22 幻の教会
帰り道、追い立てられるような感情が胸に競り上がって来るのを必死で抑えていた。自分の頭に、この焦燥感は単なる思い過ごしに違いないと言い聞かせた。
僕は彼女と話す時は気を使い、学校の話題は極力避けていたから、今日に限って放課後のことを聞ける筈が無かった。
道中では必然的に家族の話題が大半を占めていた。が、時には母さんの童話を聞かせたり、村のことや、教会にいる酔っ払い神父の悪口を言ったりしていた。彼女は僕と一緒にいる時だけは、僅かではあるが表情に変化を示し始めていた。彼女は、僕のくだらない話に大半はクスクスと笑っていたが、時折、前触れも無く唇を尖らせ、遠い目をして寂しそうな顔を覗かせた。
授業参観日の夜に彼女と話した時以来、二人きりになる帰り道の途中だけは、少しではあるが他愛の無いことを話せるようにもなっていた。ただ、学校にいる時、彼女は僕に対して口を開かなかったし、僕も彼女に口を開くことは無かった。
僕は取って置きの場所から夕陽が沈むまでを待って、沼地の丁度対岸を指差した。
「見えるかな? ほら、あそこ」
片目を瞑りながら、眠りから覚めたような風でいる彼女に問いかけた。
「…そうか、見えないよね。ごめんなさい」
少しして自分の過ちに気付いて謝った。彼女は微笑みながら首を振って見せた。
「此処から丁度対岸に当たる所なんだけど、そこに小さくだけど十字架が見えるんだ。何だと思う?」
なるべく明るい口調で訊ねた。
「……教会?」
「―――やっぱりそう思うよね。でも母さんが言うには、この村には教会が一つしかなくって、それは先週、君と一緒に行った村の中心にある、あの教会のことなんだ」
彼女は僕の表情を推し測るように見上げた。僕は彼女を見ていた視線を再び小さく見える十字架に向けた。
「それならあそこにある十字架は何なんだって話。此処からじゃあ見えないけど、多分十字架の下には森に隠された教会があるんじゃないかって考えているんだ。だって、此処からでも見える大きさの十字架が直に地面に刺さっているなんて、無いでしょ?」
そう言って窺うと、彼女は少し笑って頷いていた。吸い込まれる沼地の空気はとろみ掛かって鼻孔の奥に張り付き、独特な生臭さとススキの芳ばしい香りを混在させていた。
「ということはだよ。あそこには母さんも、もしかしたら村の人すら知らない教会があるってことになる。多分あそこの獣道を辿れば行き着けると思うんだけど、少なくても僕が此処を見つけてからは整備された様子も無いから、もう誰もいないだろうね」
十字架の見える方角からほぼ直角に位置した、一直線に山へ伸びている獣道の入り口の方を指差しながら言った。獣道は確かにあったのだが、見るものが見なければただの林の割れ目にしか過ぎなかった。
「誰もいない教会。なんか楽しい予感がしない? 僕はいつかあそこに行ってやろうと思っているんだ。だってそこなら、神様は僕のことだけを気に止めてくれるでしょ? 大声で懺悔できるし、祈りはきっと聞き入れられる筈だよ」
胸を張り、おどけるように言って見せた。彼女はひどく大人びた表情で笑い、徐に対岸へ目を向けると、少しだけ悲しい顔をした。