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勇者の称号編 第四話―山中怪異―




 この村には宿屋は一軒しかない。普段は山越えを控えた、もしくは山越えを終えた旅人や行商人で賑わう宿屋も、今はライリー達の貸し切り状態だった。

 宿屋の造りは三階建てで、一階が食堂と宿の売りである温泉があり、二階と三階が宿泊部屋となっている。ライリー達はその食堂で、情報の摺り合わせを行っていた。

『セオドア達には報告済みですが、山中に馬車を発見致しました』

 まず口を開いたのはサイラスだった。サイラス達精霊は三方に別れ、それぞれ山を巡回したらしい。レィリィンとアナスタシアが見た場所は特に異常は感じられず、魔物の発生は確認出来なかった。が、サイラスが見回った場所で、まるで乗り捨てたかのように放置された馬車が発見された。

 馬車には繋がれたままの馬達が残されていたが、近くに馬車を操る筈の御者の姿はなかった事を、サイラスは報告する。

「魔物の発生はどうだった?」

『確認出来ませんでした。勿論、統率する魔族による隠形や隠蔽の可能性はありますが……』

「この村の精霊達は感染している……魔族はともかく、魔物が何処かにいるはずだ」

「感染……?」

 セオドアの言葉に反応して、彼女が呟きを洩らす。感染という単語には聞き覚えがあっても、その前に精霊達が、と付けばそれは耳馴染みの無い言葉へと変わる。

 通常感染とは、何らかの原因で病原体が体内に侵入、発育や増殖した結果引き起こされる症状であり、病気が感染す(うつ)る事をいう。だが、肉体のない精霊が病気になるとは考えられない。この場合の感染とは、別の意味をもつ事になる筈だ。

「精霊が魔物の有する魔力に当てられた状態のことだ」

 仲良く首を傾げたライリーと彼女に、ユンが簡潔に答えを与える。

「精霊にとって、魔力は毒……取り込み過ぎると、正気を失う」

 アリシアの呟くような言葉に、セオドアが続く。

「彼女を捜して異界に行った時、灯火の精霊が力を使い果たして消滅しただろ?」

 あの時ライリーは、セオドアとサイラスから精霊の力の事を聞いた。精霊の力とは人間の体力に近く、時間経過と共に回復していく、と。

「精霊の力の源は、大地の気を取り込むことなんだ」

 精霊は人には感知出来ない大地の気を取り込む事で、その存在を維持しているそうだ。人で例えるならばそれは、栄養補給の為の食事や、疲労回復の為の睡眠に相当する。その吸収は意識して行う訳ではなく、無意識下の内に行われる。だから時間経過と共に精霊の力は回復していく。そして、精霊が精霊術を行使する際にも、大地の気が必要となる。大地の気を吸収し、自身の行使する精霊術へと変換するのだという。

 だが精霊術を行使し過ぎると、大地の気を吸収する速度と精霊術の行使によって気が放出される速度の均衡が崩れてしまう。

 取り込めずに出続ければ、いずれは供給が追い付かず、やがてなくなってしまうように。

 彼女失踪の原因となった灯火の精霊が消滅したのは、この均衡が崩れ、放出の速度が吸収の速度を上回った事が原因だった。

 一方で魔物も大地の気を取り込むが、取り込まれた気は魔物の体内で魔力へと変換され蓄積される。魔物はその蓄積された魔力を攻撃に使用する。

 蓄積は無尽蔵ではなく個体差によって左右されるらしく、余剰分の魔力は勝手に魔物の体外へ放出される。この魔物の放つ魔力が、精霊にとって毒となるそうだ。魔力は空気の流れに乗って拡散し、精霊がそれを吸収する事で感染する。要は、汚染された空気を、大地の気と共に吸い込んでしまうようなものらしい。

