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先人の宿縁編 第七話―人間嫌い―




 その瞬きを目敏く捉えた壇上の一人が、傲慢と虚飾を支配に下しアルフレッドの名を呼んだ。

「――アルフレッドよ、早う我等が妹との婚約を固めよ。待たされ続ける(あれ)が不憫でならん」

「……ッ、」

 思わず失笑を洩らし掛け、拳を握り締める事で精神が肉体の制御に成功する。老人の言う妹とは、現在は寝台の上を居城とし、介助の手がなければ食事すら満足に行えない程に老いさらばえたヴァレンティーノ家の姫君(・・)の事だ。

「本家ヴァレンティーノ家の姫君を生まれ賤しい孤児ごときが娶れるのだぞ!何の不満があると言うのだ!」

 正確に言えば孤児(みなしご)ではなく棄児(すてご)なのだが。訂正するのも愚かしい上に、向こうも興味はなかろうな、と、やはり沈黙を選択する。

 そもそも姫君という名称は、兄である老人達がそう呼んでいるに過ぎない。単なる呼称でしかないが、ある筈もない己が生まれの高貴さを主張したいヴァレンティーノ家の老人共は、妹をずっとそう呼び続けている。

 そしてその姫君とやらは物心がついた時は先々代と、先代が跡を継いでからは先代と、そして現在は当代であるアルフレッドと婚約する事を夢想し続け、他家との婚儀を断り続けた。その結果、最早行き遅れという言葉ですら羞恥で逃亡せしめる程の年齢に達していた筈だ。子を孕める年齢(とし)等疾うに過ぎているというのに、老婆(姫君)は、未だに精霊使い御三家(ヴァレンティン家)当主の花嫁になるという妄執に取り憑かれ続けているらしい。

 それを不憫だと同調する事も、同情する事も出来ない程の暗闇が、アルフレッドを自身の過去へと連れていく。

 あの幼少期の経験は、アルフレッドの裡に在る深淵に重く刻み付けられた。







 アルフレッドとウィリアムには、三つの年齢(とし)の差がある。今となっては声音(こえ)相貌(かお)、その家名ですら記憶に無いが、血の繋がった実の両親(おや)に捨てられたのは、アルフレッドが七歳、ウィリアムはまだ四歳の頃だった。

 随分と遠い昔のように朧気な記憶ながら、最初はきっと、愛されていた。父親(ちち)に頭を豪快に撫でられ、母親(はは)は優しく抱き上げながら、よく子守歌を歌ってくれていた事をアルフレッドは記憶し(おぼえ)ている。

 今にして思えば……、と、アルフレッドは追想する。愛情が減少した理由は、恐らく貧困の所為だった。食卓から最初に種類が減って、次いで量が減っていった。それに伴い両親からは笑いが消えて、恰も反比例するかのように父の怒鳴り声と母の泣き声が増えていった。

 何も初めから困窮していた訳ではない。然程裕福ではなかったものの、日々の食事に飢える事なく慎ましやかに生活を送るだけの余裕はあった筈だった。だって、初めはそうだったのだから。

 怪我や病気で出費が嵩んだ、という事は無いだろう。捨てられたその日まで、両親は健康体だった。

 今となっては知る(すべ)も、また、興味も無い何らかの理由に因って財を失くしたのであろう両親はあの日、アルフレッドとウィリアムを(それ)と引き換えにする事にしたのだ。

 両親に引換(それ)を決意させたのが、両親の愛情が完全に消失した理由が、多分アルフレッドとウィリアム、二人だけに見える秘密の友達の存在だった。

 今ならば解る。友達(あれ)は、精霊だったのだ。

 あの日の母は、アルフレッドとウィリアムが何もない空間に向かって話しているのを見てしまったのだろう。厳密に言えば何も無い訳ではなかったのだが、少なくとも母には何も見えていなかったのだ。

