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後胤の宿命編 第六話―成り代わりの残曛―




 ライリーの〝憑依〟という言葉を聞き取って、〝成り代わり〟という正解を与えたのはアリシアだった。それは、先程ユンも言い放っていた言葉(もの)だったと、彼女もアリシアへと視線を移す。

「成り代わりって……?」

「……彼女が灯火の精霊に憑依された時に俺が言ったことを覚えているか?」

 新たに湧き上がったライリーの問い掛けに、セオドアが答えた。夕暮れを閉じ込めたような橙色は、苦し気に細められたままでいる。

 失踪した彼女を捜して、ライリーはセオドア達と共に異界へと赴いた。異界(そこ)で灯火を名乗る小さな赤い精霊に憑依された彼女を発見した事を、ライリーの記憶が呼び起こす。


「無理矢理憑依を続けたら、彼女が死ぬぞ?」


 あの時、憑依された彼女を発見したセオドアの相貌は、緊張と焦燥を宿していた。そして、鋭さを湛えた瞳に厳しい光を煌めかせて言ったのだ。彼女が死ぬ、と。

「憑依状態が長く続けば、憑依された人間は死んでしまう」

 セオドア達精霊使いが行使する精霊術“憑操術”は、憑依(おろ)した契約精霊に精霊使い(自身)の肉体の支配権を譲り渡す事で発動する。器となった肉体を通じて、契約精霊が精霊術を行使する為に、精霊使いは肉体の支配権を譲渡する。代わりに、精霊使いは強靭な意思をもって意識を保ち続けなければならない。その理由は、精霊と人間との肉体の構造の違いにある。精霊は実体化こそ可能だが本来肉体を持たない種族の為、人間が生命維持活動に必要な呼吸を行う事が出来ない。呼吸しなければ、人間は心肺が停止する。精霊の宿った肉体が生命活動を停止しない為にも、精霊使いは自身の意識を保ち続ける必要がある。

 しかし、“憑依”の場合は宿った精霊に対して、器である人間側には肉体の支配権を譲り渡す意思がない。精霊が肉体を完全に支配出来ない事で人間側には僅かに支配権が残り、最低限の生命維持活動である呼吸を行う事が出来るのだ。

「例え呼吸を続けられても、飲まず食わずなら人は死ぬ」

 精霊は肉体を持たない。故に当然、飲食や排泄を行う事もない。人間の生命維持活動に必要なのは、呼吸だけではないのだと、セオドアは続ける。


――……だからあの時、セオドアくんは……――


 彼女に憑依した灯火の精霊に対して、穏やかな(かお)(しか)める程の反応を示したのだ。

「成り代わりはその言葉通りの意味をもつ……つまり、憑依した精霊が(・・・・・・・)器の人間に(・・・・・)成り代わった状態(・・・・・・・・)を言う」

 セオドアの言葉を受けて、漸くライリーは理解した。少年の肌が蒼白な理由。そして、瞳がどこか虚ろな意味も。

 この眼前の、まだ幼い少年は、既に亡くなってしまっているのだという事を。


 あの子は、宿った精霊に因って命を喪失し(うしなっ)てしまったのだと。


「……」

 背筋が凍ってしまったのかと錯覚する程に、急激に体温が下がっていくのをライリーは自覚する。隣の彼女が口許に当てた手が小さく震えている理由は、恐らく、否、ライリーと同じなのだろう。

「一度成り代わってしまったら、もう引き離せない……身体が限界に達するまで精霊は器である人間の肉体に留まり続ける」

 肉体が腐敗し朽ち果てる、その瞬間(とき)まで。

「……だから、精霊から引き離すために器になった人間の身体を損傷させる必要がある」

 セオドアの言葉を引き継いで、アリシアが静かに言い放つ。

 器となった肉体に一定以上の損傷を与えると、精霊は肉体から引き離される。もしくは、損傷した肉体()を操る事が困難となり、精霊自らの意思で離れるのだそうだ。

 死者の身体に損傷を与えるという事は、肉体を傷付けるという事。その行為こそ死者に対する冒涜と呼ばれ嫌悪される事もあるが、人の尊厳を踏み躙る成り代わりという行いを精霊使いとして許す訳にはいかない、と。

