後胤の宿命編 第二話―精霊大戦 陰―
「……精霊、大戦……」
ライリーの洩らした呟きが、聖堂内で反響する。
「彼等はそのまま立ち去った……正確に言えば、狐型の魔族が放った炎と共に消えていった」
「……炎……」
声を落としたのはセオドアだった。無意識の内に、彼女の姿を夕暮れ色の瞳が映し出す。
オスカーが語ったのは、シンクレア家当主に代々受け継がれるこの地下聖堂に、女性の遺骸が安置されていたというものだった。
「……この地下聖堂に女性の遺骸が安置されている事は、代々勇者の称号と共にシンクレア家当主に語り継がれてきた……けれど、女性の遺骸が安置された経緯、そもそも女性は何者であるのかはどこにも記録されておらず、私自身も先代から継承されなかった……恐らく先代も、先々代から継承されていないのだろうね……」
シンクレア家の歴史は古い。御三家どころか、現存する精霊使いの一族の中でも最も古く、その分長い歴史をもっている。だからこそ、悠久の時の流れの中で女性の正体はいつしか忘れ去られてしまったのだと、オスカーは考えていた。彼等が、目の前に現れるまでは。
「けれど、あの時――テオドール・シンクレアは、はっきりと言ったんだ……〝姉上〟とね」
「……つまり、その女性はテオドール・シンクレアの姉……即ち、千年前の人間ということですか?」
沈黙の呪縛から完全に解放されたセオドアが、オスカーに問い掛ける。否、それは問い掛けの体をした、確認。
セオドアに双眸を向け、オスカーは頷く事で肯定を示す。
「テオドール・シンクレアが何らかの魔術を行使したのだろうね……女性の肉体は朽ちる事なく、千年もの間この現世に留まり続け……」
「そして、甦ったテオドール・シンクレアが持ち去った……いえ、最初からテオドール・シンクレアがその手に取り戻す為だけに、女性は現世に留め置かれた……」
「……」
オスカーとセオドアによる言葉の応酬は、ライリーを混乱の渦へと突き落としていく。
オスカーは、シンクレア家当主に継承されるこの地下聖堂に安置されていた女性の遺骸は、甦ったテオドール・シンクレアという少年が持ち去ってしまったのだと語った。
そのオスカーの発言に対してセオドアは、持ち去られた女性の遺骸は千年前の人間だと言い、オスカーもそれを肯定してみせた。
また、テオドール・シンクレア自身の言葉から、謎に包まれていた女性の正体がそのテオドール・シンクレアの姉であるという事も分かった。
そう、二人の会話は、理解出来る。だが、何を言っているのかは解っても、言っている意味が理解出来ない。
「……それが、お姉ちゃんと……なんの関係があるって言うんですか……?」
自らの声が震えている事を、ライリーは自覚する。
オスカーは、彼女をシンクレア家に招いた理由がこの地下聖堂に在ったと言っていた。
在った、とはつまり、今は無い、という事。
即ち、彼女を呼んだ理由とは、オスカーが甦ったと称したテオドール・シンクレアによって持ち去られた、女性の遺骸だったのではないか。
「……それに……、テオドール・シンクレアって……」
極度の緊張感と不安で咽頭に貼り付きそうになる言葉を、ライリーは無理矢理口から押し出す。
「……成る程、父上の言っていた大罪とはそういうことか」
得心がいったと言うかのように、それまで無言を貫いていたユンが静かな声を落とした。
「シンクレア家は精霊大戦に於いて、当時の当主が魔王を討滅した功績を讃えられて勇者の称号を賜ったと言われている……しかし、今の言葉からすると、恐らく……」
シンクレア家に連なる者、オスカー、セオドア、アリシアを黄金色の眼光で貫き、ユンは続けて言葉を発した。
「魔王は討滅されていなかった。それどころか、魔王の正体とは、そのテオドール・シンクレアとやらではないか?」
「……」
