要編 3 生い立ち
尾長要は父、尚徳、母、チエ、4歳年上の兄久志3歳年上の姉、賢子の3人きょうだいの次男として広島県呉市で生まれた。なお、要の面差しは子供の頃から母のチエによく似ていた。
要の祖父にあたる久吉が呉市にあるレンガ通りで、営み始めた尾長商店が要の生家だ。現在は長男の久志が店を継ぎ、久志は相続と同時に、尾長商店を会社登記して社長に収まり、24歳で結婚して一人娘の巴子を授かった。久志の妻、富子は尾長商店の副社長を務めている。姉の賢子は従業員だった金治郎と結婚して、2人はいま尾長商店有限会社の役員だ。
要の父の尚徳は、祖父の久吉と同様に久志が長男なのだから、後継者になるのは久志だと考え、そうなるように養育する。母のチエも久志を溺愛し、賢子と要には目もくれなかった。父、尚徳がそういう考えだから、チエはそれを習っただけだが、夫の愛が欲しかったチエもチエで、母親ではなく自分の中に仄暗く佇む女を優先していた。
小さな独裁者で包容力に欠けた父。そう考えれば要は虚しくなる。クソみたいなプライドを幼少期に植え付けられて、疑問視することもなく育て上げた父を要は男として軽蔑している。
そういう男を作者の私も見てきたし、酒を酌み交わしたこともあれば、そんな男の話を聞いた覚えもある。そういう男たちは、総じてダサさの極みが魅力的だ。そこに女は惚れ、自分が居なければと誤解して尽くす。中身のない男が女とする事などお決まりで、女が変わってもシレッと対応してくれる店で食事をし、懐が傷まない程度のブランド品をプレゼントする。物知りを印象づけられるほどに、何度も通い慣れた観光地を3箇所は持っていて、付き合い始めて3ヶ月ほど経つ頃に、今や道順に苦心しない程に通い慣れた旅行先で女と週末を過ごし、マイレージで泊まれるホテルに宿泊する。盛りに盛っても間違えないほどに、口が慣れてしまった半ばセリフのようなふかし話を聞かせ、約1年ほどの歳月をかけて己がテリトリーを一周半した頃、男は女を変える。新しいのは女の顔だけで、男は飽きもせずまた最初から繰り返す。金持ちであればあるほどこのサイクルは早い。男の社会的評価は変わらず、社会的制裁は多岐にわたって女性へと向く。そんな女の金銭感覚は多いに歪んでいて、飽きたという理由だけで捨てられることにも慣れ、人を羨み、もう1度と切望して似たような男を転々としている内に若さを失い、他人の評価で定める自尊心と共に、女は転落人生のスパイラルに入る。
初対面の友の恋人に私が名前を聞くと、同席していたある友が私に耳打ちした。「名前を聞いてもすぐに女は変わるし、次の女を前の女の名で呼べば厄介ごとが増えるだけだ。だから聞くな」と。忠告するようにそう言われた私は「じゃあ、彼女をなんて呼べばいい⁈」と小声で聞いた。友は「奇しくも、お前がいま言った“彼女“と呼べ。彼女の前に“ねえ“をつけるか、“あなた“と呼べばいい」悪びれもせず、逆に誇らしげに友はそう言った。この男も同じ穴のムジナかと思いつつも私は「なるほど」と妙に感心した記憶がある。
失礼した。本文に戻る。要の生い立ちの話だ。
金物屋店には従業員の金治郎もいて、人手は十分足りていたが、尚徳とチエは幼い久志に、何よりも優先させて店を手伝わせた。久志も吹けば飛ぶような誇りと共に、金治郎と店番したり、学校が休みの日には両親に伴って、買い付けに同行する。「できた跡取りだ。尾長商店は安泰ですね」という周囲の声に、尚徳とチエは鼻を高くして喜んだ。
忙しい両親に構われぬ要の面倒は、姉の賢子がみていたが、3つしか歳も変わらず子供の世話が行き届くわけもなく、要もそんな賢子のお守りが当たり前のことながら気に入らず、何かと反抗的に接した。
それが今の僕の用心深さに結びついている。作戦立案に生かされ、偵察を怠らず、トラップに引っかかた事もなければ、捕縛されたこともない。今、生きているのは、幼少期の体験があったからこそだ。感謝だ。
姉さん。今のその立場で、人の顔色を窺いながら、旦那を大事にして生きろ。あなたにはそうする他ない。振り返って考えてみれば、姉も親の庇護のない中、拙くも、自分の面倒を懸命に見てくれていた。だが、幼少だった僕には、深く考察できるはずも無く、姉にも雑に扱われていると嫌になるだけだった。
