要編 19 後手に回る
シーン19 後手に回る
誰も、写真の男の顔に見覚えはないと返信が入る。しかし、あの歩き方はどこかで見た。派遣先の地でだったか・・自分の勘違いなのか・・どこの会議室だった。いや、演習地か・・・アジア系の男。
クソ、思い出せない。
チャンスと交代でランダムな時間に、本社ビルの周辺を見回る。盾石本社ビルの警備が鉄壁すぎて、それはそれで絶対的な安全が担保されてはいる訳で、いい事だが、富士子が会社から出て来ない限り、基本、僕らは暇だ。
やる事といえば送り迎えと不審がないかの周辺監視のみ、プータロのパパかよ。そんな間も僕は男の顔が額に貼り付くほどに思い浮かべてみるが・・・誰なのか思い出せない。クソ!こんなことは初めてだ。どこで、だれで、いつ、何をは、大概記憶してる。っていうか・・面取りは得意中の得意だ。
散々に訓練で磨き上げられ、浴びるほどに鍛えられた。で、有りながら思い出せない。最悪だ。今夜のミーティングで話し合ってみよう。そう考えて男の顔を頭の隅に追いやるって、多少、気持ちの悪さが遠のく、、、が、だ。
車に戻った要は「チャンス、この前の棒倒しの件、整理できたか?」と尋ねる。要の顔をしっかりと見た運転席のチャンスは、大きな声で「はい」と答えた。要はこういうチャンスの素朴さを、大事にしてやりたいと思いつつも「対象から目を離すな」と教え、視線を戻して「はい」と言ったチャンスの声はしぼんでいた。
「チャンス、お前は実戦に出て間もない。いちいち自分に落胆するな。選抜訓練に合格した自分を信じろ。それでどういう計画でいくんだ?」と聞く。
mapを整える作業中、宗弥が今年の棒倒しの第1大隊に有能な人材がいると言い出し、ならば、自分たちが考えた棒倒し作戦を授けようと、ファイターは冗談半分で言ったものの、その有能なやつの実行力を見るためにもチャンスがそいつに接近して、アルファーが立案した戦術を伝授しようとなった。作業しながらの総員はチャンスの頭にあれこれと、繊細に、細々と、戦略案を詰め込んだ。
要が今、チャンスに「整理できたか?」と聞いたのは、頭の中は整理できたかという意味だ。チャンスは今作戦の合間に棒倒しの工作となるが、要はそれも、チャンスのスキルアップにつながると考えていた。違う案件を、事態を、同時に進行させるという事は、1つ1つの事に思い悩む時はない。
指示を下すのに時間がかかれば、事はすでに進展していて変化しているものだ。
判断の遅れは、時と場を逃す。
タイミングを逸して、手立ての遅れに慌てて対処する。
挽回しようと無理をする。
総じて、取り返しの付かない事態に陥る。
このパターンが、1番よろしくない。
戦闘中ならばチーム内の誰かが、負傷するか、死ぬ。
神速で判断を下すためにも、俊敏に実行するのにも、着実に遂行できる為にも、事前に知恵を絞っておくのは当たり前の事だ。チャンス1人での工作は修正の仕方と、責任の取り方の訓練にもなる。この経験はいつか、主戦で生かされる日が来る。そう信じて要は、チャンスを棒倒しに関わらせている。
もちろんの事ながら、今作戦が最優先でだ。
無線傍受しながらのチャンスが細かい手順を順序立てて話していくのを、双眼鏡を覗きながらの要が助手席で聞いていると、正面の通りを国男の社用車が横切り、1台挟んでローバーが通過した。
しばらくすると、正面の歩道にファイターが姿を現す。
屈強な体を隠すかの様にファイターはスーツを着込んでいたが、そのスーツのラインにこだわりが見えて、返って筋肉美を際立たせていた。
要は助手席から降りて後部座席に移る。ファイターは助手席に乗り、要に振り返って「ありがとう」と言い、要が「お疲れ。連続勤務ですまん」と言うと、車窓に背中をつけたファイターが「なぁ、イエーガー、相談なんだが、国男さんと富士子さんを2人体制で監視警護するのは、どうしてもローテーションに無理が出る。ベータみたいに1人警護の時間帯を、数日に一度作ったらどうだろう?」と言った。眉間を硬くした要は視線を下げ「そうなんだが。だがな、ベータのビスケットは1人警護中に、所在不明になった」左手の親指を下唇にあて、ゆっくりと左右に動かしながらそう言った。
遠くを見るような朧げな目をした要を、眉間に深い皺を刻んで見ていたファイターが「クソ」とつぶやく。無口になった3人を代表するように「サラマンダーの内心は、怒り狂ってるだろうな」とファイターがこぼす。
「お前たちがそんなことになったら、僕は自分を許せない。チームを離脱して単騎でやった奴を、見つけ出して刻んでやる」今のサラマンダーの心情を要が代弁する。
「俺も」ファイターも速攻で同意した。
聞いていたチャンスがチラリと要とファイターを見て「2人とも、そんな顔しないでください。想像するのやめてもらっていいですか。そういう事にはなりません。本社ビルのセキュリティは万全です。国男さんと富士子さんがビルにいる間に交代で仮眠できますから、2人体制で大丈夫です」とはっきり、くっきりとする口調で言う。
要は「すまん」と言って犬歯を見せ、ファイターは「ちょっと滾っただけだ」と笑い、話題を変えるようにファイターが「ターキーからフレミングに電話があって、バイクが2台届いたって言ってたぞ。フレミングは意気揚々と帰投した」と言い、破顔した要は「そうか。早かったな、もう少し時間が掛かると思っていたが」と言い、その顔を見たファイターはニヤリと微笑み「イエーガーとフレミングには、ちょうどいいおもちゃだ」BIGパパのような寛大な態度だ。
要と宗弥は第一空挺団との演習の折、親交を深めたバイク偵察・速報部隊の隊長に、バイクを乗りこなすテクニックを仕込んでもらった。そもそも順応性能の高い2人は、すぐにバイクの特性、意思との一体感の虜となった。今回要がバイクを発注した理由は車で移動する対象者には、時として機動力が必要だと思ったからだった。
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この日の深夜、ベータチームは本陣・技術局がビスケットの拷問現場と特定したとある場所を強襲した。しかしそこにビスケットの姿は無く、敵の姿もなく、空振りに終わる。
極々小さなパン屑を、敵はミスを犯したかのように撒き、特戦をお引き寄せたのだ。作戦時、ベータ所属のカンマルが負傷した。床や壁には異常を感じず、部屋の物は何一つ動かさず、触れずにいたにもかかわらずにだ。
巧妙に細工されたビスケットを模した人形に、不意にナイフが飛び、カンマルは身を挺してその人形をかばった。作戦行動時間を計算してセットされていたタイマーが、ナイフを放ったのだった。
この事態にサラマンダーの憤怒は、軽々と華麗に頂点越えする。