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双魔の宿業編 第四話―復讐―




 自身に届いた微かな声を、イーサンは生涯忘れ得ぬだろう。強奪された支配権から解き放たれた事を証明する、友人(ランファオ)の最期の声音(それ)を。

 びくり、と反応した肩で、預かる頭部(あたま)の重みが増して。全身から力が抜けて、友人(とも)生命(いのち)喪失し(うしなわれ)たのだと理解した、あの瞬間。

 憤怒。悲哀。絶望。それ等全部(すべて)の激情を撥ね除け、最前列に並んだ感情(おもい)。それは、復讐心だった。

 氷蒼の瞳から読み取った好機と、魔族の尾に貫かれた身体の生存率。己の葛藤とを天秤に掛けて、傾いた先に実行した友人殺し。あの場で止めを刺さなければ歪に引き延ばされた生命(せい)のままに、(まさ)しく肉体が朽ちるまで、ランファオの身体は使い潰されていただろう。精霊の成り代わりと同等、否、それ以上の蹂躙と、尊厳を踏み躙る悪辣な行為等イーサンが許容出来る筈も無い。

 だが、かの魔族はその老獪さで以て、またも死を逃れてみせたのだ。

 あの瞬間に裡から迫り上がった衝動は、正直筆舌に尽くし難い。

 確実に進行していた融合を、穂先が抜けた僅少の隙を突いて中断。更に、狩り(・・)から逃亡への鮮やかな転身。恰も断末魔の如く苦鳴を迸らせる、という小賢(こざか)しい演技(まね)まで披露した魔族は、それまで幾多の戦績をそれ(・・)に因って飾ってきたのであろう事は疑い無かった。

 認めよう。未熟であったと。が、若輩の身と侮る事も、いい加減にしてもらおうか。

 世に在る負の感情全部(すべて)が身の裡で綯交(ないま)ぜになったまま、友人(とも)躯骸(からだ)を優しく横たえたイーサンは、次の瞬間跳躍を合図に一方的な再戦を仕掛けた。溢れる激情に身を(まか)せる若き主君(坊っちゃま)を鼓舞する事も、嗜める事もせず。甲羅を背負った小柄な老婆は、只、契約主(あるじ)の意を汲み、忠実に従った。憤怒(いかり)に震えているのは、なにもイーサンだけではない。

「もう逃がさん……!」

 初めてで唯一を奪われた、許し難き憎悪の存在へと、イーサンの身体は構えた斧槍を振るった。一対一でも一対多数でも一定以上の戦果をあげ、その真価を遺憾無く発揮する武具を使いこなせるだけの技量と身体能力は、既にイーサンに備わっている。

 間断無き、という言葉が王座を明け渡す程に激しい猛攻。断たれた肉片ですらも攻撃(その)対象と補足し(とらえ)たのは、塵化という猶予すら与える事無く世界からの消滅を望むが故だった。

 自身の裡に斯様(かよう)激情(はげしさ)があった事を、あの時イーサンは初めて自覚した。己は誰かの為に、こんなにも必死になれるのだ、という事も。

 その報酬(むくい)は勝利として、即ち仇討ちの達成として与えられた。

 苦鳴ではなく怨恨と呪詛を吐き出して、醜悪な肉体が今度こそ完全に消失した(のち)創造主(あるじ)とその運命を共にする狭間(空間)からは、イーサンだけが帰還を果たした。ランファオの躯骸(むくろ)は、崩壊に呑まれてしまったからだ。戦闘(たたかい)に巻き込まぬように、と、距離をとっていた事が逆に災いし、鳴動と轟音が形成した底無しの沼にイーサンは文字通り足をすくわれた。平衡を失った肉体では跳躍も間に合わず、落ちる身体は、伸ばした腕の指先は、沈みゆく友人(とも)に届かなかった。