自分で出来ることは、自分でするようになった。そうする事で両親の無関心さに、心が傷つかぬようにしていたのかもしれない。あなたは・・・僕を認めようとはしなかった・・・大人の庇護がなければ、子供は生きてはいけない。親の世界が自分の世界で、手習の師は親だ・・・そうするしかないだろう・・父さん。
母のそばに居たくて、要は店内で過ごすことが多かったが、4つ年上の久志のように、利発に店を手伝うことは出来ず、手伝っているのか、遊んでいるか、邪魔しているのか、よくわからない状態で、両親もそんな要の手伝いを望んではおらず、そのうち母は幼稚園から帰宅した要に「外で遊んでおいでえや」と言うようになり、60円渡して外に遊びに行かせるようになった。要も店に居ても相手にされず、寂しい思いをするよりはと、次第に自ら遊びに出るようになった。それで自由のよろこびを知ったんだよ・・・母さん。
貰ったばかりの小遣いを握りしめて駄菓子屋に行き、まずはスーパーボールのくじを引く。残りの40円でおやつを買い、食べながらスーパーボールを道に投げ、左右のどちらか片手でキャッチするを繰り返しながら歩き、レンガ通りに連なる商店を見て回ったり、車も通れない小道を選んでは分け入り、頭の中にある迷路地図を繋ぎ合わせるのに夢中になったり、地名の由来になった山々を拾った小枝を振り下ろして、雑草をなぎ倒しながら頂上まで登り、眼下に広がる市中を眺めたりしながら、要は日が暮れるまで外で過ごした。
そんな毎日だったよ、母さん。今の仕事のやり方と変わりない。標的の周りをウロウロ嗅ぎ回り、観察して情報を得る。あの頃の僕には、腐るほど時間があった。僕はこの仕事の基礎を、幼少期に身につけていたんだ。土地勘、方向感覚、両手利きに近い手、頭の中にある羅針盤、孤独との付き合い方、自分で責任を取る決断力、捨て身になれる自己愛の無さ。母さん、あなたの不道徳に感謝だ。ありがとう。
帰宅する途中、その日のスーパーボールを呉湾へと続く川に、力のかぎりで投げ入れ、何度も大きく跳ね上がり、水中に吸い込まれていくのを、要は立ち止まって見送った。そして頭にある羅針盤に従って、母が近くの惣菜屋で買い求めたであろう、出来合いの夕食を食べるために家に帰る。あのスーパーボールは、まだあの海を漂っているのだろうか・・・それとも、とうの昔に腐り、海の藻屑に成り果てたのだろうか・・・。
両親が要に与えるよそ行きの服、普段着、下着、靴、学年が上がる毎に、必要になる道具のほとんどは久志のお下がりで、要は両親から品を与えられると、傷があればマジックで塗り、欠けていれば紙粘土で補って、境目に接着剤を塗って乾かし、できた凹凸を爪切りのヤスリで削って、マジックやクレヨンで色づけして使っていた。これで器用になった。物の形と形状を頭に描けるようになったんだ。差別的な試練も役に立つ。ザマーァミロ、兄。
家族の中での要の居場所は、曖昧だったが、そんな要にも家族との思い出はある。
祭の日、浴衣を着せられて、縁側で食べていた山芋かけご飯を、夜空に上がる花火の美しさに見惚れた要は太ももにこぼし、それを母に告げると「花火が終わるまで待ちんさい」と言われ、次第に痒くなってゆく太ももに、花火どころではなくなった。いま僕は閃光とび散る爆発を見ると闘志が湧くよ。もちろん、起爆させるのも、解除するのも好きだ。コントロールしたいんだと思う。あの時、従うことしか出来なかった僕とは違うと、認識したいんだと思う。インナーチャイルドの癒しだよ。
町内会長になった父が夜の会合に出かけては、朝帰りするようになり、母は父の浮気を疑い、父を責め立て口喧嘩するようになった。次第に暴力を厭わない夫婦喧嘩に発展していった。そのお陰で人と争う醜さを知ったよ。大抵のことは聞き流せるようになった。あの頃のあなたたちは、サハラ砂漠で見た死肉を漁るコヨーテに似ている。