 アリシアの発言に、彼女はセオドアとユンの浮かべる表情の意味を理解した。

 厭わしさと苦々しさの中に、僅かな憐憫(あわれみ)を潜ませながらも、少年の腕を躊躇する事なく折ったユン。

 ユンとは真逆に苦痛に塗れ、攻撃自体を躊躇ったセオドア。

 二人の精霊使いによる対極とも言える行動の根底にあったのは、器となり生命(いのち)を落とした幼い少年に対しての、二人の感情(おもい)だったのか。

「――その身体から引き離す」

 掟霊解放したアリシアが、アナスタシアが具現化させた短剣を構えた。臨戦態勢をとるアリシアの攻撃を妨害する為に、少年も身構え口を開いて……、

「『“六花”』」

「『……ッ!?』」

 少年が()を紡ぐより速く。銀雪の名称()に相応しい短剣が、その喉笛を刺し貫いた。


「残念。斬り刻むだけだと思った?」








 その精霊には、世界に誕生した時に自覚した名前があった。だが、精霊にとってそんな音の羅列に過ぎない名称よりも、とある少年の与えてくれたマルという名称(なまえ)のほうが余程重要で、価値があった。

 少年は山間部の、小さな集落に住んでいた。四方を囲む深山幽谷は他の人々の侵略も、その往来すらも拒否し、結果として集落は交流を生け贄に安全性を保っていた。

 山谷(さんこく)は村や街との関わりを絶たせ、代わりに集落の自給自足率を向上させた。

 その集落に名称はなかった。そもそも人の往来も交流もない集落に、名称等必要とされる筈もない。

 完全に他と隔絶され、閉鎖された小さな集落(世界)。それが、その少年の世界(全て)だった。


「お前はマルそっくりだね!」


 両親と暮らす少年は、マルと名付けた犬を飼っていたらしい。だが(マル)は死んでしまい、その飼い犬と似ている、という安直な理由から、少年は出逢った精霊をマルと呼んだ。

 どうやら少年は精霊の見える者――祝福を受けし者だったらしい。


 少年に〝マル〟と呼ばれたその日から、精霊の名前はマルになった。



「おいで、マル!一緒に遊ぼう!」


 精霊(マル)は、名前を与えてくれた少年の傍にいる事にした。それは感謝や恩返しとは少し違った。名前を与えてくれたとはいっても、精霊(マル)は名前をもっていなかった訳ではない。


 強いて言うなら、気まぐれだった。


 山も森も谷も川も。集落を囲む自然は全て、等しく少年の庭だった。


「マル、お前は友達ってわかる?」


 ある日、少年はそんな言葉を口にした。


「母さんが言ってたんだ、お前にも友達がいればねぇって」


 閉ざされた集落内で婚姻を繰り返した結果、人口は減少の一途を辿りつつあった。

 集落には少年以外の子供はおらず、いずれ来る未来に希望はなかった。このまま滅びるか、集落を捨て山へ踏み入り、見た事もない新天地を目指すべきか。

 深山幽谷が外敵を寄せ付けない天然の要塞であると同時に、集落は閉ざされた檻だったのだと人々は漸く気付いたのだ。

 少ない人々による少なくない話し合いの結果、人々は滅びを選択した。深い山々を分け入って、いつ果てるとも知れぬ流浪の旅の末、あるかも分からぬ新たな土地を求めるよりは、生まれ育った集落()と共に滅亡する事を選び取った。


 生を諦めた訳ではなく、只滅びを受け入れた人々の生活はそれまでと何ら変わる事はなかった。

 日々のささやかで慎ましい暮らしに満足し、一日を終える。そして翌日には、先日と同じささやかで慎ましい一日が始まる。

 精霊(マル)も変化のない日々を、少年と共に過ごした。

 変化のない閉ざされた集落(世界)に異変が起き始めたのは、少年が大人になった頃だった。

 そう、子供だった少年は成長し、いつしか大人になっていた。

 異変は死という牙を剥き、無言で人々に襲い掛かった。

 最初に老いた者から死んでいった。

 集落で一番老いた者、その次に老いた者と、次々に死はその腕を伸ばし、容赦無く牙を突き立てた。

 少年は幾度となく、人々の死を見送った。

 最後に異変に抱き竦められて死の牙を突き立てられたのは、少年の母親だった。それは少年が父親の死を見送って、まだ間もない時だった。

 最早集落とは呼べない、独りきりの(世界)の中で。大人になった少年はいずれ訪れる滅亡を、揺籃(ゆりかご)であり檻でもあった集落(世界)の終焉を待ちながら、細々と生き抜いていた。