 それから。見覚えの無い何処かに立ち尽くす己だけが帰還し(かえれ)たのだと、理解、否、納得するまでに、暫しの時を必要とした。

「……ランファオよ……」

 (いら)え等ない事を承知の上で紡がれた少年(過去)声音(こえ)は、乞うような寂寥に(まみ)れたまま、現在(いま)自身(イーサン)の裡にある。


「……賞賛の言葉もくれんのか……」


 あの表情(かお)で、あの声音(こえ)で。素直な感情の高揚を曝け出される度に、背筋をむず痒さが這い上がった。不快、ではなく、不可思議。それが嬉しいという感情であると判明し(わかっ)たのは、もう二度と聞けない声音(こえ)だと理解し(わかっ)てからだった。




 遠き日の追想を終えた黄金から、急速に熱が冷めていく。

 懐古の情感に浸れる事は知性を有するが故の特権であろうが、理性で以て溺れる事を制するもまた、肝要である。遠き(あの)日に戻り、そして変える事等、決して出来はしないのだから。

 嘆息と瞬きを契機と為して僅かな名残を絶ち切るように天空を仰げば、蒼穹に相応しい白が遥かなる高みを游泳して(およいで)いく。

 己と同様に魔族に対する復讐心に支配された、年若い娘との邂逅。雨の降る日に端無(はしな)くも出逢った娘は今も、身の裡に仄暗い決意を飼い続けている。

 成し遂げた後の虚無感(むなしさ)寂寥(さびしさ)、暗澹たる充足感等、説いたところで無意味である事を、イーサンは知っている。個人(ひと)が何を思い、決め、為すか等、他人(ひと)が口を差し挟む問題(もの)ではないのだから。







 己が敵手にと望んだ相手は、人間(ひと)を惑わす精霊の森の守護者。御三家等と謳われる銀のヴァレンティン家当代当主、アルフレッド・ヴァレンティン。《不帰之森》から座して動かず、森林(もり)の外へは滅多に出ない神秘性と未知数の実力(ちから)に興を刺激された男性(おとこ)は、未だ掟霊解放どころか憑操術さえ行使せ(つかわ)ずにいた。

 その事に些かの落胆を感じつつも、主菜の前には前菜も付き物か、と、金剛はもう一人の標的へと意識を移す。

 それこそ降って湧いたという表現が似つかわしい乱入者は、己が気まぐれに滅ぼした村の生き残りだという。


――……いやはや、陛下の復活までは正直退屈を持て余しておりましたからなぁ……――


 桃色の髪を結い上げた女性(おんな)の藤色の双眸に、暗澹とした復讐の色を感じ取る。

 唯一にして絶対たる王の覚醒(めざめ)をひたすら待った、千という歳月(としつき)。待つ身とは斯様に無聊(ぶりょう)なものかと、日々を無為に過ごす事には早々に飽いて、退屈凌ぎに襲撃した街や村等数知れず。気まぐれで集落や村、街に下りては王が憎悪する人間を屠った。

 故に、というよりは当然ながら、金剛にとって面前で復讐に燃える女性(おんな)等何らの感慨も湧かぬどころか食指も動かず、実のところ興さえ乗らない。正直、煩わしい羽虫にも劣る存在だ。あの時の生き残りだと言われたところで、どの時だ、という話だ。愚かな人間風情が住まう場の名等、いちいち把握していられるものか。

 が、相手取るもまた一興かと思考を改め、戦闘(たたかい)に応じてやる事にする。(これ)まで通り挑んできた者達同様返り討ちにして、土へと還してやれば良いだけだ。

 秀麗な舞を披露するかのように、赫の扇が翻る。全身から立ち昇る揺らめきは(まさ)しく、陽炎の如し。かの女性(おんな)の契約精霊とやらの属性は、間違いなく“火”であろう。陛下の側近たる一番、ジュディスと同様の(おなじ)属性だ。

 だが、所詮は脆弱な人間(ひと)の肉体に宿り行使する精霊術(ちから)。あの苛烈なる炎とは、それこそ天と地程に埋められぬ差がある筈。

 扇から放たれた火炎(それ)防護す(ふせぐ)べく、金剛は軽く腕を振った。それだけの動作(うごき)構築さ(きずか)れた土壁は、容易く炎の進撃を妨げる。まずは小手調べ、といったところか。