ある日、母のあまりの罵りように、頭に血がのぼった父は血相を変え、ヘビのような目で母を睨み、酒の勢いもあってか、店に陳列してあった刺身包丁を手にして戻るや、円卓にあった夕食を払い除けて、包丁を突き立てた。幼き僕が見た包丁の刃は、ビーンと微かな音を立て、細かく振動する刃文がヌラリと光ったんだよ・・父さん。母さん、あなたは父さんなど嘲笑ってやる強さと、知性と良識を持っていなかった。馬鹿な男の不確定要素満載の愛に、すがりつく愚かな女でしかなかった。
僕のバス代をケチった母が下車する停留所が近づくと、顔をそっと近づけてきて、見知らぬ老婆を顎でしゃくり「降りる時、あのおばあさんに付いて降りんさい」と言った。あなたは身体を起こし、戸惑う僕を見下ろして、兄の手を取ってバスから降りた。運転手は料金を払わずに、老婆の背後に付いて下車する僕に不審の顔を向け、僕は手汗でクニョクニョになった改札券を握り締めて、あなたの背中を追った。あの時僕は、僕の何がいけなかったのだろうと自分を責めたよ。
赤い夕陽に向かって、手を繋いで歩く親子。
母が好んで着ていた、ツーピースの柄模様。
正月前に母と言い争いになった父は、母の顔に飲んでいたお猪口を投げつけ、母の目の下にあざができた。兄と姉と僕にあなたは「お母さんの顔、どうしたのって人に聞かれたら、棚卸しをしよって、段ボールが顔に落ちてきたんですって、いいんさいや」とクドクド言ったよね。
そう言い聞かせるあなたの顔には、暗い黄色と緑色の色彩が浮いていた。
店の売り上げが芳しくない月に、父は知っていたのか、母は姉と僕の給食費を滞納させ、教室の黒板に【給食費滞納者 尾長 要】と書き出された。頭の良く無かった僕は、その恥ずかしさの意味もわからなかったよ、母さん。
姉が大人の顔色を、うかがいながら行動するさま。
その上目遣いの目。
給食当番が終わり、給食着を持ち帰った週末が、過ぎ去った月曜日の朝、あなたは洗濯し忘れた給食着を袋から出しながら「あんたが、洗濯機に入れんけん、いけんのよ」と甲高い声でそう言いながら、畳み直しただけの給食袋を僕に持たせたよね、どんなに恥かしかったか、あなたにわかるだろうか、母さん。登校中、僕は何度も給食袋の中を見たんだ。そして、フックに掛けた給食袋を僕はずっーと見ていた。次に誰が使うかなって・・。出来れば物静かな女子に使って欲しかったんだ。シミがあっても何も言わないし、先生に告げ口1つしない。そうさ、僕は卑怯者だ。そうだよ母さん、あなたのお陰で知った卑怯という名の経験のおかげさまさ。
そんな事を、そんなことばかりを、今でも鮮明に覚えている。
そもそも自分は、なんで、こんなろくでもない事ばかり記憶しているのだろう、もっと良い思い出もあっただろうに。
思春期には両親の自分に対する態度に、跡取りの兄がいたにもかかわらず、なぜ自分を作ったと恨み、そもそも、そんな計画性や計算が出来ていれば、自分はこの世に生まれ出ることも無かっただろうにと軽蔑し、いや、計算があったからこそスペアを産んだかと、それならば同じように教育しろよと憤った。
あなたたちの中途半端な計画に、魂胆に、一貫性のない養育に、脳は不健康な見解に侵され続けて嫌気がさし、金輪際、こんな事に惑わされてたまるか、自由に生きてやると決めたんだ。
自分からも捨てたんだ。先に始めたのは、あんた達だと冷めたんだよ。現在、兄は父の考えどおりに店を継ぎ、僕も志を高く持てる天職だと真に思える職に就いた。今を思えば10代に抱えた葛藤など、とるに足らないと一笑できるが、勉学と訓練、海外派遣を内心の理由にして、僕は大学に進学して以来、呉に帰郷していない。
中学2年の春、家を出ると決めて、進路を広島市内にある県立高校に定めた。両親は最終学年の三者面談でそれを知り、父は仕送りを含めて授業料、下宿代を出すと言ってくれたが、母は授業料だけは仕送りすると、呉にも高校はあると反対し、父は母に押し切られ、僕は「自分で決めた道やけ」と内心のクソったれを押し殺して、両親の出した条件にうなずいた。
合格発表の日、賃貸契約用に両親と自分の印鑑を2つ作り、父の名で委任状を書いて、春休みを使って高校近くに下宿を見つけ、貯金で敷金、礼金を支払い、ひとり賃借手続きを済ませてバイト先を決め、早々に引っ越した。
高校進学を経て、人生を切り開いていくのは知恵の習得とこの身ひとつだとなおの事、そう思うようになったよ。
