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6 意識は伝染する

 一週間も前から風邪を引いていた。彼女を家まで送って行った次の日からだ。あの日帰りが遅くなったのが原因。そう言いたい所だが、実際は季節の移り変わりに伴う急激な気温の上下に体が付いていかれなかった為だろう。

 風邪と言っても、気圧が下がり、雨の降る日には必ず頭痛に襲われる僕にとって見れば、それほど苦になるという程度のものではなかった。

 病気は、三日前には一旦完治したように思えた。しかしそれに安心して夜遅くまで本を読んでいて、翌朝には見事に熱が上がっていた。おかげで週に一回あるミサを休むことが出来た。そして、完治したのかはっきりしないまま今日も朝を迎えた。

 布団を剥いで起き上がると同時に眩暈がして、鈍器のようなもので頭を定期的に叩かれている感覚がした。耳の裏から不快な音がとめどなく聞こえてくる。視界全体に薄い膜が張っているようにぼんやりして、焦点が定まらなかった。

 早くから台所に立っていた母さんに状況を報告した。母さんは僕の額に手を当て、次にそのまま腕を首に回して、大丈夫かな、と訊ねながら当たり前に息子を抱き締めた。首筋には母さんの冷たい手。頬には清潔なエプロンと柔らかい薄手のセーター。胸一杯に母さんの優しい香りを吸い込んだ。こうされると僕は嘘を付けなくなる。

 大丈夫、と呟き、祈りを捧げてから朝食に手を伸ばした。食事は咽喉を通ることを拒絶した。それでも無理矢理目玉焼きを口に押し込んで家を出た。


 保田先生はいつものジャージを着て校庭を走ってきた。先生が整列する生徒の元へ行く前に引き止め、風邪だからと言って見学することにした。先生の先導に渋々従い、彼女の隣に体育座りした。

 朦朧とする意識の中で母さんの話を思い出していた。思い出した話は一瞬意識の表面に顔を出し、直ぐに晴れることの無い霧の向こうへと沈んでしまい、眼を瞑っても見つけ出せなかった。

 自分に与えられた使命が分からなかった。自分が何をしなくてはならないのか。何をしてはいけないのか。何が出来るのか。自分じゃなくてはいけないのか。

 考えたくなかった。考えようとすると決まって鈍い痛みに襲われた。警告のように。それでも考えずにはいられなかった。

 彼女は、一週間前からなんら変わることなく僕に朝の挨拶をしてきた。ただ、変わっていないのは彼女だけで、その周り全ては、確実に変容し始めていた。それは始め、思い過ごしのように微細なものだった。

 しかし、意識は伝染し、急速に成長していった。

 冷たいのだ。彼女に対する視線も、態度も、その全てが。教室全体に、曖昧だが確実に存在する冷気が滞り、教壇に立つ金城先生に視線を向けている筈の生徒の其処彼処が、背中越しに、暗に彼女を意識している。

 何が起こっていると言う訳ではない。ただ、それまでの、手を差し伸べ、歩み寄っていこうという雰囲気が、いつしか不審者を監視しているような、傍観者のそれに変化しつつあった。 

 そして、それは成長するだろう。極めて高い確率で。原因は些細なもので十分だ。現状に至った原因も、あって無いようなものなのだから。 

 


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