 中距離からは当てられないと判断したのか、タニアと名乗った精霊使いが前に出る。否、実際に肉体を操作し(あやつっ)ているのは、憑依(おろ)している精霊だろうが。

「『……“烈火”』」

 跳躍、からの、精霊術の発動。先程よりかは速度と威力の増した攻撃は、飛矢の如き直線を描き金剛の頭上へと迫る。

 浅はかな、と嘲る気も起きず右腕を振り、高度(たかさ)硬度(かたさ)を増幅させた土壁で以て威力(ちから)を殺す。まさかこの程度の土壁(かべ)すら破れぬ者が復讐を志すとは、と、三つ首の口元が歪む。

 夢見鳥の演舞めいた動きは見事だが、それだけだ。扇を携え舞い踊り、放たれる炎。攻撃全てを阻まれてなお闘志を宿す藤色の煌めきに、憐憫を通り越して感嘆が広がる。が、幾ら見納めが惜しいとは言え、いつまでも前菜を食んでばかりもいられまい。

 翅や翼無き矮小な人間は、大地という名の足場が在って、初めて立てる劣悪な種族。寄る辺を崩してしまえば終幕(おしまい)。前座としては立派と言えた面前の踊り子には、そろそろ御退場願おうか。

 先に逝っているのであろう皆の元へと送ってやろう。慈悲の心で以て幕を下ろすべく腕を振るえば、周囲一面が陥没する。

 舞台を壊された哀れな舞手(まいて)は、為す術も無く傾覆した。結い上げた髪が(ほつ)れて乱れる。

 一番には慢心が故の敗北と言ったが、やはりこればかりは止められない。饗される勝利の美酒を食前酒として飲み干してから、次なる獲物を食卓に載せんと追撃を仕掛ける。伏した女性(おんな)を埋葬するべく大地を隆起させた相貌が、愉悦ににたり、と嗤いを形成し(つくっ)た。死が舞い降りる瞬間に人間が浮かべる絶望の表情(かお)は、金剛にとって最上の肴だ。

 絶望に魅入られた藤色は、どう歪むのか。しかし、金剛を見据える煌めきには、絶望等見当たらない。往生際の悪い足掻きでも、諦めないという気迫でもない、冷静で怜悧な瞳。

 金剛は知る(よし)もない事だが、その眼差しはイーサンのそれに酷似していた。桜色の口唇から、小さな呟きが落とされる。

「……そう、その貌よ……私の故郷を滅ぼした時も、貴方……同じ表情(かお)をしていたわ……」







 信仰心、という精神(もの)を、タニアは持ち合わせてはいない。この世界を構成し、創造した唯一神、アイラの神話はタニアにとって只の知識でしかない。

 信者を愚者(おろか)という気は無いが、全てを救うと宣いながら、救われなかった者には信仰心が足りないのだと嘯く等、それは、随分と虫が良い言葉(はなし)ではないか。

 ()とは()し、()存在(モノ)。全智全能で全てを救う、等といった甘言は信者(・・)貯蓄し(たくわえ)()ける為の戯言だ。

 最も、創造神であり唯一神でもあるアイラの神話には、全智全能であり、全てを救う、等といった逸話(はなし)は一切登場し(出てこ)ない。世界創造という壮大な偉業が、いつしか全智全能と結び付けられ、それ程の力が(神で)あるのなら、と、希望で以て全てを救うという幻想(まやかし)がが付属したのだろう。

 救われなかったから幼子のように意地を張って、駄々を()ねているのだと、敬虔な信者(もの)は言う。例えそれが真実でも何であっても、それでもあの日、あの時に、神とやらはタニアを救わず、救ってくれたのはイーサン・ブラッドレイという名の青年(人間)だった。

