要編 17 前日
シーン17 前日
15分前、本陣から動画を添付した緊急・暗号通信が着信した。
映像を見たあと、要は座っていた白板を背にしたパイプ椅子に、腰を下ろそうとしたが怒りのあまり両膝はうまく曲がらず、視野は屈折異常にでもなったが如く、二重ににじみ、無意識に関節が白くなるほどに固く両手を握り閉めていた。グランタナも顔負けだ・・・クソ!!!!
8日前、夕食を兼ねた製薬会社との打ち合わせに富士子は国男に同行した。国男の監視班だったベータ要員のカンマルとDの2人は料亭内で、富士子の監視員だったビスケットは外でひとり監視警護についていた。その最中、ビスケットは消息不明となった。本陣は総力戦でその行方を捜索していたが、さっき、ほんの20分前、赤い封筒が本陣・コロンブス宛に届いたという。部隊内での赤封筒は“至急”という意味を成す。
本陣からの暗号通信によれば、中身はビスケットの拷問映像を収めたUSBとピンクの手紙で、その手紙には新聞の切り抜き文字を用いて、ビスケットの詳しい経歴が記されていたという。
新聞の発行日は今日。糊は100均の中国製。指紋、繊維、DNAの付着なし。書いてあったビスケットの経歴は全て真実だったらしい。本日の新聞が使われているという事は、送り主は慣れていて熱心ということだ。即座に本陣は臨界体制に移行し、技術局は総力を上げてUSBに入っていたビデオ映像を解析に入った。ビスケットに拷問を加えていた男3人は絶妙に加工されていて、未だ人相、体格、人種、ともに不明。
要と共にビデオを見たトーキーとターキーは今、独自の方法で映像解析を行っている。2人のタッチ音はいつもより大きく、大胆だ。
気配を感じた要は顔を上げる。俯いた宗弥が入り口に立っていた。顔色の悪い宗弥は眠たげな目を僕に向け、重い足取りで金庫室に入ってくる。明るくも青白い、金庫室の照明に宗弥は顔をしかめた。
「お疲れさま」誰にいうわけでもなくそう言った宗弥は、白板の裏からパイプ椅子を取り出して、PC機器がのる長机に背を向けて座わる。
両肘をテーブルにつき、組んだ両手に顎をのせた宗弥が「親父に会ってきた・・おじさんと富士子の様子を聞き出した。報告書通りだった」ほろ苦いものが表情に浮かんでいる。
その顔に気づかないフリをした僕は「そうか」と返した。自虐的に苦笑した宗弥が「親父をさぐるとはな。わかってたとは言え、現実となると・・なんだか、あっけなかった。俺は骨の髄まで特戦だ」と投げやりな態度で口にする。
この会話は、どこへ進むのだろう・・と思いながら、宗弥の目を見た僕は「そうだ。だから、ここにいる」と応えていた。任務だと思い出させるように慎重な態度で。どこまでも自分が嫌になる。チラリと僕の顔を見た宗弥は視線を落とし「俺、家族と富士子にはいつも、正直な気持ちで接してきたんだ。俺なりに」小さな声で囁く。
直感的に“やめろ、宗弥。それでもお前は、この国に忠誠を誓った特戦群兵士だ“と思う。どこまでも冷たい自分に吐き気がする。
僕らのやり取りを聞いていたトーキーとターキーが顔を見合わせ、PCを自動解析モードに切り替えて椅子から立ち上がった。「ランニングしてきます」とトーキーが遠慮がちに言って金庫室から出て行った。
宗弥と富士子の関係性をより深く、理解する必要があると判断した本陣は要に、要だけに2人に関する調査資料を内密に渡していた。僕には資料なんか読んでいなくても、宗弥の気持ちは手に取るようにわかる。宗弥はただ、ただ、不安なのだ。
「宗弥、富士子さんが液体デイバイスをどこまで完成させているか、僕らは知る必要がある。富士子さんを敵の脅威から遠ざけなければならない。たとえ、完全体を完成させていなくても、敵は富士子さんの頭脳を欲しがるだろう。最悪を言えば技術開発阻止を狙って、富士子さんを葬り去る可能性もある。そうさせない為の任務だ」僕は本陣での打ち合わせで理解したはずの宗弥に、起こりうる事態を強烈な言葉を選んで並べ立て、富士子の名を連発して思い出させる。
いつも以上に、今日の僕はしつこいようだ。ビスケットの映像を見たからだろうか・・・宗弥の弱さを知りたくないのか・・宗弥に理想的であってほしいと願っているのか・・。
宗弥が尖る目で僕を睨む。その目は宗弥が800m先の女を盾にしたアイツを狙撃した時の、スコープを覗いていた時の眼差しで、アイツの眉間に一発撃ち込んで仕留めた時の目だった。
