要編 56 富士子LOST
シーン56 富士子LOST
チャンスとターキーが2階へと上がり、ひとりになった僕は白板前のパイプ椅子に戻った。スマホのミュージックアプリをクリックして、“ わが祖国“ をリピート再生する。感傷的な情動だ。小学生だったか、いや、中学の授業でだったか、この曲を歌った時、涙が出そうになったのを憶えている。こういう生き方をすると、すでにあの時から、決まっていたのかもしれない。大袈裟に言えば、運命を感じた幼き日の僕は、この曲から敏感に未来からのメッセージを受け取ったのだろう。・・なんていうか・・・忘れ形見のような曲だ。この曲を聴くと情感が湧きいずる。今夜は間違いなく、人生の分岐点だった。その直後の僕にしみじみと感傷に浸る時間があっても許されるはずだ。
しっくりと手に馴染みきったレシーバー、トリガーガード、ユニット、バッファースプリングを、丹念にブラシ掛けしていく。
2時間ほど作業に没頭する。ガンオイルで磨き上げた部品を、時間を掛けて組み上げた。青白いライトにM4を構え、そろそろ通常に戻ろう、もういいだろうと冷めた気分で思う。音楽を止めて椅子から立ち上がりながら、左手で掴み取ったスマホをパンツの後ろポケットに入れ、右手のM4をガンラックに戻して店内へと向かう。コーヒーが飲みたかった。
カウンター内に入り、コーヒーメーカーをセットして腕を組み、出来上がりを待ちながらここも移動しなければと、薄暗い店内を見渡す。
mapには、富士子との思い出が残り過ぎていた。
事故の晩、あの椅子に座って、ノンカフェを飲んでいた富士子。
初めてじっくり話をした。
僕の食べ方を数えていたっけ。
僕らは今夜、この場所で、同じ傷を心に刻んだ。
あの本棚の前で、富士子は泣いていた。
クソ・・・。いつもこっちの事情で僕は何かを考えながら、中途半端に富士子の話を聞き、察した富士子は会話を途切らせ、僕は居心地が悪くなって、富士子をここから送り出すの繰り返しで。今晩、富士子は何か食べただろうか・・・きっと食べてはいないだろう。いや・・宗弥が一緒だ。それは無い。
不完全となった僕は、これから1人で生きてゆく。
次のアルファーの拠点は本陣内になるだろう。帰国する度、ここを訪ねよう。窓辺のあのテーブルを選んであの椅子に座り、コーヒーを飲みながらミックスサンドを食べ、たまに店内を見回して、窓越しに空を見上げて思い出をたどろう・・。
コーヒーの出来上がりを知らせる電子音が鳴り、コーヒーポットからマグカップに注ぎ入れていると、微かなドアの解除音が聞こえ、左脇にA4の黒皮書類バックを抱えたトーキーが店内に入って来た。
カウンター内の影から「おかえり」と声をかける。驚いて1歩下がったトーキーは「ここにいる時くらい、気配消すのやめたらどうですか。そんな所で何をしてるんです。この時間にコーヒーですか」と珍しく率直な物言いをした。
トーキーも考え事をしていたらしい。僕と同じかと思いながら「すまん。お前もどうだ。飲むか?」と聞く。「頂きます」トーキーは短く応え、窓辺沿いの1番奥のテーブル席に向かった。
お前も、こんな時間にコーヒーを飲むのか・・トーキーの考え事も深いようだ。苦笑する。男でいるには悩みも深いか・・・かといって、女に生まれ変わりたいかと聞かれれば、あんな複雑怪奇な、神経構造はごめんだと速攻で却下だ。単純明快なバカ男がいい。とはいえど、また、生まれでたいかと聞かれれば、2度とごめん被りますと即答する僕がいる。
トーキーは奥の窓がわの椅子に腰掛け、書類バックのジッパーを開けて、テーブルに中身を出し始めた。
