14 教会
十字架を見ていた。祭壇で説教する神父には目もくれず。赤く染まったその鼻を見ると胸が悪くなる。神父は呂律の回らなくなった覚束無い口振りで熱心に説教していた。内容は、無い。
二十人も入れないだろう最小規模の礼拝堂。随分前から充満している焼酎の匂い。噎せ返りそうになるのを我慢しながら母さんは無心に祈りを捧げていた。
酔っ払い神父が暴言を吐かないうちに助任の神父さんがミサを代行し、教会内は静粛に戻った。
ミサが終わると、母さんは嫌がる僕を無理に告解室へ押し込む。日頃の行いを懺悔なさい、と毎度言われるのだが、本当は自分がご近所の人とお喋りしたいだけに決まっていた。
極めて赤に近い橙色のカーテンが張られている告解室は、外見だけ見れば洋服屋の試着室そのものだ。その中は告解用の木組みでできた格子のある衝立で遮られていて、それを境界線に二脚の丸椅子がシンメトリーに配置されている。衝立と言っても聖体拝領台を再利用したものに違いなかったのだが、台に施された装飾の重厚な美しさだけは気に入っていた。
告解室に押し込まれた時、始めにすること―――祈り。神に祈る。衝立の向こうに座っているのが酔っ払い神父ではありませんように、と。
祈った後、息を吸う。そして落胆。噎せ返るような酒の匂いが室内に漏れていた。
「…だれだ?琢磨か?」
寝息を立てていた神父が気付いたようで、間延びした声を上げた。室内で名前を呼ぶのは厳禁な筈だ。
「神父さん、お酒臭いよ。今日も呑んでいるでしょう」
返事が無い。諦めて建て付けられている丸椅子に腰掛けた。
「神父さん。神父さんって、どうして神父になろうって思ったの?」
返事が無い。寝ているのかもしれない。僕は答えを期待せずに目の前にある長方形の格子の枠を削り始めた。
「…昔な。昔って言っても、何百年も昔だ」
「何百年も昔?」
聞き返した。初老の神父でもそれほど生きている筈が無い。
「そう、何百年も昔だ。丁度魔女狩りが盛んになり始めた時代かな。欧州の或る国に、不思議な慣わしがあった」
止まっていた手を再び動かした。神父は酔っている。いつものことだ。話半分に聞けばよかった。
「そこを通るだけで、犯した罪を償えるという道があった。…正確には、追放刑と取ることも出来る。しかし刑は、その道を通るだけという単純なものだ。元居た所に戻ることも禁じられていない。それでも、不思議なことに戻ってきた者はいなかったらしいが」
「どんな刑なの」
格子を丹念に削りながら訊いた。合いの手が無いと神父は直ぐに不機嫌になる。
「…はじめ罪人はその道の入り口に立たされる。目隠しを外された罪人は俯いていた顔を上げる。そこには、曲がりくねった坂道が見える。緩やかだが底気味の悪い、無駄に長い坂だ。これを……あがな…あらがい…あながい……」
神父は言葉を濁している。字が出てこない時の癖だ。
「…そんな名前がその坂に付いている」
誤魔化した。
「罪人が目にするのは坂だけじゃない。その沿道には近くの集落の住人全員が集まって騒いでいる。全員の中に司祭が含まれていたかは分からんが…全員は全員だ。住人は、祭りのように騒ぎ立てる。住人は何をしてもいい。ただ、その道に入ることだけは禁じられた。…坂を上りだした罪人に暴言を吐きつけ、そこらに落ちている石ころを投げつける者がいた。酒を煽りながら笑い飛ばし、冷やかす者もいた。…中には、哀れに思い食料を与える者もいただろう。……住人は何をしてもいいんだ。勿論罪人は手出し出来ない。…何をされても黙って坂を上りきるしかない」
衝立の向こうから豪快な音が聞こえてきた。酔った拍子に椅子から転げ落ちでもしたのだろう。
「…恐らく住人には武器の使用も認められていただろうが、弓矢を使ったりしたら罪人を逸れた時、反対側にいる住人に当たって自分が罪人になってしまう危険があるからな。…相当な覚悟が無い限り、結局は危険な武器は使えなかっただろう。だから精々石ころが限度だ。逆に言えば、罪人が強引に坂道から逸れなかったのもこの為だろう。丸腰の罪人が道を逸れたところで、得物を持って待ち構えている住人達に袋叩きにされて、却って危険だろうからな」
神父の呻き声が聞こえたかと思うと、間もなく椅子の下から話し声が聞こえてきた。まだ話す気らしい。手を止め神父の様子を窺った。
「……何時しか罪人は坂を上りきる。それまでになにかしかの傷は負わされているだろうし、上りで体力も相当消耗しただろう。ただ、それと同時に住人の攻撃もぱたりと止む。住人は坂の終わりまでしか罪人を追ってはいけない…決まりだったらしい。…罪人は喧騒を抜け出し、平坦になった道を暫く一人で歩く。この道を…自覚の道という。そう、自覚の道だ。…此処で罪人は孤独と向き合うことで自らの罪を意識せざるを…得なくなる」
神父は、得意げな声を上げた。神父の呼吸に呼応して、定期的に衝立が軋む音を出している。
「……罪の意識に対し…良くも悪くも決着をつける前に、罪人の目に新たな視界が開ける。…全くもって開けた視界…だ。…道は下りに入る。……この道を………」
格子を削るのを忘れていた僕は、話の続きを待っていた。しかし、道の名前を思い出していただろう神父は、気付けばすっかり寝息を立てていた。
「神父さん、起きてよ。それからどうしたのさ?」
力一杯衝立を揺すった。それでも音沙汰無い。寝息は大きくなるばかり。
「神父さん、道の名前は?」