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双魔の宿業編 第三話―ユン―




 魔族とは我が強く、共闘には不向きである。当然ながら例外はあるが、それは極一部であろう。

 相対する魔族は二体、此方は二人。双方が単騎戦を展開するより共同戦線を張る方が殲滅は易いと判じたが故に提案し、受諾された共闘。

 一対一、掛ける、二。ではなく。二対二のままで、状況に応じて相手を変える。攻撃対象、防御や回避が絶えず変化し、その上で助攻、主攻を織り混ぜる為に共闘者にも注意を払う。相対する魔族共の攪乱が目的ではあるが、戦局を此方に傾ける為でもあった。

 が、どうやら現在交戦している魔族二体は、極一部の例外に相当し(あたっ)たらしい。

 氷結し(こおっ)た両翼を無理矢理羽撃かせ強引に縛めを振り払った犬鷲型の魔族が、蟷螂の腕を振り上げた。同時にアリシアとユンの足元を這う陰影(かげ)が揺蕩い、反旗を翻す。

 鋭利(するど)さとは無縁である筈の(それ)が磔刑を強硬せんと迫り来るのを回避すれば、突如吹き荒れる暴風に因って体勢を崩される。

「……!」

 視界の端で、自身と同様に傾ぐアリシアの更に先。雷撃による痙攣から脱した琥珀色の芋虫が、巨体を這いずり身を起こす様が映り込む。


――……“闇”と“風”か……!――


 前者が柘榴、後者が琥珀の放った魔術であると、ユンは正しく理解した。

 傾斜する身体が憑依(おろ)した精霊の意思で以て踏み堪え、顕現した雷槍の(つか)闇影(かげ)の追撃を打ち払う。

「……悪手だったか」

「ううん。このまま」

 洩れた独言をアリシアが拾い、ユンの隣に陣取った。アナスタシアも、どうやら上手く躱したようだ。

 望む結果になるとは限らないと気付いたが故の呟きであり、ともすると相手は共闘の方が力を発揮する可能性が高い。が、アリシアは否定してみせた。

「さっきと一緒。入れ替わって立ち回って、隙を作る」

 入れ替わる相手に、混乱を来す訳でもなく。意見を違え衝突する事も、自己の主張も強要せずに行動を予測し立ち回る。成功すれば、(まさ)しく息の合った連携と呼ぶに相応しいだろう。先程のように。

「だが、むこうも同じかも知れんぞ?」

「それこそお互い様」

 寄り添うかのように隣合い、正対する相手には、最早単騎戦の意思等無い事は明らかだ。

「むこうとこっち、先に集中力が切れた方が負け」

「……それはまた、随分と泥臭い消耗戦だな」

 それは恰も、泥濘(ぬかるみ)に足を奪われる泥田の中での乱戦行為。戦闘(たたかい)の主導権掌握を掛けて戦力を投下し続けるが如く、損害を憂慮せず攻勢を仕掛け続けるに等しい。

「――だが悪くない。乗ろう」

 アリシアの言葉通り、先に集中を切らし隙が生まれた方に敗北の天秤は傾くだろう。敗北す(まけ)るつもり等勿論無いが、果たして軍配はどちらに上がるか。

 魔術に因る猛攻の結果、魔族の魔力(ちから)が尽きるのが先か。はたまた人間である自分達の体力、もしくは意識が先に潰えるか。

 長い精霊使い達の歴史の中で、憑操術の最中(さなか)に意識を喪失し(うしなっ)た精霊使いがいなかった訳ではない。

 憑操術の行使に於いて、精霊使いは器である。自らの意思で以て身体の支配権を明け渡す事で初めて、憑依(おろ)した契約精霊は属性を世界に具現化出来る。だが宿した精霊が力を全て引き出せるか否かは、肉体の本来の持ち主である精霊使いの意思と意識あってこそ。