 だから、タニアは神に祈らない。希望や未来を託したりしない。タニアが信じ、無事を祈り、希望や未来を託す相手は自身であり、イーサンであった。

 二人だけの狭い世界は、ユンが生まれて三人になった。そして今は、もっともっと沢山の人間(ひと)がタニアの世界の裡にいる。息子の友達だと言ってくれたあの子達の無事を、タニアは心から祈っている。

「――参戦させて頂くと言った以上、手を出さないで、なんて言うつもりは毛頭ないわ」

 寧ろ、共に戦わせてほしい、と。

 火蓋を切る直前に、タニアはアルフレッドに告げた。最も自身の宣言で、既に眼前の魔族との因縁はおおよそ把握しているだろうが。

 タニアの悲願は復讐を成す事。それは誰にも邪魔させない。だからこそ、手段なんて選ばない事を、タニアは最初から決意していたし、そもそも魔族相手の戦闘に精霊使いとは言え脆弱な人の身で挑むのだ。数の差等、卑劣の内にも入らない。

 互いに相手が精霊使いという事しか知らず、互いの契約精霊の属性、延いては戦闘手段である武具すら知らずの共闘は最早、好手を通り過ぎて無謀に近いがアルフレッドはタニアとの共闘を了承した。

 その深意を探る時間等当然与えられておらず、また、必要性も無い。だが互いの手を知り尽くすが故に綿密な戦術を立てて臨む、といった戦法が選択肢外である以上、勝利への布石を打つ為に最も有効な手は何か。

「……先に私が仕掛けます。機を窺って頂いても?」

「勿論。寧ろ好都合です」

 私のシスターにとっては、と。

 密やかな内約を交わし、復讐者は舞台に上がった。魔族の目と攻撃を惹き付ける囮役を買って出たタニアの舞いを更に引き立て鮮やかな色を加える為に、アルフレッドは憑操術を行使せずに気配を希薄し(うすめ)て自らの存在感を消し去った。観客にすらならず、宛ら野外舞台の樹木の一本であるかの如く只悠然と、そしてひっそりと佇む。アルフレッドのその様を、参戦の意思無しと断ずるように。

 やがて此方の読み通り、戦闘(たたかい)の間隙を縫って届いていた魔族の視線がタニアへと集束する。

 標的を一人と見定めた上に、決着を早めんとする攻勢。更には己が魔術に因る相手の転倒が重なった事で勝利を夢想した三つ首の魔族の口元全てに、醜悪な嗤いが描かれる。被っていた老紳士の皮すら脱ぎ捨て浮かべた嘲弄に、精霊の森の守護者が動いた。

「――シスター、掟霊解放」








「『“青糸鞭(せいしべん)”!!』」


 落ち着いた男声に、可愛らしい幼女の声が重なりあって放たれた言葉は、アルフレッドの契約精霊、シスターが具現化する武具の名称(なまえ)

 その武具は、お世辞にも実戦向きとは言い難い形状を成していた。空を切り裂く風の()に唸る、しなやかな枝条(えだ)。そこに連なるは、いっそ瑞々しさすら感じる青緑の葉群(むれ)

 細く長い紐状の武器である〝鞭〟という名の示す通りに、それは柳の枝葉を模した、否、柳の枝葉そのものであった。

 一般的に調教や懲罰に用いられ皮膚に直接打撃を与える事に特化しているが為に打たれれば強烈な痛苦が伴う一方で、対象を死に至らしめる程の破壊力(ちから)は無い。だが、加速度に因り威力を増幅させる先端は、鋭利な刃物に匹敵するだけの切断力を有する事も、また事実。

 扱いによっては近、中、遠と全ての距離に対応出来、尚且つ殺傷力の調整も可能。その一方で、重装備の相手には無力であり、使い(こな)すには相応の技量が要求される。

 故に武器としては量産されず、普及、発達する事のなかった、異端なるもの。

 ひゅん、と、風が鳴る。

 手首の捻りが顕現する武具の末端にまで忠実に伝わり、柳の枝葉に蛇の如き疑似的な生命(いのち)が吹き込まれた。しなやかであるが故に軽やかに、また力強く。

 うねりを帯びて接近する武具に対し、間髪入れずに築かれた土壁を突き破り、青緑の蛇は獲物と定めた相手に迫る。

「ぐっ!!」

 回避は間に合わず、高音と共に柳の鞭が牛頭を激しく打ち据えた。縦横無尽に空を駆けるかの如く、奇怪なる蛇に追撃の意思を確信した三つ首の魔族が、醜怪な舌打ちと共に再度己の右腕を振る。

