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37 変わり果てた姿

 獣道を抜け、山道へ差し掛かった時、僕の周りを村人達が取り囲むように陣取った。村人は僕を守りながら彼女を捜索することにしたらしかった。山道は松明でその全体を照らされた。一行は取り敢えず僕の言った教会らしい建物の元へ向かうつもりらしかった。

 山道が緩い上り坂に差し掛かった時、程無くして僕の体は鈍い痛みと共に、ある種の呪縛から引き戻されていた。そして意識が正常になるにつれ、罪の意識が痛みと共に心をしめ始めた。僕は次第に大きくなる痛みに顔を顰め、痛みの原因を探った。

 原因は直ぐに分かった。膝と太腿の間辺りからズボンが引き裂かれていて、そこから血が滲み出ていたのだ。足に刺さっていた小さな木の破片を丁寧に取り除くと、痛みは少しだけ引いたように思われた。木屑を払いながら、痛みより恐ろしい強迫観念に苛まれた。再び抗うことの出来ない呪縛に囚われる感覚が僕を襲った。

 足を抱えながら走るように歩いていた。体は鉛のように重かったが、何とか言うことを聞いてくれていた。彼女が目指した湖を見つけようと躍起になっていた。松明で打ち消された月明かりを見つけ出すのは容易ではなかったし、第一、月明かりがそこに留まっているという保証は何処にも無かった。彼女を探す手がかりは、下り坂の中腹にあるだろう小さな水辺だけだった。

 一行は十字架のある所に辿り着く前に歩を止めることになった。それは僕が思いがけない目印を発見したからだった。

「…此処に地面が削られた跡が無いですか」

松明を譲り受けて、地面の近くまで持っていき、照らした。地面は予想以上に広く削れていて、そこだけが変色していた。此処に来る途中にも幾つかそのような跡があり、その度に一行は歩を止めていたが、それらは誰かの足跡にも見え、また、小動物のそれのようにも見えた。その中の幾つかには、僕が見れば明らかに彼女が躓いた跡だと断定できるものでも、その小ささから村人達には断定できず、少数の分隊だけが山道を離れてゆくに過ぎなかった。しかし僕が見つけたものは、規模が大きく、それが彼女を受け止めきれずに倒れた場所だと、彼女が道を逸れていった場所だと確信が持てるものだった。直ぐに僕は水辺を探した。一行は二人一組になり捜索を開始した。

僕が松明の明かりの所為で水辺を探すのに手間取っていると、山道を逸れた所から悲鳴にも似た声が上げられた。一行は山道の直ぐ近くに崖が存在することを突き止めたらしい。慌てて崖に駆け寄ると、数人が僕を抱き込むようにして引き止めた。僕は力無くその場にへたり込み、四つん這いになりながら松明に照らされた崖の下を覗き込んだ。崖は思ったより高低差は無かったが、それでも足が竦む程だった。真下に彼女の姿は見出せなかった。僕は体を崖の断面から直角にして、首だけを出して左右を見た。崖は左右どちらにしても下との高低差が縮まっているように思えた。僕は頭の中に弓の形を思い浮かべ、坂の頂上から端まで直線を引き、そこに弓状に崖が形成しているのだと悟った。要するにこの崖の構造は、坂の中央が高低差のピークになっている。そして彼女はその中腹で崖から落ちたのだ。

 僕は来た道を必死に戻り、上り坂が平坦になったのを確かめると再び踵を返し、今度は山道を逸れ、崖の入り口を探した。直ぐにはそれが見つからず苛立ったが、暫くして唐突に地層の裂け目が現れた。そして僕は二人の村人に挟まれる形でそこを下り始めた。崖ははじめ、もう一つの坂道のようにも思えたのだが、次第にその勾配をきつくし、高低差は着実に広がっていった。

 僕はとうに自分の背を超えている崖の断面に手を沿えながら歩き、注意深く水辺を探した。水辺の見える場所に、彼女はいる筈だった。

坂の勾配が緩くなり始め、それが平坦になるかならないかの所まで歩を進めた時、一匹の奇妙な眼つきをした蛙が僕を横切った。それが来た方を見やると、丁度松明の炎に浮かぶ保田先生を発見した。保田先生と村人は、いずれも崖から少し離れた所で立ち尽くしていた。

僕が引き込まれるように松明の炎を目指していると、不意に先生が何かに駆け寄ってそれを抱け上げた。

「…ミカ? ……ミカ! しっかりしろ! ミカ!」

それは先生に隠されてよく見えなかった。松明の炎は先生の背中に向けられていた。僕は先生の直ぐ傍まで辿り着き、恐る恐る歩み寄った。

「見てはダメだ!」

先生が気付き、そう叫んだ時にはもう遅かった。僕は見てしまった。変わり果てた彼女の姿を。先生の腕に抱かれた彼女は、二つの眼球が下品に飛び出し、それが視神経だけで頭と繋がっているように見えた。舌が口からはみ出して垂れ下がり、涎でべっとり濡らされた頬に、満遍なく土が付いていた。ぶら下がった眼球は、萎びた葡萄のように球形を保っていなかった。そこには引き摺られたような傷と、いくら洗っても落ちないような細かい土がこびり付いていた。土の付いていない舌と眼球の一部は、松明の炎にその粘膜が照らされ、生臭く絡みつくような鈍い光を貼り付けていた。

「来るな、来るんじゃない!」

先生はだらしなく眼球を垂らす彼女の頭を大事そうに抱えながら叫んだ。松明に照らされた彼女の金髪は液体に浸され、軽やかだった艶が削がれ、何か重鈍い独特な色に変色していた。松明に照らされた先生の両腕は、萎びた眼球の裂け目から出た白濁したものと、赤黒いものでじっとりと染まっていた。彼女の体は未だに小刻みにではあるが痙攣を続けていた。僕にはそれが生命の最後の叫びのように感じられた。そして溶暗していく命の叫びが完全に見て取れなくなるまで、僕の体は指先から眼球までの自由を完全に奪われた。

 僕は動かない彼女を遠めで見ながら無意識にじりじりと後退り始めた。僕の中には、恐ろしいとか、気持ち悪いとか、そういった全ての感情が何一つとして沸いてこなかった。ただ、心底冷たいものがお腹の奥の奥に溜まり続けていただけだ。

 先生の腕の中で彼女の眼球が揺れる。松明に照らされ、その粘液が光る。彼女から目を離すことは無かった。とてつもなく美しかった瞳はもう無い。もう無いのだ。動かない彼女を凝視しながら後退り続けた。




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