 精神に多大な負荷が掛かった結果、意識を喪失する事があるように、強靭な精神力で以て意識を維持する精霊使いにも人間である以上気力の限界点は存在する。

 では、意識を喪失(なく)した精霊使いはどうなるのか。

 そもそも精霊術の源泉とは、気を取り込む事。未契約の精霊ならば大地の気を、契約精霊ならば精霊使いの気を吸収する事によって力に変換し、精霊術の行使に充てる。

 精霊使いの意識が途切れると気の供給を断たれた状態となり、力の具現化が困難となる。身体を動かす事は出来ても精霊術の行使という自在性は消失し(うしなわれ)、故に攻撃力は著しく低下する。当然掟霊解放を維持する事等不可能であり、その先に待つのは肉体の死だ。

 肉体がないが故に生命活動を行えない精霊に支配権を預けたままの意識の喪失は、憑依とは似て非なる状態であり、尚且つ非常に危険な状態でもある。憑依ならば肉体の持ち主である人間の側に僅かに支配権が残留し(のこり)、必要最低限の生命活動を維持出来る。しかし一度預けた支配権では、呼吸も鼓動も強奪さ(うばわ)れる。その状態が長く続けば、それがどれだけ危険か事態(こと)かは態々言葉にするまでもない。

 黒闇(やみ)の尖兵と化して寝返った自身の影の攻撃を払い、追随する暴風(かぜ)の脅威を逃れる。閃光と轟音が天空(そら)疾走し(はしり)、瞬きの()に凍てつきが舞う。防御と迎撃、回避と反撃が入り乱れる戦場は異質な舞踏会めいていた。

 弾く、弾かれる。躱す、躱される。防ぐ、防がれる。

 互いが互いに決定打を与えられぬまま、終止符(おわり)の無い延長戦へと縺れ込む内に少しずつ、だが確実に、ユンは自身の意識が深き淵へと沈んでいく事を理解した。荒い呼吸のアリシアも、限界点への到達まであまり猶予が無いであろう事は明白。

 だがお互い様だと宣ったアリシアの言葉通り、相対する二体の魔族にも疲弊は色濃く表れていた。魔術は単調化し、動作(うごき)も時折精彩さを欠く。こうなればもう互いに相手というよりは、己に残された刻限(とき)との勝負へと移行するだろう。そしてそれ(・・)が、互いが相手に要求す(もとめ)る鮮少の隙へと繋がる事も。

「『“天雷”!』」

 焦慮を律し、機を窺う。攻撃を回避し接近する魔族の反撃を、迎撃によって防御する。闇と風、雷と氷が交錯する中で、何故か意識の表層へと浮上したのは、かつて父から放たれた言葉。


〝いつまで、思い違いをしている……?〟


 言葉(それ)を言われたのは、いつであったか。沈み行く意識の更に最奥、施錠されていた扉の解錠音を聞いた気がした、刹那。


「『――“雲外蒼天(うんがいそうてん)玄雲(げんうん)”!』」


 天空(てん)を仰いで紫電に煌めく穂先から、氷雪の群勢(むれ)が解き放たれた。




「『なにっ!?』」

 それは己が属性の攻撃を、別の精霊が放った事に因る驚愕。アナスタシアの黄色味がかった灰色の眼に舞い踊るは雪と霙、霰と雹。

 天候が急変した訳ではない。この吹き荒れる襲来は、ユンの身に宿る契約精霊(レィリィン)が発動させた(もの)

「「!?」」

 予測に上がる事すら無かった天空(そら)からの奇襲は回避も防御も許容せ(ゆるさ)ずに、最大の効果で以て二体の魔族に報いてみせた。

 吹雪く霙に肉体の自由を、五感を急速に強奪さ(うばわ)れた挙げ句、飛礫の如く衝撃を齎す霰と雹の猛攻が魔族のみを襲撃する。

「がぁあぁあぁあぁっ!?」

 鼓膜を劈く絶叫が放たれた。肉体(にく)を抉り穿つ凶悪な群勢に、芋虫の頭部から突き出す幼子の貌が苦痛に歪む。巨体をくねらせ跳ねては這いずり、また跳ねる様が受ける威力の凄絶さと逃亡の不可能さを覚らせた。

