要編 70 コンタクト
シーン70 コンタクト
トーキーからの返信を読んで号泣する。もう1人ではない。涙が乾いた頃、食堂から自室に、テイクアウトしてきた夕食を食べ始める。食欲はなかったがエネルギー補給は必要で、本陣とアルファーに連絡がついた今、対処できるよう体力を落とすわけにはいかない。帰属意識が僕に安心を与え、心底に沈んでいた使命感が、輪郭を際立たせて浮上してくる。
今夜のメニューは鶏肉と、ナスのインド風トマトカレーに、サフランライスとマサラパパド風サラダだった。ライスにトマトカレーを多めに絡めて、口の中に入れた。
驚いて、口を開ける。
微かに、味がしたような気がしたからだ。
恐る恐る、噛んでみる。トマトの甘い酸味のあとスパイスの香りの奥に、鶏肉の肉汁の風味があった。米の甘味にうっとりとして楽しくなってくる。サフランのふんわりとした花弁の香りが鼻腔をくすぐる。
ただ、ただ美味い。
涸れたはずの涙がまた、ポロポロと溢れ落ち始め、僕は構わずもう一口、頬張って噛む。味覚が五感に染み入る。後から、後から、涙がこぼれる。泣くな、男だろうと思うが、高倉健さんのようにはいかなかった。僕は咽び泣く。
コンテナ班に移動して22日目の今日、早朝から香港・葵青コンテナターミナルの第九埠頭で、積み込み作業の指示をしていた。そこに突然、ファイターが港湾労働者に扮して接触してきた。
気づけば近くにいる男と目があっていた。その男をファイターだとは思わず、気づかずで、余計な関わりを持ちたくないと僕は、男を避けるようにして作業を続けていた。
★
イエーガーは俺から距離をおき、絶えず、コンテナ船の最高層から監視しているこの船のボス、カルロをピリピリとする目で気にかけている。無秩序なコンテナ船での生活は、寒々としたものであろうと心配していたが、今のイエーガーを見る限り、神経がささくれ立つものであるのは一目瞭然で、成徳的な精悍さを失った顔付きから、ギスギスと軋むような凶暴さが匂う。局面での戦闘時、時にそんな事もあったが、今ほど、獣性を剥き出しにしたものではなかった。人間味を無くしてる。クソ!!!もっと早く、探し出せていたら・・・。
辛抱強く機会を待ったファイターは「イエーガー、俺だ。ファイターだ」小声で話しかける。
怪訝に二度見した僕は、ようやくファイターだと気づく。日焼けし、眉間に深くシワが刻まれた顔に息を飲んだ。酷い顔つきになっていた。呆然として、しばらくファイターの顔を見つめていた。息苦しくなって、僕は右手に持っていたバインダーを落とし、書類がバラけて海風に舞い散る。
立ち尽くす僕に、ファイターが「すみません。大丈夫ですか」と大声な声で言う。返事できずにいると、ファイターは「どうしました?貧血ですか⁈」他人行儀な口調でそう言い、僕の左肩に右手を掛けて力強く握り「大丈夫ですか?今日も暑いですもんね」と言いながら僕の身体を揺る。そしてヘルメットの下から、僕の目を覗き込み「イエーガー」と小さく言った。
名を呼ばれ、ギクリとして我に返る。「すみません」声を張ったが、僕は俯かずにはおられず、「ありがとう」小声で言うのが精一杯だった。見上げたファイターの目が潤んでいた。
その目を見て、泣けてきた。「寝坊して、朝食を食べ忘れてしまいまして、大丈夫です」と言葉を振り絞る。今思えば、その声は震えていた。「書類を・・」と言ったファイターは散らばった紙を拾いはじめ、それを見て僕もぎこちなく、なんとか一歩踏み出すことが出来た。拾いながら気持ちを整えようとしたが、到底、無理な話で、コンクリートの上を、3㎝は浮きあがって歩いていた。それでも何度か、周辺をさりげなく見回したが、誰とも視線は合わず、僕を気に留める者はいなかった。
ファイターが拾い集めた書類を僕に渡す。「必ず、救出する」と小声で言い、声を大にして「水飲んでください。今日はこれから、まだまだ暑くなりますよ。書類の枚数足りてますか?」と呑気な口調で言いながら、右手を差し出したファイターが「どうも、すいませんでした」と言いつつ、僕の右手を取って握手する。ゴツゴツとしたファイターの手の内には、メモがあった。手を離す瞬間、僕は掬うようにしてメモを受け取り、拳を作って内に隠した。ニッコリと笑ったファイターは、何事もなかったかのようにその場を離れてゆき、行き交う港湾作業員の中に紛れて姿を消した。
