魔王の肖像編 第五話―共闘する者―
数字とはその増減により意味を変えるが、仕えると言ったこの場合、それが示すは序列であろう。そして通常序列とは、若い数字程地位が高い。
だが、柘榴と琥珀――そう名乗った二体の魔族が告げた五番だの九番だのといった数字の序列は、ユンにも、恐らくアリシアにとっても至極些末な事である。重要なのは精霊使いとして、面前の魔族を倒す事。が、しかし。
自身の口から出る悪態を自覚する間もなく、ユンは中空へと跳躍する。その幻影を追うかのように、鋭い羽撃きが飛来した。
振り被られた鎌の一撃を避けながら、視界の端で、琥珀色をした巨体が跳ね上がるのが確認出来る。標的となったアリシアは巨大芋虫に身体を圧し潰される直前に、その落下地点からの回避に成功したようだ。
魔族とは基本、単独で行動するものである。特に戦場に於いては配下の魔物という兵力はあれど、魔族は一体という事が圧倒的に多いのは、軍の指揮官という立場、もしくは役割故と考えられている。
戦場に同列の指揮官が複数いれば指揮系統は乱れ、それだけで自軍の統率が困難となるは自明の理。しかも、魔族というかの種族共は皆総じて気位が高く、自尊心も強い傾向にある。協調性等持ち合わせておらず、我の強さが故同族同士での衝突も頻発するとなれば、もとより共闘等しよう筈もない。
故に、互いに標的と定めた相手に対し、殺害を目的とした攻撃を仕掛ける二体の魔族も同様であろう。両者の攻撃が双方の妨げになる事こそないが、同族も、その相手も眼中になく、攻勢を掛ける二体の魔族に因ってユンとアリシアは分断され、望まぬ単騎戦を強要されていた。
「『……ッ!』」
自身の契約精霊であるレィリィンが肉体の支配権を得て具現化させた槍を振るう最中、ユンは硬直状態とも言える現在の戦況を好転させるべく思考を続ける。
「!?」
ずん、と。腹部に響いた鳴動は、琥珀の体躯が重量と共に地に落ちる名残。よくもまぁあんな巨体で高々と跳ね上がれるものだ、と、感心にも似た思いが過った事で、ふと気付く。攻撃が直接的過ぎる、という事に。
そう、何らかの意図があるのか、はたまた余裕の表れか。柘榴も琥珀も現時点での攻撃は全て、己の肉体に備わった部位か、肉体そのもので仕掛けてきている。開戦からここまで一度も、ユンもアリシアも属性による攻撃を受けていなかった。
行使出来ない、という訳ではないだろう。陰影から転移、顕現してきた事から考えれば、柘榴と名乗りユンと対峙する魔族の属性は、恐らく“闇”だ。この推測は的を外れてはいない筈。決定打となる属性を伴う攻撃を放たれていない為、まだ断定は出来ないが。
「……レィリィン!」
身の裡に浮上した策は、好手となるか、はたまた悪手か。ユンは自身の契約精霊に標的変更の指示を伝えた。契約主の声に応えたレィリィンは鎌の斬撃を振り切って、中空に跳ねる芋虫の面前に躍り出る。
「『“天雷”!』」
紫電に輝く槍の穂先から、高速の突きが雷を纏って間断無く琥珀を襲う。
「っぁああああああッ!!」
眼中どころか視野にすら入っていなかったであろうユンの――レィリィンの攻撃をまともに喰らって、芋虫の頭部から突き出した幼子から甲高い絶叫が迸る。雷撃を受け痙攣した巨体が大地に沈み、衝撃が周囲を震動させた。
「琥珀……!」
琥珀に驚愕と心痛を、ユンには憤怒と憎悪を向けた柘榴の背後に、意図を理解したアリシアが――アナスタシアが回り込む。
「『“六花”!』」
防御も回避も許さぬ速度で放たれた双つの短剣が、柘榴の両翼を貫いた。幼い相貌に苦痛が滲み、愛らしい口元から悲鳴が溢れる。
「アリシア嬢、ここは」
「うん」
言外に宿した共闘の二文字を正確に受け取って、アリシアは同意の証明に首肯を返した。と、同時にアナスタシアが、新たに顕現させた短剣同士を打ち鳴らす。
「『“霧氷”』」
硬質な音色が響いた刹那、柘榴の両翼が凍りつく。氷結の音に苦鳴が滲む。
「……オノレ……!」