右手のマグカップをトーキーの前におき、「ありがとうございます」と言ったトーキーの向かい側に座りながら「神経を使ったようだな。解析結果はどうだった?」と聞く。トーキーは写真と資料を僕に手渡しながら「すみません。考え事をしていたもんですから、分析自体は、そう気を張らずにすみました。まずはそこから説明します。ハンダ付けに使用されていた銅線は、大量生産された物で国内、海外のどこでも買えます。ハンダ付けの技術は、拡大鏡で見ても器用さに欠けるものでした。見よう見まね感は否めません。チップはやはり軍用で、中国製でした」と報告した。
読んでいた資料から顔を上げ「誰かに渡された指示書を参考にしながら、市販の機器を組み直して、軍事用ジャミングチップと、アンテナを取り付けたということか?」と口にする。
「そうです。帰投しながら道々考えたんですが、わざと不器用さを装うことも出来るんじゃないか・・・そう考え着いてわからなくなりました」とトーキーが言った。
僕はニヤリと笑う。「なるほどな」と納得した。コーヒーを一口飲んで「こちらを混乱させるための陽動か」と言う。敵もなかなか、面白い事を考えてくれるじゃないか。
うなずいたトーキーは「そう考えると仕掛けた人物の特定枠は、分析前よりも広がったというわけです」と言って目を細め、「ある意味慣れているのか、ズブの素人なのか」と続けたトーキーに、僕は視線を合わせて「厄介だが、殺甲斐がある」と言う。
「過激ですね」と言って野蛮に笑うトーキーに、僕は「トーキー、いま僕に話した考えを本陣には入れたのか?」と聞く。「いいえ」と応えたトーキーに、「お前の考えを本陣に一報してくれ。この資料は誰にも見せなくていい。破棄してくれ」僕は手にしていた資料紙を手渡し、受け取ったトーキーは「了解しました」と応えて、資料をカバンに入れながら「内通者は、誰だと思いますか?」と聞く。
「さぁな、わからない。国男さんと浮子さんは軽井沢に移送して、富士子さんには宗弥とファイターが付いて安全な場所に匿った。そこもあす早朝には出て軽井沢に移動する。内通者は盾石家の情報が取れなくなって、何か仕掛けて来るかもな」と言った僕が嗤う。
トーキーが「盾石家の避難先を知っている外部関係者は限られています。第1秘書の素水樽太郎さん、西浜医師」、「その2人は信用できる」僕は速やかにそう被せ、「そうですよね」トーキーも即座に同意した。
僕はスマホを取り出してトーキーの前におき「フェイクのジャミング機に取り付けた発信電波を、このスマホで追えるようにしてくれないか。お前のパソコンに緯度と経度の記録が残るようにも設定してほしい」と頼んだ。
「了解しました。お借りします」といったトーキーは、スマホと書類ケースを右手に、マグカップを左手に持って席を立った。
遮光ロールカーテンを開け、僕は宵の明星を見ながら時間を掛けてコーヒーを飲む。後手に回っていたが、敵の尻尾を掴めるところまで追いついた。地獄に落ちるまで付き合ってやる。楽しみにしていろと笑う。
翌日の10:00
遅番だったターキーが金庫室2階から降りて来た。僕は白板前に置いたパイプ椅子に座り、右手の中指の爪を切っていた。顔を上げ「おはよう、ターキー」と言うと、僕の顔を見たターキーは眉間にシワを寄せ、落ち着かない顔つきになった。
その表情を見た僕は「どうした?」と尋ね、ターキーは「いえ、なんでもありません」と言って、金庫室から店内に入って行った。その背中を見ているとスマホに電話が着信し、爪切りをテーブルに置き、スマホを左手で取り上げて画面を見る。
宗弥からだった。
瞬間、嫌な匂いがした。速攻で取り上げた左手の親指で、通話をONにする。スマホを左耳に持っていく前に、宗弥が「要、富士子が姿を消した!!!本社ビル1階の女子トイレの床に、富士子のコートと荷物が散乱してる!!富士子が拉致された!!!」と絶望的に吠えた。
馬鹿な!! すでに、立ち上っていた。拉致と聞いた瞬間に、氷の刃を背中に突き立てられ、冷たい戦慄が全身を貫き、ガクリと両膝が折れた。崩れ落ちる身体をテーブルに右手をついて支えると、宗弥の言葉を聞いた左耳が急速に熱を帯び始め、ドクドクと血の流れる音が体を駆け巡り、跳ね上がった心臓が、逸脱の鼓動を打ち鳴らす。
