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大罪の証明編 第五話―ヴァレンティン家―




 ウィリアムの言った《不帰之森》とは、シンクレア家とも、ブラッドレイ家とも異なる方角に位置する、広大な森林地帯を示す通称の一つ(・・・・・)である。

 還らず、惑い、塞。かの森を表す通称は数あれど、正式な名称が存在しない事は、その通称の多さが物語っていた。

 何人(なんぴと)たりとも、かの森の全容を把握出来ない。一度足を踏み入れれば、二度と生きては出られぬ場所。

 人里離れた、というよりも、人の往来自体を拒絶する程奥深い樹海の内部(なか)に、ヴァレンティン家の屋敷は建つ。







 既に周囲(あたり)は、落陽の統治を逃れていた。夕闇の迫る中で眼下に果ての見えない緑が映り込み、漸く暗がりを脱したかのように、ライリーの双眸に光が戻る。

「……あれが、《不帰之森》……?」

 洩らされた独白が意識のないセオドア以外の瞳を全て、その森へと釘付けにした。

「……ナーシャ」

 アリシアに促され、アナスタシアが高度を下げる。




「……っ……」

 夜の気配が立ち込めて色濃い森との境に降り立った時、ライリーは、虚ろな深淵を意図せず覗き込んでしまったかのような不可思議な感覚を覚えた。

 それはまるで、予期せぬ侵入者を拒むかのような。この鬱蒼とした闇の彼方へと一度足を踏み入れてしまったら、もう二度と戻ってはこられないような。

 そんな言い知れぬ恐怖に似た何かが、ライリーの背筋を這い上がる。

 アリシアやユンの相貌も警戒に染まり、彼女の顔色は少しも回復の兆しを見せない。この感覚に支配されているのがライリーだけではない事を、それは如実に物語っていた。

「……え!?」

 故に。森の奥から不意に淡い光が明滅したと気付いた時、その場にいた誰しもが驚愕に因って目を見開いた。

 明滅する光は、ゆっくりと距離を詰めてくる。しかしその光は、人の手に持たれた燭台(あかり)等ではない事は明白だった。

 彼方から、此方へ。ゆらゆらと揺蕩うかのように、穏徐(かんじょ)な舞いを披露するかの如く光が、ティティーの顔程度しかない小さなものなのだと判ったのは、光がライリー達の面前へと到達してからだった。


『――お待ちしておりましたわ。お入りなさいな』


 光が声を発した。少し低めの、聞く者に安心感を与えるかのような女性の声音と共に、明滅する光が震える。

 光はまたゆっくりと、森の彼方へ、奥深くへと戻り始めた。

「……ついていけば、いいの……?」

『――ええ』

 茫然としたままライリーから紡がれた言葉に、先程の声が肯定を返す。

 誰が先に、という訳ではなく。

 ライリー達は明滅を繰り返す光の後を追い、《不帰之森》へと踏み込んでいった。







 人を拒絶しているのではと感じる樹海に、道等存在するのかと思っていたライリーの予測は、良い意味で裏切られた。

 舗装と呼ぶには程遠いが、揺らめく光の軌跡を辿れば、土を固めた簡易な細道が続いている。

 光に導かれるようにしてライリー達が歩を進めるその道以外には、樹木と草による楽園が築かれその繁栄を謳歌していた。


――……え……?――


 不意に、脳裡を過る違和感。夜が降りた森林内部に於いて、現在唯一の光源と言っていい明滅する光程度では、周囲全てを照らし出す事等到底不可能である筈。

 良く見える訳がない周囲が見える事こそ違和感なのだと思い至るのと同時に、樹木や草が淡く発光しているのだという事実にライリーは気付く。

 そして、湧き上がった違和感の代償(かわり)に消えたのは、森の境で背を這っていた……恐怖。

 揺らめき、明滅する光を導に歩む先。視界に映る幻想的な光景は不安感と警戒心を剥奪し、踏み入る直前まであんなに気圧されていた森林は、今はさながら柔らかな(かいな)で包み込まれているかのような絶対的な安寧を齎す。

「……」

 自身に飛来する奇妙で心地好い感覚に、疑問が声となって落ちる、その刹那。唐突に開けた視界に新たな景色が映り込み、ライリーから、疑問と言葉を消し去った。

「……?」

 其処は、あれ程生い茂っていた植物群が、全て刈り取られたかのようだった。

 代わりにその地に支配者の如く君臨していたのは、飛沫と轟音を響かせる瀑布(たき)と、瀑布(それ)が流れ落ちる先から生み出された、深淵(ふち)