「琥珀……っ!!」

 犬鷲の胸部に埋め込まれた幼女が美しい長髪(かみ)を振り乱し、両翼を広げて手を伸ばす。その指先に、腕に、翼に、翅に、鎌に、脚に。舞い散る花弁にも似た白が絡まり、搦め捕り、突き破り、そして。


 犬鷲と蟷螂の丁度中間点、腹部に落ちた巨大な氷塊が、柘榴の体躯(からだ)を貫いた。


「――――――――ッ!!」

 愛らしい口唇から迸る悲鳴は、相手が魔族である事を忘却せしめる程の痛ましさに満ちている。


「『“六花”……!』」


「『ッ!?』」

 急変した戦局に勝機よりも危機の足音が忍び寄った事を聞き咎め、アナスタシアが短剣を振るった先は、レィリィンが具現化した武具だった。

 予想だにしない味方からの攻撃に、ユンの手が掲げた槍を取り落とす。

「……はっ……、」

 咽頭(のど)から歪な音がした。黄金の双眸は見開かれ、水中(みず)から帰還したかのように、呼吸が荒い。震えた両足(あし)が力を失い、大地にがくり、と膝を突く。

「『痴れ者が……それは人間(ひと)にはまだ早い』」

 己が契約主(あるじ)を殺めるつもりか、と。

 その眼に宿るは、静かな憤怒(いかり)。苛立ちを露に髪を掻き上げるその視線は、ユンに憑依(がおろ)した鳥獣型の精霊に向けられている。

「……ナーシャ、ユンは……?」

 どうなったのかと、何があったのかと問い掛けるアリシアの声は常の落ち着いたものではなく、困惑と微かな恐怖が結合していた。

『案ずるな。が、少し休息を与えた方が良いな……勝敗は決した故、宿でも見繕って寝台に放り込むか』

 勝敗は決した、との言葉を証明するかの如く憑操術を解除して、アナスタシアが返答を紡ぐ。

 アリシアが魔族へと意識を戻せば、愛らしい面差しに苦悶を宿し二つに別れた(・・・・・・)犬鷲と蟷螂の姿。大地に頽れ這い蹲った犬鷲が、それでも必死に手を伸ばしているところだった。

 下半身を構成していた蟷螂には目もくれず、犬鷲の両翼で大地を擦り土に(まみ)れた幼女のほっそりとした指の先には、傾覆した芋虫の巨体。苦痛に跳ねていた筈の肉体は微動だにせず、頭部の幼子も動かない。眠たげに細められていた眼は虚空を映す鏡の如く曇って光を喪失し(うしなっ)ている。

「……っ、琥……珀……ッ!」

 まず崩れたのは、頭部を飾る触角の先端(さき)だった。世界との別離(わかれ)を惜しむかの如く緩やかに、魔族の塵化は始まった。

 毛髪、頭部、相貌。背中から生えた翅と、毒針。人型の部位の剥落と共に芋虫の巨体も崩れいく様に、柘榴と名乗った魔族の表情(かお)が絶望に染まる。

「……琥珀……ッ!!」

 伸ばした腕は届かない。千切れた犬鷲の上半身では、距離を詰める事が出来ない。空しく、けれど形振(なりふ)り構わず大地を這い、土を掻くその眼差しに溢れるは、涙。

 精霊使いにとって斃すべき相手――醜悪なる魔族が同族の死に涕泣(ていきゅう)する等と、誰が予測出来ようか。

 赤よりも深い柘榴色は()の煌めきでより一層美しく、そしてそれ故に物悲しい。咽び、喘いで、その名を呼んで、涙して。それは、死を悼む人間(ひと)同様(おなじ)であった。

「……」

 憐憫を(いざな)う絵物語を観賞しているかのように、アリシアの裡で哀惜で湧く。哀惜(それ)が討伐するべき魔族に対して(いだ)く感情とは()け離れている事実(こと)に、アリシア自身は気付いていない。

 大地を抉り少しでも進まんとするその指先に瓦解の序曲が奏でられたのは、芋虫の巨体の半分以上が風に舞い散ってからだった。

 半身たる蟷螂の部位は、疾うに消失していたのだろう。生にしがみつく、というよりは、琥珀の元へと辿り着きたい一心で這い進んでいた犬鷲の両翼(つばさ)が、羽根の先から塵と化す。まるで華奢な指先と伝播するように。

