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双魔の宿業編 挿話―青き狼の追憶―




 (ファ)(ラン)(ファオ)という名は、少年が生命(いのち)の次に両親(おや)から与えられたものだった。

 父親(ちち)から受け継いだ蒼い髪と、氷蒼の瞳。双眸は色彩こそ冷ややかであるものの、裡に宿した好奇心が故にくるくるとよく動く。おまけに髪は何度梳かしてもあちこちに暴れ跳ねるので、瞳や髪まで元気だ等とよく言われたものだ。

 名前の意味は、〝青き狼〟なのだという。父親の生家(いえ)に古くから伝わる言語だそうで、その独特の言語(ことば)を使用していた始祖は《シェンナィ連山》を越えて来た流浪の民(ながれもの)であったらしい。

 父の生家であるファ家は、そこそこ続く精霊使いの家系と聞いた。ランファオが物心ついた頃から見える、自分達とは異なる容姿(すがた)の何か達。それ等が精霊である事と、精霊達(それ等)を見る事の出来る己は精霊の祝福を受けし者なのだという事も、ランファオは父から教わった。

 ランファオと両親の住んでいた家は、粗末と呼ぶ程ではないが、然程広くも大きくもなかった。だが、生活が苦しいものであったのだという事が解ったのは、ランファオが父の実家に連れ戻されてからだった。その時の事を、ランファオは生涯忘れないと誓っている。仄暗い人生の目標が出来たのも、それ(・・)が端緒であるからだ。

 思えばとても不可思議だった。母は兎も角、精霊使いとやらの家系である筈の父も、精霊の姿を見る事は出来なかったからだ。

 その運命の日の始まりの空は、気分を滅入らせるかのような曇天だった。

 正確な年齢(とし)は覚えていないが、恐らくは五、六歳であったと思う。その日、母からお使いを頼まれたランファオが帰宅すると、家には見知らぬ三人の男性が立っていた。その内の一人がランファオの姿を認めると、突然腕を掴んできた。何やら話していた声は耳に入らず、只、聞いた事も無い父の怒号と、母の喚声だけがランファオの耳朶を刺激した。

 両親と見知らぬ男性達との言い争いという理由(わけ)の解らぬ事態に、ランファオの精神が混迷を極めんとした、刹那。男性(おとこ)(たち)の中で一番年嵩の、老人と言ってよい一人が懐から何かを取り出した。凝った造形(つくり)の鞘から抜き放たれた銀光が父の胸元に吸い込まれ、次の瞬間、父の(そこ)から赤い花が咲いた。

 母の声の高さが増した。(それ)が悲鳴と気付いた時には、母にも父と同様の(おなじ)赤い花が咲いていた。その赤い花は両親の生命(いのち)を糧に咲くのだと主張するかのように、大輪に咲き誇るのと引き換えに床に倒れた二人はそれきり動かなくなった。どちらの瞳も涙で煌めいていた事だけが、この理由(わけ)の解らぬ事態の中で、ランファオが唯一理解出来た事だった。

 掴まれたままだった腕を引かれて、ランファオは家から連れ出された。少し歩いて、馬車に乗せられ。そうして連れて来られた屋敷が、己の実家であるという事。男性(おとこ)(たち)がランファオの伯父と叔父である事、老人が祖父である事を、その日、ランファオは初めて知った。

 そしてランファオはその日から、祖父の元で精霊使いとなるべく修行する事となった。

 混乱が静まる気配すら無いまま連れて来られて、精霊についての知識、精霊使いとしての戦闘方法(たたかいかた)を学ばされた。

 精霊についてを学び、精霊使いについてを知り得る中で、あの日両親は目の前で歪に笑う祖父に殺されたのだと理解した。




 歳月(とき)はランファオから無知を強奪し(うばい)、代わりに知識と達するべき目標を与えてくれた。

 精霊使いの家系(いえ)には祝福を受けし者が――延いては未来の精霊使いが生まれ易い。しかし、絶対ではない。明確な理由は定かではないが、精霊使いとは何らの関わりも、血の繋がりも無い家から祝福者が生まれるように、精霊使いの家系の中からも稀に精霊を見る事が出来ない者が生まれるという。