「正気を失ってしまった精霊達はどうなるんですか?」

 不安そうな彼女に対して、セオドアの答えは単純だった。

「ずっとそのままってわけじゃない……原因である魔力を放出する魔物を倒して、正常な大地の気を取り込めば元に戻る」

「ティティーやサイラスさん達は大丈夫なの?」

 ライリーの声は、精霊が感染するならば危ないのでは、と、言外に語っている。

『私達の心配は無用ですよ、ライリー様』

『我ら契約精霊は、直接大地の気を取り込まない』

 サイラスとレィリィンが言葉を返し、アナスタシアも肯定するように首を動かす。

 精霊使いと契約した契約精霊は、大地の気を取り込む代わりに、精霊使いの気を取り込むそうだ。人間には解らない原理だが、契約すると無意識下で切り替わるらしい。

 彼女は、じゃあ精霊使いはフィルターみたいなものかな?と思ったが、多分誰にも通じないので口を噤んだ。

『現状に於いて、一番危惧されるのはティティーだが……』

『?ティティーげんき!』

 この場の誰とも契約をしていないティティーは、村の精霊達と同じように魔力で汚染された気を取り込んでいる筈だ。レィリィンは鉄紺色の瞳でティティーを見るが、話を振られたティティーに異常は見受けられない。

「この村の精霊達の様子からして、あの山には確実に魔物がいる……だが、この村には魔物の襲撃がない……確かめる為にも山に登る必要があるが……」

 そこまで口にして、ユンは不意に黙り込む。黄金色の双眸は、ライリーと彼女の姿を捉えていた。

 その視線の真意を、この場にいる全員が理解した。恐らく当初の予定では、セオドア、ユン、アリシアの三人で山に登り、ライリーと彼女は村に残るという算段だったのだろう。

 精霊使いでもないライリーや彼女がついて行ったところで役に立たないばかりか、最悪足を引っ張る可能性すらある。村に魔物の襲撃がないなら共に山に登るより、村にいた方が安全だ。

 だが、先程セオドアが射抜いた何かが、その考えを歪ませる。

「セオドア、さっきのなに?」

 アリシアが、直接対峙したセオドアに問い掛けた。

「……分からない……彼女に見えてなかったなら魔物ではなく精霊のはずだが……精霊にしては異質過ぎる……」

 見えてなかっただろ?と問われ、彼女は肯定の為に頷いてから、言葉を紡ぐ。

「ライリー君が走り出して、何もないところに声を掛けて……」

 最初は自分には見えない精霊に話し掛けたのだと思い、見慣れない光景につい声を掛けたら、ライリーから叫び声が放たれたのだという。

「ライリーは?分かる?」

「え……?いや、分かるって言われても……」

 アリシアの言葉に、ぼくが訊きたいと言わんばかりの顔つきで、ライリーは考え込む。


――……ああ、でもあの時……――


「……疑似餌……?」

 ぽつり、と、あの瞬間に脳裡を(よぎ)った単語が、ライリーの口から零れ落ちる。

「疑似餌?」

 最初に反応を返したのは、セオドアだった。

「あ、えーと……あの時なんか、そう感じて……」

 感覚的に出した言葉に、ライリーは上手く答える事が出来ない。

「……やっぱり全員で山に登ろう」

 セオドアが最終決定を下した。離れている間に何かがあるよりは、多少の危険を伴っても傍にいる方が対処出来ると考えたのだろう。

 一抹の不安は残るが、これ以上話を重ねても進展はしない、そう判断して話し合いは終了した。








「『“虎落笛”』」


 甲高い笛の音と共に、数多もの矢が雨のように降り注ぐ。

 天空から落ちる風の矢に貫かれた魔物は、空気に溶けるかのように跡形もなく消滅していく。不可思議な光景だが、魔物の死骸は残らない。

「『“天雷”!』」

 セオドアの矢を逃れた魔物達を、ユンの槍が逃す事なく屠っていく。

 魔物は精霊と異なり、実体がある。しかし、その死はまるで精霊と同じように消滅(・・)する。

 魔物との交戦の為、前衛に陣取る二人の後方では、ライリーとティティー、彼女が息を詰めて戦いを見守っていた。ライリー達には、アリシアとアナスタシアが護衛として控えている。

「二人共、離れちゃ駄目」

 アリシアは無表情だが、声は緊張からか、やや硬質的だった。アナスタシアはすぐ傍らで、威嚇するかのように低く唸っている。




 馬車を発見したのは開けた場所です、と、サイラスは語った。

 山道を外れ少し進んだ先に、樹木が円形に途切れた場所があり、そこで馬車を発見したらしい。

 発見した地点は山の此方側、距離はあまり離れてはいない為、徒歩でもそれ程時間を掛けずに到着出来るのでは、との事だった。

 そして、馬車を発見した途端に現れた魔物達から、こうして少々派手な歓待を受けている。

「くそっ!どれだけいるんだ……!」

 憎々し気な悪態と共に、ユンが紫電の槍を振るう。

 歓待という名の襲撃を仕掛ける魔物達は、全て獣型だった。犬にも狐にも、狼にも似た凶悪な姿は、漆黒の闇を具現化したかのようで。そんな全てが闇色の中で、鋭い爪と牙だけが、不気味に白く輝いていた。