 精霊の祝福とは栄誉(ほまれ)だけではなく、畏怖(おそれ)の対象ともなり得る。母親は後者だった。それだけだ。

 自身と弟の身柄とが、両親にどの程度の金銭を齎したのか。それこそ今となっては知る(すべ)もないが、アルフレッドとウィリアムは人攫いの果てに……等ではなく、実の両親の手に因って人買いへと売り渡された。

 商売というものは、需要があるからこそ成り立つもの。故に人買いや奴隷商を生業とする者がいるという事は、人間(ひと)を商品として購入する者が一定数存在するという事の証明である。

 その一定数の購入者に商品を仲介する人買いから、金銭を得て我が子を売った両親がその後どうなったのか、今どうしているのかといった疑問等、疾うの昔にアルフレッドの裡から失せている。

 人買いの手から購入者へと売られる前に、秘密の友達の手を借りてその人買いの下から逃れた二人に、両親の元に戻るという選択肢はなかった。自身と弟の身柄とが金銭(かね)と引き換えにされたのだという事、即ち自分達は両親(おや)に捨てられたのだという事を、アルフレッドは覚っていたから。

 逃げ出した人買いに見つかれば、どんな扱いをされるか判らない。知り合いに見咎められて、両親の元へ帰されたりする訳にもいかない。街の神殿に保護を求める、というのも悪手だ。神殿は身寄りのない子供達の暮らす施設としての機能もあるが、生憎アルフレッドとウィリアムは孤児ではない。人買いに売った筈の我が子が、街の神殿にいると両親が知ったらそれこそどうなる事か。

 そもそも街の誰か(大人)を頼る、という手段を、アルフレッドは初めから除外している。

 子供にとって最も近しい大人である両親から捨てられた、という事実は、幼いアルフレッドから大人に対する信頼を失墜させる事に遺憾なくその手腕を発揮してみせたから。

 最善であり、唯一であるアルフレッド達に残された手段は、一刻も早くこの街から出る事だった。

 それまでの短い人生で一度も街から出た事の無い兄弟はその日、初めて門を潜って外に出て、その門の向こう側――即ち、街の外には何も無かった事を知った。

 否、正確に言えば平原と、平原(それ)を貫くかのように街村間を繋ぐ街道が通っていたのだが、店舗(みせ)家屋(いえ)といった建造物の無い光景が、アルフレッドにはそう見えた。

 只、視界に飛び込んできた天空(そら)とは本来、こんなにも蒼く果てが無いものなのかと思った。今まで見上げていた青空(もの)は、街の建物の隙間から覗き見ていたに過ぎないのだ、と。

 不意に、この蒼穹(そら)の下に踏み出すのが怖くなった。果て無き蒼が、自分達の見えない未来を暗示しているように感じて、空恐ろしくなったのだ。

 どちらから、という事はなかった。隣に並んだ兄弟は、隣の兄弟へと手を伸ばした。アルフレッドはウィリアムへ、ウィリアムはアルフレッドへ。其々がお互いの手を繋ぐ事を望んで、そして、その望みは叶えられた。離すまいと握り合って、兄弟は漸く一歩を踏み出せた。




 歩き始めてすぐに、アルフレッドは気が付いた。子供二人だけで街の外を歩いている様が、旅人や行商人といった大人の目には異様に映っているのだという事に。

 奇異の人目に晒され、その結果の接触を回避する為に。二人は街道をそのまま進む事はせず、草や木々の生い茂る道無き道へと踏み入った。

 そうやって街を避け、人を避け、何処へ向かうのかも答えられないまま、アルフレッドはウィリアムと手を繋いだまま、ひたすら歩いた。歩き続けた。未熟な身体はすぐに足の痛みを訴え、何度その場に座そうと誘惑した事か。だがその度に、アルフレッドの瞳にウィリアムの姿が飛び込んだ。文句の一つも、泣き言も洩らさず、小さな口を引き結び、懸命に兄の隣を歩くウィリアムに何度勇気をもらった事か。