「クソ!!!!」
状況を巻くし立てる宗弥の声が、急速に不明瞭になる。
聞き取れない。
「宗弥!!!待て❗️」血の引く思いでそう言い、「ターキー!!!」と恐怖が僕に叫ばせた。人を撃ち殺しても震えぬ左手がガタガタと震え出し、その手で握るスマホをテーブルの上におき、定まらぬ指先でスピーカーフォンにする。
感情むき出しの逃げ場がない要の声を聞いたターキーは、左手に持っていたペットボトルのキャップを床に落とし、背筋が瞬時に起立する。「はい!!」と返事しながら金庫室に走った。
要の姿を見たターキーはエマージェンシーだとわかり、考えるよりも先に身体は動いてPC機器がのる長机前のパイプ椅子に付くや、インカムを装着してパソコンを打ち始める。
イエーガーは「宗弥、もう一度、最初から説明してくれ」と不気味な冷静さだ。キーボードを叩きながら「待って下さい。フレミングのスマホとリンクして録音整えてます」と進言する。準備を整え「フレミング、どうぞ」とピリリとする声で言っていた。足元の保管ケースから衛星電話を取り出し「イエーガー」と声を掛けて投げる。イエーガーの無自覚な左手がキャッチした。
宗弥はガナるように時系列で説明し始め、そこに汗まみれのジョギング姿で、チャンスとトーキーが金庫室に入って来た。
衛星電話を使って「ファイター❗️富士子の私物回収❗️現場の保全を頼む❗️」と指示しする、「完了してる。ただ、フレミングが汚染した可能性がある。これから本陣に鑑識の要請する」ファイターの声は鉛を思わせ、聞いた要は不安と恐怖を煽られ、スピーカーフォンにした衛星電話をガタガタと音をさせながら、テーブルにおいた。その様子を見たターキーは、息を飲んだ。
「フレミング、ファイター、富士子に装着した発信器を、秘匿衛星回線で追え」と再度指示する、「了。アドレス求む」ファイターからはすぐに返事がきたが、無言の宗弥に僕は「フレミング。フレミング、戻ってこい。衛星回線だ。繋げ」と冷静に問い掛け、その声にファイターの声も重なり、口を開いた宗弥が「ターキー、俺のスマホに、富士子の発信器のアクセスコードを送信してくれ。俺のメールアドレスは、あ、そうか、知ってるな」ノロノロと言った宗弥は、まだショックから立ち直れずにいた。
宗弥が「要、富士子が」トボリと口にした。被せる要は「いや!まだだ!!!フレミング!ダメだ!!諦めるな!!!まだ間に合う!!富士子を追え!!!」アクセル全開で振り絞り、敵に裏をかかれた宗弥は「了!」と潤む声で叫び、通話を切った。
緊迫を極める通信にトーキーとチャンスはもちろん緊急事態だと感知していて、要の指示を待っている。「チャンス、戦闘服に着替えてこい。それから僕の戦闘服を、ここに持って来てくれ」という要の指示を受け、チャンスは全力で階段を駆け上がる。
右手だけでは身体を支え切れず、前傾する要にトーキーは左手を差し伸べた。
その手を払い退けた要は「トーキー、アルファーはこれから富士子追尾に入る。お前も戦闘服に着替えてこい。ミニに積む装備は、各自のベット下にある装備、フレミングとファイターの戦闘装備、衛星とアクセス可能なパソコン3、衛星電話計6、ガンラックからM4、FN F2000、グロッグ、各予備弾倉5、各種弾丸全て、手榴弾10、ドローン一式、金庫から、アルファ総員の各種パスポート、現金すべてを積み込め。チャンスにも伝えろ。上着を忘れるな」と言った要は、テーブルに両手を付き、首はうなだれて背中は丸まり、テーブルを覆うような体勢になりながらも、明瞭な声で指示していた。
トーキーは3段飛ばしで、2階へと駆け上がる。