険しい表情の宗弥に僕は内心にヒヤリとするモノを抱えつつ「不吉なことを言った。すまん。僕たちはお前の苦悩を十二分に理解している」といって静かに謝る。言いすぎた。意識的に一息おく、そして「宗弥、本陣からの通信で消息不明になったビスケットが、拷問を受けてることがわかった」話の角度を変えたくて話題を変えた。「えっ!」宗弥の声が跳ね上がる。僕は椅子から立ち上がって「来てくれ。本陣は今、臨界体制だ」と言いながらPC前に移動した。
画面を食い入るように見ていた宗弥の奥歯が、ギリッと鳴った。
モニター画面を見つめる宗弥の横顔を見ていた。僕が「敵は富士子さんと国男さんを知っている。だが、僕たちは敵の工作員の面すら、いまだ特定できていない。いつもだったら、緊密接触なんて事はしない。僕らはこの国の影だ。僕達の存在なんて誰も知らなくていい。だが、この映像で事態はより切迫した」と言うと、宗弥は「わかってる!!明日からの作戦内容も理解してる。ビスケットの行方も心配だし、怒りを感じる。俺の役割があってこその、明日からの作戦だ。だから、悩んでるだろうが!」鋭くイライラとした感情で僕を刺す。
そんな態度の宗弥を見て、宗弥の人間らしさを羨ましいと思う。そう、いつもこういう時、そんな感情を宗弥に抱く。「宗弥、気楽にいかないか。僕たちチームには長年培ってきた、気心知れるアドリブがあるじゃないか」と穏やかに言ってみる。だが、宗弥は険しい表情を崩さず、しばらく僕の目に見入り、店内に入って行った。
外出か・・・、1人になりたい気持ちはわかる。
すると店内からカチャ、カチャと、ガラス器の当たる音が聞こえ、無音になったと思って束の間、宗弥は右手の指先にショットグラスを挟むようにして2つぶら下げ、ワイルドターキーのボトルを左手に持ち、金庫室に戻って来た。
そのショットグラスを静かに中央テーブルにおいた宗弥が、グラスにワイルドターキーを満たしていく。宗弥はショットグラスを右手に取り、グラスを目の前に掲げて僕を見る。
グラスを取り上げて、宗弥の前に差し出す。
「要、その・・富士子と、おじさんをよろしく頼む」と言った宗弥が頭を下げる。
「承知した。いつも通り、チームで全力を尽そう」そう言うと、宗弥は右手にあるグラスを僕のグラスにカチンと合わせてきた。2人同時にグラスを煽る。今日の酒は苦く、重い、責任の味わいか・・・。それでも、いつもの宗弥を取り戻したくて犬歯を見せて笑う。
飲み物を水に変えて、非常時に富士子の近くにいる確率が1番高い宗弥に、いや、これだけは絶対にそうする。どんな事があっても富士子のそばを離れるなと、再度、念押しした。
そして敵にmapが発見された場合に備えて、ホテルに部屋を取っておくという考えを相談する。宗弥は「いい考えだ」と賛成し、「その部屋に富士子の着替えを、用意しといてやりたい。時間を見つけて買いに行こう」と言い出した。「僕は・・女性の服を選んだことが、ないんだが」ためらいがちに言うと、宗弥は「そこは、俺に任せてもらう」と真剣な眼差しで応え、僕は思わず、笑ってしまった。
ムッとした宗弥が「俺が1番、富士子に似合う服を選べる。心外だ」と幼な子のような口調で声を張り、座っているにもかかわらず、両足で地団駄を踏んで床を鳴らした。その姿を目にして僕の笑い声が大きくなる。久しぶりに腹の底から笑う。緊張が解けてゆく。僕はいつもの作戦前夜より、緊張していた。自分でも意外だった。
しかしながらに、ほんと、宗弥は富士子にゾッコンだ。宗弥の心をこれほどまでに掴んで離さない生身の盾石富士子とは、どんな女なのだろう。
店内の明かりが灯り、ファイターの「誰が居るんだ?」という大きな声が聞こえ、「宗弥と僕だ」と声を張る。
ファイターと買い出しに行ったチャンスが、食品満載のエコ袋を両手に下げたまま金庫室の出入り口に現れ「あれ、トーキーとターキーはどこですか?」と言った。僕は宗弥の顔に意味ありげな視線を送り「宗弥に気を使って、外に出て行ったんだ」と伝える。「俺は、気なんか使わせてないぞ」と宗弥は反発した。その宗弥を白け顔で見やり「お前が入ってきた時のあの顔、あの顔見たら誰だって逃げ出すよ」打撃力満載であろう笑顔で言ってやる。
そこに「明日からに備えて、料理を作り置きしておきたいんだ。下処理を手伝ってくれないか?」とファイターの大きな声が聞こえ、僕は「わかった!」と大きな声で答え、チャンスが先にファイターの元に行き、テーブルの上にのるショットグラス2つと、ワイルドターキーを左右の手に持った僕はもう一度、PC画面の前に立つ。3人の男の顔は輪郭すら表していない。手の込んだ加工に目つきが鋭くなった。寸秒、画面を睨んで店内へと向かう。
