要編 40 電車内の狭襲
シーン40 電車内の挟撃
富士子は到着した新宿駅から乗り換えの駅まで歩く間、地下に作られた通路や商業施設に興味を示し、幼女の様に顔を左右に振って興味深く観察していた。電車の乗りかえや経路の認知にも熱心さを見せ、事前にスマホ検索して知っておこうともする。
その熱中が、検索する様子が、要に開発技術者として研究所で立ち働く富士子の姿を彷彿とさせた。要は富士子の探究心の深さを知る。富士子は集中すると斜視気味の左の黒目が中央により、夢中になるほどにアヒル口になるのにも気づく。目にする者に童子を想わせるのを、富士子は知っているのだろうか。
すぐに、そんなことには無頓着であろうと考え直す。あくまで安全確認する為に時折、そんな富士子を要は盗み見ていた。僕は笑顔がこぼれ落ちそうになるのを、口元を引き締めて改めねば成らなかった。心に言い訳しながらも、僕の心は長閑さに心地良く、燻んだ世界も輝いて見えた。
遠目で警護監視するだけでは知る由もなかった富士子の日常を、要は間近で見て無条件に惹かれていた。
されど、僕は女性との相性が良くない。
ろくでなしにする魔法を、僕は使える。
とんでもない才能を、僕は持っている。
それに客観的でなければ任務に支障をきたす。もう何度も言っているし・・書いてもいるが・・・何度、不可侵だと言い聞かせれば、僕の理性は従うのだろう。自分に呆れる。本気でイカれたのか⁈と頭を疑いたくなる。富士子は魅力的かと聞かれれば、“ああ“と答えるにしても…、不可侵だ。
駅構内は普段よりも人通りは少なかった。よかった。
宗弥と自分が富士子の至近距離に居れば、何があろうが守り抜けると思ってはいたが、国男が強襲されたのは事実で、当日まで富士子を外に連れ出すか、キャンセルするかで迷った。富士子自身に敵の尾行が付いているのか、僕は確認したかった。
要自身は生と死を分けて考えておらず、そんなことはどうでもいいことで、死に対しての恐れも生にすがる気もなく生きている。
ただ要は、死は人生という名の修行が終わるだけで、生きているうちに幾つかの宿題を終え、次の世界へと魂が、どこかの誰かの子として生まれるとか、生きてる間に悪行を尽くせば、人に食われる側になるとかで、宿題がクリアできれば、センチメンタルに聞こえるかもしれないが、妖精や霊的善者となって浮遊し、ふわふわと空を、世界を、時空を、旅するエネルギー体になるのだろうと、そんな風に死をとらえていた。
だが今日、富士子に何かあれば、そんな事になれば特戦の志を持つ要は、自己を許せないのは明白で、だからこそ、今日の富士子が発している生命力の強さは要にとって心強かった。
その生命力を見て、ふと、生きるとはなんだろうと要は思う。
この世に生まれ出たから、しょうがない。
しかし、人間はやりすぎだ。
私利私欲で、己の心を動かし過ぎだ。
ご都合主義で、人の心を踏みにじり過ぎだし、
純粋を、馬鹿にしすぎる。
不責任の不干渉で、守られる自己保身に浸り、
美学のない生き方をしたりもする。
安心、安全の立ち位置から、禊と言って退けたりする。
禊ぎとは他人が指摘することではなく、自分の奥底で願い、後悔し、懺悔する事で、
洗い清めるは天が行うことだ。
そんな傲慢を人が口にすれば、当然、バチが当たる。魔が刺す。魔はいつでも人を射るために、弓を引き構えて待っている。
新宿駅・地下構内の長いエスカレーターに差し掛かり、流石に3人の先頭を富士子に歩かせる訳には行かないと、要は富士子の前に進み出た。
エスカレーターに乗る。
背で富士子を覆い隠す。
守るべき者だと主張するかのように、富士子の目の前に立った。
事実そうだった。それが僕の任務だ。誰、憚ることのない理由を今、僕は持っている。
しかし、なんだこのエスカレーターの長さは、こんなにも人を無防備にさせる動く階段があっていいのか・・エスカレーターに乗った人は左側に寄り、右側にスペースを開け、その空いたスペースを通り抜けて登り降りする人がいる。そのすり抜ける行為の危険さに気付いているのだろうか・・・。身体の一部位が、荷物が、右隣で立ち止まっている人に当たれば・・・。運よく踏ん張れる筋骨の持ち主であれば事なきを得る事が出来るだろうが・・・、そうでなければ前後、左右のどちらかに転ぶか、・・・前に立つ人に縋るか・・・後ろに倒れるかするだろう・・。
