表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/78

要編  54 内包の混乱を制する



シーン54 内包の混乱を制する




 笑顔まぶしき富士子と、チョコレートケーキを共に食べた。ああ、これで、この人とは終わる。静かな海のような想いだけが今、心に残っている。



 トップガン・マーベリックを観に行こうと誘い、実際、チケットも購入していたが、映画館へと移動している最中さいちゅう、ファイターから電話が入った。時の流れは早く、時は人の想いなどお構いなしに、孤独の中を身勝手に進む。The end .



 僕の恵は()きた。



 自分でファイターに頼んでおいて、あれこれと勝手な事をぶちまけている僕も、時と同じく十二分に身勝手だ。富士子が乗ったタクシーを見送った後、徒歩でハイアットホテルを離れるが、歩く気力は途中で失せ、通りがかったタクシーを捕まえてmapに帰投した。



 窓際の奥テーブルで手紙を書いていたファイターは、店内に入ってきた要の顔を見るや「大丈夫か?真っ青だぞ」と声をかける。



 僕は玄関先で、立ち止まってしまった。

 生きる気力を、失ったように。

 身体の芯が冷たい。


 

 うつな動作で、惰性の視線をファイターに流し「ああ」と機械的に応える。



 そのさまを見たファイターは、右手のセーラー万年筆にキャップをしてテーブルにおき、真っ白な便箋びんせんを閉じた。言葉が見つからず、ファイターは手紙を書きあぐねていた。強襲は過酷なものになるだろうと、そんな予感ばかりが脳を走り、脳は筆を止めた。



 要に歩みよったファイターが「お前の判断は、間違っていない」ひっそりとした声で言う。僕は、ただ、ファイターの目を見ていた。



 深紅に縁取られた要の目を、ジッと見ていたファイターはカウンター内に入り、冷蔵庫からカークボトルを取り出して、食器棚から出したガラスコップにミント水を注ぎ入れる。




 無反応な要を見ながらファイターは、カークボトルをカウンターにおき、要の前に進み出て、右手に持ったコップを差し出す。コップを見つめるばかりの要に、ファイターはほんの少しコップを押し出す。「ありがとう」そう言ったイエーガーの口調に抑揚よくようはなかった。



 ファイターが差し出したコップを、右手でゆっくりとつかみ取って、口をつけるがうまく飲み込めず、何度も喉をつっかえさせながら飲み干した。握り締めたコップを赤い目で見つめて、顔を上げ「ファイター、僕は・・・。僕は、富士子さんと、失踪するを選びそうになった」と言った。その声は他人のもののような声だった。



 要の揺らぐ目を見たファイターは「そうか」と短く答え、うつむいて腕を組み、掃き清められた床を無感情に見つめる。そして「富士子さんを、連れて逃げたかったのか?」と聞く。



 「ああ。離れたくなかった」僕が即答する。



 視線を上げたファイターは「お前なら2人の足取りを、完全にこの世から消すのは可能だ。だが、そうしていたら、富士子さんは自由にもならず、家族にも会えず、研究も出来ず、表の世界から姿を消すことになっていた。富士子さんをそうさせないために、俺たちは敵を殲滅せんめつするんだろう。だからお前はあきらめるんだろう。光の道を歩かせためにそうするんだろう」と言葉をかさねて言い聞かせる。



 「わかってる」歯を食いしばってそう言い、僕はうなずく。




 「イエーガー。最後までその気持ちをつらぬけ。富士子さんは俺たちの世界には住めない」そう断言したファイターを、曖昧あいまい焦点しょうてんで見上げた。




 ファイターは目のはしにかすかに涙をめていた。そして僕に「いいか。今は耐えろ。お前はあと数年もしない内に、俺たちの部隊を背負って立つ人間になる。この国の盾となる人間だ。消えてどうする」と言った。要が聞いていると確信したファイターは「男は黙って、痩せ我慢だろう」くぐもった声で言った。




 聞いた僕が下を向く。「そうだった。男は黙って痩せ我慢だったな」湿しめった声で繰り返す。「そうだった」と呟く。カウンター前に進み出てカークボトルを左手に取り、ミント水をコップに注ぐ。ゴクゴクと飲み干して「わかった」と言った。この味はこれから先、何度飲んでも、生涯、苦く感じるだろう。重く、つらい味となった。



