要編 72 知らぬ間に
シーン72 知らぬ間に
トーキーからの連絡がないまま、2日が過ぎていた。突入部隊の作戦決行日は今夜か、明日の深夜だと考えれば気持ちが焦れる。アルファーを離脱して10ヶ月。戦闘前の高揚感はなく、無事に任務遂行できるのかと不安の方が大きい。まるで新人の頃のようだ。クソ。
早朝07:00に到着予定だった積荷が交通事故を起こし、2時間遅れで搬入され、急ピッチで積み込み作業を行っていた。
頭上のクレーン操作管理室から「あんた。ちょっと、あんた!!」日本語が降ってきた。周りを見渡す。日本人は自分しかいない。不可思議に思いつつ男を見上げると、僕を指差した男が「あんただよ!あんた!!ちょっと上がってきてくれ」日本語で怒鳴る。
咄嗟にボスを、自室のドア前に立って作業の遅れを苛しげに、見ているボスに視線を移す。目が合った。
表情をザラリとする不審に変えたボスが、クレーン操作管理室を見下ろし、声をかけてきた男を睨みつけるが、リネンのホワイトホームズボンからスマホを取り出して会話し始め、話しながら急勾配な階段を足早に降る。船のエッジに着くや、ボスは僕を見据え「Wait there!」(そこで待ってろ!)と怒鳴った。朝から、怒鳴られてばかりだ。「Roger that」(了解)と大声で返す。コンテナ船と埠頭を繋ぐ、鉄製の橋桁方向へとボスが歩き出す。
ボスの姿が埠頭から見えなくなった瞬間、[送る。ファイター。イエーガー、32番、33番のコンテナを、船のD区画に上げてくれ。中に制圧部隊が潜んでる。頼んだぞ]とファイターから内耳モニターに入った。[了]反射的に返していた。
周りを見渡す。作業している5人の港湾作業員の人相が変わっていた。突入部隊員と入れ替わったというのか・・・。警備していた傭兵5人の姿もない。なんという・・・手際の良さだ。気づかなかった。鈍化したのか、勘が鈍ったのかと躊躇する。“ 今さら!あれこれ考えるな!!黙ってやれ!!“ 久々登場の内心の鬼が、僕に檄を飛ばす。それで落ち着いた。早朝の交通事故は作戦の始まりに過ぎず、仕組まれたもので、作戦はすでに開始されている。
身体の芯に、懐かしい風が吹く。
トランシーバーに呼びかける。「Tom, I'm sorry. It's my misunderstanding. When the 28th that is being loaded is finished, please bring the 32nd and 33rd containers into the D section first.(トム、すまない。僕の勘違いだ。いま積み込んでいる28番が終わったら、先に32番と33番のコンテナを、D区画に搬入してくれ)」クレーン操作員のトムに頼む僕の声は掠れていた。トムが「I wonder if it's not good at the current location, I'll ride two more.(今の場所じゃダメなのか、あと2つ乗るぞ)」と返してくる。「There was a note on 32 and 33, but I just noticed it. It was a container for auditing. I'm sorry. I want you to line up at the bottom, Tom. When the 28th is over, raise it first .(32、33に注意書きがあったのに、今気づいたんだ。監査用のコンテナだった。すまない。1番下に並べておくんだぞ、トム。28番が終わったら、上げてくれ)」僕がつっかえながらそう伝えると、トムは「I'll lend you one. Need.(一つ貸しだぞ。要)」と言った。
この船の船員はいつでも貸しに出来る事を探し、誰もが、誰かから何かを得ようとする。それがこの船で生き残る方法。埠頭から浮き上がるコンテナを見上げて僕は思う。トムの小さな欲がボスの船に、綻びを生じさせた瞬間だと。
太陽と交差するコンテナを、目を細めて見送る。無難に着底してくれ。
右耳にスマホを当てたボスが、電話相手の話に相槌を打ちながら、僕に歩み寄ってくる。緊張が走った。ここでトチる訳にはいかない。「Something wrong?(何か問題でも?)」とボスが顔を近づけて聞く。避けずに「I'm suddenly not sure. He asked me to come up to the crane management room.(僕もいきなりで、よくわかりません。クレーン管理室に上がってきてくれとのことです)」取り敢えず、そう答えた。電話相手が「Are you listening?(聞いてるか?)」とボスに話しかけ、ボスが「Ah. I'm listening. So.
(ああ、聞いてるよ。それで)」荒れた口調で返す。次は、どうすればいい⁈ 作戦の詳細を、僕は知らない。臨機応変で行くしかない。腹を据えろ!!
