10 秋色ビートル
蜉蝣の一生のような秋が全盛を迎えている鏑木山は、一週間前に見て取れた深緑の翳りを脱ぎ捨て、黄色が映える独特な紅葉に身を包んでいる。
舗装されていない農道を小刻みに揺れながら走る黒い車体は、紅葉と夕陽に照らされそのフォルムを変色させている。
車内に流れる英国式の空気が好奇心を擽り、僕はこっそり老婆の握るハンドルの形や、銀で縁取られたメーターなどを盗み見た。どれもこれまで見たことの無いものばかりで、僕の心を掴んで離さなかった。
小さな車体にしては大きいと感じさせるT字型のフロントミラーを見ている時、老婆と目が合ってしまった。
「どうかなされましたか?」
老婆は自然な笑顔を浮かべ、後ろに何も無い声を出した。
「何でもないんです。ただ、こんな車に乗るのが初めてなもので」
「そうですか。申し訳ありません、小さな車で、狭いでしょう? わたくしの車はこれだけでして、旦那様のお車なら快適なのでしょうが」
「いえ、そういう意味じゃなくて。この村では国産の車しか見たことが無かったから、外国の車を見られて嬉しいんです」
老婆は本当に申し訳なさそうな声で言い、僕は更に申し訳なくなり、そう弁解した。
「それは、よかったです。もし宜しければ旦那様のお車もご覧になられますか」
老婆は親切にしてくれたが、少し迷ってから断った。本当は行ってみたかったのだが、頭痛が僕の気持ちを塞ぎ止めた。老婆は嫌な顔一つせず逆に心配してくれた。彼女は前を向いたまま車の振動に合わせて頭を震わせていた。
道の悪さに自然と沈黙が降りていたが、景色の変わらない一本道に飽きてきた頃、徐に老婆が口を開いた。
「実はお聞きしたいことがあるんです」
僕は前方を見たままの老婆の方へ耳を傾ける格好をした。
「お嬢様の学校でのことなんですが。…何を聞いても答えてくれません、確かに、まだこちらに越してきてから十日も経っていないのですから、話すことが無いのかもしれないのですが……わたくしは心配性なもので」
その問いに、不自然にならない程度の間を置いてから口を開いた。
「…まだほんの数日ですからね。特に変わったことは無いと思います。ただ、ぼくが知る範囲では、学校ではまだ口を開いてくれいていません。少しでも話してくれれば周りとも仲良くなれると思うんですけど」
老婆はそれから家に着くまで口を開かなかった。僕には老婆の首筋が震えているようにも見えた。それは車の振動の所為なのかもしれなかったし、彼女が老婆の腕にそっと手を乗せた所為なのかもしれなかった。