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双魔の宿業編 第一話―双魔の宿業―




 自身に宿る感覚に、何らの違いもなかった。ユージーンとしての意識が表層(おもて)に出現しているといえど、やはり。己が契約を交わした精霊はサイラスなのだと、セオドアは悟る。

「『……“翠嵐箭”……』」

 翠の風が集束し、手に馴染む武具の形を成した瞬間。肉体の支配権を契約主(あるじ)から委ねられた精霊が、顕現した弓を引き絞る。

「……我が王の命令(めい)を妨げるならば、容赦はしない」

 玲瓏な響きに憤怒(いかり)を滲ませ、漆黒を纏う襲撃者が同色の外套を翻す。敵対する意思を明確に示す剣呑な威圧感と、全身から立ち昇るが如く鬼気に空間は完全に屈伏し、その室温を急速に降下させていく。

 具現化させた武具を構えた二人の精霊使いと、武器の代わりに闘気を羽織った襲撃者は、互いが最良の間合いを探るかのように、もしくは先の先を取るか、後の先にて返すかを思案するかのように身動ぐ事無く硬直した。

 三者の硬直(それ)は、(まさ)しく一触即発。針の落ちる音でさえも正確に聞き取れる程苦痛(いたみ)に満ちた沈黙と、今にも暴発しかねない程に膨れ上がった緊張感。

 産み落とされた沈黙と緊張感が交わりを為し、寒気という名の新たな子の誕生をライリーに促した。冷気が充満する以上の冬の気配が、震える背を這い上がる。

「……っ、」

 ライリーは口を押さえた。僅少の(わずかな)吐息ですら許されぬ雰囲気が、無意識下にそうさせた。それが現在(いま)の己に出来る唯一なのだ、と。

 凍寒が長い(かいな)を伸ばし氷天が翼を広げたと錯覚する程に、周囲の気温が限界まで張り詰めた、直後。


『ライリーっ!』



「ライリー君……!」


 薄い皮膜が膨張に因って裡から破れるかの如く、ともすれば聞き逃してしまいそうな程の微かな音が、極寒から玉座を奪還してみせた。音は中空を疾走し室内を席捲した後に、その全部(すべて)を牛耳って氷の支配を退ける。次いで響き渡ったのは、小さな青い精霊と彼女が、ライリーを呼ぶ暖かな声音(こえ)

「……ティ、わっ、ぅ゛っ!?」

 呼び掛けと同時に小さな精霊に激突されて、ライリーから潰れた音が出る。ライリーの頬を潰したティティーの青い瞳からは、ぽろぽろと涙が溢れていた。

『ライリー!ライリー!』

「よかった!急に見えなくなってしまったから……!」

 心配と安堵を表情に乗せて駆け寄る彼女の双眸からも、雫が頬を伝って落ちる。

 腰掛けていた筈の椅子から、ライリーの姿が掻き消えて。事態の異常さに気付いた彼女は、混乱を抑制しハロルドとティティーを呼んだのだそうだ。しかし、状態の解決どころか原因すら掴めずにいたところで、耳を劈く勢いで鳴り響いた金属音。その後周囲は陽炎のように揺らめいて、追随した微かな破裂音と共に、ライリーの姿が帰還したらしい。セオドアの他に見覚えの無い青年と、漆黒(クロ)の甲冑を追加して。

『……オレ様達の牢獄(オリ)に侵入者たァ……』

 じいさん達の術も案外脆いモンだな、と。

 どちらの陣営か問い質したくなる言葉を哄笑と共に吐き出したハロルドの両眼が、漆黒の甲冑に向けられる。

「……解かれたか」

 身に纏う甲冑(もの)と同様の、低く硬質な(かたい)男声は、先程まで露にしていた感情を反映する事を拒否する(こばむ)かのような冷淡さで以て発された。解かれた(・・・・)という発言から、彼女の話したライリーの姿が消失した原因が面前の侵入者にあるのだとその場の全員が覚り、そして理解した。術者である眼前の襲撃者が攻撃を受けた事で、行使していた術が解かれたのだという事を。