「ターキー」と要は打って変わって地を這うような声で言い、ターキーは私怨に塗れた要の顔を見るや、ピクリと肩を跳ね上げ、そのターキーを要は青い目で見抜き、そして「富士子の発信機電波を、絶対に途絶えさせるな。盾石本社ビルのスパコンをハッキングしろ!痕跡が残って構わん!やれ!!最優先は1階女子トイレ付近」荒れる口調で指示した。
すぐさまターキーは取りかかり、階段を駆け降りて来たチャンスは、右肩に掛けたパンパンに膨れた大型バックを、両手に抱え直して入り口付近に滑らせる。
チャンスがテーブルの上に要の戦闘服と革ジャンをおき、空の大型バックの口を広げながらガンラックに駆け寄り、戦闘服を目にした要は服を脱ぎ捨て裸体にボディ・アーマースーツを着用しながら「チャンス、積み込みが終わったら、バイクを外に出してエンジン掛けておいてくれ」と言い、チャンスは床に置いたユーティリティケースに弾薬箱を詰め込みながら「はい!!」と返事した。
TVモニターに映る富士子の発信機信号を要は時々、凝視しながら、装備を次から次へと着用していき、精神は装備を備える度に戦闘へと目覚めていき、手の震えも、白くぼやけていた視界も、怨に腐りかけていた脳も、通常を取り戻してゆく。
地域地図と重ねた富士子の信号は、北に向かっていた。
キーボードを打つターキーの左隣に立ち、要はインカムを装着してキーパッドを操作する。本陣に超秘匿通信を繋ぎ「こちらアルファーチーム長、イエーガー。認識番号A01-5940コロンブスとの通信願う」と呼びかけながらガンラックへと向かい、グロッグを右手で取り上げて太ももホルダーに入れる。隣に立つチャンスは大型バック2つを左右の肩に掛け、ユーティリティケースを左手に下げて金庫室から走り出る。
「送る。コロンブス。イエーガー、なんだ⁈」とコロンブスから通信が入り、要は掴み取った弾倉を防弾ベストの前ポケットに入れながら「監視対象者、盾石富士子を、本社ビル内でロストしました。申し訳ございません。これからアルファーは追尾に入ります。富士子に装着した発信器は今、」TVモニターに視線を走らせ、「外環自動車道大泉JCT通過、走行中。盾石本社ビル内のスパコンを、ターキーがハッキングして監視カメラ映像を取り出しています」と報告した。
絶句したコロンブスではあったが、瞬時に立て直し「了解した。全力で奪取されたし。こちらもモニターする。ターキー、この通信はこのまま繋いでおけ。富士子の発信器データ、監視カメラ映像を本陣と共有」と指示し、受けたターキーは「承知しました」と覇気ある声で応じた。
戦闘服の上から、黒のアーミージャンバーを羽織ったトーキーは装備の入ったバックを両肩に掛け、チャンスが滑らせたバックを、右手で素早く回収して走り抜けていく。
コロンブスが「イエーガー、後のことは気にするな。存分にやれ」と呼びかけ、「承知しました。あとの事はよろしくお願い致します」と要は言った。
「イエーガー、監視カメラ映像入手!」と言うや、ターキーは壁掛けされたTVモニター画面に監視カメラ映像を展開させ、要が瞬間に見上げると、1階女子トイレからサヤを先頭に帽子をかぶった作業着姿の男が肩に絨毯を担ぎ、そのあとを追う白衣姿のBが写し出された。
その一部始終を目にした途端に要は口を右手で押さえて店内トイレに駆け込み、胃の中の物を全て吐いた。それでもえずき、胃液を吐く。「クソ」と呪詛しながら吐きまくる。右腕で口を拭う。気配を感じて振り返ると開け放たれたドア前に、チャンスが革ジャンを持って立っていた。
「ありがとう」と言いながら革ジャンを受け取り、心配そうに見ているチャンスに「大丈夫だ」と声をかけつつ羽織り、「迎えに行こう」とキッパリした口調で言う。「はい!!!」と言ったチャンスに、要は頷き「ターキー!、あとは頼んだぞ!!」と未練なくキリリと言い切った。
要の脳内で、戦いのシンフォニーが鳴り響き始める。