 崩壊が全身に及ぶと同時に、一際強く風が吹いた。轟、と些か不粋な風音(おと)に反射的に細めた深海の如き青が、柘榴色の両眼(それ)()ち合う。瞬間、愛おし気に緩んだ口元に微笑の形状(かたち)をのせたまま、硬質な(かたく)、けれども軽い破砕音と共に魔族の肉体は世界から消失した。

 終焉へと向かう生命(いのち)天空(てん)へと送るかのような突風(かぜ)は、アリシアの耳朶に密やかな声だけを届けて凪ぐ。

「……それは、誰の名前……?」

 柘榴が最期に紡いだ()は、〝琥珀〟ではなかった。







 縁は切れても血は切れない。血の繋がりが無くとも家族にはなれる。ではそこに縁は存在するのか。解らずとも、その日から少女は姉になり、少年は弟になった。

 短い足を必死に動かして、雛鳥(ひよこ)のようにちょこちょこと後をついてくる弟を、少女は全身で慈しんだ。幼い弟は可愛くて可愛くて、ずっとずっと自分が護ってあげなければと決意した。

 大人達が何を目的として〝それ〟を行っていたのかは、正直理解出来なかった。それでも大人達が、弟に痛くて酷い事をした事は理解出来た。だって、弟がそう叫んでいたから。


 〝痛い!お姉ちゃんっ、助けて!!〟


 大切な弟が助けを求めているのに、応じない姉等いるものか。少なくとも、少女は応じた。いつも視界に映る人間ではない何か達の中で、その時一番近くにいた異形の何かに無理矢理願って、少女は容姿と引き換えに弟を助ける為の力を手に入れた。

 助け出した弟と共に、少女は逃亡した。幼い弟は姉とお揃いになりたいと言って、少女と似た容姿(すがた)に成った。人々(ひと)から化け物と罵られても、二人でいられればそれでよかった。安住の地等無くとも良い。けれど二人はそれ(・・)を得られた。だからこそ、与えて下さった王に仕えると決めたのだ。

 いつから忘れてしまっていたのか。互いの名前と、記憶と、思いと。勝利を捧げ続けるうちに、いつの間にか。

 それでも今。全て思い出せた事に安堵して、少女は弟の後を追った。いつもと逆だと、微笑みながら。







 誰かの名前を拾った耳が、どさり、と重い音を聞く。対峙した二体の魔族が完全に世界から消えた様を見届けた瞳が、()の正体を知るべく動いて。

「ユン……!」

 大地にユンが伏していた。膝を突いた体勢すら保てなくなったらしいが、それでも意識はあるようだ。

「大丈夫……!?」

「……、アリシア嬢……すまない……が、肩を……貸して……ほしい……」

『寧ろ妾の背を貸そう……乗せよ』

 未だに荒い呼吸で紡がれた要求にアリシアが是を返す前に、アナスタシアが言葉を放った。乗せよ、と言った口調には、拒否を一切許さぬ怜悧な、絶対的な語勢に彩られている。

『……』

 言われた相手であるユンの契約精霊は無言で己が契約主(あるじ)を支え起こし、人型(美女)から雪豹へと容姿(すがた)を変えたアナスタシアの背に乗せた。普段から寡黙であるとはいえ、レィリィンの()の沈黙は先程の戦闘に端を発している事は疑いようもない。

「……レィリィン、」

 騎乗の姿勢を崩し上半身を雪豹の背に伏したユンが、(うず)もれた頭を動かしてレィリィンと視線を合わせる。黄金色と鉄紺色が中空で交錯した。

「……貴様の属性……“雲”なのか……?」

 異能も持っていたのか?と。

 それは、疑問符等装飾(かざり)に過ぎない、断定の響き。感じる筈もない痛苦を感じたとでも言わんばかりに、レィリィンの表情(かお)に歪みが走る。

「……そうか、」

 再び頭を動かしてアナスタシアの背に顔を(うず)めたユンは、(くぐ)もった声で、悪いが少し休ませてほしい、と口にした。

「……うん、すぐに宿屋を探すから」

 本当はブラッドレイ家まで送り届けた方が良いのかもしれない。けれど少しでも早く休ませたくて、アリシアはこの街の宿を探す事にした。魔物討伐完了を依頼主達へ報告するのは、その後でもいいだろう。