「まあ、いい……」

 もう一度飛ばせばいいだけだ、と。

「改めて名乗ろう、我が名は朔……」

 ティティー達との合流によって霧散していた闘気と鬼気が、漆黒の襲撃者たる朔へと舞い戻る。

「王命により、偽りの弟の頸を狩りにきた」

「偽りの弟……?」

 眉根を寄せて呟いたヒューゴの、解せない相貌(かお)とは対照的に、彼以外の全員の視線がライリーへと帰結する。想起されたのは、揺らめく炎を内包するかの如く煌めく、宝玉めいた真紅の双眸。


「……今、なんて言った……?〝お姉ちゃん〟と、そう聞こえたけれど……?」


 睥睨する瞳に宿るは、憎悪と嫉妬。

 固執と執着の眼差しは仄暗さと不気味さを増加させ、迸る激情は相対する者の呼吸を強奪せしめる程の威圧を纏う。


「……彼女は僕の姉上だ……僕だけの姉上だ……」


 月無き闇夜の名を冠するに相応しい出で立ちで以て刎頸を告げた朔の背後に、命令(めい)を下した魔王、テオドール・シンクレアの狂気が見える。

 狂気(それ)に誘発されたのは、恐怖か闘志か。

 裡から湧き上がる感情に明確な解答(こたえ)を見出だせないまま、セオドアの耳朶が微かな音を聞き取った。

 大地が鳴動するかのような、しかし、震動を伴わない(それ)遠雷(・・)であると理解した、刹那。

「避け……ッ!」

 避けろ、と、発する筈のセオドアの声を、最初は閃光(ひかり)が、続いて轟音(おと)が絶ち切って。強引な統治の尖兵として、光と音(それら)は咎人の間に投入された。

「……沈め……っ、?」

 落ちる閃光が、視覚を白で焼き染めて。追従する轟音に因って聴覚を占領され、漸く敵の――朔の攻撃を受けたのだと把握する。攻勢の動作も、それこそ僅かな身動ぎすらもなく、朔が魔術を発動したのだ、と。

 だが、機能の停止を余儀無くされた筈の聴覚に何故か明瞭に響いた男声(こえ)は、不可解だと表すかの如く絶句が付き従っていた。


――……どうして……?――


 攻撃に因って、想定外の何かが発生した。それ故の絶句だとすれば、それ(・・)は一体何なのか。

 閃光(ひかり)に塗り替えられた視界はやがて、少しずつ色彩(いろ)を取り戻す。未だ瞳の奥に燻る白を無理矢理捩じ伏せたセオドアに、先に立つ誰かの容姿(すがた)が見える。

「……セオドア・シンクレア……?」

「……お前、ニール……」

 何故此処に?という思いを胸に、勇者の継承者と聖騎士団団長が、互いの姿を視認した。







 現在(いま)は無き森林(もり)を、聖域たらしめる一本の古木。聖なる白樹と、その(かいな)(いだ)かれるかの如く寄り添う小川の畔に建てられた小屋。

 その白樹の枝の及ぶ範囲は、双魔の侵入を遮断する絶対的不可侵の領域。双魔は当然、獣を始め虫等の生物(いきもの)、更には精霊や幻獣の侵入さえも拒絶し、たとえ契約精霊や聖霊であれど遮断(それ)の例外ではない。

 人間(ひと)以外の種が足を踏み入れる事を拒み、静謐と静寂を内包する禁足地は、荒野に在ってもなお魔族の蹂躙を撥ね除け続けていた。

 耳障りな嘲笑(あざけり)よりも最早発狂に近しい笑声の間隙を縫って、樹根と氷塊が荒れ狂う。術者の精神を正確無比に反映する魔術の奔流が聖騎士団の残党(いきのこり)を屠らんと狂乱の宴を催す最中(なか)で、白い古木の枝先に接触す(ふれ)る事は重罪(つみ)だと言わんばかりに厳罰(ばつ)の対象と見做された邪悪なる攻撃は、全て等しく無に帰していく。

 聖典に記され、教義として定められた聖域を崇める意味が、漸くニールに到達した。理由(わけ)の明かされぬ守護の意は、白樹の存在そのものにあるのだと。


――……侵入はおろか、攻撃でさえも届かぬ至高の領域……――


 この場所は何なのだろう。何故、こんな場所が存在するのだろう。

 これまで思考の壇上に上がる事すら無かった疑問。人間(ひと)以外の侵入も魔族の攻撃も撥ね除ける、聖なる白い古木の隣。歪で粗末な小さな小屋は、一体誰の(・・)帰還(かえり)を待っているのか。