「『……ぅおっとぉっ!?』」

 武具の使用者ごと沈めんと大地を走った亀裂が直後、アルフレッドの足を捕らえた。

 精霊使いが体勢を崩せば、行使する武具も威力を失するは必然。しかしアルフレッドの――シスターの意思等不要であるかの如く、蛇行する鞭の速度は落ちない。まるで武具自らが攻撃すべき対象を認識し、自動で追尾しているかのようだ。

「なにっ!?」

 今度こそ、金剛から驚愕が迸る。

 今一度(いまひとたび)の舌打ちと共に腕が振るわれ、侵攻を強引に(・・・)中断するべく隆起する大地が、迫り来る蛇へと落とされた。埋没した武具に降り注ぐ嘲笑(あざけり)を振り(ほど)き地中から跳ね上がった柳鞭が、最早老紳士とは称せぬ風貌の魔族の体躯に絡み付き、そのまま強引に(・・・)引き倒す。

「ぐぁっ!!」

「『恐れ戦け!儂の鞭は必ず当たるのじゃ!!』」

 嬉々として告げた半人半猫の精霊の両眼(まなこ)が、黄金の煌めきを増した。







 油断とは、そうと気付いた時には、取り返しのつかぬ事態へと発展する事が多い。が、全てがそうなる訳でもない。今ならばまだ、勝機が手の内から零れ出る前に、凱歌をあげる事が可能だ(出来る)

 優雅さとは真逆の乱雑さで以て地面へと叩き付けられた肉体に、痛苦を齎し纏わり付く柳の蛇の拘束が強まる。恰も本物の蛇であるかのように此方を締め上げる武具を操る男性(おとこ)の姿を、左右の牛の眼が睨め付けた。

「『さて、抵抗せねば命は助けてやろう……とは言えぬ。悪いが死んでもらうぞ?』」

 アルフレッドが手首を捻り、そのまま腕を振り上げる。途端、押さえ付けられていた金剛の体躯も大地から離れ、宙に浮く。

 頭上より高く振り上げた腕を、今度は勢い良く振り下ろす。持ち手から下る指令は落下だ。

 未だ拘束を受ける肉体では、大地への衝突を回避する事は不可能。しかし、先程よりも激しい衝撃が伴うとは言え、この程度の打撃では致命傷にすらなり得ない。どころか、創傷は軽微であろう。隙を窺う為にも無駄な動作(うごき)は避けるが吉かと衝撃に備えた体躯(からだ)が不意に、拘束から解放される。

「――ッ!?」

 中空で得た予期せぬ自由に理解が追いつかず、一瞬、脳が混乱を(きた)した。その破間(やれま)を貫いて視界に焔が舞い躍る。

「『“火焔”!』」

 無様に伏していた筈の女性(おんな)が跳躍に因って面前に並んだのだと、本能が警鐘を鳴らして訴えた。全身に生じる熱さと、己が肉体の焦げ付く異臭が、不快に金剛の嗅覚を捕える。

 墜落という手段によって大地に帰還を果たした己とは対極に位置する優雅な姿勢を保ったままで、炎を行使する精霊使いが、ふわり、と、舞台に舞い戻る。

 愚昧な人間風情に創傷を許した憤怒が、ひりつく焦燥と同盟を結び咆哮と化して魔族の口腔(くち)から溢れ出た。

「この……っ!人間風情がぁあぁあぁあぁっ!!」

 猛り狂った野牛の如き喚声を掻き消す、(あで)やかな笑声。赫い扇が口元を隠せば、蒼の飾り房が陽炎のように揺らめいた。

「――嫌だわ、ちゃんと言ったじゃない……二対一だって」







「『其処な者、今が好機じゃ!一気に畳み掛けようぞ!』」

 追撃を仕掛ける最大の好機は正に今だと、半人半猫の精霊が契約主(あるじ)の口を借りて言い放つ。其処な者、との二人称を使用したのは、互いに名を名乗る暇無く戦闘へと縺れ込んだが故であろう。