 精霊の祝福を受けられぬ者、精霊使いの家系に生まれる、精霊の見えぬ者。〝外れし者〟という呼称は、一部の歪んだ精神性を育んだ精霊使い達が使用する蔑称である。

 父の生家であるファ家は、そこそこ続く精霊使いの家系である。そして、現当主である祖父には三人の息子がおり、次男は外れし者だった。だから。次男であったランファオの父は、家に、祖父に、存在する価値無しと見做されて放逐されたのだ。

 家を逐われたランファオの父は、辿り着いた街で母と出逢い、互いに惹かれ合い、結婚に至った。仲の良い夫婦としてささやかに暮らし、母が身籠り生まれた子、それがランファオだった。

 幼い頃から耳慣れた生家の言葉を、父は息子に教えた。受け継いで欲しかったのかどうかは、ランファオには判らない。しかし、独特の発音による特有の言語に興味を示したランファオは、乾いた大地に水が染み込むように言葉を吸収し、習得していった。

 祖父等の手に因ってランファオが連れ戻された理由は、実に単純明快であり、故に実家(いえ)の都合が明け透けで、不快極まりないものだった。

 その理由――ランファオが〝祝福を受けし者〟である、という……只、それだけの理由(もの)

 外れし者と放逐した筈の息子の元に祝福者が生まれたと知った祖父は、己が契約精霊を用いて孫の居場所を特定した。精霊の姿を見、話す事の出来る精霊使いにとって、人捜し等魔物の討伐よりも容易い。

 自身の息子を外れし者として一族から放逐しておきながら、生まれた孫は祝福者であるという理由で一族の者だと主張する。幼さと混乱が故に理解出来なかった、あの日の言い争いの真相。一人でも多くの精霊使いを抱えていたいファ家(祖父)に因って、我が子を連れ去られてなるかと抵抗した両親は殺害された。自分(ランファオ)父親(ちち)は実の()から、不要だと棄てられた挙げ句に殺害(ころ)されたのだ。しかも、己だけでなく、ランファオの母(己の愛する人)までも。

 真実(それ)を知ったその日から、ランファオは祖父に従順になった。否、従順になったふり(・・)をした。身の裡に巣食う憤怒(いかり)が孕んだ目標の為に、心にもない言葉も口にした。精霊の見えない出来損ない共から救って頂き感謝します、と、微笑みながら話した時に、祖父が歓喜の涙を流す様を慰めながらも、心の奥底では嫌悪し、嘲笑し、軽蔑していた。


「――なぁ、オレと契約してくれよ」



『……受諾する』


 自身と契約する事になった精霊が異能持ちである事は、ランファオにとって嬉しい誤算となった。“雲”という珍しい属性を持つレィリィンと名乗った精霊は、人と鳥獣との特徴を備え、鉄紺色の翼と猛禽類の鳥足と、褐色の肌の偉丈夫だった。

 雲が太陽を覆い隠す事が出来るように、契約精霊(レィリィン)の異能――“隠匿”により、ランファオは自身の存在を特定の者達から隠せる事を知った。この異能は祖父を始めとした一族の誰にも明かさず、ランファオは只、精霊使いとしての修行に励んだ。そして十五になる頃にはファ家の培った知識も戦闘方法も全て身につけ、最早学ぶべき事はないと判断したランファオは、満を持して(・・・・・)実家(いえ)から出奔してやったのだ。血の繋がり等関係ないと父と縁を切ったファ家と同様に、ランファオも実家と縁を切ってやった。きっと今頃は血眼になって捜しているだろう、ざまぁみろ、だ。捜索の手はランファオの影を掴む事は出来ても、決して喉元には食い込まない。ランファオの存在は契約精霊の異能に因って、生涯(常に)実家から隠され続ける。

 買い与えられた私物は持てるだけ持ち出し売り払い、私財に変換し(かえて)懐を潤わせた。だが消費し続けれは、やがて底を付いてしまう。そうなる前に、ランファオは手を打つ事にした。