オスカーも、アリシアも、セオドアも答えない。だがその沈黙は何よりも雄弁に、ユンの放った言葉に対する肯定の証だった。
「……シンクレア家の大罪とは、一族から魔王を出した咎だったのか……」
父上が憤るのも頷ける、と。
「……そうだ」
ユンの口から確信と共に放たれた言葉に、今度は、セオドアが答える。夕暮れめいた橙色の瞳には今、何の感情も浮かんでいない。
「当時の当主、ユージーン・シンクレアは魔族の軍勢を従える魔王が自身の一族に連なる者だと知った……そして、一族から魔王を生み出した責任を果たす為に、魔王に戦いを挑んだんだ……」
だが、魔王を討滅する事は出来なかった。
当時の当主、ユージーン・シンクレアは精霊使いとして随一の実力を有していた。しかし、その実力を以てしても、魔王を討滅するまでには至らなかったのだという。
「だから、表向きは討滅したと偽って、魔王に封印を施した……」
ユージーン・シンクレアの施した封印によって、久遠の眠りに就いた魔王。
「その封印が遂に解き放たれ、魔王は現世に甦った……私達は一族の宿命に従い、今度こそ魔王を討滅しなければならない」
セオドアの告白を、オスカーが引き継ぐ。
初代勇者の称号を冠したユージーン・シンクレアの施した封印から解き放たれ、魔王テオドール・シンクレアが世界に甦った時。ユージーン・シンクレアの後裔であるシンクレア家当代当主が、甦った魔王を討滅する。それが勇者の血族、シンクレア家の使命。一族から魔王を生み出したシンクレア家の後胤に課せられた、宿命。
「シンクレア家現当主は私だが、立場はあくまで陣代だ。魔王が甦った今、討滅の責を負う直系の勇者はセオドアとなる」
「え!?」
驚愕から放たれたライリーの声が地下聖堂に響き渡る一方で、当事者であるセオドアは何の反応も示さない。感情が消えたままの橙の瞳が、只、静かに煌めいているだけ。
セオドア・シンクレア。ライリーがあの夕暮れの空の下で出逢った、精霊使いの少年。自身と年齢の変わらぬ少年に、そんな重い宿命が課せられているのだという事実。
ライリーのように声にこそ出さないまでも、ユンの黄金色の双眸にも、驚愕が色濃く浮かび上がっていた。その驚愕に更に追い打ちを掛けるかのように、オスカーが続ける。
「彼女となんの関係があるのかと訊いていたね……それは持ち去られた遺骸の容姿に関係があるんだ」
甦った魔王、テオドール・シンクレアがこの地下聖堂から持ち去った、女性の遺骸。
「私は己の目を疑ったよ……テオドール・シンクレアと共に姿を消した筈の女性が、ヴァレンティン家からの依頼にあった捜索対象者だったのだからね」
「……え……?」
それまで、一言も言葉を発しなかった、否、発せないでいた彼女の口から、疑問が音となって零れ落ちる。
「君はこの地下聖堂に安置されていた女性と全く同じ容姿をしている。よく似た他人という事ではなく、容姿に差異が見当たらないんだ」
「……」
自身の姿が、この地下聖堂に眠っていた遺骸と同じなのだと告げられ、彼女は再び沈黙の腕に抱き竦められた。
「今は消失しているようだが、その身を炎が取り巻いていた筈だ。これは憶測に過ぎないが、テオドール・シンクレアが封印から解き放たれたのと同時期に、炎が身体を侵蝕し始めたのだとしたら……」
オスカーは、そこで一度言葉を切る。
テオドール・シンクレアが姉上と呼んで持ち去った、女性の遺骸。その千年前の女性と全く同じ容姿の、彼女。
「君は一体何者なんだい?」
「……わ、たしは……」
地下独特の寒々しさではない理由で、身体が震える。何者なのだと問い掛けられても、彼女は答える事が出来ない。それとも、前世の記憶を持つ元異世界人の転生者です!とでも言うべきなのか。
もしくは、喪失している転移後の生活や前世の死因と、何か関係しているのだろうか。
或いは、この世界に転移してきたのが、実は千年前だったのだとしたら?