 両親に売られ、人買いから逃亡して、目的も分からぬままに彷徨って。そんな中、兄弟が一度も引き離されなかった事はアルフレッドにとっても、ウィリアムにとっても、互いの精神の正常を保つ重要な要因だった。

 アルフレッドは確信している。先代との出逢いまでお互いが発狂の海に沈む事がなかったのは、お互いの存在が故だった、と。

 そんな弟の姿に奮い立ち、歩き続けられたのはそれこそ最初(はじめ)の内だけで、すぐに身体は理性を撥ね付け、本能が歩行を拒絶した。周囲(あたり)に暗黒の帳が下りた事も、アルフレッドの足を止めるのに重要な役割を担った。兄の足が止まれば当然、弟の足も停止する。草むらに座り込み、痛む足と喉の渇き、空腹を自覚した後に、改めて自分達は捨てられたのだと悟った。

 日光という名の恩恵を受けられない夜の中で、少しでも暖を取る為に小さな身体を寄せ合った。その瞬間に睡郷の手招きと呼ぶよりは、意識を刈り取る睡魔の鎌が振り下ろされた。この草むらで眠る事の恐ろしさを考える間もなく、意識は泥濘の奥底へと落ちていく。心身の疲弊した幼子に、抗う術等なかった。

 やがて大海からの再生復活を遂げた煌めきが朝を連れてきて、夜露を纏った草むらの輝きに揺り起こされた意識は泥濘の(かいな)を振り払う。

 露に(まみ)れた惨めな棄児が、弟を抱き締めて眠りから目覚めた。その現実と向き合って、アルフレッドは弟の名を呼ぶ。兄に(いら)えた弟の相貌(かお)にも、自身と同じ絶望が色濃く影を落とす様を見て、まるで鏡に映したようだと自嘲する。

 身一つで人買いから逃れてきた兄弟に、飲料や食料等ある筈もない。だから、周囲の草を装飾する露を含んで渇きを凌いだ。同時に空腹を騙しながら、回復しきれていない短い足で再び歩いた。一処に(とど)まる恐怖が、兄弟の足を促した。

 正直なところ、自分達がどのくらいの間平原を彷徨っていたのかをアルフレッドは記憶していない。

 夜が来たら身を寄せて眠り、朝が来たら手を繋いで歩く。夜露を含んで渇きを慰め、空腹を諫める。そして、また夜が来る。

 終わり無い放浪の末に、幼い兄弟が辿り着いた先が《不帰之森》――数多の精霊達が棲息する森林地帯だった。

 それは、飢餓(うえ)口渇(かわき)とが本能の最前列に並んだ頃。アルフレッドの幼い瞳に鬱蒼とした森林(もり)と、()の傍らに建つ霊廟が映り込んだ。最も、当時は〝霊廟〟等という言葉自体知らず、小さな家として見えた霊廟(それ)に、アルフレッドは近付いた。

 心身は、疾うに限界に達していた。故に、如何なる思考の下にそう(・・)したのかは判らない。両開きの扉に付いた取っ手に、アルフレッドは手を掛けた。扉は施錠されていた。耳障りな空しい音が、室内(なか)には入れないのだ、と、嘲笑う(よう)に聞こえた。

 その場に座り込んだのは、ウィリアムが先だった。四歳という幼い身体が体験するには過酷な状況下で、寧ろ良くここまで耐えられたと言えるだろう。アルフレッドも既に弟を気遣う余裕も無く、崩れ落ちるように隣に膝を突いた。


「――おや、子供がいるね……大丈夫かな?」


 降ってきた声に瞳を見開き、乖離していた意識が繋がった。睡眠、というよりは気絶していたのだと、アルフレッドの脳裡が答えを弾き出しす。

 声の先、見上げた先には人間(ひと)が――大人の男性がいた。

 それが、アルフレッドと、ウィリアムと、先代ヴァレンティン家当主との出逢いだった。

 大人を映した瞳から脳内に情報が伝達されるより速く、差し伸ばされた手を振り払い激昂してやるつもりだった。大人なんかの手は借りない!と。

 だが実際は手を振り払う(そんな事をする)力すら残っておらず、アルフレッドの渾身の抵抗は弱々しげに空を掻き、その後大きく優しい手に握られた。声等、もう出ない程に自分達は衰弱していた。