 それ(・・)は、意識が小屋へと逸れたからこそ、視界が映した刹那の煌めき。

 雷光(いなづま)よりも柔らかく、陽光(たいよう)よりも暖かな、けれど己が契約聖霊の放つ術より眩い閃光(ひかり)

 宛ら生命(いのち)(ともしび)にも似た閃光(それ)は、だが、一瞬にしてその王座を迅雷へと明け渡す。

 白に焼かれた視覚に次いで、轟音に因り聴覚が占領を許した。身に覚えのある感覚がニールの背筋を這い上がり、そして。

 塗り替えられた視界が色彩(いろ)を取り戻し、燻っていた白が晴れたニールの思考が、先に立つ人物の容姿に奪われる。

「……セオドア・シンクレア……?」

「……お前、ニール……」

 意図せず再びの邂逅を果たす事となった聖騎士団団長と勇者の継承者の深層に、同じ疑問(思い)が飛来した。







 眼前にて対峙する、漆黒の襲撃者。朔と名乗った敵の攻勢は鳴動を伴侶に遠雷を喚び、咎人の間を閃光と轟音の饗宴へと塗り替えてみせた。

 余波と余韻を惜しむかの如くヒューゴの耳目が正常を取り戻した時には、隣に立つセオドアも、背後(うしろ)に居たライリーも、彼女の姿も消えていた。義弟(ライリー)の肩に縋っていた、小さな青い精霊も。背中合わせで鎖に縛められたかのような、奇妙な人型の精霊も見えない。

「……何処へやった?」

 問い掛けに憤怒(いかり)が滲んだ事を、ヒューゴは自覚した。眼光鋭く面前の襲撃者を見据えるも、漆黒の甲冑は歯牙にも掛けない様子で返す。

他人(ひと)より己の身を嘆け。飛んでいた方が幸福(さいわい)だったと気付かせてやろう」

 質問に答える気は一切無いと交戦の意思を示す相手に、ヒューゴの翡翠が眇められた。








「――聞いたな(・・・・)っ!」


 更なる攻勢を掛ける為にと落とされた踵が己の肉体ではなく大地に向かって穿たれた事で、三日月は勝利を確信した。この魔術に掛かって生きていられた(・・・・・・・)者等、これまで一人たりとて存在しないのだから。

 そう、これまで相手取った者共同様、全て暴いて揺さぶって、最期は狂って死ねばいい。

「堕ちろッ!苦痛の記憶の最下層(彼方)まで!!」

 ちり、と。微かに鳴った鈴の音色に、三日月の哄笑が被さった。







 追撃に落とした踵が、魔族ではなく大地を穿った。己が優位を確信して放たれた言葉と、耳朶を掠めて脳裡で響いた鈴の()に、イーサンは相対する魔族の属性に断を下す。“音”である、と。

 幻聴であるかの如く微かに鳴った鈴音が、脳内で増幅し正常な思考を妨げようと誘惑の(かいな)を伸ばし始める。と同時に、肉体にも異常が生じた事をイーサンは理解した。恰も毒草に触れた、或いは摂取したかのように、痺れが手足の末端から全身へと這い進む。

 攻撃が外れたのは思考の停滞が故か、否、恐らく鈴音(おと)は回避の手段も兼ねている筈。

 猛々しくと言うよりは居丈高に名乗った三日月という名の醜悪な魔族が、鈴の()と共に転移してきた事実(こと)と併せてイーサンは自身の定見(ていけん)を強める。

 聞いた相手の心身を蝕む術こそが、音使いの真髄。一度術中に嵌まってしまえば、脱却が困難であるは必定。

 全身の痺れは、イーサンの五感をも支配下にせんと進攻を開始する。最初(はじめ)に触覚、次いで味覚、嗅覚と続き、最後(しまい)に聴覚と視覚とが、その役目を放棄した。何も感じず、話せず。香気や臭気も無く、張り詰める程の静寂と無音の中で、今自分が目を閉じているのか開いているのかすら判然としない、深淵の暗晦。