 樹々の無い大地は当然ながら、天空を枝葉によって覆い隠される事はなく。天高く広がる蒼穹を、複数の綿雲が駆けていく。

「えっ!?」

 今度こそ、ライリーの裡から疑問が声と化して放たれた。

 夕闇の中で辿り着いた樹海を歩く内に夜が明けてしまった、等という事はないだろう。そんなに長い時間を歩行に費やしていた訳ではない筈だ。

 だが、明滅する光の後を追い踏み入れた森の中は、発光する植物達の楽園だった。あの幻想的な光景が、ライリーの判断を狂わせる。

『――今一歩、踏み出しなさいな』

 ライリーの声によって、というよりは、開けた先の景色に因って、現在は全員の足が大地に縫い止められている。その縛りを解き放ち、歩行の再開を促したのは、森との境で聞いた声。

 無意識に従うように、全員がその場から一歩を踏み出した、途端。ライリー達の眼前に、瀑布と深淵との(ほとり)に、木造の屋敷が出現した。


『ようこそ、お待ちしておりましたわ』


 屋敷の玄関口に三人の女性が立っている。しかし、淑やかで美しい女性達のいずれもが、人間(ひと)ではなく、精霊である事は明らかだった。

 赤と白、そして黒。大輪等という言葉では決して足りない巨大な薔薇が、それぞれ女性達の下半身を包んでいる。と、いうよりは、女性達の上半身がそれぞれの薔薇から生えていると言われたほうが、得心がいく容姿(すがた)

 女性達の髪と瞳の色とは、それぞれの薔薇の色と同色だった。相貌(かお)造形(つくり)から大地へ落ちる髪の長さまでそっくり同一で、色彩以外では、女性達の個体を判別する事は不可能に近いだろうと思われる。

 声を発したのは中央に佇む赤薔薇の女性で、その声はあの明滅する光が震えながら紡いだものと酷似して、否、同じ(もの)だった。

 光は役目を終えたとばかりに揺蕩いながら明滅を弱め、声を発した赤い女性の胸元に吸い込まれるかのように消えていく。

『キースから、ウィリアムの伝言を受けておりますわ。その身柄、吾等マザーが責任を持ってお預かり致しますわ』

 言葉に併せ、咲き誇る薔薇に咲く女性型の精霊達が、同一の動作で一礼した。







 マザーと名乗った半人半花の精霊達は、実に不思議な移動方法を用いた。そもそも下半身は巨大な薔薇の花であり足等存在しない為、歩行、という可能性は始めから選択肢外だったが。ならば、マザー達はどう移動するのか。

 脳裡を瞬時に駆け抜けた、飛行という方法は思考する間も無く除外される。しかし、一見愚かしいともいえるこの移動手段が、実は意外と正解に近しいものだったといえた。

 マザー達は、大地を滑るように移動する。

 咲き誇る巨大な薔薇は、大地に根差している訳ではなかった事がその移動方法によって証明された。

『ついてきなさいな』

 との言葉と共に滑り出した、赤い薔薇に咲く精霊に案内されて通された、木造の屋敷。

 マザーの声に従って足を踏み出すまで、全く目視出来なかった屋敷には、人の気配が感じられない。外装も内装も掃除の手が行き届いており、埃一つ落ちていない廊下や室内を見なければ、廃屋なのではないかと疑う程だった。

『アルフレッドはシンクレア家に向かいましたわ』

 現在ヴァレンティン家の当主(あるじ)は不在であり、留守を預かるのが、当主アルフレッド・ヴァレンティンの契約精霊、薔薇のマザーであるという。

 シンクレア家当主オスカーから再度届いた書状には、一通目の書状に記した御三家交流復活の真意である魔王の復活や、復活(それ)に関する一連についての記述があり、当主として一度シンクレア家に赴く事をアルフレッドは決断したのだそうだ。

「あの……」

 契約精霊であるマザーを伴わない事を不思議に思ったライリーが、素直に疑問を口にする。問い(それ)に対する赤薔薇のマザーから齎された返答は、あまりにも規模の大きなものだった。