 握られた手の温かさに、何故だか無性に泣きたくなった。否、もっとずっと前……両親(おや)に捨てられたあの日から、金銭(かね)と引き換えにされたあの日から、もうずっと自分は泣きたかったのだとアルフレッドは気付いた。




 次に意識が追い付いたのは、柔らかな寝台の上だった。直前の記憶に靄が掛かって、どうして寝台の上(こんなところ)で眠っているのか、という自身の問い掛けに正解を導き出すまでに、数秒の時を必要とした。

 緩慢に頭を動かして周囲の状況の把握に努めていたアルフレッドの思考が、手のひらに感じる温かさに奪われる。その感触が、手を繋いだままの弟の手のひらだと気が付いて。視界に入ったのは、隣で眠る弟の姿。ウィリアム、と名を呼ぼうとして、しかし、咽頭(のど)は掠れた吐息しか紡がない。

 身体を起こす事すら酷く億劫で、とんでもなく時間と体力を消費した。

 広い部屋だった。現在(いま)にして思えばそうでもないが、幼子だった自分には充分に広く感じた。

 扉が二つと大きな窓。その壁際にひっそりと、一輪の白薔薇が咲いていた。否、薔薇にしては随分と大きく、しかも花の中央部分から大人の女性が生えていた。

 動く事も、声を発する事もなく、只佇むように咲く白薔薇。

 別に驚きはしなかった。秘密の友達や街の至るところで見る人間(ひと)とは違う、何か。それらは自分達に何をしてくる訳でもないから、その容姿(すがた)に対してアルフレッドもウィリアムも恐怖を感じた事はない。

 恐怖はないが目覚めない弟を庇いつつ警戒の色を濃くするアルフレッドに対し、やはり何らの言葉もないままに、しかし、それまで微動だにしなかった白薔薇に咲く女性の瞼が初めて動いた。(まばた)きしたのだ。

 その後すぐに扉を叩く音と共に現れたのは意識を失う前に見た男性と、壁際の白薔薇と色違いの女性が二人。

 目を覚ましたんだね、良かった、と微笑む男性に毒気を抜かれる。差し出された器には並々と水が注がれていて、直前までの警戒が本能によって簒奪された。ずっと渇きを訴え続けた身体は本能(それ)と同盟を結び、アルフレッドは器に齧り付くようにして半ば貪るように飲み干した。思えば浅ましい行為と言えなくもないが、あの時は全身が水を求める程に必死だった。

 正直一杯だけでは到底足りなかったが、不足は想定内だったらしい。男性は黒薔薇の女性が手にしていた水差しから、器に水を注いでくれた。

 再び飲み干し、もう一度。計三杯を飲み干したとことで漸く身体全体に水が行き渡り、満ち足りた感覚に包まれる。

 どうして彼処に居たんだい?と問われた言葉に、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちで親に売られたのだと、捨てられたのだと明かした。

 身寄りがないのなら此処に住めばいいよ、と、その人は言った。

 言葉の意味が解らなかった。言葉を理解出来ないという訳ではなく、単純に発言に対して浮かんだ疑問だった。

 身寄りのない捨て子を、それも実の両親によって売られた二人を、何故?と。

 その答えは単純だった。先代も、同じだったから。否、自分達よりも酷かった。

 当時は幼さ故の無知から、正確に理解出来ていなかった先代の境遇。親同士が互いに浮気し、結果離婚する事となった。そして浮気相手との新たな生活に邪魔だ、という理由でまだ幼子だった先代は殺され掛けたのだそうだ。