頃合いをみて、僕は右手を作業ズボンの前ポケットに入れ、メモを納めた。
そのあとも黙々と作業に没頭して打ち込み、何も考えないようにあえて身体を酷使した。そうしなければあの場を放棄して、駆け出してしまいそうだった。僕は、自分が、逃げ出してしまうんじゃないかと怖かった。なんとか船上に戻って、機械的にボスの船室に行き、報告が済むや、「Are you tired? Are you sick? The faceless face is getting better. is it also fever.(疲れたのか?具合が悪いのか?顔がひきつってるぞ。熱でもあるのか?)」ボスが矢継ぎ早に心配の声で聞く。僕の額にひんやりとする手をあて「have a slight fever. waiting(微熱がある。待っていろ)」と言って、扉を開けたまま寝室へと走り、偶然にも僕は隠し扉の位置を知った。抗生物質と熱冷ましの錠剤を4錠ずつを僕の手に握らせ、手を離さないボスが「Do you want to rest here for a while?(ここでしばらく休んでゆくか?)」と聞く。「think it's a mild heat stroke. I'm going to rest(軽い熱中症だと思います。もう休みます)」気怠い声を装った僕はスローな速度で頭を下げ、食堂から食事をトレーにのせて自室に戻った。
1人になっても心は、ファイターの出現をガンと認めようとはせず、頑なさは解けず、何の感情も湧かないままローテーブルに、食堂から持ってきたトレーを無意識に置いたと思う。
3人掛けのソファーにしばらく座り込んでいた。ジッとして動かない機能不全の脳に「必ず救出する」と言ったファイターの声が蘇り、頭の中でその言葉がこだまし始め、砂を噛んで暮らすような日々の中、いつの間にかに纏っていた警戒の鎧にヒビが入った。
水のペットボトルをテーブルから右手で取り上げ、ノロノロと飲む。思いっきり咽せて咳き込んだ。心に血が通うようだった。
深呼吸して、また、水を飲む。
一口ごとに、取り戻す。
正気に、炎が灯る。
脳がいきなり回転し始めた僕は、ポケットに押し込んでいたメモを取り出して、暗号を解読する。
“カラチ派遣の折、使用した衛星にアクセスせよ。現在のパスワード EHU764noa88PIT“
ソファーから立ち上がって、ベットの左側壁に貼ったカレンダーの間に、隠しておいたスマホを取り出し、ソファーに戻りながら衛星にアクセスする。
回線が開く。
パスワードを何度も打ち間違える。
指先が震えていた。
焦りともどかしさが入り混じった僕の目に、トーキーの打ち癖がある暗号電文が映る。何もかもが、懐かしく、愛おしい。しばらく文字の羅列を眺めていた。コンテナ船に乗船してから、不感を貫き、言葉を選び、押し黙って、感情を殺して過ごして来た。自分を開放するように、何度となく深い息を吐き、慟哭を繰り返す。歓喜がようやく、真に浮かび上がって、声を殺して僕は泣いた。これでアルファーと繋がったと切々と浮き立ち、至福に気が緩む。視界が滲む。安息が身体を駆け抜ける。
「しっかりしろ」泣きながら呟く。立ち上がって、洗面台で顔を気がすむまで洗い、蛇口から流れ出す水に両手をさらす。鏡に映った僕に「ここからだ」と言い、ソファーに戻って暗号電文を解読した。
・スパルタン使用のスマホ電波、監視中。
・船長 カルロ・ゴールデリの口座、極秘調査終了せり。国際法違反の証拠、揃う。
・コンテナ船の運用、資本、ユートピア国と判明せり。
・禁止武器輸送と、国連認識しせり。
・現在コンテナ船、NATO軍の監視下にあり。
・現在、各国間で意見調整中。
・NATO軍突入部隊により、コンテナ船を拿捕せり計画、進行中。
・ファイター、チャンス、トーキー、共に突入部隊に参加しせり。
・各国突入隊員にて、作戦立案されつつあり。
・収拾した状況証拠送られたし。
・作戦実行の予定日時、本日18日から4日間のいずれかの深夜と思われる。
・決行日、事前に連絡しせり。
・イエーガー、体内発信器の信号、監視中。
あと数日です。迎えに行きます。アルファー。
読み終わって号泣した。もう1人ではなかった。