「……やっぱりおかしい……サイラス達が発見出来なかったこともそうだが……これだけの数の魔物がいて、なんで村に被害が出ないんだ……」

「魔族がいるとでも言うつもりか!?」

 セオドアの訝し気な呟きに、叫ぶかのように言葉を返したユンの怒声によって、ライリーの記憶が魔物と魔族について回想を始める。

 魔物の発生には諸説有り、発生する仕組みについては現在も解明されていない。

 ある者は異界から来ると言い、ある者は世界の何処かに生まれる場所があると言う。

 〝世界の一部が剥落し、そこから魔物が出現する〟という説を主張する者もいる。

 人間等の生物(いきもの)が住む世界と、幻獣の棲処と呼ばれる異界。そのどちらにも属さない、世界と異界の狭間――境界(・・)があるという説。境界には魔物が棲息し、世界が剥がれ落ちた一部の地点は変質し、歪む。その歪みが境界と繋がり魔物が出現するというのが、数有る諸説の中で最も浸透している仮説だ。

 世界は本当に剥落し、歪むのか。境界は本当に存在するのか。魔物は真実、境界で棲息しているのかは定かではないが、事実として魔物は世界に発生する。

 魔物とは、獰猛で危険な存在である。知能や感情、理性もない。魔物はただ、本能のままに人を襲う。

 代わりに魔物は、秩序や統率等とは縁が無い。唯一の例外が、魔族の存在だった。

 本能のままに人を襲う魔物を従え、操り、さながら訓練された従順な軍隊の如く統率する存在、それが、魔族と呼ばれる種族である。

 魔物同様、魔族についても、解明されていない事は多い。詳しい生態や、棲息地、その正体に至るまで、様々な憶測や仮説が飛び交っているが、全て推測の域を出ない。

 そもそも〝魔族〟という名称すら、魔族が自称し、広まった結果、定着した呼称である。

 魔物と異なり人と同じ様に知性を宿し、魔物を従え統率する。従える魔物を隠蔽・隠形する事が出来ると判ったのも、魔族が人の言語を解し、それを仄めかしたからに過ぎない。

「これだけの数の魔物がいて、発見もされず、被害が出ていないなんておかしい……!統率する魔族がいる可能性は高い!」

「どちらにしろまずは魔物共(こいつら)を屠ってからだろう!」

 言葉の応酬を続けながらも、翠風の矢と紫電の槍が、徐々に魔物の数を減らしていく。

「『“凍風”……!』」

 矢を番えた指を鳴らし、翠を纏って放たれた矢で、最後の一体を貫いたセオドアが周囲を見渡す。

 あれ程発生していた魔物は、もう一体も残っていなかった。

「……」

 セオドアもユンもアリシアも、まだ警戒を続けているが、目に見えた危機が去った事に、彼女は無意識に安堵の吐息を洩らす。


「――あら?貴女……なんだかとってもあたたかいのねぇ……」


「え?」

 だが、異変はその直後に起こった。

 耳許で囁かれた事に、精神(こころ)が既視感を覚えるよりも早く、身体(からだ)が恐怖を自覚した。

「……ッ!?」

 首筋に蔓状の何かが巻き付いたように感じた途端、締め上げられる圧迫感に呼吸が妨げられる。

「……ァッ……ッ……ッ!?」

「お姉ちゃん!?」

 息苦しさに、世界が白く染め上げられた。驚愕に目を見開いた、ライリーとアリシアが霞んで見える。

 蔓状の何かが本数を増し、身体が後方に引き摺られるのをどこか遠くに感じながら、彼女の視界は揺らいでいった。




「……うそ……」

 アリシアは、まるで信じられない何かを目撃しているかのように、茫然としていた。


――……気配を感じなかった……――


 確かに、前方の魔物達に気を取られてはいた。だが、アリシアとて精霊使いの端くれ。周囲の警戒を怠ってはいなかった。いなかった、筈だ。

「お姉ちゃん!?」

「!」

 ライリーの声に、思考が呼び戻される。茫然としたのは、一瞬だった。

「ナーシャ、掟霊解放」

 自身が契約する雪豹の姿の精霊に、契約主(あるじ)として呼び掛ける。

 セオドアとユンも、戦闘終了直後の不意を突かれた事で出遅れていた。今彼女に一番近いのはアリシアだ。

 愛称で呼ばれたアナスタシアが、自身の身体に宿るのが解る。意識まで奪われないように、尚且つ動きを阻害しないように、身体の支配権を明け渡し、アリシアはアナスタシアに身を委ねていく。