「……おいで、マル……一緒に遊ぼう……」


 精霊(マル)は変わらず、少年の傍にいた。一時の気まぐれが随分長く続いたものだと自嘲しながらも、どこか空虚で満ち足りた、狭い世界は居心地が良かった。


 この日々はきっと、幸福だった。


 あれは確か、大人になった少年の見た目が、死の間際に見た少年の父親と同様(おなじ)になった頃の事。

 瑞々しくしなやかな、若木のようだった少年の身体は、枯木のように痩せ衰えて。

 その頃になると少年は寝台から起き上がれなくなり、精霊(マル)と遊ぶ事も出来なくなっていた。

 そう、異変の(かいな)は、優しく残酷な死の牙は、遂にかつて少年だった老人へと伸ばされたのだ。

 そして、終焉(おわり)は訪れる。

 集落(世界)の、唯一の生存者(生き残り)――少年の()が来た。


「……マル、……………友達…………………」


 老衰よって嗄れた声が、精霊(マル)が聞いた、少年の最期の言葉だった。

 かつて少年だった老人が死んで、集落は滅んだ。それは同時に精霊(マル)の世界の滅亡も意味していた。

 気まぐれだと思っていた、少年の傍に在った日々を本当は望んでいたのだと、少年を喪って精霊(マル)は気付いた。


「……マル、……………友達…………………」


 少年だった老人から、呟くように落とされた最期の言葉が、精霊(マル)の裡で燻り続けた。

 少年はきっと、ずっと友達を求めていた。生命(いのち)果てるその間際に口にする程に、友達を渇望していたのだろう。

 閉ざされた集落(世界)に生まれ、決定権の無いまま滅亡を受け入れ、最期はたった独りきりで死んでいった少年の願望(ねがい)を、精霊(マル)は叶えてあげたいと思った。


 ――だから精霊は、友達を連れて来る事にした。


 自身が異能持ちだと知ったのは偶然だった。そして発現した“狭間”と呼ばれるこの異能は、精霊にとって都合が良かった。

 異能で創りあげた狭間に、精霊は少年と同じ種族である人間を招いた。狭間の入り口である歪みは不規則に世界と繋がる為、招く人間は選別出来ない上に、招いた人間はいつもすぐに死んでしまうけれど、死んだらまた新しい人間を招き入れた。友達は、なるべく多い方が良い。沢山の友達に囲まれている方が、少年だって嬉しい筈だ。

 招いた人間の内の何人かは「境界に来てしまった」だとか「魔物の棲処だ」とか言っていたが、精霊にはよく解らなかった。もっと言えば、どうでもよかった。これは後で知った事だが、どうやら人間達の間では〝世界の一部が剥落し、そこから魔物が出現する〟という話を信じている者が多いらしい。

 人間等の生物(いきもの)が住む世界と、幻獣の棲処と呼ばれる異界。そして世界にも異界にも属さない、境界と呼ばれる場所には魔物が棲息している。世界の一部が剥落して変質し、歪んだ地点が入り口となって、世界と境界とが繋がる。このなんの根拠も信憑性もない仮説を、人間の大半が信じているそうだ。

 この狭間(場所)を人間達がどう思っていようが、精霊にはなんの関係もない。精霊にとっては境界等、在ろうと無かろうと心底どうでもいい事だった。招いた人間達が皆、少年の友達になってくれさえすれば。

 招き入れる人間の殆どは精霊の姿を視認出来なかったが、中には少年と同様に見える者もいた。更に見える者の中には、契約精霊なる者を連れた者もおり、彼等は自分達の素性(こと)を精霊使いだと名乗った。精霊使いは見える者達の中でも特殊な存在だと精霊が知ったのは、何故か怒りを露にした精霊使いとやらから攻撃を受けたからだった。