「……、……、……っ」
震えが、止まらない。振動を通り越して、まるで痙攣しているかのように、身体の自由が利かない。熱に浮かされているのではないかと錯覚する程、意識が朦朧とし始めたのに、思考は真逆に冷え固まって、オスカーの言葉が脳裡を荒々しく駆け巡る。心臓の鼓動が、耳の奥から潮騒のように騒めいて……。
「――大丈夫だ……落ち着け。一度、息を深く吸うんだ……」
静かに紡がれた声の主が、優しく肩を抱き寄せてくれた。耳許に感じる人の鼓動が、自身の潮騒を打ち砕き、呼吸を落ち着かせてくれる。
「……オスカー様。僭越ながら、これ以上は……」
その言葉に、声の主がセオドアだったのだと、その時漸く、彼女は気付いた。
「……。そうだね、ごめん。問い掛けたところで、君はその問いに対する答えを、どうやら持ち合わせてはいないようだね」
困ったように頭を掻いて謝罪を口にしたオスカーは、少しだけ当主の仮面がずれていた。
「私が彼女をシンクレア家に呼んだ理由は、ソフィアの千里眼で彼女の容姿を知ったからなんだ」
甦った魔王によって、地下聖堂に安置されていた女性の遺骸は持ち去られた。
精霊大戦の開幕を告げ、炎に包まれ地下聖堂から消えた魔王、テオドール・シンクレア。臣下であろう狐の魔族と、女性の遺骸も共に姿を消しており、オスカーはすぐに地下聖堂から私室へ戻り、御三家であるブラッドレイ家、ヴァレンティン家の当主両名に、御三家交流復活を望む旨の書状を認めた。
しかし、千年という果てしない時の流れによって御三家の関係性は隔てられ、交流は既に途絶えて久しい。例えシンクレア家現当主からの正式な書面といえど、交流の断絶していた一族からの急な書状を訝しまない訳はない。
「現に、ブラッドレイ家からの返答は未だなく、ヴァレンティン家からは即答を避けられ、代わりに失踪者の捜索依頼を受けたからね」
ヴァレンティン家当主であるアルフレッド・ヴァレンティンからの返信には、〝実弟が司教を務める神殿内で女性の失踪が確認された為、女性の捜索及び失踪の解明について依頼したい。原因解明の暁には、改めて書状の件を御検討させて頂く〟とあった。
ライリーとセオドアの出逢いのきっかけとなった、ライリーの街にセオドアが来た理由。
それは、神殿の司教ウィリアム・ヴァレンティンから、女性の失踪についての依頼があった為だとセオドアは話していたが、実際の依頼者はウィリアムの兄であり、ヴァレンティン家当主であるアルフレッド・ヴァレンティンだったらしい。
オスカーは街の司教からの依頼という事にして、セオドアをこの任務に派遣したそうだ。
そして、セオドアはライリーと出逢い、彼女の失踪の原因が、彼女の部屋の燭台から誕生した灯火の精霊である事を突き止める。異界渡航を行使して、無事彼女を異界から帰還させる事に成功したセオドアは、原因となった灯火の精霊から彼女を取り巻く炎があると聞き、自身の推測をウィリアムに伝えている。
このセオドアの推測に対して、ウィリアムは彼女を取り巻く炎は魔物の炎であるとセオドアに語った。だから、シンクレア家に依頼をしたのだ、と。
だが、事実は少し異なるのだろう。シンクレア家からの御三家交流復活の申し入れに対し、その真意を探る為に、ヴァレンティン家は神殿内で発生した事件をシンクレア家に依頼した。そうする事で、今のシンクレア家の実力と、御三家交流復活の真の目的を測ろうとしたのではないか。
「ソフィアの千里眼は特定の人物の様子を探る事が出来ると話しただろう?」
オスカーはソフィアの千里眼の能力を用いて、セオドアの様子を探っていた。そして、セオドアと対峙する精霊に憑依された、持ち去られた女性の遺骸と寸分違わぬ容姿をした彼女を目撃したのだそうだ。
「だから、君が何か知っていれば……と、思ったんだ……ごめんね」
「あ……いえ……」
二度もオスカーから謝罪され、彼女も思わず頭を下げる。当主の仮面がずれたままなのか、その困ったような微笑みはどこか穏やかさを湛えていた。
「……当主殿の望む御三家の交流復活も、甦った魔王に抗する為、という事か」