「え!?森の全ての精霊と契約!?」

『えぇ、それがヴァレンティン家当主、代々の務めですわ』

 この《不帰之森》は数多の精霊達の棲処であり、同時に精霊が護る森である。

 森に棲まう精霊達と、精霊達を統括する三体のマザー。その精霊達全てと契約を交わし、森の守護者となるのが、初代から続く代々のヴァレンティン家当主の義務なのだとマザーは語る。

 故に現在、アルフレッドにはマザーとは別の契約精霊が追随しているそうだ。


――……精霊契約って一対一じゃないんだ……――


 神殿の司教であるウィリアムが、ライリーにとって初めて逢った精霊使いである。その後に出逢ってきたセオドアやユン、アリシアも契約精霊はサイラス、レィリィン、アナスタシアと各自一体のみだった。シンクレア家のオスカーやブラッドレイ家のイーサンもソフィアやシーラの一体だけに思えた為、ライリーは複数の精霊との契約は不可能なのだと勝手に思い込んでいた。どうやら、というよりも、まだまだライリーは精霊についての知識は浅いようだ。

 森の統括者たるマザーにはこの樹海(場所)を離れられない理由がある為、アルフレッドの追随は常に別の契約精霊が担うらしい。

『吾等マザーが森の内部に創造、展開する“狭間”……それが、この《不帰之森》の正体ですわ』

 マザー達は三体いるが、黒薔薇と白薔薇のマザーは森林全土を統括する為に赤薔薇である本体のマザーが創り出した複製体なのだという。

 マザーの発した狭間、という名称によって、ライリーの脳裡に想起された、閉ざされた空間。

 蒼穹(そら)に亀裂が走り、罅割れ砕けた、あの瞬間。

 剥落した先の虚ろな闇へと引き摺り込まれた体験と、その空間(さき)での一連の出来事。仔犬めいた精霊と、恐怖に彩られた記憶は、今も鮮烈(あざやか)さを伴ってライリーの記憶に刻まれている。


――……あれ……?――


 脳裡で追体験するかのような記憶の奔流の最中、不意に感じた、相違点。

「……歪み、が……」

 仔犬めいた精霊が生み出した狭間は、歪みを入り口としていた。歪みは門の役割を果たし、不規則に、そして瞬間的に、世界と狭間とを繋げてしまう筈。しかし、この森は?奇妙な感覚こそあれど、少なくともあの時のように歪みに引き摺り込まれてはいない。

 相違点は疑問点へと変化して、ライリーの口を借りその存在を主張する。独白めいた声を拾い上げたのは、赤薔薇に咲く精霊だった。

『それは野良精霊、もしくは魔族の場合ですわ』

「……野良精霊……?」

 独特の言い回しに反応したのは、言葉に聞き覚えのある二人。神殿出身者であり、神殿の司教ウィリアムからその言葉を直接聞いた事のあるライリーと彼女の二名であった。

『吾等契約精霊と幻獣の展開する狭間、そして野良精霊と魔族の展開する狭間には、明確な違いがありますわ』

 巣を張り巡らせ獲物を待ち受けるのかの如く、狭間を蜘蛛の巣、創造主(あるじ)を蜘蛛に例えられるのが魔族や野良――即ち未契約の精霊の創造する狭間であるならば、幻獣や契約精霊の創造する狭間とは、無意な侵入を拒み、閉鎖と隠蔽の特徴を有する。

 それは獲物の乱獲とは対極に位置する、専守防衛や籠城に近い。

『この森の精霊は皆、静寂と不変を好みますわ。故に躍動的に進化を続ける人間を苦手とする精霊が多いのですわ』

 忌避、というと些か大仰ではあるが、接触を好まない人間達との偶発的、或いは故意の侵入を拒む為に、この《不帰之森》は、森に棲む精霊達に因って正しい道が隠されているのだそうだ。

 通称の一つである塞とは、盛土等で外敵の侵入を防ぐ、或いは単に通行の遮断という意味を持つ。

 森と対峙して感じ取った不可思議な感覚、あの恐怖に似た何かは、どうやら森の精霊達に起因していたらしい。

『かつては侵入した人間を惑わせ死ぬまで森から出しませんでしたわ』

 故に、惑い、不帰(かえらず)とも呼ぶのだと言う。

 そう言い放ったマザーの微笑みは、人と同様(おなじ)である筈の相貌とは、 何故か掛け離れた笑みだった。

 ヴァレンティン家の当主と契約を行うようになってからは、マザーの異能である狭間に因って森への侵入自体を不可能とした。マザーの許可無しには何人(なんぴと)であっても侵入不可能という強い縛りを有するが故の、森林全土に効果を及ぼす侵入禁止の効力は、不規則に世界と繋がる歪みの発生を抑制する。これは他の契約精霊や幻獣の創造する狭間とも同様であり、自身の領域に引き摺り込んで優位性を保つ未契約精霊や魔族の狭間とは最早別物であるのだとマザーは続けた。