 命からがら逃げ出したところを、たまたま依頼で街を訪れていた当時の当主――先々代に救われた。自身と弟を拾ったその人もまた、自分達と似た境遇の末に拾われたのだ。

「だから、君達の事は放っておけなかったんだ」

 アルフレッドの裡にある天秤が、競い合うように揺れ動いた。男性の言葉を信じたい希望と、見知らぬ大人等信用出来ないという猜疑心。しかし幼い肉体と精神は疲弊し、本能は休息を求めていた。

 だから、と、理由をつけた。この大人を利用して、疲れを癒す。だから、疲れをが癒えるまでは、それまでは此処に(とど)まってやる、と。今にして思えば、いじらしい幼子の精一杯の強がりだ。

 やがてウィリアムも目覚め、その日から始まった、アルフレッドとウィリアムのヴァレンティン家での新たな生活。

 マザーと名乗った薔薇に咲く、人でない存在。あちらこちらで目にするこの不可思議な存在を、精霊と呼ぶのだと。その精霊を自らの肉体や武具に宿し、魔物や魔族と戦う者を精霊使いと言うのだと。精霊を見る事の出来るアルフレッドとウィリアムは精霊の祝福を受けていると、即ち精霊使いとなれる可能性があるのだと。これは全て、先代から教わった事だ。

 そうして気が付けば、アルフレッドもウィリアムも、《不帰之森》での――ヴァレンティン家での生活が当たり前になっていた。




 いつの間にか養父となっていた男性から、常にない程真剣な眼差しで話がある、と言われたのは、拾われてから一年が過ぎた頃。

 その頃になると幼いながらも、アルフレッドとウィリアムにも精霊使いとしての資質が芽生え始めていた。

「我がヴァレンティン家は血筋ではなく森の精霊達に因って選ばれる。私は君達をこのヴァレンティン家の後継者として迎えたいと思っている」

 それから、御三家の事、ヴァレンティン家の歴史等、幼子には難しい話を、幼いアルフレッド達が理解出来るように養父は話をしてくれた。

「君達なら、ヴァレンティン家を継承出来る(・・・)……でも、強制するつもりはないよ」

 幼いながらも当然、アルフレッドもウィリアムも悩んだ。そして、二人で決めた。この家を――ヴァレンティン家を継ぐ事を。

 拾われ子から後継者となっても、生活に大きな変化はなかった。只アルフレッドもウィリアムも精霊使いになるという決意を固めた結果、森の精霊と契約を結ぶ事となった。

『シスターじゃ、よろしゅう頼むぞアルフレッド』

『キースと申します、ウィリアム様』

 アルフレッドにシスターと名乗った精霊は、半人半猫の容姿(すがた)をしていた。

 体躯は動物の黒猫と変わらず。ただし、猫の首から上部分は漆黒の髪と黄金の瞳が輝く幼女の上半身になっている。その幼い人型と釣り合う可愛らしい声をしていながら、口調は真逆に歳月(とし)を重ねた老女のそれだ。

 一方、長い胴体がとぐろを巻く、眼の無い大蛇の額から生える鱗に包まれた男性は、ウィリアムにキースと名乗った。この二体の精霊がアルフレッドとウィリアム、二人の契約精霊となった。

 通常、精霊は契約を重複出来ない。つまり精霊使いと契約し、契約精霊となっている場合は他の祝福者や精霊使いと契約を結ぶ事は不可能なのだが、この《不帰之森》の精霊達はその制約の外にある存在らしい。

 シスターもキースも養父と契約を結びながらも、アルフレッドとウィリアム、其々と契約を交わした。

 契約の完了直後からアルフレッドとウィリアムの髪と瞳は、養父と同様(おなじ)白銀と、紫水晶めいた煌めきに変わった。血の繋がりの無い自分達が、漸く本当の家族になれた気がした。




