第三話 スレイヤー
その瞬間。
銀髪の少女は、跳んだ。
《ニビイロカラス》の首無し死体の胴体が、グシャリと潰れる。黒板を引っ掻く音よりも尚、不快な音が周囲に響き渡る。
肉と骨がひしゃげて、辺りに鮮血が舞う。
そんな光景を背に、廃棄都市の亡霊は凄まじい勢いで落ちてきていた。手には禍々しい見た目の長剣が握られ、それを空中で振りかぶっている。何故か、その姿は酷く美しい。
メレムの蛇剣を握りしめた。思考が脳髄を駆け巡る。上からの一撃は、きっと酷く重いもの。受けるのは難しい。ここは一度間合いをとって、仕切り直すべきだ。
後ろに飛ぶ。
その際、防御態勢をとっておくのも忘れない。
直後。
鼻先を、剣先が掠めた。
――あと少し遅ければ、斬られていた。
ゾッとする。
死を意識したのは、久しぶりだ。
銀髪の少女は地面に着地すると、手に持つ長剣を正眼に構えた。
「ちょっ、待っ」
話し合いを試みるも、失敗。
彼女はその場から、再び跳躍する。開いていた間合いがあっという間に縮む。上から叩き落すように、袈裟懸けに斬撃が放たれた。
ノーマンはその攻撃を、辛うじて捌いていく。夜闇の中で、幾度も火花が散る。
そこから先は一方的な戦いだった。柄を両手で握りしめ、上下左右、あらゆる方向からの攻撃を防ぐ。反撃なんて、できやしない。
――この……俺はSランク冒険者だぞ!?
この辺りにいる危険生物には負けない自信があった。
が、それは時が経つにつれて打ち砕かれていく。同時に、確信する。自分は勝てない。この少女には、勝てない。
少なくとも、正攻法では。
「ガッ!」
遂に防御が崩れた。
メレムの蛇剣はカチ上げられ、胴に決定的な隙を晒してしまう。これほどの実力の持ち主だ。その瞬間を見逃すことはなく、彼女は超高速の刺突を放つ。
その突きはノーマンの胸に、吸い込まれるように命中。目も眩むような衝撃が全身に走り、自身の身体はあっさりと吹き飛ばされてしまう。
月光に照らされながら、ノーマンは地面を転がっていった。
そして、廃墟の壁に激突する。肺から大量の空気が漏れる。口は酸素を求めて喘ぎ、息は勝手に荒くなった。剣で突かれた部分が、痛い。
が、痛むだけだ。血は流れていない。傷は、つけられていなかった。これは、どういうことなのだろうか。
激痛に顔を歪めつつ、壁を背にして起き上がる。
足がふらつく。けれど、戦える。闘わなければならない。でなければ死ぬ。そんな予感を、さきほどからずっと感じていた。
ノーマンは、廃墟がつくる影の中にいた。銀髪の少女は月明かりに照らされて、ゆっくりとこちらに向かってきている。不思議なことに、その手からはあの禍々しい長剣が無い。
「……驚きました」
初めて、その少女の声を聞いた。
鈴の音のように澄んだ、綺麗な声。こんなところで剣を振るっていたとは、とても思えない。
彼女にはもっと、他にいるべき居場所があるのではないだろうか。
そう思わざるを得ないくらいに、銀髪の少女はあまりにも――場違いだった。存在自体が、異物。どんな異形よりも、異形だ。
ノーマンが衝撃を受けている間。
彼女は再び口を開く。
「私の剣を、あれほどの時間防ぐとは。凄いですね、褒めてあげましょう」
「ゴホッ……どーも」
――なんだぁ? こいつ。
上から、見下ろしやがって。
「ところであなた、何者なんです?」
銀髪の少女はすまし顔でそう言った。
「ノーマン・ナイゼル。冒険者だ」
「へぇ。聞いたことがありませんね、そんな職業。最近できたのでしょうか。まあ、なんでもいいのですけれど」
そう言って、彼女はその場に立ち止まる。
何をするのかと思えば、何故か空中に手をかざしていた。何も無い空間で、何かを持っている。今の行動は、そう表現するしかない。
「初めは悪魔かと思いましたが、どうやら違うみたいですね」
「見て分かんねぇのかぁ? 人間だよ、人間。おまえと同じ、人だ」