ボスの横顔を見ながら、日の高い時間帯に突入するとは大胆すぎると危惧した。だが同時に、ああ、そうか、アルファーが提案したと脳裏に浮かぶ。立場が逆ならば、僕も視界がクリアーな時間帯に、安否を最優先にしてそう進言する。
突入部隊の理解を得るのにファイター、ターキー、チャンスは時間と根気、忍耐を要しただろう。熱いものが込み上げてくる。膨らむ涙を、歯を食いしばって堪え、目だけで周辺の建物屋上を見る。ファイターは今、ポジション取りした何処かから、ボスのヘッドショットを狙い定めているはずだ。トーキーは⁈ チャンスはどこだ⁈
電話相手にボスが「Why is that so? I wonder if I'm paying!Wait a minute.(どうしてそうなる。金は払っているんだろう!ちょっと待ってろ)」甲高くも澄んだ声で言い、ボスは見定めていた僕に「There was a mistake in the departure time. A port official is waiting in the crane operation control room. Kaname come with me.(出港時刻の手違いがあった。港の係官がクレーン操作管理室で待ってる。要、一緒に来てくれ)」と促した。歩く僕の影に、寄り添ったボスが僕の右肩を掴む。盾にする気だ。気づいたのか・・・いや、ならば、一緒に来いとは言わない、とっくに逃げ出している。
僕は足音を立てて、階段を上がった。
ノックして、すぐにドアを開けて入室する。
ドアの両脇に潜んでいた覆面姿の男2人が物音一つ立てず、ボスの手首を左右から掴み上げて拘束し、浮き上がったボスの勢いを殺さず、流れるように移動させて、上からのしかかってボスをテーブルの上で押し潰す。2人の動作は芸術的で、洗練されていた。もがくボスが言葉にならない声を発する。
ボスの正面にはオーダーメイドであろう、身体のサイズにピッタリとあった紺碧色に、秘色の縦線が繊細に入ったスーツに白磁色のワイシャツを合わせ、紅桔梗色のネクタイを締めた金髪紳士が優雅に座っていた。その瞳は静寂の水面を思わせる碧眼だ。冷たい。そんな印象を受ける目だった。
紳士はボスの右手にあるスマホを、綺麗に手入れされた爪を持つ左手の指先で摘み上げ、ゆっくりと左耳に持ってゆき「Your sins are now exempt. good job for today.(これであなたの罪は免責になりました。お疲れ様でした)」と言って電源をOFFにすると、上着の内ポケットに清雅な動作でスマホを入れる。
そしてボスを押えつけている屈強な男2人に、「that's enough. Release.(もういいよ。解放しなさい)」と指示した。ボスの拘束を解いた男たちは踵を返し、僕の両脇に立つと身体の前で両手を組んだ。左右に立つ男達から、刺すような圧を感じる。信頼されていない。僕は警戒されている。そう察して、打撃のようなショックを受けた。誤解されないよう、ゆっくりを心がけて右手でアゴ紐を取り、ヘルメットと左手のバインダーを両手で持ち、左右に立つ男達と同様の姿勢をとった。
作戦司令部にいる人々、現場隊員のほとんどは僕が転向したのではないかと、疑いを持っているという事だ。だから、情報漏れを懸念して、作戦決行日の事前通達がなかった。僕がファイターの指示に従わなかった場合、ファイターは僕を狙撃するよう、指揮官から厳命されていたはずだ。
紳士と目が合う。観察眼で、僕を見ている。後ろめたい事は何もないはずなのに、その視線が痛い。衣服の乱れを整えているボスに、僕から視線を移した紳士は「Do you want it in your country's language? Or do you use my country's language? (あなたの国の言葉にしますか?それとも私の国の言葉にしますか?)」と聞く。ボスは凛と背筋を伸ばし「Nella mia lingua madre.(私の母国語で)」とイタリア語で言う。紳士は静かな、とても静かな通る声で「tuo paese d'origine non è l'Italia. E tu sei laureato in un'università nel nostro paese.(あなたの母国はイタリアではない。それにあなたは我々の国の大学を卒業している)」イタリア語で返して英語で話し始めた。
「You stole two talented people from our country while you were in college. do you remember? You got them into Canada and got a job at a telecommunications company. They took the time to slowly steal the technology that was still under development for 5G and the company's customer list. And you sent the technical information you got from them to your home country. Your country has sold products of the same performance at a lower price than Canadian carriers, based on a list of stolen customers. Not surprisingly, Canadian telecommunications companies have fallen into a financial crisis. I don't have that company anymore. You've timed your bankruptcy, and you've invited researchers from your company's technology development department to your homeland, offering them a large sum of money. Is my story so far correct? Oh, that's right. You haven't heard your name yet. What is your name?(あなたは大学在学中に、我々の国の優秀な人材、2人を盗みましたね。覚えていますか?あなたはその2人をカナダに入国させ、とある通信会社に就職させた。そしてその2人に、今に至る5Gの開発途上にあった技術と、その会社の顧客リストを、時間を掛けてゆっくりと盗ませた。そしてあなたは、2人から得た技術情報を母国に流す。あなたの祖国はカナダの通信会社よりも、安い価格で、同じ性能の商品を、盗んだ顧客リストを元にして売り込んだ。当然のことながら、カナダの通信会社は経営危機に陥った。今ではもう、その会社はありませんが。あなたは倒産のタイミングを図り、会社の技術開発部門の研究者達を、高額な金額を提示して引き抜き、あなたの祖国に招待しましたね。ここまでの私の話は合っていますか?ああ、そうでした。まだ、名前を聞いていませんでしたね。あなたのお名前は?)」紳士は起訴状を読んでいるかのような事務的な口調と、モノトーンを思わせる声でボスに名前を聞く。