 即ち、組織や家に所属しない少数派――個人の精霊使いとして活動し、依頼を請け負う事にしたのだ。縁を切ったファ家は名乗らず、只のランファオとして。家名は絶対に、生涯名乗らぬと決意し(きめ)ている。

 家名という知名度も、後ろ盾も無い少年に対する信頼性の低さは、受けた依頼を完遂する事で補った。依頼料は足元を見ず、寧ろ他と比較すれば破格と言っていい程値を下げた上で堅実に依頼を遂行し、対応は常時(いつも)誠実を心掛ける。実家(ファ家)()者共(連中)の振る舞いとは真逆の真摯な態度が実を結び、ランファオは精霊使いとして生計を立てる事に成功した。


「すげー!こんなことあるんだな!」


 刎頚の友であると胸を張って答えられるイーサン・ブラッドレイとの出逢いは、実家(いえ)を出奔し丁度一年が過ぎた頃。

 ランファオにとっては初となる依頼の重複は、イーサンにとって何ら珍しい現象(こと)ではなかったらしい。黄金を熔かして流し込んだかのような双眸には冷ややかな鋭利(するど)さが煌めいていても、そこに驚愕は見受けられなかったから。

 けれど、鮮やかな深紅の髪から覗く黄金色に、見間違いかと思う程僅少(わずか)寂寥(さびしさ)諦念(あきらめ)を感じた気がして。

 同年代で、同じく精霊使い。そんな在り来たりな事が、親近感へと変化したのは、きっとその瞳の色彩(いろ)を見たからだ。

「オレはランファオ!よろしくな!」

 だから、話してみたいと思った。友情の切っ掛けは、そんな些細な気持ち(おもい)だった。

「……イーサン・ブラッドレイだ」

 顰められた眉に鎮座する煩わしさを敢えて無視して握手を求めれば、名を告げながら応じてくれる。そんなところにも好感を持った。本能よりも理性で以て礼節を重んじるが、表情(かお)には隠しきれない(さま)に生真面目さが滲み出るかのようだ。

「ブラッドレイ……って御三家の?確か〝紅の〟とかって……」

 ファ家で覚えた知識群の中から、該当するそれを引き上げる。他の精霊使い達と一線を画し、追随を許さぬ絶対的存在。併せて祖父の嫉妬と羨望に(まみ)れた口調が想起され、苦々しい感情を脇へと押しやり問い掛ける。相手は無言で(いら)えてみせた。

 沈黙は肯定かと納得し、この若さならば当主ではなく、しかし髪色から次代を担う跡取りだろうかと当たりをつけて、ランファオは少し考える。父から教わった言語の中から、〝紅〟と〝後継者〟を表す単語が浮かび上がった。

「んじゃあ、セキレイシって呼ぶな!」

「……は?」

 紅のブラッドレイと呼ばれる家系(いえ)の後継者にはぴったりな綽名だろうと満足し、そう呼ぶ事を勝手に決めた。よく考えればイーサンはブラッドレイを名乗っただけで後継者かどうかをこの時のランファオは知らなかったのだが、結果として後継者だったのだから良しとした。自分だけが呼ぶ特別な綽名、というものに憧れがあったが故の暴走であった事は否定しない。

「いいだろセキレイシ!」

「……」

 実家は大嫌いだけれど、両親は好きだ。尊敬している。今も。

 故に、嫌いな実家(いえ)言語(もの)だろうと、好きな父から教わった言語(それ)をランファオは使用する(つかう)。冷ややかを通り越し最早氷河の如き眼差しでランファオを一瞥し歩き出したイーサンの後に続きながら、綽名の由来を説明(口に)した。

