要編 75 不協和音
シーン75 不協和音
アルファーはある場所にある、ある施設で生活し始める。その目的はファイター、チャンス、トーキーによる、要の約11ヶ月に及ぶコンテナ船での日々を聞き取りをする為だった。
要は帰国した当初、食欲もあり、精神的にも快活に過ごしていた。チームによる聞き取りに対しても、しっかりとした時系列で細部まで記憶していたし、コンテナ船での生活を実に要らしい整頓された言語で、明快に語ってもいた。
各寄港地で見た取引相手、加担していた港湾管理者、その人物たちの身体的特徴、顔つき、肩書き等々を細部まで記憶に留めており、コンテナ船や各地で知り合った傭兵たちを、現在、約565人いる各国の軍からの無断離隊者リストの中から、特定していく作業もスムーズに行い、109人の身元を判明させていた。
それに加え船内の組織形態、人員配備、運営、船内の各部署で見た書類等々の記憶にも滞りはなった。
アルファーはその全ての聞き取りと書類素案の作成に、1か月と12日を費やする。その終わりが見えてきた頃、要は気持ちの糸が切れたかのような行動を取り始める。
ソファーに座ったきり、スイッチの入っていないTV画面を瞬きもせず見つめていたり、日によって食事の量がまちまちになって、何も口にしない日も出てきた。会話していても、言葉がうまく出ない瞬間があったり、筋トレ、ランニング、ストレッチは欠かさず続けてはいたが、どこかその動作は上の空で、機械的な感が否めなくなる。
休日の日はカーテンを締め切って自分だけの夜を作り出し、自室に籠るようにもなった。頑な斜傾の夕暮れと美しい混沌と共にある要は、要自身が何も言わなくても、明らかに不眠が取り憑いているとわかる顔つきになった。その姿は魂が彷徨っているかのようでもあり、今の自分に戸惑っている様にも見えた。だが、要は何一つ相談する事もなく、煮ても、焼いても、口を開けない死んだ貝の如く語らない。
何を、どう、話せばいいというのか・・・。話せと、何を考えていると聞かれても、言葉が思い浮かばない。報告書に全てが書いてある。読めばいいじゃないか・・・終わった事だ。完遂した任務だ。船でも睡眠は浅かった。ここでも変わらない。だから、一緒だ。この乖離感は気が抜けているだけの話だ。疲労はそのうち取れる。ただ、興味が持てず、意欲が湧かないだけだ。僕は・・・ただ、疲れているんだ。
今は、構わないでほしい。
一人で居たい。
ああ、そうだった。人は1人で生まれ、1人死んで行く。僕は小さい頃から1人で生きてきた。“寂しさ“とは友達で、いつも僕に寄り添っていた。今更、なぜ、みんな大騒ぎしているんだ。慣れ親しんできた友達なんだ。一人には慣れっこだから、大丈夫。手慣れた感覚なんだよ。子供の頃、家を目指しての帰り道、夕陽を見つめて歌ってた。あの頃と何も変わらない。だから、ほっといてくれ。
夕焼け小焼けの赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは 幻か・・
ファイター、チャンス、トーキーは、この異変に対処する。24時間チームの誰かが必ず要に付き添い、話し相手になってコンテナ船での緊張、ストレス、孤独、不安が心に溜まって育てた負の澱を、要の心底から引き上げようと努力する。
そして医師にも相談した。ファイター、トーキー、チャンスから個別に話を聞いた医師は、PTSDに近い症状ではないかとの診断を下す。3人は要に受診を勧めたが“自分は軽く燃え尽きてしまっただけの話で時間が解決する事だ“と言って、要は診察を強固に拒否する。
そもそもこの頑なさがすでに要らしくなく、周囲の意見と真っ向勝負の姿勢を崩さないのが異変なのだ。
チームとの不協和音に、神経がささくれ立つ。
出口を求めて荒ぶれ、狂気する。
