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要編  18 富士子の印象



   シーン18    富士子の印象


 監視警護初日の朝、要はチャンスが運伝するミニクーパーの助手席から、初めて富士子を目視する。今、咲いた白いすみれの花のごとき清潔感のある女だった。だが、ガランとした眼差しは頂けず、どこか、痛ましくも、冷え冷えとした鋭さの印象を持つ。



 その目を双眼鏡越そうがんきょうごしに目にするや、タバコが吸いたくなった。僕にとって、あまりいい傾向けいこうではない。だが、あの煤竹色すすたけいろの瞳を至近距離で見たいとも思う。脳で、警告音は鳴らなかった。安全だということだ。シルバーグレーの朝日を受けながら、僕は本社ビルまで富士子を警護尾行する。



 運転席のチャンスは本社ビルを通りすぎ、左手の小道を右折してコの字にまわり、トーキーとターキーが割り出した監視カメラには写らない、いわいる死角ポジションA、一方通行表示の6m手前でミニを停車した。盾石本社ビルの場合、死角ポジションはDまであった。



 要はチャンスを車に残して、1人、ビル周辺の見回りに出る。



 黒のキャップ帽を深めにかぶり、光沢が若干強めのブラックジャケットに紺色のVネックシャツを合わせ、黒のストレッチパンツに黒皮ハイカットコンバース、右肩から黒のボディバックをいつものようにタスキ掛けしていた。



 拠点に置いてある要の私物は他に黒皮のライダースジャケット、深緑色のカーゴパンツ、紺のチノパン、黒の長袖Vネックシャツ3、黒と海老茶のスーツに黒ネクタイ、白ワイシャツ2枚。靴下4足、下着4枚。黒のスエット上下2に日用品、“照柿“上下巻の文庫本だけだった。



 要は自宅を持っておらず、作戦行動中はその拠点で暮らし、休暇期間はその時々でネット検索して気に入った街で過ごし、その街のホテルで生活している。他の季節衣服等々、諸々、お気に入りの本6冊は本陣倉庫の段ボールの中である。



 常々要は心は僕のものだと暮らし、道端に生息する草花のように誰にも干渉かんしょうされず、何事にも糖分のようなべと付く執着は持たず、満ち欠けする月にも似た人の心にすがりつくような未練は持たないと、盤石ばんじゃくな、静寂の中に身を置いていたいとただ、ただ、そう願い生きていた。



 本社ビルと塀の境を洞察力で見ながら歩く。何かを仕掛けるとするとしたら、まずはここだ。たんぽぽを見てふと、今朝の富士子のたたずまいが脳裏をよぎる。サラマンダーが言っていたように富士子は笑わなかった。家政婦の浮子が「いってらっしゃいませ。お嬢様」と言っても、後部ドアを開けた運転手の中田が「おはようございます」と挨拶しても、ただ「行ってきます」、「おはようございます。中田さん」と返すだけで笑顔1つ浮かべなかった。それで嫌な女だとか、傲慢だとか、高飛車だとは思わず、感じずで、鼻にもつかない。却ってそうされると、何かしてやりたくなる。そういう女だった。



 富士子の青白い顔色は写真以上のもので驚いた。思っていたより、小柄で痩せてもいた。きっと、食事に興味がないのだろう。子供の頃、要は食が細く、猫舌で、今でも猫舌だが、両親は仕事柄なのか食べるのが早く、兄の前にだけ中皿が置いてあり、兄は好きなだけ誰よりも先におかずを確保し、要が満腹になる前に大皿盛りのおかずは無くなっていた。要はそれを不満に思わなかった。ただ、猫舌なのがいけないのだと、食のペースを家族に合わせられないのは自分がノロマで要領ようりょうが悪いからだと、そう思っていた。要がゆっくりと落ち着いて、心ゆくまで食べることができた環境はあの中華屋だけで、きちんと食事ができる環境にありながら、富士子が食の機会を粗末そまつにしていると思えば、要は腹立たしく。頭にあるのは液体デイバイスのみか・・・と、イカれてると感じた。



 富士子の服装はホワイトシルクの長袖ブラウスにグレーの膝下タイトスカート、マットブラックのハイヒールを合わせ、そのハイヒールのアウトソールは真紅だった。一瞥いちべつした要は不吉だと双眼鏡をそらした。



 そんな事を考えていながら、塀と道のさかいを見ながら歩く。すると要の20m先の角から、見覚えのある歩き方をする男が出て来た。男は要の進行方向と逆方向に歩いていた、つまり要と男はすれ違う。



 要はボディーバックのファスナーを開け、中に右手を入れて何かを探している振りをしながら、5m先にいる男の顔をチラリと見たが、見覚えのない顔だった。誰だったかと考えながら道の反対側に渡る。



 草木がしげ垣根かきねのそばで、立ち止まって背を向けた。男が要の背後を通り過ぎてゆく。わずかに振り返った視界の端で見た歩き方には、やはり見覚えがあった。だが、男の横顔、背格好には見覚えがない。思考がチグハグと交差する。


 

  男の後を追う。



 男は左折し、要は[送る。イエーガーからチャンス、ミニの後ろから歩いてくる男、40歳前後、濃紺の開襟シャツにホワイトジーンズの行き先を確認してくれ、写真撮影も頼む。全身と顔。mapのターキーと僕に写真を送信してくれ]と内耳モニターに入れる。