「父さんから教わった、オレの家に伝わる言葉なんだ!〝紅の後継者〟って意味がある!」

「……」

「いい綽名だろセキレイシ!」

「なぁなぁ!セキレイシ!」

「返事しろよ!セキレイシ!」

 拒否でも肯定でもそれ以外でも、何かしらの反応が欲しい。いや、無視無言という反応はもらっているが、そういう事ではなくて。

「……煩い。なんだ?」

 だから。言葉を返してもらえて、しかも振り返ってもらえた時は、本当に嬉しかった。例え相手の皺眉(みけんのしわ)が凄い事になっていたとしても。

「お、返事した!んじゃあセキレイシに決定な」

「……」

 こうして、世界でランファオだけが呼ぶイーサンの綽名は決定されたのだ。




 縁を切り、生涯名乗らぬと決めた自身の家名が他者のそれと異なる事に、ランファオは疑問を(いだ)いていない。言語(ことば)異なる(ちがう)のだから当然だろう、くらいの認識でしかない。もう口にする事もないのだからどうでもいいな、という思いもあるが。


「……。何をしに来た」



「遊ぼうぜ!」


 今日も今日とて渋面が凄いイーサンに対して、自身の表情が喜色に溢れている事をランファオは自覚している。

 ブラッドレイ家への訪問は、もうこれで何度目になるだろうか。最初(はじめて)()訪問(とき)は緊張したが、険しい道程にも随分と慣れ……いや、初めから緊張はしていなかったかもしれない。

 御三家の一角であるブラッドレイ家が《シェンナィ連山》に居を構えているという情報は、周囲で聞き込みをすれば簡単に入手出来た。峻厳な山道に心が折れる事が無かったのは、行ってみたい、という思い、只、それだけだった。

 依頼が重複すれば共闘するし、会話の始まりはいつもランファオからとは言え、話し掛ければ表情を裏切り応えてくれる。遊びという名の手合わせは、時に平原で、時には山中で、更にはブラッドレイ家の屋敷内に設けられた教練堂で行う事もあった。


「――では、雲は何と言う?」


 どちらか、もしくはお互いの身体が疲弊を訴えれば、当然小休止を挟む。その間に交わされるのは、何の生産性もない緩やかな会話だ。その皮切りは必ずランファオが担い、イーサンは短く言葉を返す。投げるだけで投げ返されない一方的な会話でも、ランファオは満足だった。

 しかし、その日はいつもと違った。この日の話題は、ランファオが父から教わった言語についてだった。

「雨は〝()〟、虹は〝(ズィ)〟で、風が〝(フー)〟、雷は〝(レィ)〟」

 〝(ユキ)〟。〝(ラン)〟。〝太陽(タオ)〟。〝(ユェ)〟。〝(セイ)〟。

 題材に特別な意味はなかったが、天候(それ)はイーサンの琴線に触れたらしい。

「〝(ユン)〟だな……って、えっ!?」

 あまりに自然に問い掛けられて、反応がおかしくなってしまった。こちらが投げても受け取るだけだったというのに、一体どういう心境の変化か。

「セキレイシ、雲好きなのか?」

「……人間(ひと)には到達出来ぬ遥か高みに在り、恩恵や災害を齎す……個の好悪では到底語れぬ」

 好きか嫌いかを言うだけなのに、この堅さ。それでも、イーサンの口を饒舌にさせた天空の白に、つまりは好きって事だよな、と、ランファオは解釈する事にした。初めて成功した言葉の応酬に高揚した気分が疲弊を消し去り、小休止(やすみ)の終わりを告げようとした、(まさ)にその瞬間だった。


「……まるで、友人(とも)のようだな……」


 小さく落とされた呟きを聞き漏らさなかった自身の聴覚を、ランファオは胸中で褒め称えた。その上で、イーサンの口から零れた言葉に、相貌を怪訝に歪める。湧き上がる感情(おもい)が、如実に現れた結果であった。

「?オレはお前の事、とっくに友達だと思ってたけど?」

「――は?」

 今度は、イーサンが怪訝な(かお)した。伝染したかのようなそれがおかしくて、声を上げてランファオは笑った。




 友人の双眸と同色の煌めき、否、勝る程の輝かしい日々。あの依頼の重複がなければ得るの事のなかった、貴重(たいせつ)宝物(もの)

