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39 十字架

 振り返る聡美は、間違いなく僕に慄いていた。出鼻を挫かれた馬のような面持ちだった。

「お前に泣く権利なんて無いよ。…だってそうじゃないか。お前が彼女を、殺したようなものなんだからな」

僕は笑いを堪えるのに必死だった。言葉が面白いほど滑らかに出てきた。もう聡美の視線から目を逸らすことは無かった。目を逸らしたのは聡美の方だ。教室全体の視線が暗に僕を捉えていた。聡美は高速で何かを計算している。時折、その表情を変えるが、期待した効果は得られなかったようだ。仮面を剥がされたように醜くその顔を歪めている。

「聡美一人じゃないよ。悪いのは、この教室の全員じゃないか。全員で彼女をいじめたじゃないか」

僕は教室を見渡し、政治家が演説するように声を張った。教室は一体化したように同時に脈打つ。聡美が少しだけ安心したような顔をした。

「でも聡美、お前が一番悪いよ。僕も悪いと思っているし。勿論、金城先生も」

聡美は、自分の主張をしようとしていた。金城先生は、自分だけ他人事のような顔をしていたので現実を目の当たりにさせてあげなければならなかった。聡美が反論しようと口を開いた。 僕は銃の早撃ちのように聡美に何も言わせることなく続けた。

「聞きたくない。聡美、往生際が悪いよ。言い訳なんて、聞きたくない。全部お前が指示していたじゃないか。恐らくお前が煽りさえしなければ、あれ程のいじめには発展していなかった筈だよ。みんなも最初は打ち解けられなくても、直ぐに彼女を受け入れた筈だ」 

当然の如く教室に賛成の意を表す空気が流れる。胸が悪くなった。

「私は、何もしていないわ。それに、彼女は事故で死んだのよ」

聡美は食らいつくように口を出した。しかしその目にそれまでの力は宿っていなかった。

「そう、彼女は死んだ。死んでしまったんだ。もう何も言えないよ。たとえその原因がいじめだったとしてもね」

皮肉を込めて言った。聡美は動じていない風を装った。

「…昨日僕は、放課後、学校を飛び出した彼女を急いで追いかけた」

徐に口が開く。極めて事務的な、語り部のような口調で。僕は教室の反応を見ていればよかった。

「僕は彼女にしてしまったことをひどく後悔していたし、第一、強制されたことだからね。早く謝りたかった。直ぐに追いついて謝ると、彼女は許してくれたよ。こんな僕でも、許してくれたんだ。彼女も僕がやりたくてやっているのではないってことを分かっていたからね」

呪縛は僕の味方だ。ひとりでに動く唇は、僕の潔白をアピールした。僕に罪は無いのだと、あるとしても誰かにそれを押し付けるために許されたことを強調した。

「涙の止まらない彼女に僕は、お家に帰るように言ったんだ。もう随分暗くなっていたし、昨日はひどく冷え込んだから。でも彼女は、帰りたくないって。そう言った。そう言ったんだ。どうしてだろう。やっぱり傷ついていたんじゃないのかな。だってそうだろ? よっぽどのことが無い限り、目の不自由な女の子が真っ暗闇の中に居たいとは思わないよ」

吐き出された声が残酷性を強めていくのが分かった。意識の中にもう一つ別の意識が存在している感覚を朧げに感じていた。僕はただ、無意識のそれに身を任せ、溢れ出す言葉の一傍聴者となっていた。

「彼女はあの時、ひどく傷ついていた。それも死にたくなる程にね。違うかい? 聡美」

強めた口調と同時に聡美を直視した。今、聡美は隠そうとせずに震えている。そして聡美から発せられた振動が教室全体へゆっくりと伝染してゆく。

「違いますか? 先生」

伺いを立てるような声を投げかけた。標準を合わされた獲物のように金城先生は動かない。極めて卑屈な視線を向けているだけだ。操縦桿の横に座っている僕は、今見ている景色に興奮を抑えきれず嘲笑いだした。ただそれは表面に現れない。操縦桿を握っている僕は至って真剣な顔で、事態の深刻さを訴えている。

「ちがうかい?」

今度は誰とは言わず教室全体に響き渡らせるように、最も強い口調を無理に押さえ込んだくぐもった声を上げた。そしてそれが合図になり、まるでマスゲームのように教室全体が脈打った。

 教室は少しの間沈黙を続けた。今や僕以外にこの沈黙を打破出来るものがいないことは明白だった。僕が何も口にしなければ、どれほど草臥れても、どれほどトイレに行きたくても、それを口に出来るものはいないに違いなかった。沈黙は口の無い全ての者達の体力を奪う道具になり得た。沈黙は体力を搾取された者達の精神を削ぐ道具になり得た。それは強者が、弱者に採り得る最も有効な手段。その効果は金城先生にも、勿論聡美にも例外なく発揮された。

「…十字架を背負って生きてゆかなければならない。彼女の命を奪ってしまったという十字架を。彼女を殺してしまったという十字架を。…どんなに泣いても、許してはもらえない……。一生償えない罪を犯してしまったんだ…」 

僕の滲んだ視線は、自分に向かっていた。

「僕は悔しい。…彼女を守れなかった」

そこまで言うと、自然に涙が零れた。僕は無意識に両目から流れ落ちる涙の量を調べていた。涙は後から後から止めどなく溢れ出て、自分では抑えきれないように思えた。怯える聡美。気狂いにもなれなかった金城先生。痛い顔をした男子。釣られて泣き出す女子。横顔を伝う涙の量を、調べずにはいられなかった。




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