父上が文献を読み解いたのも、シンクレア家当主からの書状を受け取った結果だったのかと、再び沈黙を保っていたユンが口を開いた。
千年前の当主の威光に縋るだけの一族と思っていたシンクレア家当主から、不意に交流復活を望む書状が届く。その事に猜疑心を抱いた父が、シンクレア家の事が書かれた文献を漁るのは当然だと、ユンは続ける。
「テオドール・シンクレアが魔王として甦った今、その宣言通り精霊大戦の再来は近い。故に私は、シンクレア家当主として、御三家の交流復活を望んでいるんだ」
ユンの言葉に、ずれていた仮面を被り直したオスカーが、シンクレア家当主として答えた。
そしてヴァレンティン家当主からは、了承する旨の返答が届いているという事、既に気付いているかも知れないが、ヴァレンティン家には交流復活の真意を伝えるつもりである事を、オスカーは続けて口にする。
「アリシアから伝えられたと思うが、ブラッドレイ家には……」
オスカーの言葉に、セオドアがユンに、ブラッドレイ家当主に確認したい事がある、と話していた事をライリーは思い出した。その直後にアリシアが現れ、セオドアの確認は必要ない、ブラッドレイ家当主には、シンクレア家当主が直接話す、と言っていた事も。
「……ブラッドレイ家に戻る」
私が直接赴こう、と言い掛けたのであろうオスカーの言葉を遮るように、嘆息の後、ユンが呟く。
「この話を聞いた以上、無関係ではいられない。直接父上に話をする」
そもそもユンに、セオドアとの戦いを決意させたブラッドレイ家当主が、シンクレア家を憎悪する理由。それはブラッドレイ家の文献に記され、今セオドアからも告げられた、シンクレア家の一族の者が魔王となった事を知ったからだろう。
精霊使いとは、人々を魔族や魔物から守護する者。その為に、精霊使いの一族から魔王が生み出された事に失望し、許せなかったのだとすれば。
「父上は現状シンクレア家を憎悪している……だがそれは恐らく、文献から得た知識によるものだ」
ユンは、父の憎悪はそこに起因していると思っている。
「誇り高きブラッドレイ家の現当主であるが故に……だからこそ精霊使いの一族から魔王が生み出されたと知って怒りを覚え、その怒りが憎悪に変わった」
――……オレに父上の説得がかなうだろうか……いや、必ずご理解して頂ける筈……――
どの道戦いが始まったなら、御三家として最前線に立たねばならない。いざとなれば、共闘の機会もあるだろう。禍根も猜疑もあろうが、魔王の軍勢と対峙する時に精霊使い同士でいがみ合う等、愚策に等しい。当主として、否、精霊使いとしてそれが解らぬ程、愚かな方ではないのだ、と、ユンは決意を新たにする。
「ブラッドレイ家に戻り、今の話を父上に伝えよう……若輩の身ではあるが交流復活の件、尽力すると約束する」
「……ありがとう」
黄金を熔かして嵌め込んだかのようなユンの瞳の、その真摯な双眸に、オスカーが感謝の意を述べた。
――……どうしよう……――
寝室として用意されたシンクレア家の客間の一つで、ライリーは悩んでいた。
ユンはすぐにでもブラッドレイ家に戻る心積もりだったようなのだが、地下聖堂で過ごした時間は予想以上に長かったらしい。
ライリー達が地下聖堂からオスカーの私室に戻った時には、既に蒼穹は斜陽によって夕焼けに支配を預けていた。
「ごめんね……すぐに食事と部屋を用意させるから、今日は泊まっていっておくれ」
困ったような微笑みと共に、オスカーはそう言ってライリー達に客間を用意してくれた。
地下聖堂で重大な話が次々と開示され、まとまっていく中で、ライリーは途中から一切の口を挟めなくなった。だが、それは当然と言えるだろう。ライリーは精霊使いに連なる一族の出身でもなければ、自身が精霊使いという訳でもない。セオドアとの、あの夕暮れの出逢いがきっかけとなって精霊が見えるようになっただけの自分が、なんて大変な事を聞いてしまったのか。
此処まで、シンクレア家までついてきた事を後悔している訳ではない。だが、こんなにも重要な話を彼ではなく自分なんかが聞いてしまって良かったのかと、どうしてもライリーは思ってしまうのだ。勿論聞かせられない話なら、最初からライリーを当主以外は入室不可侵の地下聖堂に入れたりはしなかっただろうが。