そうなれば、総崩れになる。
誰かがどこかで、落下する。
自己中心的な行動は、そんな結果をもたらす。
惨状を想像した事があるのだろうか・・マンダウンする様を見た覚えはないのだろうか・・・声高に世界平和とか、人類皆平等とか、虹色を唱えてはいても…これが現状だ。
脇を上がって行く人とすれ違う度に、降りていく人を見送るほどに、階段で頼むと願う。
富士子と宗弥に視線を送ると、富士子はエスカレーターの長さに驚いたのか、物珍しいのか、顔をちょこんと横に出して頂点を見上げていた。その後ろに立つ宗弥はさすがで、富士子の後ろを一段開け、宗弥もまたステップの中央寄りに立ち、開けたステップに左足を乗せて、いつでも富士子を受け止めるか、抱え込めるように体勢を整えていた。
宗弥が富士子の背を見つめていた視線を僕に移してウィンクしてきた。うなずいて前を向く。宗弥の行動はいつもながらにソツがない。いや、、、今日の宗弥は、いつも以上に気合いが入っている。
車内に乗り込んで、事前の打ち合わせ通りに、宗弥と2人で陣形を組んで富士子を囲む。
宗弥は富士子と向き合い、網棚から座席に南下するバーを左手で掴み、広げた右手を車窓につき、富士子を自分のテリトリー内に入れている。僕は富士子に背を向けて、右隣に立つ。
宗弥は時折、後方の左右に振り返り、変わりはないか確認しているが、宗弥の背後が無防備になる時間は長い。その体勢を宗弥が維持できるのは、要が2人を守り、難を遠ざけ、100%盾になるとわかっているからだ。もちろん、要もそのつもりだ。
要が行動を起こせば、宗弥は富士子に覆いかぶさり、自分の腕の中に抱き込んで、肉の緩和材になる気満々でいる。宗弥は富士子のためなら、喜んでそうなるだろう。
新宿駅からJR山の手線に乗り継ぎ、品川駅で下車して、最後の乗り換えの京急本線のホームに立つと、富士子が安堵の息を漏らした。その吐息は僕に聞こえ、緊張が解けのだとわかり、僕は労いの言葉を富士子に掛ける。
宗弥と3人でペットボトルをかざし、水を飲み干す。心からその水を美味いと思って声を上げて笑った。青春映画のワンシーンのように。
京急本線に乗り込んで、また同じ陣形で富士子を囲む。しばらくすると電車は大きく右カーブを切り始め、車両も右に傾き、それに合わせて乗客の身体も弧を描いて、僕らの周りに人溜まりが出来る。
その人の列から殺気が飛んだ。前触れなくぬらりと刃渡り25㎝ほどのアーミーナイフが姿を現す。その瞬間に刃先の的が富士子の首だとわかった。
コマ落としの視界の中で、ナイフの速度が上がる。脳内で警告音がけたたましく鳴り出し、右にずらした脇腹を張ってナイフ側面を跳ねのける。ナイフが空を切る。柄を握った手がナイフを引き戻しながら内側に折れ、刃先の角度が変わる。右脇腹を抉って人波の中に消えてゆく。
一瞬の出来事だった。瞬時に右手で右脇腹を押さえたが、右膝がカクリと折れて崩れ落ちた。クソ!!!やられた!!辛うじて、左手と左膝を床につく。垂れた首を起こし、目の前から逃げる足元を探すが、もはや、影すらなかった。
僕の背中を渾身の力で掴んだ富士子が「大丈夫ですか?」と声を張る。揺らぐ富士子の瞳をしっかりと見てうなずき、宗弥に視線を移す。
ハッとした宗弥は富士子を自分の影に入れ、上着を脱いで僕の両肩に羽織らせ「どうした、文学部。電車酔いでもしたか?」と気持ちとは裏腹の余裕の声で僕に問い掛けた。
「ミスった、すまん。だが医療オタク大丈夫だ。このまま移動してくれて」と“医療という隠語を口にして治療が必要だと知らせる。掠れ声だった。宗弥が僕を支えようと手を差し出し、おいおい宗弥、大袈裟だとその手を拒むが、宗弥はガッチリ掴んで離さない。
うるさい!!放せ!!富士子が最優先だ!!!もがくようにして立ち上がると、座席を譲ったカップルに富士子が「ありがとうございます」と頭を下げていた。クソ。泣きそうな顔で、頭まで下げさせてしまったそう思った瞬間、目がくらんだ。察知した宗弥が「いいから、座れ」と僕に唸る。頼もしいじゃないか、宗弥、そんな声を出せるとは、反抗心でそう思う。やられっぱなしで反撃すらできず、取り逃した!!!クソだ!!クソ!!!クソったれだ!!!
