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20 告解室

 十字架は、母さんの背中に遮られて見えない。母さんは横を向いて老婆とお喋りしている。僕の隣の彼女は時折前の席に座った老婆を窺って微笑んでいる。面白いことなど何も無い。二人掛けの、仕切りの無い木製椅子。僕達以外は、全て親と子のペアで座っていた。僕は母さんを睨み付け、老婆に苦笑顔を向け、彼女には、更に苦笑した。

 オルガンの音が礼拝堂に響き、それに合わせて賛美歌が唄われていた。オルガンは勿論パイプオルガンなどではない。古びた光沢が却って重厚さを演出しているのだが、そこから弾き出された音色は、やはりオルガンのそれに違いなかった。

 聖歌隊が歌わない讃美歌は秩序の欠片も無い。主張と主張がぶつかり合い、不協和となって不快が広がってゆくだけだ。彼女の表情は変わらない。ただ、彼女は賛美歌を歌おうとしない。恐らく彼女も同じ気持ちでいる。

 不快は数分我慢すれば取り除かれる。オルガンが半端なタイミングで途切れ、それに合わせて讃美歌も幾つかのタイミングで終わった。同時に蝋燭の燈が落とされ、代わりに電燈が点けられた。ミサが終わった。僕は老婆と話し続けている母さんを見た。母さんは僕に気付いたが、話を止める気配は無かった。諦めて僕とは違う眼差しを前の二人に向けていた彼女に、あっちに行こう、と声を掛けた。


 綺麗な装飾が施された聖体拝領台の上に取って付けたようにある、安っぽい衝立を蹴った。彼女はその音と同時に、小動物のように体を硬直させ、瞼だけを瞬かせた。

 間も無く、衝立の向こうから大きな欠伸声がして、それは直ぐに独り言に変わった。

「…汝の悩みを告白なさい」 

まるで寝言のような調子で神父が言った。

「おお、聞いてくださいますか神父様。実はわたくし、今し方、この衝立を蹴ってしまいました」

自分の演技力を総動員して言った。彼女は、それを不思議そうに見ている。

「なんだ、琢磨か。また悪戯しおって。つまらん事をしたら許さんぞ」

言いながら神父は、衝立の向こうで起き上がろうと踠いている。

「懺悔しているんだから許してよ」

衝立を揺らしながら言った。

「そういう問題じゃない。お前は何も分かっとらん」

お前は何も分かっとらん。神父の口癖。

「神父さんは何でも分かっているの?」

挑戦的に言った。神父は漸く起き上がり、椅子に座ったようだ。

「神父さん。お酒臭いよ。今日も呑んでいるでしょう」

神父と話す時の口癖。神父は僅かに見える格子の向こうで頭を振っているようだ。僕は彼女の手を取り、告解室の丸椅子に誘導した。彼女は微笑みながらも微妙な表情でそれに従い、状況を把握しようとしているようだった。

「何か言うことはある?何でもいいんだ。僕なんかは、お手伝いをした時に割ったお皿の数を言った事があるよ」

そう言っておどけて見せたが、彼女は少し不安げに微笑むだけで、何かを考え込むように丸椅子に腰掛けた。

「どうした琢磨? 誰かいるのか」

神父が格子に近づくのが分かった。

「だれだ? この子は」

神父はこちらの様子を窺っているようだった。僕はこのまま黙っているのも悪くないと思ったのだが、困惑顔の彼女に助け舟を出した。

「告解室では本来、素性を公にしないものでしょ。僕の名前だって本当は言っちゃいけないんだ」

「何を言っている。お前だって神父さんっていつも言っているじゃないか」

鼻を鳴らしてそう言うと、神父は格子の間に顔を埋めるようにしてこちらを覗き込んできた。

「なんだ、琢磨。おまえ、女連れか? しかも金髪のお譲ちゃんなんて、この辺じゃ珍しい」

格子の向こうから漏れ出る匂いが増した。

「覗くなよ。見られない為に衝立が付いているんだろ」

僕は何故か慌てて両手で格子を押さえ、目隠しした。神父は度々咽喉を引き攣らせながら乾いた声で笑っている。

「お譲ちゃん。お譲ちゃんは何処から来たのかな? いくつ?」

そう言うと神父はお腹を抱えて笑い出した。僕は何も出来ずに格子を何度も叩いた。

 神父は笑いの合間につまらないことを言い、彼女にちょっかいを出し続けていたが、僕が諦めて格子の木組みを削り始めると、漸く落ち着いたようで椅子に腰掛けた。

 冷やかすのを止めた神父は、反応の無い彼女などお構い無しに説教を始めていた。僕は彼女を丸椅子に座らせ、自分は木組みを削るのに専念した。叩いたのがよかったのか、木組みはあと少しで取り外せるほど脆くなっていた。

 神父の説教に嫌気がさしたのだろう彼女は、間も無く直ぐ後ろにある限りなく赤に近い橙色の仕切りカーテンを肩に掛けて遊び始めた。代わりに僕が椅子に腰掛けた。

「この前の話なんだけど。続きを聞かせてよ」

この前の話―――罪人が辿る道の話。続きが気になっていた。

「何だ?」

神父は眠たげな声を出した。カーテンに上半身を完全に覆われ、彼女は見えない。

「罪人が歩く道の話だよ。上り坂と平坦な道と下り坂にはそれぞれ名前が付いているんでしょう。この前は下り坂の名前を言う前に眠っちゃったじゃないか」

格子を覗き込みながら言った。

「…そんな話、した覚えがないな」

頭を掻いた時に出る音が衝立の向こうからして、それに苛立った。

「どうして?でも話の内容なら覚えているでしょ。ほら、平坦な道の名前は、自覚の道、だったよね。僕、考えたんだ。上り坂の名前は多分、あらがいの道、抗いの道だよ。下り坂の名前は―――」

「あの時は酔っていたんだ」

神父は鬱陶しい風にそう言って弁解した。

「今日だって酔っているじゃないか」

憤慨して声を上げた。

「今日は…この前よりは酔っていない……」

腹が立つほど自信に満ちた声を上げた神父は、そのまま寝息を立て始めた。




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