
「?どうした?」
聳えるかのように巨大な門の前で、すっかり及び腰になり二の足を踏むライリーと彼女に、セオドアが疑問符を飛ばしながら声を掛ける。
「……ちょっと、待って……」
「……あの、今私達、心の準備をしているので……」
「早く来て」
「「あ、はい」」
ライリーと彼女の心の準備は、痺れを切らしたアリシアの声に断ち切られた。
「こっち」
明らかに年代物だと判る調度品の数々が並ぶ廊下を、セオドア、ではなくアリシアを先頭に歩いていく。
――……絶対に一人じゃ迷子になる……――
人様の屋敷をキョロキョロと見回すのは失礼過ぎると分かってはいても、ライリーはやはり、あちらこちらに目をやってしまう。何度も彼女と視線が合うので隣の彼女も同じ心境なのだろう。
何度か廊下を曲がって、また似たような廊下を進んで。やがて辿り着いた先の扉を、セオドアが手の甲で二度程叩く。
「セオドアです。失礼致します」
部屋は広い造りだった。扉の正面には大きな窓が有り、その窓を背にして机と椅子が置かれている。配置からして机と椅子は、この部屋の主の物と推測出来た。その机と椅子の手前には来客に対応する為なのか、足の短い長机とソファが用意され、壁に面した背の低い棚には、こちらも来客用なのか茶器が品良く並べられている。
その部屋は当然だが、無人ではなかった。窓を背にして、一人の男性が立っている。
セオドアと同じ黒い髪に、アリシアとは少し異なる青い瞳。実年齢の判り難い青年めいた面差しは、どことなくセオドアに似ていた。
恐らくは彼がこの屋敷の現在の主、シンクレア家の当主なのだろう。
「只今戻りまし……ッ!?」
セオドアの挨拶を遮って、高い音が室内に響き渡った。驚いたのであろうティティーが、小さく声を上げたのが聞こえる。だが、突然の事に脳内の情報処理が追い付かず、当主であろう男性に歩み寄ったセオドアが、その男性に頬を張られたのだと理解するまでに、ライリーは数秒の時を必要とした。
「私は命令を下した筈だよ。即ち彼女は、当主である私の客人だ。その当主の客人を道中危険に晒すとは、一体どういう了見だい?」
「――申し訳ございません……オスカー様」
打たれた頬を赤く腫らしたまま、セオドアはその場で片膝を突き、頭を垂れた。
「アリシア、君もだ」
「申し訳ございません」
アリシアもすぐに、セオドアの隣で跪く。
ユンは宿屋の会話でセオドアに抱いた、違和感の正体に気が付いた。
セオドアがユンと同様に次期当主であるという事は、シンクレア家現当主はセオドアの父親である筈だ。父子ならば公式の場は別にしても、私的な場でなら父と呼ぶのではないか。現にユンは父上と呼んでいる。だが、セオドアはどうだった?
「だから一刻でも早く、当主の考えを仰ぎたい」
セオドアが当主と口にした時、あの場で話をしていたのはユンとアリシアの二人だけだった。だったら、父と呼んでいい筈だ。
この父子は、自分達とは違うのかも知れない。そう思わせるには、それは充分な状況だった。
「依頼が入っている。二人共、すぐに出発するように」
口調自体は穏やかなのに、いっそ冷徹さを感じさせる声で、シンクレア家当主オスカーが命じた。
「「かしこまりました」」
返事と共に差し出された依頼書を受け取り、セオドアとアリシアが立ち上がる。
「……」
「……悪い」
アリシアは無言で、セオドアは去り際に、ライリー達に小さく謝罪を口にする。その謝罪の真意を測りかねている内に、二人の精霊使いは部屋から退出してしまった。
「……」
「……さて、」
遠山の青さを思わせる瞳で、オスカーがその場に残った三人と二体を見据える。
「私の客人と、息子の友人。小さな精霊と、それから君達は……」
オスカーは彼女、ライリー、ティティーと視線を移し、最後にユンとレィリィンに辿り着く。
「ブラッドレイ家のご子息と、彼の契約精霊だね、よく来てくれた……改めて自己紹介しようか。シンクレア家現当主にして、当代勇者の称号を預かる、オスカー・シンクレアだ。よろしくね」
それは、先程までの寒々しさが幻想であったかのような、暖かな微笑。
「長旅……とは言い難いが、色々あって疲れただろう……?息子達が戻るまで、どうかゆっくり休んでおくれ」
「えーと……あの、」
セオドアがいない今、当主に呼ばれてもいない自分がこの場に居てもいいものか、と、ライリーは声を発した。が、結局適切な言葉に詰まり、結果的に口籠もってしまう。
「ああ、心配しなくても、息子達はすぐに任務を終えて戻ってくる筈だよ……そんなに畏まらないで、ぜひ此処を自分の家だと思って寛いで欲しい」
――……いや、そう言われても……――
そう言われても中々に難しい。そんな思いが顔に出ていたのか、オスカーは朗らかに続けた。
「いやぁ、実は息子が友人を連れて来るなんて初めてでね……いや、嬉しいよ」