 通常、実体の無い精霊達は、人間から攻撃を受ける事はない。その代わりに精霊達も肉体を持たないが故、世界に自身の属性を具現化する事は出来ない。

 しかし精霊使い達は契約精霊の操る精霊術を行使する事で、肉体が無い筈の精霊に直接攻撃をする事が出来た。

 自身の属性である精霊術を行使する為には契約精霊同様に器に宿る必要があるらしいと理解した精霊は、精霊使いの戦い方を学び、自身の属性である“音”を使って精霊使いと契約精霊とを引き離す事を覚えた。

 精霊が自覚した自身の属性は、地属性の中でも稀少な(もの)

 振動に因って音を発生させ、その発生させた音を攻撃に転換するこの属性の発動条件は、自身が音源と成る事。だからその音を発生させる為に、精霊は招いた人間の一人に憑依した。

 憑依によって器となった人間の声帯を利用する事で、精霊使い達には精神的に打撃を与え、尚且つ精霊使いの発する契約精霊に対する呼び声を遮断した。

 憑依した人間の肉体が少年と同じような姿に変わると上手く操れなくなる為、そうなったらその人間()からは離れて、また別の人間に憑依する事を精霊は繰り返した。

 これまでは、全て上手くいっていた。契約精霊と引き離された精霊使いは精霊に攻撃する(すべ)を失い、他の人間達と同じように少年の友達になった。一方契約精霊は、狭間の中の更に閉ざされた空間に放置していたら、いつの間にか消滅していた。

 友達は沢山出来た。このままもっともっと増やしていけば、少年はきっと喜んでくれる。

 今回は五人も歪みに引き摺り込まれてくれた。精霊を連れていたが故に精霊使いである事は明白だったが、今まで通り契約精霊と引き離せば、全員が少年の新たな友達になってくれる筈だった。

 だって如何に精霊使いと言えど、自身の契約精霊と引き離されれば攻撃の手段は皆無なのだから。


 そう、皆無である……筈なのだ。


 眼前で短剣を構える、金髪の少女。深く、青い瞳の少女の存在は、精霊にとって全て想定外だった。だって、どうして予想出来る?罠の欠陥を突いて扉を開け、引き離された契約精霊を捜し出せる、そんな天敵じみた精霊使いがいるなんて。

 器の咽頭(のど)は潰された。少女の短剣に貫かれている以上、声帯(こえ)を利用して音を発生させる事はもう出来そうにない。


――……代わりの器を……――


 せっかく招いた友達が傷付くのは惜しいが、ここは代わりの友達()に憑依するしかない。

 しかし、それを見計らっていたかのように。

「『“六花”』」

『……ッ!』


 器から離れた精霊を、銀色の短剣が貫いた。








 アリシアに宿ったアナスタシアから放たれた、銀色に輝く短剣が、少年の喉笛に突き刺さっている。

 声帯を手荒く潰されて、()を発する手段を失ったのだろう。少年に憑依した(成り代わった)精霊が、ぐらついた身体をよろめかせた。

「『……!?』」

 動きの鈍った少年に、追撃を仕掛けようとしたアリシア(アナスタシア)が止まった。否、アリシアは腕を掴まれて、強制的に制止させられている。

 腕を掴んだのは、セオドアだった。

咽頭(のど)も潰した。腕だって折れてる……これ以上傷付ける必要はない」

「……」

 夕暮れの空と深海が、瞬間的に交錯する。一瞬の邂逅の後、セオドアの橙から逸らされたのは、アリシアの青の方だった。

 攻撃の構えは解かないものの、追撃の意思を改めたアナスタシアに、セオドアも掴んでいた腕を放す。

 水面(みなも)を揺蕩うかのようによろめいていた少年が、一際大きくぐらついた。次いで、見えない支えを失ったかの如く、傾いだ身体が倒れ込む。伏したまま動かない、糸の切られた傀儡めいた力ない肉体は、精霊の分離を意味していた。