うるさい!自分の事は、自分が1番よくわかってる!!!!!!!だいたい、僕はチーム長だぞ。捕虜みたいな!囚われの身に堕ちたが、僕は優秀な隊員だった。!!!今は!!こんなんでも!!!お前たちに!!あの煉獄で笑うような日々が!!!!!!!!どんなもんか!わかるもんか!僕は!なぜ!あんな・・・!!あんな事に!!!クソ!!!!クソッタレ!!!!!!あっちへ・・行け!!!!!この野郎!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ファイターは午前中、毎日、嫌がる要を道場に引きずって行き、乱取りで容赦なく投げ飛ばして要の闘志を促し、鼓舞した。トーキーは映画を一緒に観ては大学時代の思い出話をする。チャンスは歴戦の作戦資料を持ち出して要に教えを請うた。
そして3食の献立を4人で調理し、テーブルを囲んで食する日々を送っていた。
そんなある日、当直明けのトーキーが要の部屋に様子を見に行くと、要は部屋の中央に両膝を抱えて座り込んでいた。トーキーはベットに視線を移す。寝た形跡がなかった。
堪らず、我慢できず、トーキー自身もこんな要をみるのは限界で、自室に走り、赤い表紙のA4ファイル・ブックを手にして急ぎ要の部屋に戻る。
床に座り込んでいる要の正面に胡座を組んで座ったトーキーは、要にファイルブックを差し出して「ファイターからイエーガーには絶対に見せるなと、止められていますが、これは貨物船から救出されたあとの盾石富士子さんに関する書類です。その時々の写真も入ってます」と話すが、要は受け取ろうとはせず、ただトーキーの手元にある赤いファイルを無表情に見つめるばかりだった。
一拍おいて、トーキーは強い意志で続ける。「あの日から今もなおターキーは本陣で僕らの後方支援をしながら、盾石さんが救出されてから定期的に行われている監視、ならびに負傷、後退性の記憶障害の経過観察などの情報を一手に管理しています」と要に語りかける。
「そうか。ターキーは元気か⁈」抑揚なく、平坦な調子で聞く要はトーキーの顔を見るが、視点が合っていなかった。そんな要の姿に痛ましさを感じ、どこから話せばいいかと迷ったが、心にある有るがままをトーキーは話し出す。「以前の盾石さんとは雰囲気が変わり、最近、研究所に復帰したそうです」、「よかったな」要は他人事のように遮る。
トーキー、僕は知っているんだ。彼女は臆病で、人を信じていなかっただけの話だ。元来の彼女は頑固でお茶目で、おっちょこちょいなんだよ。そう、そうだ、意地っ張りなところもある。そうか、研究所に復帰したか・・また液体デイバイスの研究をしているのか・・・完成体からどう多角的に進化させていくのだろう。彼女は優秀だ。もう1人でも大丈夫だ。彼女を脅かす人間はいない・・ああ、そうだった、宗弥もそばにいる。だから、問題ない。そうだろう、ターキー。いや、ここの居るのはトーキーだ。
トーキーは辛抱強く、再度要に問いかける。「なぜ、戻ってから一言も、盾石さんの事を誰にも聞かないんですか?以前のあなたは、イエーガーは盾石さんの体内に埋め込んだ追跡信号を毎日、あれほどに、何度も眺めて確認していたじゃないですか!!」と言うが、要は「それは・・」と言ったきり、無言だった。
なにを、言っている⁈トーキー。任務だったからだろう。それ以外に何がある⁈僕は・・・彼女を傷つけ・・・・遠ざけたんだ。僕自身で・・・始末をつけたんだ。
赤いファイルに左手を添えて持ち直したトーキーは「僕は情報分析のプロです。トーキーから送られて来たこのファイルを読んで、僕は思いました。盾石富士子さんはイエーガーが死亡宣告されたことを、フレミングから聞いて知っています。ですが、今も盾石さんはあなたの生存を疑わず、帰って来ると信じています。イエーガー、あなたは、あなたを待ち続けている盾石さんの日々を、その軌跡を知らなくてはいけない。そして今のこの状態から、どうか、脱してください」ゆっくりとした口調と熱意と実直な態度で要に訴えた。
要の前に赤いファイルを置いたトーキーは涙目で立ち上がり、しばらく要を見つめていたが、やがて一礼すると部屋から出て行った。最後の望みをファイルに託してトーキーは出て行った。
一人残された要は赤いファイルを眺めるばかりで、身動き一つしない。今更、富士子の何かを知ってどうする。僕に知る資格があるとも思えない。それにしても、部屋が暗い。いま何時なのだろう。最近、時間の感覚が曖昧だ。