 チャンスから[了]と返信が入り、要は男との距離をとるために歩調をゆるめて左膝を歩道につき、右足のコンバースの靴紐を結び直す。



 特殊作戦群隊員は人体埋め込み式・通信装置、通称・内耳モニターを左耳の下にうめている。この内耳モニターは他の電波の影響を全く受けず、いつでも会話するように遠距離通話がおこなえ、各チームで発信コードは異なり、範囲は通常半径7kで、特殊アンテナで中継すれば範囲外通信も可能だ。内耳モニターのONとOFFは下顎したあごわずかにずらし、左奥歯を噛めばいい。内耳モニターを使用するにあたって多少、口を開けて話さなければならず、人前で使用する場合スマホを小道具として、電話してる風を装う事もある。それからもう一つ、内耳モニターの基盤は富士子が開発している液体デイバイスだ。



 チャンスから通信が飛んでくる。[送る。チャンスからイエーガー。男は本社ビルに入って行きました。今、玄関前のセキュリティーゲートで持ち物検査中。サヤが出迎えています]と入り、要は[了。送る。イエーガーからチャンス、車で合流しょう]と入れる。



 パンツの左後ろポケットからスマホを出しながら、車に乗り込んだ要は運転席のチャンスに「男の顔に見覚えあるか?」と聞きつつスマホをクリックして、チャンスが送信した写真をみた。「ありません」と答えたチャンスに、スマホから顔を上げ「だよな」と返す。そして要はすぐさま[送る。イエーガーからターキー、盾石本社ビルの1階にある喫茶店プチ・トリアノンに出入りする外部者のセキュリティーカード並びに、ビルへの出入り許可書をるにはどういう手続きを踏んでるか調べてくれ。それから今チャンスが送った写真の男、ああ、見たか、男の顔に見覚えあるか?わかった。そうなんだ。出社時刻はとうに過ぎてる。僕もお前が指摘したように部外者だと思う。この男の身元調査を頼む。特に軍歴がないか調べて欲しい]と要望ようぼうする。



 内耳モニターで2人の会話を聞いていたチャンスは、話し終わるのを待って「ターキーと同じで、僕も面識ありませんが、歩き方が何だか、引っかかります」と口にする。目を見開いた要が「お前も顔に覚えはないが、歩き方に見覚えがあるというのか?」と聞く、「はい」と答えたチャンスに要はシートベルトを装着しながら「車を出して本社ビル正面の道を流してくれ。できる限り減速してほしい。男の顔を肉眼でもう一度見たい」と言い、「はい」と返事したチャンスは車をスタートさせて「・・海外遠征時・・いえ、富士山の演習場だったか・・・すいません。思い出せません」狐に摘まれたかの様な不可思議が表情に浮かぶ。



 本社ビル正面の道に出ると要は図面で記憶した建物一階部分、天井から足元までの一面ガラス張り57面の玄関前を、行き交う人の往来おうらいを、セキュリティーゲート付近をめぐらせた視線を、プチ・トリアノンに移す。



 サヤは開店準備しながら男と立ち話をしていた。男を肉眼で再度、確認するが、やはり顔に見覚えはない。しかし、嗅覚に引っかかる男ではある。



 要は改めて、この本社ビルのセキュリティー管理が厳格に機能していて、こちらサイドの監視カメラ設置できていないのをやんだ。前任者ベータは設置を4度こころみたが、ものの20分で会社の保安部にことごとく発見されて排除はいじょされていた。



 トーキーとターキーは痕跡こんせきを残さずに、社内にあるスパコンをハッキングしようとこころみてはいるが、2人の技量を持ってしても困難をきわめ、未だ完遂かんすいできていない。



 強固なセキュリティーシステムを導入どうにゅうしてこの本社ビルを守り、最上階に君臨くんりんする盾石国男とはどんな人物なのだろう、本社ビルを見上げた要は対面で話をしてみたいと思う。



 車を別の死角ポジションに停車して双眼鏡を使い、周辺のビル屋上を偵察していると、[送る。ターキーからイエーガー、男の身元判明。名前は石橋将生イシバシ ショウキ、1966年12月22日生まれ、本籍と同じ現住所は新宿区三西町6丁目19番地7−5ー1で、サヤの実家兼、元喫茶店の近くです。本屋を2年前から経営。この本屋は元の持ち主から居抜きで買取り、改築しています。支払いはどちらも現金一括払い。盾石本社ビルのセキュリティーカードの審査は、サヤが保証人になって申請しんせいしていました。盾石グループが使ってる探偵事務所のPCをハッキングして得た情報です。なお、石橋に軍歴はありません]と報告が入る。



 石橋将生、本屋の店主。心当たりがない。チャンスを見ると、チャンスは首を振り「知り合いに本屋はいません」と言う。



 要は[送る。イエーガーから総員。このあとターキーから男の写真が送信される。見覚えがないか確認されたし。ある場合は一報くれ。ターキー、頼む]と入れ、ターキーから[了]と入る。石橋はプチ・トリアノンのただの常連なのか・・・。



 アルファーはベータがおこなったサヤの身辺調査の資料から、サヤは富士子の出身校、中学、高校と一貫教育校に高校から通い初め、富士子の親友で富士子と同じ大学を卒業していると知っている。



  となると、高校時代、宗弥はサヤと同級生だ。



 チーム内の事前打ち合わせで宗弥が語ったサヤはベータの身辺調査の資料とは、受ける印象が違う側面があった。宗弥が話したサヤという女はなんありで、そんな女を親友とする富士子という女は、何を考えているんだと不思議に思った。お嬢様の富士子にも性格的な問題でもあって、気が合うのかと密かに思ったほどだった。



 親子関係の希薄な富士子。自分とよく似た境遇きょうぐうの女。


 浮子とサヤしか、身辺にいない女。


 研究所に籠りっぱなしで趣味・仕事の女。


 液体デイバイスを完全体にするためだけに、生きている女。


 社会生活とは距離をおき、世界から孤立しているかのような生活をこのむ女。


 裕福な家庭の1人娘で白梅でありながら、男の影がない女。


サラマンダーの感想と同様、要も富士子を不思議な女だと思っている。




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