 大した距離を歩いた訳ではないのに夜が昼になっていたのは、今居るこの場所がマザーの展開する狭間の内(領域内)だったからなのだと、ライリーは理解した。

『――ところで……その方は怪我をされておりますの?』

 廊下を滑りながら、マザーはアナスタシアの背に伏したままのセオドアへと視線を向ける。

『……“炎”による攻撃を受けました。憑依し(おり)ていましたので重傷という程ではありませんが、意識が戻りません』

 マザーの声に答えたのはサイラスだ。その沈痛な面持ちから、炎に全身を包まれたセオドアは、サイラスを憑依(おろ)していなかったら今頃深刻な損傷を負っていたのであろう事が伺える。

『そう……、診せてごらんなさいな』

 薔薇に咲く三体の精霊達が、一つの扉の前で止まった。黒薔薇の精霊が扉を開き、全員の入室を無言で促す。客間として使用されているらしいその内装の室内には、中央に寝台が設えられていた。

 マザーはアナスタシアの背からセオドアを掬い上げ、軽々と持ち上げる。

 たおやかな女性の容姿(すがた)をしていてもやはり人間(ひと)ではないのだという事が、苦を労する気配すらないその動作から見て取れた。

 置かれた寝台にセオドアの身体を横たえたマザーの隣に、白い薔薇から咲いた精霊が並び立つ。

 セオドアの額に伸ばされた白薔薇の精霊の手のひらから、淡い光が放たれる。光はセオドアへと伝っていき、全身を包容した後、再び白薔薇の精霊の手のひらへと戻っていく。光の吸収を終えた白薔薇の精霊は、静かに後方へと下がった。

『……軽度の熱傷と擦過傷……身体は問題ありませんわ』

 赤みと若干の腫れはあるものの、水疱はない。痛みはあるだろうが、薬による処置で完治可能である事、身体に後遺症や痕は残らないであろう事が、続けて赤薔薇の精霊マザーの口から紡がれる。

『目覚めないのはこの方の精神性に問題があるのですわ』

 意識が戻らないのは、精神的な原因に因るものだろうとマザーは言う。

『この方は今、自身の内なる思考(ココロ)深海(ウミ)を揺蕩っているのですわ……』

「……こころの、うみ……?」

『自身の内にある迷いや葛藤ですわ。自身で向き合い、答えを出し、決断しなければならぬもの……辛抱強くお待ちなさいな、必ず目覚めますわ』

 ライリーの溢した声に(いら)え、最後に怪我の為の塗布剤を用意する旨を口にしたマザーの相貌は、慈愛に満ちて咲き誇る美しい花のようだった。







 処方された軟膏はマザーの指示に従って、サイラスが塗布している。その甲斐あって、セオドアの身体からは大方腫れや赤みが引いていた。このままいけば、怪我の完治は近いだろう。

 ニールから受けた頬の傷も、大分薄くなっている。

 ライリー達がヴァレンティン家に到着してから、今日で三日が過ぎようとしていた。


『今のこの方は所謂仮死状態……動物の冬眠のようなものですわ』


 マザー曰く、今のセオドアは深い眠りに陥っている状態に近いのだという。

 意識のない自分自身を生かす為に、セオドアの肉体は、現在極端に生命活動を抑制しているのだそうだ。

 目覚めないセオドアを心配するライリー達に対して、マザーは説明を怠る事はなかった。〝診る〟という言葉に偽りはなく、白薔薇の精霊は定期的にセオドアの容態を確認してくれている。

 そもそもライリー達が《不帰之森》、即ちヴァレンティン家へと向かう事になったのはウィリアムからの指示だったが、あれはヴァレンティン家当主であるアルフレッドの命令(めい)であったそうだ。

 つまり魔王テオドール・シンクレアと邂逅、対峙した時、否、対峙する以前から、既にヴァレンティン家には話が通っていた事になる。

 ヴァレンティン家当主、アルフレッドに宛てられた二通目の書状。その内容はアルフレッドからウィリアムへと伝達さ(つたえら)れ、ライリー達、正確には彼女の避難先として堅牢堅固を誇る《不帰之森(マザーの狭間)》、ヴァレンティン家がウィリアムによって推薦され、アルフレッドによって承認された。