「Carlo Golderi.(カルロ・ゴールデリ)」と答えたボスに、紳士は「Carlo Goon.(カルロ・ゴーン)」と確認する。ボスは「different. Carlo Golderi.(違う。カルロ・ゴールデリだ)」毅然とした態度で訂正したが、紳士は顔色一つ変えず「Ah. excuse me. Recently, I've become deaf, Carlo Ghosn.(ああ。すみません。最近、耳が遠くなりまして。カルロ・ゴーンさん)」優雅な左手で左耳を撫でた。
その仕草を侮辱と取ったボスは、顔を赤く染め「Who are you!!(お前は誰だ!!)」一気に怒気を放ち、紳士は粛々と「Negotiator, Mr. Ghosn. Do you understand what you are doing now? You overdo it then. Now, if you search the net, it's an easy hit. After that, your homeland still thought it was worthwhile for you and moved your place of residence to a moving container ship instead of to the ground. This time, your homeland will truncate you. If I were in your position now, listen silently to me in search of a better environment and treatment. The future is up to you. Okay, all the accounts you already have are frozen. It's a sentenceless sentence. you. The only way left is to follow us and answer the record honestly.(交渉人です、ゴーンさん。いま自分がどういう立場か理解していますか?あなたはその時、やり過ぎたんですよ。今ではネット検索すれば、簡単にヒットする話です。その後、あなたの祖国は、まだ、あなたに利用価値があると考え、あなたの居所を地上ではなく、移動を重ねるコンテナ船に移した。今回のことで、あなたの祖国は、あなたを切り捨てるでしょうね。私が今のあなたの立場ならば、より良い環境と待遇を求めて、私の話を黙って聞きます。これからのことは、あなた次第なのです。いいですか、すでにあなたが持っている口座、その全てが凍結されています。無一文なんですよ、あなたは。私たちに従い、調書に正直に答えるしか、あなたの道は残されていない)」氷河のような冷徹な声で冷たく言葉を重ねた。
沈黙する室内に、ヘリのローター音が大きくなっていく。振り返った僕は窓越しに見る。2機の戦闘ヘリが、雲の切れ間から姿を現したのを。黒い機体には何の表記もされていない。次々と埠頭に着陸したヘリが、ホバリングして待機体制を取る。僕はボスに視線を移した。
意力で支えていたボスの背がポキリと折れ、沈黙していたボスが「I got it.(わかったよ)」風船がしぼむように呟き、鷹揚な態度で頷いた紳士は、足元に置いてあった書類鞄から、ファイルを取り出してボスの前におき、「please sign this.(これに署名してください)」と言うと、周りを見回し「Is there a pen somewhere?(どこかに、ペンはありませんか?)」と言った。バインダーに挟んであったペンを僕は、右側に立っている日本人であろう男に「これを」と差し出す。クレーン操作管理室から僕に怒鳴った男だ。男は無言を通して頷く。
受け取った男はペンを机の上におき、ボスの耳元で「Don't behave suspiciously. Because we're watching (不審な行動をとるなよ。俺たちは見ているからな)」がさつく静粛の声で告げ、ボスの背中にはもう抗う気力はなく、ただ、ただ、黒のプラスチックボールペンを口惜しく見つめている様子で、読みもせず、乱暴にサインした。
書き終えたボスは何かを手放すように、深い息を吐く。握りしめていたペンを、書類の上に投げるように捨てた。それを機に紳士が無感情に「Then.(では)」と言うと、僕の右側に立っていた男が進み出て、ボスの右脇に右腕を入れて立ち上がらせる。
僕の前を通りすぎるボスが名残り惜しそうな目で、僕の顔を見た。僕は「that time, I would have been dead without treatment. Thanks to you I was helped. Thank you very much.(あの時、治療を受けていなければ、僕は死んでいたでしょう。ありがとうございました)」と言って頭を下げる。他にもボスには言いたい事、罵倒してやりたい事が山ほどあった。本当に、沢山、漲るほどに、だが、ボスは命の恩人だ。この人の庇護がなかったら、僕は死んでいた。確実に間違いなく。
埠頭を歩くボスの足取りは、しっかりとしていた。男と共にヘリで飛び立ったボスは、国に殉じた男だった。だが、そこには名誉も祖国もなく・・・苦い思いでボスを見送る。これで、何もかもが、終わったのだろうか・・・。
埠頭には制圧されたボスの傭兵たちが、後ろ手に繋がれ、ひざまずいた体勢で1列に並んでいる。その周りを、突入部隊が取り囲んでいた。その中に身体が一回り大きくなったチャンスと、猛々しい顔つきになったトーキーの姿を見つけて、気持ちが和らぐ。2人に今の僕はどう映るだろう・・・。上層部で僕の処遇は、どう話し合われたのか・・・・。
窓越しに2人を見ている要に、紳士は「尾長さん、これからの話をしましょう」美しい発音の日本語で言った。