入室を許可されたのはセオドアの友人だからなのか、それとも彼女と関わりがあるから、なのか。
――……それに、司教様が御三家の人だったなんて……――
ライリーのいた神殿の司教、ウィリアム・ヴァレンティン。
年若い中で司教という役職に就いているのだから、ただ者ではないとは感じていたが、まさか御三家の出身だったとは思いもしなかった。と、いうよりもライリーにとってウィリアムは〝司教様〟という認識なので、失礼ながらあまり個としての名前を意識した事はなかった。これは神殿出身者には、割とよくある認識だと思うのだが。
セオドアの事、彼女の事、司教様の事、甦った魔王の事、シンクレア家の犯した大罪、精霊大戦の再来。
セオドアと出逢ってから様々な事が変転し、怒涛と激動に翻弄されるかの如く、ライリーの心は頼り無い小舟のようにゆらゆらと揺蕩っていた。
「……ねぇ、ティティー」
『なぁにー?』
ティティーはライリー以上に、地下聖堂で口を開かなかった。口を挟める雰囲気ではない事をティティーは察していたのだろう。大人しくライリーの肩に座ったままで、腰掛けている感覚がなければ、ライリーはティティーの存在を感じ取れない程だった。
「……ぼくは、どうしたらいいのかな……?」
それは答えが欲しいが故の問い掛けなのか、それとも単なる呟きなのか、自身ですら判別不能のまま、ライリーは胸中に巣くった思いを吐き出した。
「……ぁ」
「?」
淡い月の光が窓から差し込む廊下の先。対面から歩いて来る姿を認めて小さく洩らした声は、どうやら相手にも聞き取れたらしい。
彼女が廊下で鉢合わせのは、ユンだった。
一度気付いて立ち止まってしまうと、会釈と共に無言で立ち去るのも心苦しい。
「……えーと……」
その心苦しさが、無意識に彼女の口を開かせた。だが、言葉までは用意されておらず、結果的に口籠もってしまう。
ユンの方は彼女のその様子に、何か話があるのだろうと、聞く態勢を整えた。口籠もった理由も、話にくい事なのではないかと、急かす事もせず待つ事を決める。
――……ぁぁぁ……どうしよう……――
却って心苦しさが増してしまった事に混乱し、益々彼女の思考は散り散りになる。
彼女の困惑した様子に、余程言いにくい事なのかと考えた末に、ユンはあの時の事かと思い至る。
だからユンは、素直に謝罪を口にした。
「すまない……貴女達姉弟に危害を加えた事を謝罪する」
「……え、」
「……貴女を拘束した上に、貴女の弟に暴力を振るった」
「あ、」
ユンからの突然の謝罪に、散り散りになっていた思考を掻き集める作業が中断された。
初めて逢った時の事を言っているのだと気が付いて、ユンの口にした弟がライリーの事を言っているのだと理解が追い付いて。まとまらない思考のまま浮かび上がった言葉が、そのまま彼女の口から溢れた。
「あの、私達は、神殿の出身なので……」
「……血が繋がっているわけではないのか」
あれ?この会話アリシアちゃんとも宿屋でしたな、と思いつつ、彼女はユンの言葉を肯定する。
「そうか……オレには兄姉弟妹がいないから、本物の姉弟とはこういうものかと思ったんだが……」
仲が良いのだな、と、ユンの口角が緩む。常時から厳しさを湛える黄金色の双眸に、優し気な光が滲んでいた。
そんな相貌もするのかと、意外さの他に彼女の胸中に、何故か嬉しさが込み上げる。
緊張と混乱から脱却し穏やかになった雰囲気に、ユンから謝罪を受けた事を思い出す。と、同時にあの時自身がユンに対して放った言葉が、彼女の脳裡に再生された。
勢いに呑まれたとはいえ、初対面の、よく知りもしない少年相手に、随分な発言をしたものだ、と、今更ながらに羞恥が頭をもたげてくる。
「……あの時は偉そうにごめんなさい」
「?」
自身の謝罪は兎も角として、彼女からの謝罪の言葉に、ユンは怪訝な顔をした。
何か彼女に謝罪する理由があっただろうかと考え倦ねて口を開き掛けたところで、ふと思い当たる。だが、あれは。
「……ブラッドレイ家に於いて、当主の命令は絶対だ。命令を受ければ、疑問に思わず任務の遂行に当たる……それでいいと思っていた……」