その表情を見ていた宗弥は水が入ったグラス2つを手にして歩き出し、PC画面を見つめ「必ず、助け出すからな。待ってろよ、ビスケット」と言って店内に入ってゆく。
僕が店内に入って行くと、ファイターはカウンター内で、買い出してきた大量の牛肉を1人分ずつサランラップで包み、一食分の量を一枚のジップロックLに入れていた。ファイターはなんでもかんでもジップロックに入れなきゃ気が済まない。遠征の時には日用品の小分けに使ってるし、靴も、靴下も、下着も、諸々細々としたものまで大小のジップロックに入れている。企業貢献度がすこぶる高い。
ショットグラスとワイルドターキーをカウンターにおき、カウンンター内に入っていきながら「何したらいいんだ?」と聞く。
ファイターが「刃物を使うこと以外の事をやってくれ」と言った。顔をしかめて「心外だ。お前が包丁を使わせないから、上手くならないんだ」と言ってやる。ファイターはイカツクも四角い顔で僕を見るなり目を細め「お前の指がなくなるのは戦闘時でいい。皮剥きじゃなくてな」と笑う。
ファイターの笑顔を見て、なんだよ、同じ歳なのに子供扱いしやがってと下を向いたら、シンクにある大量の玉ねぎが目に入り、「ファイター、玉ねぎの皮はむきはしたくないんだが」うんざりとして言うと、チャンスが冷凍庫の扉を閉めて「自分がやります」と言って、僕の後ろをスルリと通り抜けてシンクの前に立つや、玉ねぎの皮をむき始めた。
カウンター越しに見ていた宗弥もカウンター内に入ってきて「ファイター、夕飯どうする?」と聞き、「ほうれん草とキノコのミートソーススパゲティ、ステーキ、ブロッコリーとにんじんの温野菜サラダに生ピーマン、蓮根の梅和えに白米だ。あぁ、なんか汁物あった方がいいな」と答え、チャンスが「生ピーマン入れるのやめてください」と懇願するように言った。
ファイターはジップロックLに小分けした牛肉を両手で抱え、奥の冷凍庫に向かいながら「子供か。いつか、食えるようにしてやる。今日は、勘弁してやるがな」と乱暴な口調ながらも声は面白がっていた。
そのファイターの横顔を見て、なんだかんだといつもうるさいが、食事にみんなの希望を聞き入れてるくせに、素直じゃない奴と思いながら、深緑色のカーゴパンツの左後ろポケットからスマホを取り出してトーキーに電話する。ワンコールで繋がり「ターキーと一緒か?」と聞くと、「はい。一緒です!何かありましたか⁈」トーキーの声が切迫した。
「すまん、そうじゃない。さっきはありがとう。ファイターとチャンスが買い出しから帰ってきた。もうすぐ夕食だ。それを知らせようと思って電話した」と言うと、「了解しました。これからmapに戻ります。ファイターにミント水をお願いしますと伝えてください。あのー、ターキーです。今日の夕食は何ですか?」と代わる代わる話し、僕は「ターキー、お前の好物ステーキだ」ゆっくりとする口調で答えてやる。「ステーキ!ニンニクたっぷりでお願いします。あっ、人参のバター煮も食べたいです。失礼します」と言って、ターキーは通話を終わらせた。
「ミント水とニンニク沢山、人参のバター煮を御所望だ。ファイター」と伝え、「了解」と言ったファイターは冷蔵庫からニンニクと人参、ミントの葉を取り出してカウンターに置き、宗弥の右隣に立つや、物凄い速さで玉ねぎの千切りをし始め、ブロッコリを左手に持ち、右手の小包丁を器用に使って空中で切り分けている宗弥に、僕は「トーキーとターキーの声の違いは、どう聞き分けてる?」と聞く。
「俺はどっちとか、気にしてない」
それを聞いたチャンスは玉ねぎにやられた目をバチバチさせながら「ターキーは、こっちが混乱しそうな時、ターキーですって、言いますよ」と途切れ途切れにそう言い、そのチャンスの顔を見た僕はやっぱりこうなるだろと、だから、玉ねぎの皮むきは嫌いなんだと思ったものの、黒の長袖Tシャツの袖をまくり「そうか。いい奴だな」と言って、チャンスと宗弥の間に立って皮むきを手伝う。
ファイターはコンロの前に立ち、フライパンで大量の玉ねぎと牛ミンチを炒めながら「一卵性って、不思議だよなぁ」と言い、僕は意識しないまま「仲のいい兄弟だよな」と言っていた。すかさずの宗弥が「俺たち、みんな兄弟だろう。Brother 」声を渋らせて僕にウインクする。ファイターが「ああ、そうだ。俺たちは兄弟だ。イエーガー」と僕の顔を見て大きく頷く。
チャンスが「ありがとうございます!!」と大きな声で言った。
僕の家族。頼もしい兄弟。準ずるべき任務。
これが僕の全てだった。