 気は進まないが一度連れて行かねばならない場所がある、と言われたのは、アルフレッドが十三歳、ウィリアムが十歳の時だった。

 苦痛を耐えるかのような表情に無理矢理浮かべた微笑みは、いつも優しい養父からは考えられない程に歪だった。

 その連れて行かれた場所こそ、今を以て、否、生涯嫌悪し続けると断言出来るヴァレンティーノ家だった。

 其処で相対した三人の男は、それこそ嫌悪と、侮蔑を煮詰めたかの如く胡乱な眼差しでアルフレッドとウィリアムを一瞥した。

 一人は怒号、一人は嘲笑に相貌を歪め、最後の一人は何らの感情も湧かぬ瞳で淡々と言い放った。それが後継か……?、と。短く肯定を返し頭を下げた養父に、鼻を鳴らした三人の後ろから、一人の女が歩み寄る。

 初めて逢った時はまだ、当然ながら老婆ではなかった。しかし、それでも親と子と言っても差し支えない程に、その女とアルフレッド達との年齢の差は開いていた。

 そして初対面でありながら、女はアルフレッドとウィリアムに向かってこう言ったのだ。貴方達の新しいお母様よ、と。

 脳裡(あたま)で意味の理解出来ない言葉が胸中(こころ)で形を成す前に、養父はいつもの優しい、しかしきっぱりとした口調で告げた。その件はお断りした筈です、と。

 養父の言葉が脳に到達した途端に奇声を上げて頭を、顔を、身体を掻き毟るその女の醜態に慌てた三人が、怒鳴りながら女を抱えて去っていく。訳の解らない光景に思考を停止させるアルフレッドとウィリアムに視線を合わせるようにしゃがみ込んだ養父は、ごめんね、もう帰ろうか、と、優しく二人の頭を撫でた。




 ヴァレンティン家の屋敷に戻って、アルフレッドは養父に訊ねた。あの家とあの男達、あの女は誰なのですか?と。

 養父は出掛ける前と同じ感情をその(かお)に浮かべ、話してくれた。ヴァレンティン家の本家を称するヴァレンティーノ家との確執を。

 多感であり、まだ子供であったアルフレッドは素直に嫌悪を表した。千年に及ぶ長い歳月(としつき)の中で、妄執に取り憑かれ続ける、狂った一族だ、と。

 その狂いから歪んだ一族の、恐らく最後になるであろう末裔。それが、あの三人の男と女であり、彼等は兄妹であるのだと、養父は続けた。

 自らを高貴な血族であると思い込み下賎な(いやしき)血が混じる事を拒絶し続けたが故に、一族の衰退を招いた結果があの最後の四兄妹なのだという。

 あの女性(ひと)は、夢想の住人なのだと、養父は語った。自身も後継者となり、ヴァレンティーノ家に連れていかれた時に、今のアルフレッド達と同じ言葉を掛けられたのだ、と。

「顔等……姿等、認識してはいないのだろうね。あの女性(ひと)は……」

 自身の夢想する結果と異なる言葉を聞き入れる耳を、頭を持たず。只、己こそヴァレンティン家当代当主(・・・・)の花嫁となるに相応しい。それ以外は何も視えない、狂った世界の狂った姫君。

 関係性を断ち切る事は不可能なのかと問うたアルフレッドに、関係性を断ち切るつもりはない(・・)と、養父は言った。これは、始祖であるフレデリック・ヴァレンティンの遺志なのだと。

「――……我等ヴァレンティン家は代々ヴァレンティーノ家の滅亡を望んできた……」

 優しき微笑みを表層から削ぎ落とし初めて見せた養父の憎悪に、アルフレッドは初めて養父に対して恐怖を、そして、自身に生じた恐怖の感情に驚愕した。まさか己が養父に対して恐怖(そんなもの)(いだ)く瞬間がくるとは。

 これを、と、養父が差し出したのは、初代ヴァレンティン家当主、フレデリック・ヴァレンティンの手記。劣化も傷みも無いそれは、薔薇のマザーの精霊術に因る効果だよ、と教えられた。

 自身に流れる血を嫌悪し、生涯独身を貫いて。不帰(かえらず)と呼ばれた森林(もり)の片隅で独り果てる筈だった初代は、次代後継者の出現によってその意志を変質させた。


「……歪み、狂った、滑稽な男の一族の最期を見届ける事を後継に望む……二度と血による縁は結ばず……妄執の果てに滅亡する無様な一族の破滅を誰よりも近くで観る為に……このヴァレンティン家を存続させる……」