何の疑問も抱かずに、只言われた事を実行する。それだけならば、誰にでも出来る。
だが、それでは駄目なのだ。まして、自分はいずれ父の跡を継ぎ、次代のブラッドレイ家当主となる身の上だ。当主となれば、自身が命令を下す側になる。その為には、大局を見極められなければならない。その事に、ユンは気付いた。気付く事が、出来た。
「……あの言葉で自分が如何に狭隘だったか思い知らされた……感謝している……」
まさか、そんな言葉が聞けるとは思わなかった。
否、初めて逢った時のような傲慢さは、もう微塵も感じていない。優しい貌をする人なのだと、既に彼女は知っている。
廊下の窓から、白銀に輝く月が見える。
セオドアの婚約者となった時から、シンクレア家にはアリシアの為に部屋が用意されていた。部屋に泊まる頻度は生家であるリー家の自室と同じくらいか、或いは此方の方が少し多いくらいかもしれない。
その部屋へと向かう途中で、月明かりに照らされた二人の姿が、アリシアの視界に映り込んだ。
「二人、なんでいるの?」
その言い方だと居ちゃ駄目みたく感じてしまうが、そんな気持ちでの発言ではないのだろう。アリシアは彼女とユンの二人が廊下に佇む姿を認め、どうして廊下に居るのだろうか?という意味で問い掛けを放ったようだ。顔は相も変わらず無表情だが、首は傾げられていた。
「アリシア嬢か……オレは当主殿の部屋からの帰りだ」
ユンが廊下を歩いていた理由は、オスカーの執務室から、用意された客室に戻る途中だったから、らしい。
「父上に宛てた新たな書状を受け取りに行ったんだ」
食事の終わり際に、ユンはオスカーから声を掛けられた。明日ブラッドレイ家に戻る時に、当主に新たな書状を渡して欲しいと頼まれたのだそうだ。
「お姉さんは?」
「……あ、その……」
アリシアに問われて答えた彼女は、まるで咎められるのを恐れる幼子のように、目を伏せた。
「……眠れ、なくて……」
一度は休もうと試みたものの、地下聖堂でオスカーの語った内容が彼女の脳裡を延々と駆け巡っていた。
「……お姉さん、色々気になってると思うけど、休まなきゃ駄目」
アリシアに顔を覗き込まれた事が分かって、彼女は伏せていた目を開く。深海を思わせる青の瞳に、心配の色が宿っていた。
「確かに、そろそろ休んだ方がいいだろうな」
窓から溢れる月影に視線をやって、ユンが呟く。
年下の少女に心配をかけてしまった罪悪感を打ち消すように、アリシアに頷く。用意された客室へ戻ろうと、彼女は二人と共に歩き出した。
――……テオドール・シンクレアが甦った……――
それは、セオドアが幼い頃から聞かされ続けた、魔王の名前。
千年もの長きに渡り、シンクレア家に継承され続けてきた勇者の称号。その偽りの栄光に隠された、一族の宿命。心のどこかで、自身も先代や当代と同様に、継承していく側なのだと思っていた。信じていた。信じ込んでいた。
――……勝てるだろうか……俺に……――
千年前の当主、ユージーン・シンクレアが討滅出来なかった、魔王。
今日対峙した巨大な昆虫型の魔物。消滅から復活を遂げたあの現象に、テオドール・シンクレアが関わっていたのだとしたら。
あの時近くに、テオドール・シンクレアがいた事になる。
杞憂かもしれない。いなかったのかもしれないが、もし、いたのだとしたら……。自身が存在を感じ取れない程の魔王を相手に、セオドアは勝利を得なければならない。
――……出来るだろうか……やれるだろうか……――
否、出来る出来ないの問題ではない。やるしかないのだと、無意識の内に拳を握った。
各々の思いを胸に、其々の夜は更けていく。
翌朝。ライリー達はシンクレア家の門の前に立っていた。
「アリシア、君はライリー君達を送って差し上げなさい」
「はい」
オスカーの言葉にアリシアが頷き、アナスタシアがその身を屈める。まずは此処からライリー達の街まで戻り、ライリーと彼女を神殿に送り届けた後、改めてブラッドレイ家まで向かう事にするそうだ。
「――それから、セオドア」
「はい」
オスカーは青の眼差しに、自身の息子の姿を映した。名を呼ばれたセオドアは、オスカーの許へと近付いていく。