 寝台に放り込む、等という雑な発言とは対照的に丁寧に運ばれたユンは現在、宿の寝台に身体を預けている。 

 アリシアには宿屋の手配どころか、依頼主達への報告までも任せる事になってしまった。それを申し訳なく思うと共に、折角ならばとことん甘えてしまえば良いと甘言を囁く真逆の心境を持て余す。

 精神(こころ)がぐらぐらと揺らぐ天秤のように安定し(落ち着か)ない理由等、疾うに理解していた。柘榴と琥珀と名乗った、二体の魔族との戦闘(たたかい)。扉の解錠音と共に、泥濘、もしくは深淵に沈むかの如く思考と意識が乖離する中、ユンは自身と、そして、知らない誰かの記憶を観ていた。




 御三家の一角たるブラッドレイ家の長子、しかも男児として生を享けたユンは、幼き頃から精霊使いとなる運命(さだめ)であった。が、反発や嫌悪の感情はなく、只、父に追いつきたい、力になりたい一心でユンは精霊術と武術を学んだ。自身の誇りである父親(イーサン)命令(めい)は絶対で、その采配に疑問が生じる事も、不満を感じる事もなかった。


 あの日、セオドア・シンクレアに敗れるまでは。


 精霊使いは器に過ぎないと言ったセオドアの言葉は、ユンの最奥に楔の如く打ち込まれた。そして、改めて考えさせられた。己が契約精霊となった、鉄紺色の髪と眼と、猛禽の翼を持つ精霊についてを。


『――我はレィリィンと申す精霊(もの)……今より貴方を主君と仰ぎ、契約を交わしたい』


 契約はユンからの打診ではなく、レィリィンから持ち掛けられた。平原での修行の最中(さなか)に現れた鳥獣型の精霊を拒否する(こばむ)理由等特に無く、その日からユンはレィリィンの契約主(あるじ)に、レィリィンはユンの契約精霊となった。

 契約精霊を得た事を報告した父親(イーサン)精霊(シーラ)の表情に、表現出来ない不可思議な感情があった事は長らくユンの裡で燻っていた。が、その理由(わけ)が、よもやこんなかたちで判明しようとは。

 ちらり、と視線を向ければ、鉄紺色の翼を閉じて静かに佇む姿が見える。その様は、今にも壁に同化してしまいそうな程だった。

 アナスタシアの背で問い掛けた言葉に対して、レィリィンは無言を貫いた。その声無き返答に肯定を確信し、ユンは己が契約を結んだ精霊の、かつての契約主(あるじ)に思いを馳せる。

 その少年は、自身(ユン)が契約を結ぶ前に、契約精霊(レィリィン)契約主(あるじ)となった人間(ひと)

 知る筈の無い少年(誰か)の記憶は、追体験するかのようにあらゆる感情を共有しながらも、まるで舞台を観劇するかのように不可侵の回想録だった。

 幼少期の残酷な記憶。仄暗い決意と修行の日々。出奔して得た自由。生涯の友人(とも)との最初(はじめて)の出逢い。


 ――嗚呼、だから。この身は、ユンと名付けられたのか。


 黄金にも勝る大切な思い出は、大事に大事に、宝箱に仕舞うかのように精霊の裡に保管されていた。


「ああ、父上も一度引き摺り込まれたらしい……共にいた精霊使いは帰ってこられずに亡くなったと聞いた」


 それはシンクレア家からブラッドレイ家へと向かう空の旅路の最中(さなか)、引き摺り込まれた狭間の中で自身が口にした言葉。

 昔、父から聞いた言葉の重みが、漸く実感を伴った。

 己が父たるイーサン・ブラッドレイも引き摺り込まれたあの空間で、共にいた精霊使い。

 その名を、(ファ)(ラン)(ファオ)という。




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