 更にウィリアム、アルフレッド両名の事前の配慮によって全員分の客間が用意され、その室内は全て清掃の手が行き届いていた。そして食事に至っては、マザー自身が毎回腕を揮ってくれている。

 しかしその用意された一室の中で、彼女の為にと整えられた部屋だけが、今も未使用のままでいた。







 精霊使いの屋敷とは、基本的に人里から遠く離れたところに建つ。その最たる理由は戦いに身を置く者の屋敷として、周囲(まわり)に被害を齎さない為である。

 イーサンの生家であるブラッドレイ家が山腹の崖に建てられているのも、無用な戦禍を及ぼさない為の例に漏れない。

 だが、当然ながら例外はある。例えば、勇者の功績を認められたシンクレア家。その屋敷は、元々は四方の内三方を荒野に、前方に森林が広がっていたが、魔王を討滅したという勇者の近くへと移住を望んだ人々がその森林を開拓し、居住を始め、街を造った。

 家に祝福を受けし者が生まれ、更に精霊使いとして覚醒した者の生家は元から街中や村に建つ事の方が多い。此方は後に生家を離れ、新居を構える場合もあるが。

 シンクレア家当主、オスカーからの書状を契機としてイーサンが訪れる事となったシンクレア家の屋敷の規模は、自身の屋敷と大差無いものだった。

 門前にてイーサンを出迎えた黒髪の男。初めて(まみ)えたシンクレア家当代当主、オスカー・シンクレアという名のその男は、一見冷ややかな雰囲気を纏っていたが、当主然とした態度がそう見せるだけで本質は冷淡とは異なるのだろう。

 当主であるオスカー自らの案内で通された応接室内には、既に先客の姿があった。銀灰の髪を三つ編みにして肩から流した壮年の、恐らく三十代半ばであろう男。湖水を思わせる紫水晶めいた双眸は、驚愕と得心という相反する感情を同居させ、イーサンの姿を映している。

「――ブラッドレイ家当主殿とお見受け致します。私はヴァレンティン家当主アルフレッド・ヴァレンティンと申します」

 男の発した言葉は、イーサンの予想を裏切らなかった。この男が御三家の一角、若くしてヴァレンティン家の当主となった、アルフレッド・ヴァレンティンであるらしい。

「ブラッドレイ家当主イーサン・ブラッドレイと申す」

 シンクレア家の屋敷にて、精霊大戦の後より交流の断絶していた御三家の当代当主達が一堂に会する。予測に上がる事すら無かった対面は事態の緊張さを孕み、やや硬質的な雰囲気の中、かくして叶う事となった。







「――起きないね、セオドアくん……」

「……」

 白く清潔な寝具によって整えられた寝台の上に、未だ目覚めないセオドアが眠っている。

 様子を見に来たライリーの言葉に、椅子に腰掛けた彼女が小さく頷いた。

 彼女は食事や入浴といった必要最低限の行動以外は、セオドアの部屋に(とど)まっていた。寝台の横に置かれた小さな椅子に座す彼女に、ライリーを含め、アリシアやユン、ティティーやアナスタシアといった精霊達も休むよう声を掛けたのだが、彼女は頑なに首を振り、椅子に座り続けている。

 お好きなようにさせなさいな、とは、マザーの談だ。


『……失礼、食事の支度が整いましたわ』


 彼女と共に目覚めないままのセオドアを見詰めていたライリーの耳が、マザーの声と扉を叩く音を拾った。

 一拍の後、静かに扉を開いて入室したのは、赤い薔薇から咲く精霊の姿。

「……お姉ちゃん……」

 顔色を伺うように発した言葉は、思いの外細く、小さく掠れてしまっていた。それでも至近距離から放たれたライリーの声は、彼女へと無事到達したらしい。気落ちしたままの相貌が、僅かに動いた事が判った。

『大丈夫ですわ。貴女方のご友人であるこの方は、迷いや葛藤に屈伏する程、弱い方ではないのでしょう……?』

 それに、と、マザーは続ける。

『この森は戦火とは無縁で泰平ですわ。ヴァレンティン家がその身をお預かりする以上、貴女方の安寧は吾等マザーがお約束しますわ』

 そうして、安心なさいな、と、マザーは優しく微笑んだ。




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