可憐な貌が屈辱に歪み、柘榴石めいた両眼に、更なる憤怒と憎悪が宿った。
聖騎士団が代々守護する聖域を汚し、破壊し尽くさんと蹂躙する、その解は挑発行為。暖かな木漏れ日の降り注ぐ神聖なる森林は無粋な脚に踏み潰されて、生い茂る樹木は圧し折られ、地面を彩る草花は根刮ぎ刈られ薙ぎ倒された。枝葉に覆われ、隠されていた天空は今や、覗くという言葉が逃亡を余儀無くされる程に晒されて、無残な大地と向き合っている。天災に見舞われるよりも酷悪と化した聖域は最早、禁足地たる白樹と小屋と、僅かばかりの草木が残留するのみである。
森林から荒野へと望まぬ転身を果たし、辱しめられた大地を踏み締め、聖騎士団の生存者と、二体の侵犯者は対峙した。
魔族相手に複数の人員で挑む事は、決して卑怯な戦法ではない。己が矜持や戦闘手段、時の状況等の要因で単騎戦を行う者も存在するが、一対多数の共闘は、卑劣ではなく寧ろ推奨されている。魔族との戦闘は人間同士の決闘とは異なる。正々堂々、尋常に勝負、とはいかない。
そして、何よりも。眼前に相対する敵よりも、己に仇なす最大の敵とは、自身の裡より生ずる慢心であるという事を、もうニールは知っていた。油断と契り傲慢を妊り、驕りという名の忌子を産み落とす悪しき存在は、勝機を逃し敗北を喫する忌憚なる存在である、と。あまりにも酷な代償に因って学んだニールの心身より、慢心は既に消え失せている。
双子の美少女人形めいた醜悪な魔族に意識を集中させつつも、ニールは周囲の警戒を怠らない。
「メルヒオール、掟霊解放」
「ムハンマド、掟霊解放」
「リーゼロッテ、掟霊解放」
ニールが己の聖霊の名を呼べば、傍らに控えるイルハン、ルイの両名も、追随して自身の聖霊にその身を委ねる。
称賛を受けし者、という意味を持つイルハンの契約聖霊ムハンマドは、燕尾服を纏う紳士の容姿で顕現する。但し、太く、半円状に曲がった角を生やした頭部は、灰褐色の山羊のそれ。その一方で、身に着けた衣服の下は頭部と同色の狼の体躯であり、尾の代わりとでも言うかのように黒鱗の蛇が腰の下で揺らめいている。四足獣が後肢で立ち、二足で歩行する様を一切感じさせない洗練された佇まいは、服装と相まって正に紳士と呼ぶに相応しい。
ルイの契約聖霊の名はリーゼロッテ。その意は、神に愛されし者。瑠璃色の長髪と瞳の、優美な女性の上半身と、同色の鰭と尾、鱗を有する魚の下半身。両腕に巻かれた嫋やかな領巾は大海の水面の如く美しさで以て揺蕩い、その肢体の艶かしさをより一層引き立てて余りある。
「『……“金光盾”』」
「『“玄嶺鎚”!』」
「『“奏鳴琴”……』」
其々の契約聖霊が契約主の肉体の支配権を得、各々の武具を具現化させた。ニールの右腕には、金色の煌めきを放つ盾。イルハンが両腕に構える大玄翁は、その身の丈と同程度の、光を呑み込む玄黒の巨鎚。そしてルイの左腕に収まる、瑠璃を砕いて精製したかのような繊月型の小型の竪琴。
三者が三様に臨戦の態勢を整えて、聖域を汚す悪しき魔族を滅せんが為の聖戦へとその身を投じる。
先陣を切ったのは、創世の光の化身だった。
陽光を模して具現化した金色の盾より顕現する、太陽を収縮したかの如く煌めきを秘めた光球の群勢。ニールの周囲をゆらゆらと浮游する輝きは、明確な意思をもつかのようにくるくると舞い躍り、そして。
「『――“極光”』」
躍動が激しさを増す光球から迸る閃光は、中空を駆って一帯を皓く染め上げた後、開戦を告げる鬨と化した。
冴えた眩い軌跡は瞬間的に視力を強奪し、役割を封じる。初めて相対した際に受けた術だと覚り、二度は喰らうものか、と、珊瑚と真珠がその身を素早く回避させた、その背後。跳躍したイルハンが、玄黒の巨鎚を振り上げる。
「『“峻嶺”!!』」
雄々しい咆哮と共に頭上高くから打ち降ろされた一撃に因って、鳴動を伴侶に大地が抉れ、周囲一面が隆起した。