雰囲気が、変わっていた。
先程までの、当主としてセオドアとアリシアに接していたのとは別の、陽だまりのように穏やかな、優しい声と浮かべられた笑み。
先程までの当主としての顔ではない。それは紛れもなく、息子の友人の来訪を喜ぶ、父親としての顔だった。だが、やはり雰囲気の変化に、どうしても違和感が拭えない。
セオドアとアリシアを叱責した寒々しく厳しい言動と、現在ライリー達に向けられた暖かで緩やかな言動。
「……」
あまりの変化に、三人が戸惑っている事に気付いたオスカーは、困ったように、はにかみながら頭を掻いた。
「いや、ごめん。僕……あ、いや私の言動に戸惑っているんだね……うん、なんと説明したらいいものか……いや、困ったな……」
苦笑混じりに呟かれた独白。頬が少し朱に染まっている。その様は容貌も相まって、まだ年若い青年のようで。とても十七の息子がいるとは思えない程だ。
「……そうだね、うん……少し僕達の話をしようか……さぁ、掛けてくれ。お茶を淹れよう」
執務用の机の手前に置かれた長机に、紅茶が四つ並んでいる。湯気と共に立ち込める香気は上品で、その品質が良いものであるとさりげなく主張していた。
来客用であろうソファに腰を下ろしたライリー達の向かいのソファに、オスカーも腰掛ける。レィリィンはユンの真後ろに佇み、ティティーはライリーの肩に座っていた。
「……僕はね、陣代なんだ」
「じん、だい……?」
耳慣れない言葉に、ライリーがぽつりと声を洩らした横で、彼女の脳裡を前世の記憶が通過する。
陣代。幼少の君主の代理として、軍務や政務を行う者。
「僕は入婿だからね……シンクレア家当主という座も、当代勇者の称号も、次代を継ぐ息子の為に預かっているに過ぎないんだ」
入婿、という事は、オスカーは恐らくシンクレア家直系の血を継いではいないのだろう。
「シンクレア家当主の座と共に受け継がれている勇者の称号は、代々長男が継承するという掟があってね……だから当然、次代の勇者と当主を継ぐのは、先代である義父の子の筈だったんだ……でもね……」
先代の当主であったセオドアの祖父には、男児が生まれなかったそうだ。産まれたのは、娘。それも一人だけだった。
「しかも義父がまだ存命の頃にその娘……つまり僕の妻は病に罹って亡くなってしまった……」
その瞬間、まだ幼いセオドアが次代を継ぐ事が決定された。しかし継承するには幼過ぎるという理由から、先代の死後は当主の座と勇者の称号を、一時的にオスカーが預かっているらしい。
「シンクレア家が大罪を犯したと、息子は言っていただろう?実はね、シンクレア家の後胤には為さねばならない宿命があるんだ……」
「……任務地、別だったな」
「うん」
セオドアの声に、アリシアが頷く。
「セオドア、当主は……」
「分かってる」
アリシアの言葉を遮って、セオドアが呟く。
あの人を、〝父〟と呼べた事はない。当人達の意思ではない。それは、先代の意向だった。
先代の勇者であり、シンクレア家当主であったセオドアの祖父は、男児に恵まれなかった。
勇者の称号と当主の座は、代々長男が継いでいく。だから当然、次代の勇者と当主を継ぐのは、先代の子の筈だった。だが産まれたのは、娘が一人だけ。
これまでの掟に従うべきか。しきたりに叛いて娘に次代を譲るべきか、祖父は随分と悩んだらしい。
しかし、娘は――セオドアの母は、祖父よりも先に病でこの世を去ってしまった。
直系の血を継ぐセオドアはまだ幼く、老い先短い祖父は窮余一策として、入婿である娘の夫に、勇者の称号と当主の座を預けるという決断を下した。
セオドアが、次代を担うに値する年齢に達するまで。シンクレア家当主の座を、何よりも勇者の座に空白を空けない為に。それは、苦渋の選択だった。
そして父であるオスカー・シンクレアは、先代の亡くなった瞬間から、その座を預かる事になる。
「全部分かってる……理解している……オスカー様は当主としての職務を全うされているだけ……あの叱責は、俺の落ち度だ……」
彼女を、危険に晒した。彼女は二度も、魔族の蔓に捕らわれてしまった。
そう、全て解っているのだ。あの人は、先代から預けられた一族の長の座と称号を、必死で守り通そうとしているだけなのだと。その身に背負うにはあまりに重い役目を与えられ、父であるという前に当主たらんとしているだけ。
「……後胤の、宿命……」
称号も、宿命も。そんなもの、穏やかで優しいあの人が、厳しさと冷ややかさに塗り固められた当主の仮面を被ってまで、背負う必要なんてないのに。
【勇者の称号】
【称号の裏側】
「おい、羽付き」
『はねつきじゃない!ティティー!』
「あぁ、分かったから騒ぐな羽付き」
『もー!』
『ライリー!ユンいじわる!』
「?羽付きは羽付きだろう」
「……うーん……どっちもどっち……」