 重なり合って視えていた肉体から離れたのは、仔犬と酷似した精霊だった。薄茶色の体毛も、小さく痩せた体型も、通常の仔犬と何ら変わりない。

「『“六花”』」

『……ッ!』

 哀れな少年の肉体から離れた精霊を、アナスタシアの短剣が襲った。

 一度ならず二度までも、正確さをもって放たれた短剣が、仔犬めいた精霊をすり抜けずに刺し貫く。

 精霊は実体を持たないが故、通常は実体を有するもの――即ち人間や他の生物からの攻撃は効果が無い。その理由が、例え実体化していたとしても、祝福者達でなければ視認や認識が不可能な事に関係があるのかは、現在でも解明されていない。しかも、祝福者ならば実体化した精霊に触れる事は可能である筈なのにも拘わらず、祝福者の側が攻撃の意思をもって触れんとした場合のみ、祝福者の身体は精霊をすり抜ける事が確認されている。

 人が精霊に触れられないように、物理的な攻撃は、全て精霊をすり抜けて無効化されてしまう。しかし、当然ながら例外はあった。それは属性の伴う攻撃であり、属性の力を扱える精霊や幻獣、魔物や魔族の攻撃がそれに当たる。つまり契約精霊をその身に宿す精霊使いの行使する精霊術も、有効の範囲内という事だ。だが、憑依や成り代わり中では器となった肉体が盾のような役割を果たし、精霊に直接攻撃をする事が出来ないのだそうだ。だからこそ、肉体から精霊を引き離す必要があるのだという。

 精霊を貫いた瞬間に、銀色を纏った短剣は雪が溶けるかのように消え去った。少年の咽頭(のど)に突き刺さっていた筈のそれも、やはり跡形も無く消えている。これは短剣が実物ではなく、あくまで精霊の属性に因って具現化された武具である事の証明だった。現にアリシアの両手には、放った筈の短剣が煌めきを帯びて復活している。だが、鋭さに装飾されていた眼光が落ち着きを取り戻すのと同時に、アリシアは(ふた)つの短剣を消滅させた。構えも解いている。

 凪いだ深海(うみ)が見詰める先には、親犬を見失った仔犬のようにふらつきながら、覚束無い足取りで歩む精霊の姿があった。踏み締める力すらないと見えて、今にも消え入りそうな程の、否、既に消滅が始まっていた。

「……消えちゃ(死んじゃ)うの……?」

 ライリーの思考を占めていた言葉が、無意識に口から零れ出る。

「……人に害をなす精霊は討伐対象だ」

「発見次第速やかな討伐が精霊使い(オレ達)には義務付けられている……」

 最初に反応したセオドアに続いて言葉を発したユンの声に、精霊使いの依頼や任務についてセオドアが語っていた事が、ライリーの脳裡を過っていく。


――……そうだった……――


 異界から帰還したあの日、《銀の馬のしっぽ》にてライリーはセオドアに様々な話を聞いた。ライリーが疑問を投げ掛け、セオドアが答える。時にサイラスが補足する形で行われた遣り取りは、ライリーの知的好奇心を刺激し更なる疑問が溢れ出て、話題が尽きる事はなかった。その数あった話題の中、精霊使いの依頼についても、ライリーはセオドアから聞いていた。

 精霊使いの任務とは完全依頼制だと思い込んでいたライリーだったが、任務は依頼(それ)だけではないらしい。

 そもそも精霊使いとは本来、〝世界と異界を繋ぐ為に在る者〟なのだと、セオドアは言っていた。精霊使いが現在のように、組織化や制度化していなかった時代。精霊を身の内に宿せる精霊使いは、精霊と同じように世界と異界を視る者なのだと、人々から認識されていたのだそうだ。やがて時代(とき)の流れと共に、精霊使いに対する認識や、その立ち位置も変化していった。

 当時から人々は、魔物の驚異に晒されていた。その驚異から人々を守護す(まも)る為、精霊使いの中から精霊術を行使する者が現れ、魔物に対抗し始めた。そうして徐々に組織化や制度化が確立されていき、精霊大戦以降、精霊使いは人に害を為す魔物や魔族を討伐する存在として人々に認知されるに至った。

