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26 罰当たり

 彼女の瞳に映る十字架を見ていた。厳寒に引き締められた夜の極めて純粋な白光に支えられた湖面のような瞳は如何にも張り詰めた様子で、そこに微かに映し出された十字架も儚く霞み揺れていた。

 彼女の母親の押し殺した笑い声が前に坐る僕に届く。振り向けば同じように口を手で塞いでいる母さんが、母親の肩を自分の肩で頻りに突いていた。

 蕩けた蝋燭だけで照らされる礼拝堂。月明かりは燈火に圧倒される。放射状に広がる光はこちらまで届いていないらしい。今、彼女はどの位見えているのだろうか。

 十字架は見えているのか。

 教会に入る時から繋がれた手を、彼女は離そうとしない。炎の揺らめき。陰影の動き。怯える彼女。震える瞳。初赤い唇。ひどく冷たい指先。転がすように暖めた。

 目を細めてぼやけた蝋燭の光を確かなものにしようと試みていると、静寂が雑然とした声に引き裂かれ、同時に燈火が落とされた。ミサが終了したらしい。

 それでも母さんは話し続けている。二人はお酒が入っていなくても十年来の親友のようだった。先日出会ったばかりだというのに。

 お喋りに夢中の母さんは、僕を告解室へ押し込むことさえ忘れている。僕は繋がれた手を二三度引くと、母さん達を見守っていた眼を向けた彼女とは反対の方向を指差し、あっちへ行こう、と声も出さずに誘った。

 

「神父さん、お酒臭いよ。今日も呑んでいるでしょう」

右腕でカーテンを捲り支え、繋がれたままの左手は手前に差し出し、立て付けられた丸椅子に坐るよう彼女を促した。

「琢磨……助けてくれ…」

衝立の向こうの様子がおかしい。腰掛けた彼女は僕を顧みて不安そうな視線を向けてきた。

「頼む……琢磨」

神父の声は極めて切迫している。事態は深刻なようだ。

「…無理だよ、神父さん。此処からじゃあ助けられない。助けられないよ。早くそこから出たほうが良い」

長方形の格子を覗くと、蹲ってくぐもった声を上げていた神父が勢い良く立ち上がった。

「…水だ……水をくれ!」

あまりの声の大きさに瞳を丸くさせた彼女は、誰もいなくなった格子の向こうを遠慮がちに覗いたり、呆れた顔をした僕の様子を窺ったりして、状況を把握しようとしていた。

 カーテンと衣服の布が擦れる音がして、妙に爽快げな声と共に格子の向こうの丸椅子が軋む音がした。

「危うい…危ういところだった」

却って恍惚としたような神父の声が耳障りだったが、告解室が空になった僅かな時間を利用して、あるシミュレーションを繰り返し、その工程を円滑に進められると確信できたことには満足していた。漸く機が熟したのだ。

「なんだ? 今日もお譲ちゃんと一緒か。聞いたぞ。こっちへ越してきたんだってな」

どちらに向けた言葉なのかは分からなかったが、神父の声は明らかに、無意味に昂揚していた。無駄に友好的な態度に胸が悪くなってきた。

「病気なんだってな。何処が悪い?」

やけに親身に不躾な質問をする神父が如何にも怪しげだったのだが、それでも僕はこの質問を待ち望んでいた。

「目だよ。…目が悪いんだ、この子」

「そうか、目が悪いのか」

意味無く何度も頷いている様子の神父。思い描いた通りの反応。シナリオは既に完成している。

「この子、目の色が無いんだ。否、無いというよりとても薄いと言った方が正確かな」

不安を隠した微笑を向ける彼女に自信に満ちた表情を向ける。僕は繋がれた手を離し、神父に気付かれないよう格子の傍の反対からは死角になる所へ移動した。

「そうなのか…。目の色が無いというのは、目が白いってことか?」

「そうだね。白くもある。でもまだ色も残っているし、銀色に近いかもしれない。僕にはとても綺麗な色に見えるよ」

「綺麗?」

「そう、とても綺麗なんだ。…神父さんにも見せたいくらいに…」

脳裏の何処かに黄緑色が過ぎったが、それを振り払いながら格子の向こうの様子を窺った。無遠慮な神父が格子の穴に顔を突っ込むようにしてこちらを窺っているに違いなかった。何もかも予定通りだ。

「見たい? 神父さん。見たいのなら格子に顔を近づけて。こっちも顔を近づけさせるから」

言葉とは裏腹に、彼女には手で離れているように合図した。

「もっと、もっと近くに。そんなに離れていたら見えないでしょう」

立ち上がりカーテンに包まった彼女は、不安な顔をしながらも、そこから首を伸ばして僕の動作を見守っている。神父は益々格子に顔を近づけた様子だ。息遣いさえ聞こえてくる。芋のような匂いがこちらに吐き出される。そして僕は、衝動的な感情に任せて計画的に格子を強く叩いた。

「酔っ払い神父に天罰を!」格子は叩かれた音に掻き消される程の小さな音で呆気なく外れ、飛び、ほぼ同時に神父の横面に着地した。格子を受け止めた衝撃というよりは予想外の出来事に衝撃を受けた様子の神父は、大袈裟に倒れ込み、その拍子で丸椅子に腰を打ちつけた。

「こ…こら……琢磨!」

そう言うのがやっとで、神父は腰に手を当てて呻き、もがいている。既に顔には手すら当てられていない。

「罰当たりが!」神父の精一杯の声。始終を見守っていた彼女の手を取り、告解室を飛び出した。彼女が抜け出た仕切りカーテンが見事に羽ばたいた。不安げな顔を向けていた彼女は、僕が意地悪な顔で笑っていることに気付くと、少し控えめな笑みを浮かべながら、何かを追い求めている時のように、真剣に後を続いてきた。




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