「『……“銀雪双剣(ぎんせつそうけん)”……』」

 白銀に煌めく双つの短剣が、アリシアの両手に具現化される。アリシアの身体で跳躍したアナスタシアが、彼女に巻き付く蔓だけを、細切れに刻んでみせた。




 息を呑むような緊張感を伴う魔物達との戦闘は、セオドアとユンが勝者となった。

 安堵の吐息を洩らすのが、隣の彼女と重なった。だから、声を掛けようとして、

「お姉ちゃん!?」

 放たれた声音は、焦燥と驚愕に高められた。

 後方から伸びている蔓のような何かが、彼女の首筋に巻き付いている。蔓状の何かは本数を増やし、彼女は後方へと引き寄せられていく。

 蔓の伸びる先を目線で追えば、一本の巨木。その巨木の根元に空いた巨大な(うろ)から、全ての蔓が伸びている。蔓状の何かは、彼女を洞の中に引き摺り込もうとしていた。

「『……“銀雪双剣”……』」

 聞き覚えのあるアリシアの声と、聞いた事のない女性の声が同時に聴こえた。後ろ姿だけでは分からない、銀にも黒にも見える不思議な髪色の女性(誰か)の姿が、アリシアの身体に重なって視える。次の瞬間には、彼女に巻き付いていた蔓は、全て斬り刻まれていた。




「……ッ!」

 蔓から解放され呼吸に自由が戻った彼女が、喉を押さえ、激しく咳き込む。

 ライリーが呼吸の乱れた彼女に駆け寄る前方で、彼女の身体を背後に庇ったアリシアが、巨木の洞を鋭く睨む。


「……あら?斬られちゃったわ」


 巨木の洞が言葉を発した。否、洞の中に何かが潜んでいる。

 セオドアとユンが、アリシアと並んで巨木と対峙した。精霊使いの三人は、それぞれが具現化させた武具を構えている。

 巨木の洞は陽光を拒否するかの如く、闇が口を開けていた。その深淵めいた闇の中で、何かが蠢いた気配の刹那、無数の蔓が凄まじい速度で伸ばされた。

「ッ!」

 息を呑んだのはセオドアで、舌打ちしたのがユンであろう。三人の精霊使い達は、三者三様に構えた武具で新たな襲撃者の攻撃に応じた。

 セオドアは弓で、ユンは槍で薙ぎ払い、攻撃を妨害された蔓をアリシアの双剣が斬り捨てる。

「あら、残念」

 言葉の割にちっとも残念そうに見えない態度で、巨木の洞から現れたのは一見、人間の女性に見えた。だが当然、人間の女性の筈がない。その証であるかのように、女性の髪は先程アリシアが斬り刻んだ蔓と同じものだった。

「……魔族なのか?」

「えぇ。末席に連なる者よ」

 セオドアの問い掛けに、肯定が返される。魔族がいた、という事実に精霊使い側に緊張が走った。

「……?……あっ!」

 魔族を名乗る女性の容姿(すがた)に既視感を覚えたライリーが、脳裡からその答えを手繰り寄せる。

「さっきの……!」

 ライリーが遭遇した、少女に似た何か。洞から現れた魔族を名乗る女性には、何故か疑似餌だと感じた少女の面影が見て取れる。

「あら?貴方、採り損なった(・・・・・・)子ね。摘まれに来てくれるなんて嬉しいわ」

 魔族の髪が――蔓がうねりながら伸ばされる。ライリーと彼女に向かったそれは、やはりアリシアの双剣によって防がれる。

「……やらせない」

「あらあら、焦らなくてもみんな養分にしてあげるのに……」

「養分だと……?」

 不可解な女魔族の発言に、ユンが声を洩らす。

「そうよ、みんなで樹になるの。だから何人か集めたのだけど、あまり良い養分じゃないのよね……それで誰でもいい訳じゃないって分かったの。貴方達みたいに、見える子じゃないと栄養にはならないんだって」

