要編 21 計算した出会い・前半
シーン21 計算した出会い・前編
海老茶色のツーピーススーツに丸首ブラック長袖カットソー、足元は黒革のハイカット・コンバース、右肩から黒のボディーバックを襷掛けした要は左手にカサブランカ3本の花束を持ち、寺の出入り口になる山門の影から、義経が駆け下った鵯越えのような石段を見上げていた。
その目で捉えているのは、ライムイエローのフレアワンピース姿の富士子だ。富士子はエメラルドグリーンのハイヒールで無謀にも、計398段の石段を上がっていく。アウトソールが真紅のヒールの高さは、約7センチ。富士子の危険で迂闊な行為に、要は舌打ちする。落下しようが、足首を痛めようが一向に構わない。だが、アルファーの警護中だ。対象者の身が危険に晒されるのは、何がなんだろうと断じて許さない。たとえ、本人が招こうともだ!クソ!石段を上がるのに、あのハイヒールは極めて不適切だ。クソったれ。
3分の1ほど上った富士子の歩調はすでに危うく、見ていられない。ホント、いい加減にしてくれ。うんざりとした心持ちが、要に目をギョロリとまわさせる。大きくため息を付きながら富士子の背中に視線を戻すと、強張りが強くなっていた。強情パリめ。
富士子は3日前に行われた母・久美子の法要を欠席し、その日の午前11時から、喪服を思わせる黒のツーピースで会社に出勤して昼食も摂らず、22時まで研究所に籠っていたという。
着任早々のある日、富士子との接触日を検討しながら、資料を読んでいた要は左隣に座っている宗弥に視線を向け「どうして、富士子は法事に参列しない?」と聞いた。宗弥は「自分が母親を殺したと思ってるからだ。誕生日なのにな、かわいそうに・・・ここ十数年は法事の3日後に、1人で墓参りしてる」と沈んだ声で説明した。と、聞いた要は確かに自分の誕生日が命日とは重いと、気の毒にと同情した。が・・しつこいようだが、富士子がハイヒール姿で来るとは思ってもみなかった!!
自分の誕生日が母の命日で、死亡原因は自分の出産で、法要に出席したくない気持ちはわかるが、だからといって、毎年、命日の3日後にはこうして通ってるんだろうが!、玄関でそれを履く時ハイヒールは回避と考えなかったのか!・・・まったく、女という生き物の気まぐれには、付き合いきれない・・・・が、なんとも腹立たしい光景だ。
富士子の後ろ姿を見た要は・・自分を虐めてるのか・・それが贖罪か、なんの意味になる!クソたれ!と苛立った内心に毒づく。
そんな日に要は、富士子に接触しょうと決めた。ほとんど外出しない富士子の日程に、合わせる猶予がなかったからだ。
再三ながらあのハイヒールは、まったくもって頂けない。確か、あれは、ルブタンというブランドのものだ。昔、付き合った女がそのブランドのハイヒールに執着し、こだわって履いていた。
女のハイヒールを耽美だと思った僕は「なんで、アウトソールが真紅なんだ?」と興味を持って聞いた。すると女は、小馬鹿にした顔で「ルブタンも知らないの」とせせら笑った。
笑う女の顔は醜く、“ だからなんだ” と思ったが、表情には出さず「そうか。素敵なハイヒールだな。よく似合ってるよ」僕は訓練どおりの、犬歯を見せる打撃力MAX笑顔であろう顔を、わざと女に向けて打ち負かしてやった。
外見は美しかったが、それだけで、何につけても人を見下す女だった。ふと、考える。女とはどうやって知り合ったかと・・・覚えてなかった。名前は・・確か、瑠璃だったか、そんな感じの名前だった。どうでもいい。七宝の意味を持つ瑠璃、そうだったとしても完全に名前負けしていていた女の事だ。
しかしながら女との別れは鮮明に記憶している。ベットから出ようとすると女は僕の腕を取って引き留め、ジワリとした舌を這わせながら、僕の体をよじ登ってきた。そして「ねえ、あなたはたまにしか日本に帰ってこない商社マン。私、高校、大学とパリに留学してたから、海外生活は苦にならないの。そろそろ私たち次の段階にいかない?」甘ったるく、耳元で囁かれた。