 並の人間ならば立所(たちどころ)に発狂し、果ては廃人の未来を辿るであろう精神の蝕みに於いて、しかし。イーサンの脳裡は、最奥に封じた記憶を呼び覚ます。


――……似ているな……――


 あの狭間(空間)に、と、胸中で独り言ちる。

 封じ込めた記憶の裡。戯けた綽名で呼ぶ声が、イーサンを遠い過去へと連れて行く。








「セキレイシーッ!!」


 その少年は、いつもイーサンをそう(・・)呼んだ。蒼色の髪と、氷蒼の如き双眸が輝く少年の実家(いえ)の始祖は《シェンナィ連山》を越えて来た所謂流浪の民(ながれもの)とやらで、独特の言語を使用していたらしい。

 同年代で、同じく精霊使い。そんな在り来たりな事に、少年は勝手にイーサン(こちら)に親近感を(いだ)いたらしい。

 〝セキ〟は紅、〝レイシ〟は後継者を意味するのだと言い、紅のブラッドレイと呼ばれる家系(いえ)の後継者にはぴったりな綽名だろうと勝手に満足気に頷いた挙げ句、勝手にそう(・・)呼び始めた。

 煩わしいと無視していたら返事を執拗に催促され、根負けしたのが運の尽き。たった一度きりの返事はやはり勝手に許容と受け取られ、少年の中で正式な綽名と決定された。最も、その少年以外は誰も呼ばない綽名だったけれど。

 少年の名はランファオといった。正直なところ、家名をイーサンの脳は記憶していない。と、言うよりも、知らないのだ。ランファオは受け継がれた言語は使用するくせに実家とは縁を切ってやった(・・・・・・)のだと宣い、イーサンに、否、他の誰に対しても生涯家名を明かさなかった。

 そんなランファオとイーサンとの出逢いは、互いが十六の年齢(とし)の頃。特筆すべき事象等無く、強いて挙げるなら、依頼の重複が故である。ブラッドレイ家の当主であった父親(ちち)からの命令(めい)を受けたイーサンが派遣された任務地に、同じく依頼を受けたランファオが居た。それだけだ。

 重複は珍しいが皆無ではない。故に、その事に何らの感慨も無いイーサンとは別に、ランファオは依頼の重複自体が初めての経験(こと)であったらしい。

「すげー!こんなことあるんだな!」

 しかも、年齢(とし)同程度(おなじくらい)。これが初対面の相手に対する遠慮や配慮の壁を粉砕し(くだい)た、最大の理由であった事は疑い無い。一方的に名を名乗り、イーサンの煩わし気に顰められた眉等気にもとめずに握手を求める。

「ブラッドレイ……って御三家の?確か〝紅の〟とかって……」

 名乗られた以上、こちらも名乗るは道理であろうとイーサンが己の名を伝えれば、呑気な相貌(かお)に浮かぶは疑問符。御三家という知名度と、それに類する名声に恥じぬよう矜持にて自身を律するイーサンは、眼前の相手の態度がどう変化す(かわ)るのか立てるまでもない予測を立てる。尊敬か、敬慕か、畏怖、もしくは羨望、或いは嫉妬か。

 だが、ランファオという名の少年は、そのどれにも当て嵌まらなかった。

「んじゃあ、セキレイシって呼ぶな!」

「……は?」

 解けない難問を解き明かしたかのような晴れやかな表情に、疑問符はイーサンへと宿主を換える。いいだろ、等と勝手に納得する様を睥睨し無視を決め込めば、訊いてもいない綽名の由来とやらを語り出す。更に何度も綽名(それ)で呼んで、親鳥に追随する雛鳥の如くついてくる。煩わしさが限界を超越し(こえ)て、ついイーサンは振り返った。

「……煩い。なんだ?」

「お、返事した!んじゃあセキレイシに決定な」

「……」

 こうして、あの戯けた綽名は決定されたのだ。




 このランファオとの邂逅が、自己に如何なる影響を及ぼしたのかは判らない。御三家の一角、武に優れたブラッドレイ家の後継者相手に物怖じせず、燦々と照る太陽の如く自由闊達に振る舞う。依頼が重複すれば共闘し、屋敷に至る険しい道程等物ともせず頻繁にブラッドレイ家への訪問を繰り返す。何をしに来たと渋面で問えば満面の笑みで、