 だから餌を作ったのだと、女性の姿の魔族は語る。

「……餌……」

 ではやはり、少女は疑似餌だったのだ。ライリーは感覚的に、無意識の内に、正解に辿り着いていたらしい。

「餌が見える子は栄養になるの。だからさっきは失敗して悲しかったわ。でも貴方達のほうから来てくれた。嬉しいわ」

 それに、と、魔族は続ける。

「そこの貴女は、とってもあたたかいから……」

 ぼこっ、と、彼女の(そば)で土が盛り上がり、地中から蔓が飛び出した。


「どうしても、欲しいのよ」


「ぁっ!?」

「なっ!?」

 蔓に巻き上げられて、彼女の身体が空中高く舞い上がる。

 地中から蔓を伸ばしていたのだろう。女魔族の髪は、大地に突き刺さっていた。繰り返された単調な攻撃は、これを気付かせない為だったのか。

 驚愕に声を洩らしたセオドアが、女魔族に弓を構える。しかし、射る態勢のセオドアよりも、狙いを定められた魔族の方が優勢だった。

「あらあら、いいの?射られたら痛くて、きっと離してしまうわよ?」

 蔓に拘束された彼女は、周囲の樹木よりも高い位置にいる。あんな高さから落とされたりしたら。

 優位が解っているからこそ、魔族は「欲しい」と宣言した彼女を地上へ、自身の傍へは近付けない。地上で彼女を盾にしたところで、こちらは三人。魔族への攻撃と彼女の救出に、充分手が足りる。だが、魔族の攻撃に対処しながら、あの高さからの救出となると。

「……あたしがナーシャで飛ぶ」

 アリシアが、魔族に悟られないよう囁いた。それは言外に、救出までの時間を稼いで欲しいとセオドアとユンに伝えてくる。

 セオドアとユンで女魔族の注意を逸らし、その隙にアリシアが空中に到達、待機する。セオドアとユンが攻撃を仕掛ければ、女魔族は宣言通り、彼女に巻き付けた蔓を離すだろう。そこでアリシアが蔓から離された彼女を救出する。

 アリシアの契約精霊であるアナスタシアには飛行能力があるが、精霊の見えない彼女を乗せる事は出来ない。必然的にアリシアがアナスタシアで救出に行けば、アリシアの腕力のみで彼女を地上まで生還させる事になる。

 加えてアリシアがアナスタシアに騎乗する為には、現在行使している憑操術を解除しなければならない。契約精霊は、精霊使いを通してしか、精霊術を行使出来ない。当然掟霊解放を解除すれば、アリシアには女魔族の攻撃に対抗する手段がなくなり、無防備な状態での救出となる。

「ほかに方法、ある?」

 セオドアの葛藤を封じるように、再びアリシアが囁いた。

「……分かっ」

「ぁああああああああッ!?」

 セオドアの了承が、突如上がった叫び声に掻き消された。絹を裂くような甲高さを伴って、女魔族の口から絶叫が迸る。

「なんだ!?」

 叫声と共に、異臭と異音が立ち込めた。樹木が燃える独特の焦げ臭さが、周囲を満たしていく。

 魔族が、燃えていた。身体が炎に包まれている。

 炎は激しく燃え盛り、それは女魔族の髪である蔓部分にも及んでいた。

「ナーシャ!」

 アリシアがアナスタシアを呼び、掟霊解放を解除する。次の瞬間には、アリシアはアナスタシアに騎乗していた。

 アリシアを背に乗せたアナスタシアが、空中を飛翔する。アリシアが彼女の高さに到達するのと、彼女に巻き付いていた蔓が焼き切れるのとが、ほぼ同時。意識を失ってしまったらしい彼女を両腕で抱えたアリシアが地上に降り立った時には、女魔族の身体の炭化が始まっていた。