富士子を先に座らせてその左隣に座る。膝の上に宗弥が置いた自分の上着でシャツの上から傷を押さえ、痛みに反応した脳がエンドルフィンを放出するのを待つ。
熱を帯び始めた傷口が、どの程度の負傷かと自分に問う。
脳内で、警告音は鳴らなかった。
いける。大丈夫だ。
ある程度の時間はある。
富士子が話しかけて来たが、深刻に思って欲しくはなくて犬歯を見せて笑った。富士子の表情は溶けなかった。反省して正直に応える。「ふざけてすみません。あなたが心配しているのに。大丈夫です。目を閉じていれば治ります」と言った。
富士子の前に立っている宗弥の左つま先に、自分のコンバースの右足先を押し付けて、体力温存のために目を閉じる。なんで押し付けるかって、何かあったら宗弥の足は動くだろうし、知らせたいことがあればコンコンと宗弥の足先を打って打電すればいいからさ。
気づいた宗弥は右足を開いて両足の踏ん張りを強める。そして左腕を背後に回して後ろポケットからスマホを取り出すと、突風のような凄まじさでメッセージを片手打ちし始めた。
“総員に告ぐ。電車内で強襲を受けた。富士子は無事だ。要が刺され負傷。自己存命行動は取れている。目的地は変えず、地の利に有利な俺たちの庭、国防大のままとする。チャンス、治療キット整えて門の前で要に手渡せ。トーキーとターキーは今後のJR品川駅から京急本線の終点までの構内監視カメラ、改札周辺の監視カメラから録画映像を奪取しろ。襲撃者を探れ。すまない。手がかりになる目撃を俺は何一つしていない。ファイター、心配するな。要には俺が付いてる。だが、応援が必要だ。国防大に急行されたし”
その宗弥の気配を察した要は先読みする。そして微かに口角を上げて笑う。
想像するに、ファイターは頭から湯気を立ち昇らせて宗弥のメッセージを読んだ後、監視病室に飛び込んでトーキーに本陣へと緊急打電を打たせ、本陣からベーターに指令が下り、病院近くで監視しているベーター長・サラマンダーは意気揚々と監視病室に現れるだろうと。
ファイターは病室警戒をサラマンダーに託し、物凄い速度で高速道路をぶっ飛ばして国防大に現れ、僕を睨みつけるだろう。
ターキーとトーキーは破竹の勢いで監視カメラ映像を奪取して分析ししながら、国防大に移動する僕らに埋め込んだ追跡装置を追い、パソコン画面を凝視の眼でモニターし続けるだろう。
チャンスはミニに走り、トランクを開けて医療キットの準備を整えて3回は中身を確認し、正門前で待っている。
この国の門番・先鋒アルファーは優秀だ。
要の首がゆっくりと傾き始め、コトリと富士子の左肩に頭が落ちた。薄れゆく意識の中でいま起こった事に、誰も気付いていませんようにと願う。僕たちが生きる影の世界でどんな攻防戦が起きていようが、この国で暮らす人たちはそんな事、知らなくていい。知る必要はない。
何よりも要は、富士子の笑顔を曇らせたくはなかった。