――……これで、セオドアくんとお別れ……――
セオドアだけではない。この旅とも呼べない短い旅は、もうすぐ終わる。ライリー達が神殿に到着すれば、アリシアやユンともその場で別れる事になるのだ。
寂寥感が、ライリーの身の内を駆け抜けた。別離はずっと覚悟していた筈だったのに、いざその瞬間ともなると、やはり淋しいものなのだ。
だから。アナスタシアの背に、当然のようにセオドアが騎乗した時、ライリーは反射的に言葉を放った。
「……ってなんでセオドアくんも乗るの?!」
「「え!?」」
ライリーの声に反応したのは、彼女と、名を呼ばれたセオドアだった。しかし、声こそ発しないまでもアリシアもユンも、瞳が見開かれている。
「ライリー……話、聞いてた?」
「この様子だと聞いていなかったのではないか?」
アリシアがライリーに問い掛けるが、ライリーが言葉を返すより早くユンが口を開いていた。そしてライリーは、アリシアの話とやらに全く心当たりがない。ユンの言う通り、聞いていなかったのだろう。
「えーと……、俺も一緒に神殿に戻ることになったんだ……」
ライリーに向かってセオドアが紡いだ言葉は、どこか精彩さを欠いていた。それはセオドア自身の表情にも、如実に表されている。どうやらライリーの「なんで乗るの?!」発言で、ちょっぴり心に傷を負ったらしい。
「え!?そうなの!?嬉しい!……違くて!話聞いてなくてごめんなさい!」
そんな場合ではないというのに、初めて出来た友人とまだまだ一緒に居られるという歓喜のあまり、つい感情的に答えてしまう。本当、全然そんな場合ではないのに。
ライリーの謝罪に、やはり聞いていなかったのか……、と、ユンが呟く声が聞こえた。
「本来ならば、彼女はシンクレア家にてその身柄を預かるべきなのだけれど……少し事情があってね……」
オスカーは途中で言葉を濁した。先程ライリーが聞き逃した話とは、オスカーとセオドアの会話だったようだ。
シンクレア家の地下聖堂に安置されていた女性の遺骸と同じ容姿をした彼女は、甦った魔王テオドール・シンクレアに狙われる可能性がある。神殿には司教であるウィリアムも在住しているが、念の為に警護としてセオドアが赴く事になったそうだ。
「――じゃあ、出発するから……ナーシャ」
そんなごたつきはあったものの、オスカー以外の全員が改めてアナスタシアに騎乗した。アリシアからの呼び掛けに、アナスタシアの巨体が重力を無視して浮き上がる。
そして、まるで天空に道があるかのように、アナスタシアが空を駆った。
《アンリブレア》の外れに屋敷を構えるシンクレア家は、街へと続く正面以外の三方を広大な荒野に囲まれている。
『……一人でいいの?オスカー……』
蒼穹へと駆けていくアナスタシアを見送ったオスカーの傍らに、小さな子供が立っていた。
人の子のように見えるその子供の耳の部分には、人の耳の代わりに茶色の羽毛が生えていた。額には群青色の宝玉が嵌まり、耳部から生えた羽と同色の髪をした子供の瞳は、虹彩が黄色く、瞳孔が黒い。
オスカーの契約精霊、ソフィアが人型をとっていた。
『もうすぐ来るよ……ほら』
ソフィアが、指を真っ直ぐに伸ばす。指し示す先の荒野には、僅かに砂塵が舞っていた。
ソフィアの持つ千里眼の能力とは、正しくは〝見通す力〟だ。ソフィアの眼には今、砂塵を巻き起こしている魔物の軍勢が見えているのだろう。
「……彼女の事が知れたのか……はたまた何か別の目的なのか……」
何れにせよ、やはり彼女をシンクレア家に留めなくて良かったと、オスカーは独りごちる。
「さあ、ソフィア……不粋なお客様方に礼儀を教えて差し上げようか」
『……戦闘は苦手なのに?』
揶揄うようなソフィアの声に、
「……あまり得意じゃないだけだよ……」
地響きと共に迫り来る砂塵に、オスカーが呟いた。
ユン・ブラッドレイ〈Yun・Bradley〉
髪=深紅色/瞳=黄金色/年齢=16/性別=男
長所:勤勉実直/短所:視野が狭い
精霊使いの一族、ブラッドレイ家の嫡男。父であるブラッドレイ家当主の命によりセオドアに戦いを挑む。