「魔物の討伐は完全依頼制だが……」

 実はより重きを置くのは魔物や魔族といった単語ではなく、人に害を為す(・・・・・・)という言葉の方なのだと、セオドアは語った。

 魔族、特に魔物の被害は単純であり、同様に明快でもある。魔族や魔物には実体がある上、人を襲うというその特性上、襲撃に対する実害も分かりやすい。

「逆に精霊の場合は被害が表面化しにくいんだ」

 精霊は万人に見える存在ではなく、実害にしても精霊自身の美学や思考に基づいて行動した結果の為、発覚そのものが困難な場合が多いのだそうだ。

 現に彼女の失踪の原因となった灯火の精霊も、彼女を守護し(まもり)たいと思うが故に、灯火が行動を起こした結果だった。

 あの時のサイラスの、哀し気に告げられた言葉が、ライリーの裡に響き渡る。


『人の思いと精霊の思いは別物です。種族が異なるので当然ですが、思考回路そのものが違う。精霊側が良かれと思ってした事が、結果的に人に害を齎すといった事例は、精霊絡みの事件に於いてはそう珍しい事ではないのですよ……残酷な事にね……』


 彼女のように人の目に触れない精霊の起こした行動の結果に因って、実際に害を被ってしまう人々も多い。そしてこの場合、精霊使いが依頼を受けた時には事態が深刻化していたり、既に手遅れという状況になっていたりする事もあるのだという。故に、どういった経緯であれ、人間(ひと)に害を及ぼしてしまった精霊は、発見した精霊使いによる討伐が決定付けられているのだそうだ。

「……本来ならあの灯火の精霊も討伐対象だったんだ」

 力を使い果たして消滅した、小さな赤い精霊。

 人の意思に関係なく無理矢理憑依する事は、器となった身体の機能を停止させる、成り代わりに発展する可能性がある。そして、成り代わりは重罪である。だから器となった人間を結果的に殺めてしまう事になりかねない憑依と呼ばれる行動自体、決して許されるものではない。

 事実、ライリー達の眼前で伏している少年は、憑依していた仔犬めいた精霊に因って生命(いのち)を落としているのだから。


「精霊の力の源は、大地の気を取り込むことなんだ」


 シンクレア家へと赴く途中に立ち寄った村で、精霊が感染していた事が、次いでライリーの脳内に再生される。

 精霊の消滅は、通常は力を使い果たした時。

 正確には精霊(自身)の力の排出が、大地の気の吸収を上回った時、即ち通常時は保たれている筈の排出と吸収の均衡が崩れた時、精霊は消滅する。

 宿屋の夜の談話にて。ライリーはこの精霊の消滅についてサイラスに問い掛けていた。

『精霊は肉体を有しませんが、属性による攻撃は精霊自身にも有効となり傷を負わせる事が可能です』

 そもそも肉体が存在しない為、傷を負うという表現は厳密に言えば正しくはない。正しくはないが、解り易く説明する為に、サイラスは敢えて〝傷を負う〟という表現を用いて説明してくれた。

『傷を負った精霊はその傷を治癒する為に自動的に気の吸収が高まります……通常はこの方法で精霊は属性の攻撃によって傷付いた箇所を修復出来るのですが……』

 生物に自己治癒力があるように、属性を伴う攻撃を受けた精霊は大地の気を吸収する事で損傷部を補うのだという。

『一方で、攻撃を受けた箇所は自動的に力を放出しているのと同じ状態に陥ります』

 例えばそれは、切り口から血が流れ出るようなもの。速やかな止血を行う事で血液の流出を防げれば、生物が生命(いのち)を落とす可能性を一つ排除出来るように、吸収が放出を上回れば精霊は消滅を免れる。

 逆に言えば、血を流し過ぎた結果生物が失血死するように、放出が吸収を上回った瞬間、精霊は消滅が始まるのだという。

「……」

 よろよろと歩む精霊が、ライリーを過去から引き戻す。

 消滅し(きえ)かけている精霊は、ライリー達からゆっくりと、だが確実に遠ざかりつつあった。それは逃亡ではなく、進む先に目的があるかのように見えるのは、ライリーの思い過ごしだろうか。