「遊ぼうぜ!」


 等と答える。

 居た事も、生涯出来るとも思っていなかった友人(とも)のような、等と愚かな思考に触発されて呟けば、ランファオは怪訝な(かお)をした。

「?オレはお前の事、とっくに友達だと思ってたけど?」

「――は?」




 特筆すべき事象等無い、それは在り来たりな出逢い。しかし、イーサンとランファオが友人として過ごした日々は輝かしき黄金にも勝る、貴重(たいせつ)宝物(もの)


――……あの日々はもう戻らぬ……――


 永訣(わかれ)はとても唐突で、邂逅の平凡さに矛盾した。否、敢えて(・・・)天秤の傾斜(かたむき)を平衡に達せんとする為に、そう(・・)されたかのようだった。

 澱んだ闇が邪悪な顎門を開いたかの如く、深淵にも似た暗闇(やみ)の先。何らの予兆(きざし)も無く蒼穹に走った罅割れが剥落し、顕れた暗闇(それ)は揺らぎから波紋を生み出した後に歪みと化して。


 ――イーサンとランファオを、その胎内(うち)へと引き摺り込んだのだ。


 分断さ(わかた)れずにすんだのは恐らく、現在(いま)でも非常に不本意ではあるが、ランファオがイーサン(こちら)の襟首を掴んでいたからであろう。首根っこを掴まれる、という醜態も、己の口から蛙の如く呻きが洩れたのも、あれが初の経験である。最後であってもらいたい出来事でもあるが。

 何故その経緯に至ったのかを記憶の淵へと沈ませて、イーサンは追憶の旅を続ける。

 引き摺り込まれた先が異能持ちの創造した“狭間”であるとイーサンが判じた理由は、単純に知識からの推測だった。

 不要な(いらぬ)招待を強要された精神は、恐怖や困惑を差し置いて憤怒を玉座の主人(あるじ)に据えた。隣で騒ぐランファオを一喝し、それでも口を噤まぬ剛胆さにいつもの事だと早々に見切りをつけ、イーサンは歩を進めた。この狭間(領域)を脱する為には、創造主たる魔族、もしくは精霊を屠らねばならない。此処が契約精霊や幻獣が創造、展開する異能とは本質を異とする空間である事を、イーサンは知識として知っていた。

 憂慮の念は魔族、ないし精霊の属性、及び特異性がこの場に齎す影響と、そこから生じるであろう制約。空間内では絶対的君主に等しい特異性で以て攻勢や防衛を為す相手に対して、制限や禁止といった負荷の掛かるこちらは当然劣勢に配置される。ランファオという存在は孤軍ではないという付加的要素ではあるが、それを理由に優位性を保つ事は難しいだろう。

 未だに幼子の如く喚くランファオに簡潔かつ、単純に現状を説明すれば、喧しい声は漸く静寂へと舵を切った。だが、まさか。


――……まさか……あれが最後であろうとはな……――


 ほろ苦い追憶の欠片が、唯一の友人(とも)を形成する。暗澹たる暗闇(やみ)深淵(ふち)が一切の異音(おと)もたてずに波紋を生んでいく様を、イーサンの黄金が認識した。夜にも勝る暗く深い底部(其処)から、何かが、這い出ようとしている。


 ――……セ、キ……レイ、シ……


 役目を放棄した筈の視覚と聴覚が、波紋を生んで出現し(あらわれ)主人(あるじ)の――今は亡き友人(とも)の姿を見、声を聞く。

「……なん、で……なんで……!」

 闇が澱んだ深淵から、咽頭(のど)を震わせ、手を伸ばす。

「……なんで……助けてくれなかった……ッ!!」

 激昂に因る興奮が故に掠れた声音、痙攣する指先がイーサンに掴み掛からんとした、刹那。

「……ッ!?」

 その頭頂に落とされたイーサンの踵が、這い寄る友人(ランファオ)の肉体を沈めた。自由を奪還せしめた四肢が繰り出した攻勢で以て反撃の(いとま)すら与える事無く、イーサンは再度、天空へと爪先を振り上げる。

 が、追撃に対する標的は、始めからそれ(・・)ではなかった。


「……がはッ!?」


 振り上げた脚は身体の回転に従って弧を描き、背後に迫る白虎の側腹部を急襲した。完全に不意を突かれるかたちとなった三日月の口から怒声や驚愕よりも尚早く、純然たる苦鳴が迸る。

 受けた衝撃に頽れる体躯を俯瞰するイーサンの眼差しが、勝者と敗者に明確な線を引いた。




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