 ファイターが僕の右肩を、大きな右手で2度叩く。こたえるようにうなずく。




 「ターキーはシャワーを浴びてる。俺は富士子さんの自宅を遠距離スコープで、監視してるチャンスと合流する。行ってくる」と言ったファイターは玄関へと歩き出したが、立ち止まって振り返り、そのファイターに顔を向け「大丈夫だ。頼んだぞ」静かにこたえて、大きく頷いた。うなずき返したファイターはドアを開けた。




 その背を見送って金庫室へと移動する。PC機器の前に立ちパソコンキーを叩いて、盾石家の正面、約500先にあるビルの屋上に、チャンスが設置した暗視スコープの映像を、呼び出してTVモニターに出す。




 機材ケースから衛星電話を取り出し、中央テーブルのTVモニター側に腰掛けた。見上げる暗視映像の富士子は、シンクで水を飲んでいた。



 コップを左手に持った富士子が、アイランドキッチンに移動しながら、トートバックから封筒を取り出す。その様子を見て、始まったと内心が引きまる。




 静寂だけが僕を包みだし通常の作戦時と変わらず、心拍数が落ちていく。ふと、ヘリの飛来音が聞こえた気がした。僕は、富士子に集中する。



 ゾロが仕掛けた資料を一読した富士子は、アイランドキッチンの椅子に座り込んだまま動かない。



 3度読んだ資料を元に戻し、また、読もうとする富士子を見て、もういいだろうと思い、衛星電話から富士子のスマホに電話を入れる。スルーされた。



 迅速じんそくにPC機器の前に移動してパソコンを操作する。秘匿回線経由で用意していたメッセージ文を、富士子のスマホに送信する。




 “ お父様の事故の件でお話したい事があります。電話でお話致します。通話に出てください“




 数日かけて、考えては打ち、書いては消してを繰り返し、結局、余計な言葉を削ぎ落とした簡素で、素っ気ない文章だった。富士子がそのメッセージを読んで、家の中をきょうきょう々と見回す。




 その仕草を見て、僕は富士子のスマホに電話を入れ、富士子と話す。電話の主が誰なのか、富士子が気付くのにそう時間は掛からなかった。初めて聞く、僕の冷徹な声だった。




 どこまでも訓練と実戦で磨かれた分身の鬼が、心の中央に陣取じんどり、富士子を冷たく見ている。



 その鬼がジワリと富士子を追い込んで、富士子の逃げ道を潰す。そして、ある方向へとみちびく。




 内耳モニターで聞いているファイターとチャンスは、自分達の姿を富士子が確認出来るようにと、ローバーを門前に移動させて車の前に立った。



 玄関で富士子が「何故!!」と叫んだ。



 僕の心臓が、ズキリと飛ぶ。

 その痛みは、嬉しく。

 僕は、罰を受けるべきだ。



 だから、これでいい。



 座りこんだ富士子に国男の名をだし、浮子の名前を語りかけ、行動を起こす様にうながす。僕への怒りが頂点に達した富士子は、文字通り冷静に、冷たく、外に踏み出した。それでいい。いい子だ。




 車に乗り込んだ富士子は無言を貫き、僕が聞くことが出来たのは、富士子がスマホを握り締める音だけだ。そのギリギリとした音はまるで富士子の手で、心を握り潰されているかのようだった。それでもよかった。富士子を感じられる。ふと、富士子は今、何を考えているのだろうと思う。




 富士子がいだいているであろう、感情の3つまではわかる。失意。涙。悲痛。



 それ以外を、知りたい。

 狂おしく。



 もう、叶えられない望み。



 僕は、富士子の信頼を失った。



 あと15分もすれば、富士子はここにに到着する。




 まずはこの金庫室を、1人で見てもらった方がいいだろう。左耳に衛星電話を当てたまま、店内へと移動する。窓際の奥テーブルに行き、椅子の背もたれに右手を掛けた。どんな時も正常を忘れない手が、微震していた。その手を見て、“ あなたが人であれ、影であれ、私を助けて下さい“ ダンテがヴェルギリウスに呼びかけたのは、こんな気持ちからだったのだろうか・・・。



 ゆっくりと握りしめ、伸ばした手は氷のようだ。その冷えが氷のやいばと化して、内心に垂直落下した。2つに割れた心から感情が染み出す。それに反応した内包の鬼がすかさず、“やめろ、今はそんな場面ではない“とさとす。“富士子の安全を確保するために、明日、軽井沢に行かせる。それが、最優先だ“と主張する。




 「そうだ、それが最優先事項だ」僕は口に出す。「折れてはならない」と口に出す。

 椅子に座って富士子の到着を待った。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