 精霊の消滅と呼応するかのように、空間自体にも異変が起き始めていた。

 アリシアが現れた瞬間を再現するかのように、あの氷が割れるような異音と罅割れが、空間の四方を徐々に侵蝕していく。

 壁を伝う罅割れは、やはり、少しずつ剥落していき。最期に弾けるような断末魔を響かせながら、空間は完全に粉砕された。


『ライリーッ!!』


 異音が静寂に支配を譲り渡し、その直後、静寂は小さな青い精霊の声にその玉座を奪われた。

「ティティー!?」

 小さな翅を必死に羽ばたかせながら、ティティーはライリーに飛び込んだ。その青い瞳からは、大粒の涙が零れ落ちている。

『主君……!』

 ティティーの後を追うように、レィリィンも破壊された壁から姿を現した。ユンを主君と仰ぐ半鳥獣型の精霊に、漸く安堵の表情が浮かぶ。

 創造主の消滅が、展開された狭間に影響を及ぼしている事は明らかだった。閉ざされていた空間が連結され、引き離されていたライリー達は漸く再会を許される。だが、空間の連結が齎したのは、再会(それ)だけではなかった。


「……っ!見るなっ!」


 夕暮れ色を湛える双眸が、驚愕に見開かれたのは一瞬だった。

 直後に響き渡ったセオドアの声音は、狭間に引き摺り込まれる直前のものと同様の焦燥に彩られている。だが、前回は反射的に従った声を、今回は反射的に裏切った。

 何故、人間(ひと)という生物(いきもの)は、見てはならないと言われるものを見てしまうのだろうか。

 ライリーも彼女も、セオドアの優しさに逆らった事を後悔した。

 剥落により砕け散った残骸の向こうに、沢山の人々が折り重なっている。

 それは、一体の髑髏を囲む、まるで人の檻のように見えた。

 当然ながら、人々は既に生者ではなかった。人生という旅路を行く岐路の最中に狭間へと迷い込んだが為に、強制的に死出の旅路を歩まされる事となった、人々(人間)の成れの果て。

 中央の髑髏と同様の姿に成った者。骨と肉の間の子。腐肉を纏う姿。

 髑髏を囲む数多の躯骸(むくろ)の群集が、宛ら物言わぬ人形のように、落ち窪んだ眼窩から虚ろな眼差しを彼方から此方に向けていた。

「ぅ……!」

 生理的嫌悪と嫌悪(それ)に対する罪悪感とが、歪な愛を育んだ末に嘔吐感を産み落とし、ライリーの裡を迫り上がる。

 込み上げる悪心(おしん)は手のひらで無理矢理押し止めるも、決壊した涙腺からは溢れた本能が頬を伝って流れ落ちた。

「……、……」

 落涙に順じて細められた視界の端で、両の手で口許を覆ったまま、震える彼女の姿が見える。再会してからずっと蒼白に染まったままの彼女の相貌は、最早紙のようだった。

 歩行(あゆみ)消滅(ほろび)が揃いとなっているかの如く、一歩進む度に消失も進む精霊が檻の内部――中央の髑髏に近付いていく。

『……、……、……』

 遅々とした速度で歩む透明度の増した精霊が、漸く髑髏の傍らまで辿り着いた瞬間だった。


 まるで地震の前触れのように、空間全体が鳴動した。


 髑髏の胸部(むなもと)に倒れ込むようにして、精霊の姿が消滅した。と、同時に、足下を構成していた空間が、突如崩壊を開始する。地面と同様の硬質(かた)さを保っていた筈のそれは、不意に底無しの沼と化した。

 四方の壁の残骸と、かつては人だった残骸を、歪んだ沼が空腹を満たさんとばかりに呑み込んでいく。

「全員集まってお互いに掴まれ!………………!」

 セオドアの声が聞き取れたのは途中までだった。震動の伴侶となった轟音が、ライリーの耳を塞いでしまった。


――……マル、……僕達は友達だったんだ……――


 何処からか、そう聴こえた気がした。







「――捕捉致しましたわ、お兄様」

「……ではメルヒオール、掟霊解放を許可します」

 妹の言葉に頷いて、自身の契約する聖霊へとその身を委ねる。

「此度の戦闘行為の目的は、偽りの勇者の征伐……正義を執行する、この聖戦を御許し下さい……」

 大地へと跪き、祈請の言葉を口にする。


「……一族の大罪の証明を、自らの生命(いのち)浄化(贖い)なさい……」





                   【後胤の宿命】

【宿命の裏側】


『オスカー!オスカー!』

「おや?君は確かライリー君の肩乗り精霊……」

『ティティーだよ!オスカー!』

「そうか。よろしくね、ティティー」

『うん!』

「……え?オスカーさん今ティティーのこと、ぼくの肩乗り精霊って言った……?」

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