ムハンマドの属性は、大地に類する地属性である。複数の型が存在するが故に特殊と言われる地属性の中で、イルハンが契約を赦された聖霊が行使するは最も正統、かつ主流な型。震動により隆起や陥没、硬軟等を自在に操り、地形を変動させる術を扱う地属性は、翼無き全ての拠り所、大地に直接的な影響を及ぼす。
更にムハンマドの場合、顕現させた巨大な武具は、それ自体が強力な武器として使用される。器となる為に鍛え抜かれたイルハンの肉体は、その絶大な攻撃力を一切損なわせる事は無い。
屈強な身体で驚く程高く跳躍し、正しく天から振り降ろされるかの如く圧倒的な破壊力を有する一撃は、並の魔物なら跡形も無く砕け散るであろう必殺の威力を雄弁に語る。その衝撃はムハンマドという聖霊の純然たる破壊力と、器であるイルハンの強靭な膂力を誇る。属性による術ではなく、純粋に武具に頼る勝負となれば、イルハンの右に出る者は然う然ういない筈だ。
とは言え、如何に強大な破壊力と言えど、当たらなければ意味はない。ましてや大振りな攻撃で容易に潰される程、魔族という種は遅くない。
だが回避も、此方は想定内である。
「『“幻日”』」
ニールの周囲を揺蕩う光球を起点にして、別の光球へと閃光が迸る。乱反射による閃光の奔流は、受ける敵の回避と反撃の機会を完封する攻防一体の術。自身を護る弾幕であり、相手を屠る各個射撃の乱撃でもある。しかし、
「無駄だよ!」
「もう当たらない……!」
理性と知性が無いが故に獰猛な本能のみが存在する魔物と異なり、魔族は人間と同様に知性を有する。その思考回路の大部分は魔物のような獰猛さと危険性を宿している一方で、人間と通ずる部分もあり、例えば戦闘時に於ける学習能力がそれに当たる。それが決して誇張や虚言等ではない証明に、対峙する二体の魔族は、メルヒオールの放った攻撃を全て華麗に避け切ってみせた。
「『“峻嶺”!』」
閃光の暴風雨から無傷の生還を果たした魔族に、天空から振り下ろされる、文字通りの正義の鉄鎚。遠雷にも似た鳴動から生ずる亀裂が四方へ疾駆し、地形を変えた。一撃が必殺となる凄絶な破壊と衝撃は、その大きさが故に連撃の速度で劣る。
「あははははっ!当たんないって!」
「さっさと死ね……!」
嘲笑に相貌を歪める珊瑚に激情を誘発された真珠の手のひらから、着弾と共に氷結を齎す氷塊が放たれる。憤怒が術に作用するのか前回の戦闘で受けた氷塊より巨大さ、威力、速度の増した雹の群れを、ニールは盾で、イルハンは土壁を形成し防御する。
防がれた真珠の舌打ちに、今度は珊瑚が腕を振り上げ応戦した。ムハンマドの攻撃と似て非なる鳴動が目覚めさせるは、大地の下で無盡に勢力を拡大する樹根。それは正しく植物使いの異名を掲げるに相応しい、もう一つの土属性の特性。
捕縛ではなく殴打による攻撃を仕掛ける樹根と、その間隙を埋めるかの如く飛来する氷塊。双子の人形めいた魔族の猛攻は、太陽の煌めきを模した金色の盾に、或いは隆起を対価に築かれる土壁に、悉く粉砕される。
「『“極光”』」
「『“峻嶺”!!』」
荒野と化した聖域を切り裂くように放たれる閃光と、追随する鳴動と衝撃。正義を纏い聖戦に臨む聖騎士団の団長と副団長の攻勢を、揃いのドレスを翻しながら少女の容姿を装う魔族が軽やかに回避する。
攻守が激しく入れ替わり混迷を極める戦場に、閃光と鳴動、亀裂と隆起、破壊と衝撃、氷塊と樹根が入り乱れる。
接戦による混戦はやがて視野を狭める隧道現象を惹き起こし、乱戦の最中で忘却されたルイの――リーゼロッテの真骨頂を発揮する。
「『……“小夜曲”……』」
それは、戦場に響くには不似合いな。玲瓏よりも妖艶と称するが相応しい、不可視の音色。
複数の型が存在する地属性の中で、最も珍しい型が“音”である。振動に因って発生させた音で攻防の術を展開するこの型は、術者自身が音源と成り、自ら振動を生み出す事によって発生させた音を操る。故に具現化される武具は、武具とは言い難い形状をしている事が多い。