 この日々が、ずっと続けばいいと思っていた。世界とは無常で、片鱗も予兆も無く変化するのだという事を、ランファオは知っていた。だからこそ、少しでも長い不変を望んだ。

 それでも永訣(わかれ)は、いつもとても唐突で。

 まるで澱んだ闇が邪悪な顎門を開いたかのような、深淵にも似た暗闇(やみ)の先。突然広がった罅割れは次々と剥落し、顕れた暗闇(それ)は揺らぎから波紋を生み出した後に歪みと化して。

 ランファオとイーサンを、共にその胎内(うち)へと引き摺り込んだ。

 だが、歪みに引き摺り込まれる直前のランファオは、偶然、イーサンの襟首を掴んでいた。首根っこを掴まれたイーサンの、普段では到底出し得ないような蛙の如き呻き声。その経緯に至った理由は些末な事で、見知らぬ漆黒(くろ)の空間内に引き込まれた混乱に因って意識は鮮やかに塗り替えられた。

「なんだよこれ!何処なんだよ此処!なぁっセキレイシ!聞いてんのかおい!セキレイシ!!」

「煩い!静かにせんか!!」

「出来るかぁッ!!」

 静かにしろと言われても、なんだよこれと、何処なんだよ此処が脳裡を占拠して解放されない。騒いで申し訳ないとは思うし、少しは落ち着けとも言われたが、落ち着けるか、が正しい心境(こころ)だ。だがそれでも、喚くだけで発狂に至らなかったのは、隣に友人(イーサン)が居たからだ。

 一向に精神(きもち)の鎮まらぬランファオに痺れを切らしたらしいイーサンが暗闇へと歩を進めながら、幼子に言い聞かせるかのように簡潔かつ、単純に現状を説明する。此処は魔族、もしくは未契約の精霊が異能に因って創造(つくりだ)した、“狭間”と呼ばれる空間であろう事。イーサンがそう判じた理由。この狭間(領域)を脱する手段。更には創造主(あるじ)たる魔族、ないし精霊の有する属性、及び特異性によりこちらが被るであろう制約。

 領域内の創造主が、絶対的君主に等しい存在であるが故の優位性。対して、制限や禁止を受けるが故に劣勢に置かれるであろうイーサンとランファオ。孤軍でないだけまだまし(・・)である、という状況下に於いて、ランファオは改めてイーサンの襟首を掴んでいた事と、その原因に感謝した。

 ありがとう、とお礼を述べれば、ちょっぴり精神(こころ)に余裕が生まれ、伴って声量も落ちたのだ。しかし。


 あれが最後になるなんて、ランファオは思ってもみなかった。


 世界が無常である事を、ランファオは知っていた筈だった。だからこそ、少しでも長い不変を望んでいたのだから。それでも、やはり世界はどこまでも無常で、そして、どうしようもなく残酷だった。

 ランファオ達を引き摺り込んだ狭間の創造主(あるじ)は、精霊ではなく魔族だった。人型と呼んで差し支えない肉体は頭部と胴体、四肢を備えてはいるものの熔岩(いわ)でも貼り付けたかの如く硬質な表皮を凹凸が飾り、相貌を形成する筈の目、耳、鼻は存在しない。ぱかり、と開いた口だけが頭部を彩る唯一だった。

 人語を解し、けれども人間(ひと)とは異なる思考が故に、決して相容れる事の無い存在。ランファオには理解し得ない思想は支離滅裂で、けれど、これまで相対してきた双魔とは段違いの強さがあった。

 精霊使いに強さで順位を付けるとすれば、ランファオは中の下、良くて中の中程度であろう。身体能力にはそこそこの自信があるが、手合わせではイーサンに勝てた(ためし)が無い。“憑装”は行使出来ても、“憑操術”は扱えない。肉弾戦でも精霊術でも、ランファオはイーサンに及ばない。共闘と言えば聞こえは良いが、実際は肩を並べて戦えているとは言い難い。いや、頑張って食らい付いてはいるのだが。