 呼ばれた巨鰐(わに)の精霊は、頷きという名の肯定で以て(いら)えてみせた。その動作には、二人称(呼び方)に対する嫌悪や拒否の情感はない。些末な事、というだけかも知れないが。

 青緑の鞭が唸って、赫い扇が翻る。迸る炎の助勢となるようしなった柳の蛇が、殴打ではなく拘束の意思を宿したと覚った三つ首の魔族の、双肩の牛頭が叫喚の一声(いっせい)を放つ。

 耳を劈く絶叫に呼応する大地が鳴動と共に隆起して、その直後に陥没する。高度と硬度を撥ね上げて築かれる土壁がタニアとアルフレッドの四方を包囲した(かこんだ)傍らで、軟度と粘度に干渉を受けた足下は急速に沈み込んでいく。

「『ッ!?』」

「『んなっ!?』」

 泥濘に捕らわれた両足に体勢を崩される僅かな隙に完成した土壁は、精霊使い二名の頭上へと到達し、陽光を遮り、外界との境を完全に封鎖した。齎された暗闇の中で、地鳴りめいた嘲弄が響く。

「……死に様を拝見出来ぬのは誠に遺憾ですが、精々最期の瞬間まで足掻く事ですな……!」

「イェンロン!」

 契約主(あるじ)たるタニアの呼び掛けに、揺らめく炎が行使される。燃え盛る火焔(ほむら)を光源と為せば、地属性の魔術によって造形さ(つくら)れた牢獄の全容が浮かび上がった。

 牢獄(それ)は、穹窿(きゅうりゅう)の構造をしていた。周囲の壁は光沢を帯びる程に平滑(なめらか)で、凹凸等一切見当たらない。頭上は流線型の円蓋に因って塞がれて、足下では砂と泥の混成軍が液状化を誘発し、流砂に縛められた足首は早くも沈降を開始している。

 微かに響く重低音の伴侶を主張するかのような震動は、恰も土壁が迫ってきているかの如く錯覚を、否、少しずつ(せば)まってきている?

 閉ざされた天井と壁とが獲物を弄ぶかのように(にじ)り寄り、徐々に近付く空間の猶予を思考する間にも身体は沈む。このまま手を(こまね)いていては、何れは泥濘(どろ)の底を終の寝床とする羽目になるだろう。

 動いたのは、シスターだった。

「『“榕樹”!囲め!!』」

 アルフレッドの右手が上がる。手のひらから放たれた種子(たね)は空中で発芽して、瞬きの間に一本の樹木へと変貌を遂げた。ふくりとした幹から垂れ下がる無数の気根に支えられ、胎内(うち)に空洞を孕んだ樹木は、アルフレッドとタニアを土壁から防護せんと覆い尽くしていく。

「『……牢獄(おり)の素材が土から木へと変わっただけだが……?』」

 互いに交差し絡まり合う気根に阻まれ、確かに土壁の進軍は停止した。が、イェンロンの発言通り、現状の打破には至っていない。精霊使い二名の膝は、既に泥中へと呑み込まれている。

「『なんの!ここからよ!!』」

 樹木の成長は止まらない。幹を支える気根は更に太く逞しく、陽光を希う枝葉は邪魔者を排し自由への解放を訴える。円蓋と枝葉が肉薄し、(せめ)ぎ合う双方の勝敗に決を下したのは、光を願い、高みを目指す生存本能。

 初めは、小さな亀裂だった。亀裂はやがて四方に走り、罅割れ、裂けて、そして。

 ――断末魔の如く轟音を最期に、円蓋は崩壊の序幕(まく)を開けた。




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