ルイの契約聖霊であるリーゼロッテが具現化するのは、本来武具ではなく楽器に属する小さな竪琴。無粋や武骨とは真逆の意味を付与される、洗練典雅な芸術品めいた楽器。細やかな弦に掻き鳴らされる旋律は、届いた脳裡を停滞させ思考を鈍らせると同時に、聞き入る者に抗い難い誘惑を齎す。ましてや今奏でられる“小夜曲”は、恋人へ捧げる愛の歌。一度魅入られれば、後は只、脱け出せぬ奈落へと沈んでいくだけ。
「……っ!」
「……ぁ……、」
体勢を崩したのは、どちらの魔族も同様。だがより深く、より魅了されているのは珊瑚の方だった。名の由来たる紅珊瑚の煌めきは、奏者への賞賛と楽曲への恍惚に蕩けていく。
着飾る外見に似合わぬ邪悪な舌打ちが、真珠の口から転び出る。全くあの子は、肝心な場面でいつもそうだ。他者に共感的で感情移入し易く、観劇や読書ですぐ感動して、すぐ落涙する単純な子。優しく真っ直ぐで素直な性格がそうさせているのだと思えば、捻くれた自身にはないそれは眩しくもあり、羨ましくもある。
――だからこそ、ずっと一緒にいたいと思った。
だからこそ、ずっと一緒にいると約束したのだ。優しさが故に、本当は戦闘が苦手なあの子を、妹を護る為に……、
「……?誰の事……?」
眉を顰めて洩らした呟きが、自身の裡から零れ落ちた自覚すら無く。真珠を嵌め込んだかの如く硬質な光を宿す瞳が、珊瑚の姿を捉えて極限まで見開かれた。正確には、珊瑚に迫る赤金色の閃光を映して。
「『……“金烏赤烏”……』」
ニールに憑依したメルヒオールは、演奏に聴き惚れる標的に対して一切の情けも容赦もなかった。元来神とは只慈悲深い存在ではない。異端者に対し己が怒りに因って制裁や粛清を行う無情の存在だ。
共闘と連携に因って得た隙を、創世の光の化身は易々見逃す事はない。放たれる閃光は赤金の烏の姿を借りて、鋭利な鉤爪と嘴とで、死の抱擁を授けんと飛翔する。
珊瑚は動かない。攻撃に抗う防衛も回避も、楽曲に魅了され停滞した思考が導き出す事は既にない。
殺戮を招く嘴が珊瑚の体躯を貫く――その線上に躍り出る、人形めいた少女と違わぬ双子のように似通う容姿。
狙われた片方に代わって貫かれた片方の、揃いのドレスの裾が舞い、揃いの装飾は軌跡を描いて毀損する。両腕は虚しく空を掻き、八脚は苦悶に蠕動し、結い上げ方まで揃えた髪が、最後に余韻と共に地を這った。
「――……ぇ」
視界に映る光景に、聴覚から侵略された脳裡を占拠していた恍惚は撤退し、珊瑚の意識が帰還する。
常にお揃いに整えているドレスも髪も装飾品も、何故あんなにも破れているのか。汚れているのか。壊れているのか。
「……おねぇ……?」
珊瑚は自身の口から零れた言葉に混乱した。真珠ちゃん、と、いつものように呼ぶ筈の口は、全く別の言葉を紡いだのだ。
別の言葉で呼ばれても、真珠からの応えは無い。虚空へと向けた眼差しは、珊瑚を見ない。
穿たれた傷口から赤黒い体液が大地へと染み込み、裂けたドレスから曝け出された八脚さえなければ、壊れた人形が打ち捨てられていると錯覚するだろう。光沢を喪失した真珠が瞳に嵌め込まれた、等身大の少女人形。
ああ、まただ、と、思った。また自分の所為で、姉が怪我をしてしまった。
直情型の自分と違い、どんな時でも冷静な姉。一時の感情に惑わされずに、常に一歩引いて物事を正確に見極められる冷徹さ。戦場でもそうだから、やれ冷酷だの非情だのと罵られる事も多かった。でも罵りは、くだらない嫉妬と羨望であると知っている。どんな悪口雑言も毅然とした態度で受け流し、凛と佇む姿に憧れた。自分にはないそれはとても眩しくて、羨ましくて。
「……は?なにそれ?」
苛立ちと共に吐き捨てた言葉に、知らない記憶に占領された忌々しさが混じり合う。だが記憶よりも珊瑚を混乱させたのは、大地に転がったままの真珠が起き上がるどころか微動だにしない事実だった。
まさか、斃されたとでもいうのか?魔族が、卑賤で矮小な人間ごときに殺られたと?