「……あぁ……!まさか、そんなっ……」

 まだ辛うじて意識があるらしく、魔族は弱々しく言葉を紡いでいる。誰に聞かせる訳でもない、途切れ途切れの独白は、徐々にその声量を落としていく。


「……御、赦し……下さい……!陛下ッ……!」


 赦免を求める言葉を最期に、魔族の身体が焼け落ちた。

「……陛下……?」

 最期の言葉を聞き取ったセオドアが、小さく呟く。魔族が〝陛下〟と呼ぶ存在とは、つまり……。

「……まさか……」

 脳裡に浮上した自身の予測を、セオドアは即座に否定した。思考を振り払い、ライリーに彼女を預けているアリシアの(もと)に歩み寄る。

「彼女は?」

「気絶してる」

 彼女は、座り込んだライリーに抱えられていた。完全に意識を失っている彼女の傍を、ティティーが心配そうに飛んでいる。

「――おい、来てみろ」

 魔族の現れた樹木の洞を覗き込んで、ユンが声を上げた。

 ユンと同じように、セオドアが洞を覗き込む。洞の中には、数名の人間が捕らわれていた。サイラスが発見した馬車の御者と(おぼ)しき人物の他に、旅人や商人らしき姿の者もいる。皆一様に樹木の蔓に巻き付かれ、意識を失っていた。しかし、衰弱はしているようだが、全員生きてるらしい。

「蔓が脆くなっているな」

 ユンが蔓を掴んだだけで、御者達に巻き付いていた蔓は割れ、ボロボロと崩れていく。手に残った破片を、ユンが煩わしそうに振り落とした。

「人手がいるな……アリシア!悪いが村まで飛んでくれ!」

「分かった」

 全員で下山するより、アリシアがアナスタシアで先行し村から人を呼んでくる方が良いと判断したセオドアが、アリシアに声を掛ける。

 そこからは早かった。アリシアがアナスタシアで飛び立って、すぐに戻って来た。徒歩でもあまり時間の掛からなかった距離は、アナスタシアにとって瞬きのようなものらしい。

「馬車で来てくれるって」

 馬車が出せないと言っていた御者に話が出来たらしいアリシアが、簡潔に報告した。

「彼女、気が付いた?」

「いや、まだ……」

 ライリーに抱えられたままの彼女は、未だ意識を失ったままでいる。

 彼女はそのままライリーに任せ、セオドア達は御者達の救出に取り掛かった。と言っても脆くなった蔓を取り払うだけだが。




 セオドア達が魔族に捕らわれていたであろう人達の救出をしている傍らで、ライリーは彼女を抱えたままでいた。傍ではティティーが心配そうに彼女を見ている。

 彼女が女魔族の蔓に巻き上げられて、空中に捕らわれた後。魔族の身体から炎が上がった。その炎に焼かれて、あの女魔族は燃え尽きたように見えた。


――……でも、本当は……――


 セオドア達は、目の前の魔族に意識を向けていた。でも、ライリーは空中にいる彼女を見ていた。だから、気付いた。炎の発生元が(・・・・・・)彼女だった事に(・・・・・・・)

 炎は彼女に巻き付いていた蔓を伝って、女魔族に到達していた。

 どうしてそんな事が起きたのか、ライリーには解らない。あれはライリーには視る事の出来ない、彼女に纏わり付く炎が関係しているのだろうか。

「……、……」

「!お姉ちゃん!?」

 彼女の瞼が僅かに動き、ゆっくりと開かれた。緩やかに首を回して視線を彷徨(さまよ)わせている。

「……ライリー君……」

 定まらずにいた彼女の瞳が、ライリーを映して……、

「……ぇ……?ぁっ……ごめんなさい……!」

 一瞬で状況を把握した彼女が、慌てて身を起こす。年下の少年、それも弟同然に思っている相手に寄り掛かっていた、という事実に彼女の頬が羞恥に染まる。

「……あの、どうなって……え?魔族は……?」

 彼女は魔族の蔓によって空中に巻き上げられた後、不意に意識が遠退いてしまったらしい。

「……あ、えーと……なんか、燃えた」

「なんか燃えた……?」

 あの一連の状況を、ライリーは上手く説明出来ない。炎の発生の事も含めて、出来ればセオドア達に相談したかった。

「よかった。気が付い……!?」

 全員の蔓を取り終えたらしいセオドア達が、洞から戻って来る。彼女が意識を回復した事を知り、セオドアが浮かべていた安堵の表情が、彼女を見た突如に強張った。

「?セオドアくん、捕まってた人達は……?」

「え?あ、あぁ……御者と併せて、全員で五人。意識はないが、目立った外傷はない。大丈夫だ」

 ライリーの問い掛けに、表情を緩めてセオドアが答える。後は馬車の到着を待って、全員を村まで運べばいいだけだ。

「……おい、言わないのか?」

「……二人には視えてない……」

 ライリー達に気付かれぬように、小声で話すセオドア達の瞳が彼女を見ている。

 彼女を取り巻いていた炎は、まるで初めから存在しなかったかのように、彼女から消失し(きえ)ていた。




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