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要は授業料以外の出費を、時給の高いコンビニの深夜バイトで賄い、就学に励んだ。
生活のリズムができ始めた頃、バイト先の駐車場でたむろする男女が、ゴミの片付けをしないで帰るのを見かねた要は「ここに居るのは構わんけど、ゴミは、ゴミ箱に入れろや。立つ鳥、跡を濁さずと言うじゃろうが。少しは他人の事ば、考えてみたらどげんね」怯まずそう言うと、その内の1人が「われ、面白いこと言うの。バイト君」と要の肩を突く。
咄嗟に掴んだ手首を離さず「ここに来るとをやめるか。片付けて帰るようにするか?どっちにするんね?」と怒気をあらわにして聞いた要の胸元を、掴んだ一人が「やるんかぁ!」と要の鼻先で凄んで一触即発となった。
「1対4は卑怯じゃろうが」とげきった要は、1人に右頬を殴られ、1人に腹を蹴られてへたり込む。店員服の縫い目が裂けていた。拳を握り締めた要は「ええ加減にせぇよ!」と語気を荒立てて、4人の中に飛び込んでゆく。「バイト君」と言った男を殴り倒し、右足で蹴り込んで1人、1発貰いながらも頬を殴って1人、左スネに蹴りを入れられながらも、ラリアートで最後の1人をなぎ倒した。
「バイト君」と言った男に要は右手を差し出して、手を借りながら立ち上がった男が「われ、強いのぉ」と口元を拭きながら、続けて「おこらしたら、怖いのはわかったけん。わしらがわりかったのー」と謝った。「わかりゃあ、いいけん。しかし服、やぶかんでもよかろうが」と要が言うと、男は「弁償しちゃる」と愛嬌ある口調で笑った。
そんなひょんな事で、知り合いになった男は要に会いに来ては「尾長くん、今日もお勤めご苦労さん」と1人だったり、仲間とだったりで、要のバイト先に顔を見せるようになった。そうするうちに要と男は休憩時間に缶コーヒーを飲む仲となり、要は男をテツと呼び捨てにする。
テツは市内の開業医の息子で、テツの両親は勉強部屋にと、持ちマンションの一室をテツに与え、10代にしては多い小遣いを渡していた。羨ましい話だった。金の無かった僕はこんな親もいるんだなぁーと妙に感動した。テツは今でいう親ガチャbingoだった。
「わしは勉強せんでも、頭ええけん」テツは事あるごとにそう言い、実際に賢かった。要の下宿にも遊びにくるようなったテツは、要に夜の街を教え、女を教え、いつしか要の下宿に住みつき、要も要でそんなテツを疎ましくは思わず、これまでとは異なる友との生活を謳歌していた。
テツの仲間と遊びに出た夜の街で、スナック従業員の募集張り紙を見つけた僕は、コンビニのバイトをやめた。時給が目が飛び出すほど良かったからだ。深夜働くのに変わりはない。美味いカクテルを作れば、客も満足してチップも増えると店長に教えられ、店にあった本で作り方を勉強した。そのうち無口なシェイカー振りがいると評判になった。
店に飲みに来るようになったテツは「尾長くん、あの席のグラス空いとるど」と言っては、要にお代わりを作らせ、テツが席に持って行き、名刺を貰っては客と飲み友達になっていった。テツは十八番のGLAYで女を泣かせ、客の誕生日を忘れず、「今週お祝いするんで」などと言ってみたりする。そして酔った客のあしらいが抜群にうまかった。
声をかけずとも人が、女が、要とテツに群がり、店は繁盛していった。チップも給料も上がった要は、金の心配をしなくて済むようになった。夜の街でのバイトは刺激に満ちあふれ、されど要は生活は派手にせず、とにかく貯蓄した。要には夢があった。東京近郊の大学への進学だ。
徹夜になれば、店に持参していた制服を持ち、近所の24時間サウナで身体を洗い登校した。朝のホームルームまで要は机に突っ伏して眠りを貪り、午前中の授業が終わると昼飯にとコンビニで買った1ℓの牛乳とパンや握り飯を食べ、午後の授業までまた眠り、学校が終われば下宿に戻って勉強し、夜の街へと向かう。
そんな生活を送っていた要に恋人ができた。ああ、そうだ。初めて人を愛した。自分よりも大切にした。馬鹿のすることさ、そんな事とあなたは笑うがいい。