 だから共に戦う時、ランファオは常にイーサンの補助に徹するように行動している。必要(いら)ない補助(たすけ)かも知れなくても、少しでもイーサンが効率良く動ける(よう)に主眼を置く。故に、この戦闘(たたかい)でも、ランファオはそうした。

 精霊術では上位(うえ)に位置する憑操術を、御三家の出身であるイーサンは当然行使出来る。しかし、イーサンの戦闘方法(たたかいかた)は、他の精霊使いと比較し(くらべ)ても異質だった。

 シーラという小柄な老婆の容姿(なり)をした精霊を身に宿しても、憑操術に於いて一番の強みであろう掟霊解放――即ち武具の具現化を、イーサンは滅多に行わない。

 憑操術はあくまで鎧として行使し(つかい)、双魔との攻防をイーサンは自身の意思と技とで以て行う。支配権どうなってんだ?と思い問い掛けたら、譲渡だと短く返答(こたえ)を与えられたが、正直なところランファオには理解が及ば(よくわから)なかった。


「すっげー!!やったな!!」


 そのよく解らない譲渡とやらでイーサンが戦場を支配し戦況を勝利で飾る度に、湧き上がる高揚と憧憬は、賞賛となってランファオの口からまろび出る。うるせぇとか思われてたらどうすっかな、等と思わない事もなかったが、最早反射と化した反応に理性による制止等間に合わない。開き直って、素直に従う事にしていた。……言い放つ度にむず痒そうな表情(かお)をするイーサンの身の裡をどんな感情が覆っていたのかは、生涯知り得る事はなかったが。

 共闘の場に於いてランファオに出来る事は、イーサンの邪魔をしない事と、足手まといにならない事。その二つを最優先事項と定めて立ち回った結果、今回の共闘(たたかい)でも無事に白星を獲得して。

 だから、ランファオはおろか、イーサンですら油断したのだ。

 まぁ、経験値不足であったと言われたらそれまでだ。要はお互いにまだ()かった。

 狭間の創造主(あるじ)が斃される事で崩壊する筈の空間が消滅しない違和感を、イーサンが感じ取った時には既に遅く。


 ――ランファオの腹部は、鉤状の何かに背後から貫かれていた。


 それ(・・) が倒した筈の魔族から生えた醜怪な尾である事をランファオが覚ると同時に、腹部(そこ)から全身へと不快な熱さが這い進む。

 まるで、自分ではない誰かが無理矢理入り(流れ)込んでくる感覚。脳を激しく揺さぶられているかのようで迫り上がる嘔吐感(はきけ)を堪えている内に、痙攣する肉体は精神との解離を余儀無くされた。

「……盗ったぞ……」

 自分の声帯(のど)はこんなにも悍ましい(もの)を吐き出せるのかと遠ざかる意識が驚愕する傍らで、下劣に引き攣る表情が愉悦を刻んで残忍に笑む。

 一般的に醜悪な、と称される魔族は、多様な容姿(すがた)形状(かたち)の実体を有する。その上肉体の構造――即ち急所や弱点は個体によって異なるという厄介な特性も持ち合わせており、完全な塵化を黙視で確認するまで決して気を抜いてはならないのは精霊使いにとって基本であり、当然である筈だった。

 その確認を怠り、緊張感を失した事が今回の敗因。身を以て知るには重過ぎる授業料の対価は、ランファオ自身の生命(いのち)だった。

「わしの本体を見誤りおったな……青い青い……これだから若輩は狩り甲斐がある」

 魔族の部位に、人型の急所を当て嵌めてはならない。人に似た箇所は全てが装飾(かざり)で、宣言通り鉤状の尾が魔族の本体だったのだろう。どうやらランファオは、尻尾(そこ)から肉体の支配権を強奪されてしまったらしい。

 粘つくような嘲弄を含んだ己の声に辛うじて繋ぎ止められているだけの生がいつ果てるとも判らぬままに、ランファオは見た。イーサンの黄金が、憤怒に煌めく様を。

 老獪、とでもいうべき優位性で以て勝利への確信を紡ぐ魔族(ランファオ)に、イーサンは跳躍という名の接近方法を用いて迫った。が、特技である蹴撃は、繰り出される寸前で停止する。代わりに顰めた相貌(かお)に似つかわしい、荒々し気な舌打ちを放って。