結婚⁈ 冗談じゃない!僕は総毛だった。
愛など僕は信じない。幻想でしかない。人を縛る鎖だ。人の心は移ろいやすく長く一緒にいれば必ず、不信を招く。結婚なんてバカはしない。増して自分の遺伝子を残すなんて、まっぴら御免だ。
愛には誠実でも、正直でも、努力が必要で、大体、愛に努力が必要なのか⁈ おかしいだろ! 愛とは、ただ相手を受け入れて慈しむだけだろうが。だが不完全でこの世に生まれでる人間は、愛した人に実直でいられなくなる。
僕には女に対して営み以上も以下もはない。結婚など、慎ましくご辞退申し上げる。だから、妙な情がわかないくらい、性格に難のあるこの女にした。僕にはこんな女が丁度いい。
「そうするつもりだよ。君はなんてせっかちなんだ。僕に言わせて欲しかった」上滑りの言葉を誠実な顔つきで言い放ち、女を殺すように抱いた。
何度も絶壁まで登り詰めさせ、張り詰めさせて、それ以上は動かず、攻めずで、淫靡によがむ女の顔を、白けた気持ちのままに眺め下ろしてを繰り返し、繰り返して、繰り返してやった。高みに縋る女は切れ切れに狂い、「い・・か・せて」と懇願したが許さず、女が「・・殺し・・て・・」と震える口で言ったのを聞いてやっとその気になったが、今度は“殺して“と簡単に言いやがってと気にいらず、右手で女の口を塞いで自分の快楽に没頭した。
深閑した女が、突っ伏していた。
「殺されるかと思った」と女が笑う。僕は当時、有名店だったイタリア・レストランの名を上げて誘い、1人でシャワーを浴びた。
予約が不可だったレストランの前には、長い行列ができていた。女と腕を組んで並んだ僕は「電話が入った」とスマホを取り出して女に見せ、スマホを耳にあてて歩き出し、女の視界から消えた。
月を眺めて歩いているとスマホが鳴り出し、女からの着信音を聞きながらシムカードを取り出して、真っ二つに割るや道端の側溝に投げ捨てた。
それ以来、その女とは会っていない。
保安を理由にすれば、新しいシムカードは部隊から支給され、携帯番号の取得申請書を出せば済む話で、大事な電話番号、メールアドレスは頭に入っている。大した事じゃない。
その忌々しいブランドのハイヒールを、今日も富士子は履いている。
見つめる富士子の背中が、ピキっと硬直した。
もう見ていられない。
特殊戦群の隊員は身体の使い方を見て、どこを、どの程度、いかなる負傷かを感知する訓練を受けている。
要は、ハイヒールをみる。
「両踵と両足の指に何箇所か、マメが出来ている」ごくごく小さな声で言ったつもりていたが、周辺の安全確認をした後、久美子の墓前に手を合わせていた宗弥が[クソ!またか!富士子の悪い癖だ]不謹慎に、不機嫌な声で吠え立てた。
寺全体を見渡せる小山からMK22 Mod 0を構え、スコープを覗いているはずのファイターに、要は[送る。イエーガーからファイター、富士子の表情見えるか?あと130段以上はある。持つと思うか?]と聞く。[送る。ファイターからイエーガー。見えた。意地になってる顔つきだ。イエーガー、石段を転げ落ちたら危険だぞ]とファイターは返信する。
寺の駐車場に停めたミニの車内でmapとの通信中継、周辺監視をしているトーキーは[送る。トーキーからイエーガー、本堂での接触でしたが、早めてはどうでしょうか?]と提案した。
[そうだな。送る。イエーガーから総員、接触場所を変える]と要は通達し、オーバーテクノロジーを開発している女にしては、稚拙な行為だとイライラしながら、カサブランカの花束を持つ左手を振り出す。
総員が口にする[了]の声を聞きながら、要は3段飛ばしで石段を駆け上がってゆく。
要が220段ほど登った所で、富士子の右足元がグラリとよろめいた。
それを見た要の視界映像が、瞬時にスローモーションになる、戦闘時なみに。僕らはそうなるよう訓練されている。混乱の中でも平静を保つのが僕らの常だ。要の使命感が時の流れが遅くする。
破裂したように加速した。
“ 危ない“ と思った瞬間、富士子が天から降って来た。