術を放った団長も、ひたすら猛攻を仕掛けてきていた褐色の男も、竪琴を奏でた少年も何故か追撃してこない。この今こそが反撃の好機であると理解している筈なのに、意思に反旗を翻したかのように、珊瑚の肉体も動かない。
潮騒のように、知らない記憶が押し寄せる。
――そうだ。だから、ずっと一緒にいたいと願って、素直にそれを口にしたのだ。そうしたら、ずっと一緒にいると約束してくれた。それなのに、戦闘が苦手な自分の所為で……姉は戦場に出る度に……庇って……怪我、を……、
「……ずっと一緒にいる約束でしょ……?」
ねぇ、と、落ちる小さな声音には苛立ちも忌々しさも無く、只々悲愴に支配されていた。
有り得ない、信じ難い光景を前に、討滅の機会を逃しているという自覚があるのは、ニールだけではないだろう。しかし驚愕に因る身体の停止に抗う術は無く、そして停止は、イルハンもルイも、各々の契約聖霊も同様であった。
奇妙な沈黙と、奇怪な停止が支配する間隙を縫うかのように、動かぬ真珠の、醜悪な証とも呼べる蜘蛛の脚先が、砂粒よりも更に細かい粒子と化して崩壊していく。
実体を有するという共通点こそあれど、魔族の死は魔物とは異なり消滅ではなく塵化である。無論“炎”に因る焼却等、受けた属性によっては塵と化す前に世界から肉体が消失する、という場合もあるが。
致命傷を受けた肉体が活動を停止し、所謂仮死状態となった後、傷口の再生や回復が間に合わなければ、如何に魔族と言えど死に至る。人間よりも遥かに頑丈な肉体を有し、優れた再生力や回復力を備えていても、一度死という運命に抱かれれば逃れる術等皆無。
放った術は、メルヒオールの行使する聖霊術の内で最大、かつ最高の殺傷力を誇る。だがしかし、一撃の下に因る討滅が驚愕と停止を齎した、という訳ではない。
「……魔族が、魔族を庇うなんて……」
信じられない、と、ルイの口唇が微かに動く。裡から零れ落ちたのであろう独白は、全員の総意だった。
魔族については、確かに解明されていない事柄は多い。生態や棲息地どころか、正体ですら明らかになっていない。知性があり、人間の言葉を理解し、魔物と同じ獰猛さと危険性を有するが故に残虐で、醜悪な存在。そんな魔族が、魔族を庇った。まるで、護るかのように。
「……ずっと一緒にいる約束でしょ……?」
それは迷子になった幼子が、親を求めるかのような悲痛な声。
ふわり、と、珊瑚のドレスが大地に広がる。風に消えつつある真珠の傍らに座り込み、両腕を伸ばして抱き締める。抱え込まれた真珠の首が、がくり、と虚ろに空を仰いだ。
「……真珠ちゃん……」
耳許で睦言を囁くように、珊瑚の頬が真珠の頬と重なって。
――その亀裂音は、珊瑚の口元から響いた。裂けたのだ。
現れたのは人形を模したかのような、少女の如きその相貌からは到底想像し得ないであろう鋭利な牙。開かれた顎門は樹の洞めいて、深き淵の奥底にも似た暗い澱みに満ちている。
既に消え去った下半身と、辛うじて残留する上半身。その露になった首筋に、晒された喉元に、珊瑚は口唇を近付ける。愛おしき者に口付けを乞うかのような仕草が捕食の為の動作だったと騎士団の面々が覚ったのは、悍ましい異音が響き渡ってからだった。
「……真珠ちゃん……、真珠ちゃん……っ……」
生肉を食み、体液を啜り、骨を咬み砕く異常な音に珊瑚の小さな嗚咽が混じり、憐憫さえも感じるそれが増す毎に、邪悪な変化が魔族の肉体に生じ始める。
紅珊瑚色の蠍の肉体を、真珠色をした蜘蛛の脚が突き破る。鋏と毒針、そして、八脚。蠍と蜘蛛の歪んだ融合を助長するかの如く、名の由来であろう珊瑚の眼の片方が――右目の色彩が、鮮やかに変わった。まるで、光沢のある真珠を嵌め込んだかのように。
「……真珠ちゃんはァ……」
鮮血を滴らせる少女の口元が、歪に嗤う。
「……珊瑚とずっと一緒なの……」