「……ほお、若輩のわりには(さか)しいではないか」

 愉悦と嘲弄の濃度が増した。ランファオの口を借りた、否、ランファオの身体を乗っ取った魔族が、ランファオの声帯(こえ)も操り嗤う。

「そうだ……、こやつはまだ生きておる……が、わしを殺せばこやつも死ぬぞ?」

「……ッ!」 

 黄金に座した憤怒が躊躇(ためらい)へと宿主を移した事に、ランファオは驚愕した。同時に込み上げる感情は、これ以上ない程最上級の歓喜(よろこび)と、同等の激怒(いかり)


――……何やってんだよセキレイシ……お前、こんなことで躊躇するやつじゃないだろ……!――


 良く言えば真面目で、悪く言えば頑迷で。芯が通っている所為で(ために)、柔軟性に欠け融通が利かない。だからこそ、与えられる任務には一切の私情を挟まない。そんな男が、己を理由に躊躇っている。迷っている。魔族を屠る事に、二の足を踏んでいる。


――……何やってんだよ、オレは……!――


 不甲斐ない。情けない。足手まといはごめんだと、背中を預けてもらえるように、堂々と隣に並び立てるようになりたかったのに、結果はこの様だ。結局はこうして、イーサンの足を引っ張ってしまっているではないか。

 腹部(はら)を刺し貫かれた肉体が、もうどう足掻いても助からない事等イーサンも疾うに理解し(わかっ)ているだろう。それなのに、黄金の瞳に苦渋を滲ませた友人の姿にランファオの方が泣きそうになる。

 手足が自由になるのなら、己を殺してやりたい気分だった。

 肉体全てが強奪さ(うばわ)れた中で、唯一ランファオの自由になるもの。魔族との融合に因って引き延ばされた生命(せい)が齎す、瞳の輝き(ひかり)。読み取ってくれ、と、感情(おもい)を込めて、氷蒼で黄金を射抜く。

 この魔族を斃すには、今が最大の好機であろう。相手は敵方(イーサン)が攻撃出来ないと高を括って、此方(ランファオ)の肉体を盾にしているのだ。貫いた尾を通して魔族がランファオと融合している事は明白、斃すにはランファオごと()るしかない。そして殺るなら、(まさ)に今がその時だ。

 生涯の友人(とも)と認めた相手に、友人殺しという罪を犯させてしまう罪悪感。だがそれ以上に、ランファオの胸中(むね)を占める思い。

 助けてほしい。死にたくない。そんな思い(もの)ではなくて。


――……お前にだったら、殺されてもいい……――


 なんて言ったら、やはりイーサンは怒るだろうか。だがそれでいい。それ()いい。それが欲しい(・・・・・・)


 ――そして友人(とも)は、そんなランファオの自分本位な感情を、正確に読み取り応えてくれた。


「……シーラ、掟霊解放」

「『……“紫霄斧”……』」

 具現化された斧槍に、魔族が訝しむ様子が伝わる。要らない共有だなと意識の最奥(おく)で思いながらも、ランファオはイーサンを見据え続ける。最期まで、その雄姿を目に焼き付けておきたかったから。

 轟、と、風がうねって。

 斧槍の先端を飾る穂先が、ランファオの胸部を貫いた。

 ランファオは人間だ。そして人体とは、思っている以上に急所が多い。オレと融合したのは失敗だったな、と、ランファオは断末魔の咆哮を放つ魔族を嘲笑(わら)う。ざまぁみろ、だ。

 死出の旅への餞なのか肢体に自由が舞い戻る中で、伸ばした手が握られる。優しく、否、強く。引き寄せられて、導かれた頭部(あたま)がイーサンの肩口へと乗った。

「……有難(アリガト)ナ……、(セキ)令嗣(レイシ)……」

 ぶつり、と。それ(・・)がランファオの聴覚に、最期に届いた音だった。




                 【青き狼の追憶】

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