「物品の召喚ができるような人なんて、人類全体でもごく少数でしょう」
「俺はその少数に位置してんだよ」
「……しかもそれ、なんだか邪悪な気配を感じますけれど。やはりあなた、悪魔なのでは?」
「だから人間だっつってんだろッ! とりあえず、会話ができるなら俺の話を聞けッ!」
「拒否します。もしかすると、そう言って私の油断を誘っているのかもしれませんし」
――なわけねーだろ。
そう言ってやりたい。
しかし、発言はできなかった。向こうの方が、勝手に会話を終わらせた気になっていたからだ。
「本当に人間なのか、試してみましょうか――人殺し」
いつの間にか。
その手には一見ただの鉄剣に見えるものが握られている。
召喚する物品の真名を唱え、この世に召喚物を顕現。高度な召喚術の手法だ。ノーマンと同じ方法で、彼女は戦闘を行っていた。
「死ね。ノーマン・ナイゼル」
銀髪の少女は再び跳び。
「話し合いをしようと思えよッ!!」
ノーマンもまた、メレムの蛇剣を構える。
自分の脚は、その場に留まっていた。
向かってくる敵を迎え撃つ気でいるのだ。
見極めるべきは、彼女が剣の間合いに入る瞬間。
それが分かればまだ、勝機はある。
その時は、すぐに訪れた。
「ッ!」
鋭い気合。
ノーマンは、両手に持つ蛇腹剣を振り上げた。下からの、掬い上げるような斬撃だ。相対する彼女の、上からの一撃と衝突するのには、そう時間はかからない。
廃墟がつくる、影と月光の境界線で。
二つの斬撃が激突。
響き渡る、甲高い金属音。
両腕に衝撃が襲い掛かって来る。
メレムの蛇剣は、今の一撃でバラバラにされてしまった。
刃の一つ一つが、キラキラと月明かりを反射。
ノーマンの目には見えていた。廃棄都市の亡霊が今まさに、下からの突きを放とうとしているところを。
――けど、この距離なら俺の方が早い。
「――え」
咄嗟に身体を沈めて、彼女の攻撃を回避。
その際、驚愕の声が自分の鼓膜を刺激する。凄まじい風圧が目の前を通って行った時には肝が冷えたが、それだけだ。命に別状は、ない。
ノーマンは、がら空きになった胴体に向かって横蹴りを放つ。その蹴りは鋭く腹に突き刺さり、今度は逆に自分が彼女を吹き飛ばした。
小柄な身体が地面を転がっていく。
そんな廃棄都市の亡霊に、ノーマンは柄だけになったメレムの蛇剣の先端を向ける。
「は……あっ」
そうしていると、彼女は苦し気に顔を歪めながら、立ち上がった。
そして、気づく。ノーマンが無意味な行動をとっていることに。彼女は怪訝な視線を向けていたが、その後すぐにこちらへ跳ぼうとする。
が、遅い。向こうが腰を下している時には、既に仕込みは済んでいた。銀髪の少女の脚が止まる。その場から動けないのだ、彼女は。
――ガチ、ガチ。
現在。
先程破壊された蛇腹剣の刀身が、奴の動きを完全に止めていた。足に、腕に、胴に。全身に、メレムの蛇剣が巻き付いている。
ほんのちょっぴりでも身体を動かせば、その部分に刃がめり込む。動かしすぎると更に食い込んで、血が流れていく。そうして対象を拘束するのだ。メレムの蛇剣には、そんな機能が元来備わっていた。
――ギチッ。ギチッ。
彼女は必死に身体を動かそうとしているようだが、動けずにいる。
そうしていると、巻き付いた刃が、少女の全身を傷つけていった。痛いだろう。苦しいだろう。なのにあいつは、未だに抵抗を続けている。何故だ。
この拘束からは逃れられやしない。ノーマンが柄を握っている限り、この状態は継続し続ける。こういうことができるのも、自分が使い勝手がいいと感じる理由の一つだ。まあ、今はどうでもいいことなのだけれど。
「おい、おまえ」
とにかく。
「一旦互いに矛を収めて、話し合いしようぜ。その間は拘束を緩めてやるよ」
今は。
「…………分かりました」
話し合いだ。
「――というわけで私、記憶喪失なのですよ」
十分後。
ノーマンと、拘束を解かれた謎の少女は、共に焚き火の前で夕食を食べていた。