 だから、彼方からの呼び出しには極力応じるし、慇懃な態度も崩さない。それでも裡には憎悪を、侮蔑を、嘲笑を、嫌悪を宿し、相対する。そしてその感情は、一切彼方には悟らせない。

 これは、と、思った。狂った妄執に取り憑かれ続けているのは、果たしてどちらの一族なのか、と。

「……アルフレッド、こんな事を言うのはきっと酷だね。でも君は、この家の当主に相応しいよ。歴代当主(私達)と同じ感情(もの)を、君はその身に飼っているから……」

 アルフレッドの深淵の奥底に沈む黒茶の髪と目の幼子が、深き淵から這い上がる。その幼子を背後から抱き締めた銀灰の髪の少年は紫水晶めいた瞳を細め、歪に嗤った。

 黒茶の髪の幼子は、銀灰の髪の少年に(いだ)かれ、再び深淵の奥底へと沈んでいく。そしてそれきり、二度と浮上してくる事はなかった。




 養父が亡くなり当代当主に選ばれたのは、アルフレッドの方だった。兄だから、ではない。《不帰之森》に棲む精霊達は、ウィリアムではなくアルフレッドを当主と認めた。そしてアルフレッドは生前先代がそうだったように、薔薇のマザーを筆頭に森林(もり)の全ての精霊達と契約を結んだ。今から七年前、二十八歳の頃だった。

 アルフレッドは当主に選ばれた自分と、選ばれなかったウィリアムとの違いをはっきりと認識している。己が身の裡に在る深淵に巣食う、根幹をなす思い。森林(もり)の精霊達と、初代当主と同様の感情……人間嫌いである事こそ、《不帰之森》を――《ヴァレンティン家》を継承する条件である、と。







「聞いているのかね!?アルフレッド!」

「――!」

 怒号によって過去から引き戻された視界に、憤怒の赤で装飾された醜悪な(かお)が映される。

 右肩に乗る半猫の姿の精霊が、恰も本物の猫であるかのように威嚇するのを制止する。威嚇したところで見えない輩には無意味な行為だ。

「お話は終わったようなので、これにて失礼させていただきます」

 これ以上沈黙を友としていたらその内親友になってしまう。もう我慢する必要はないなと自己完結し、アルフレッドは老人共に背を向ける。

「なっ!待ちたまえ!まだ話は……!」

(あれ)との婚約はどうするつもりだっ!」

 歩み掛けた足を止め、振り返って、きっぱりとした口調で告げる。

「その件はお断りした筈です」

 怒声が意味の伴わない叫びと化した室内から、今度こそアルフレッドは退室した。







「――僕はね、ジュディス……人間が嫌いなんだ……」

 愛しい姉の器が眠る寝台に身体を横たえて、テオドールは自身と一番付き合いの長い側近を、真紅の双眸に映し込む。

『はい。存じ上げております、我が君』

「だから、時々わからなくなるんだ……人間共(彼奴等)はバケモノで……でも、姉上も人間で……」

 それは答えを求めているかのような、正解を拒絶するかのような独白で。少なくともテオドールの紅玉には、既にジュディスの姿は映っていない。

「……姉上……」

 今、彼女が隣に居てくれたなら。今世に転生を果たした姉を思い浮かべる度に、彼女の傍に立っていた緑の目をした少年がテオドールの脳裡にちらつく。

「――ジュディス……朔を呼べ」

 妬心と狂気に内包された本能が願うままに、テオドールは狐の額部に埋め込まれた褐色の美女に冷ややかに命じた。




                  【先人の宿縁】

【宿縁の裏側】


「マザーさん、こっちにティティーが……いた!」

『ええ、来ておりますわ……ですが』

『……マザー好き~……お花好き~……』

「なんか酔っぱらいみたいになってる?!」

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