忍び寄る影
道から脇へ入った茂みの中にある開けた場所で、一行は火を起こした。あっという間に日は落ちていき、辺りはあっという間に闇に包まれた。悠人達三人は真ん中に焚かれた火を囲んで一日の中で初めて地面に腰を下ろしていた。
「さて、各々気づいてはいると思うが・・・・・・」
カートライドが改めて切り出した。
「我々はまだまともに名乗り合ってもいないな。私はハレン・カートライド。境森の騎士で森の防人砦の指揮官だ。いや、今やだったというべきだな・・・・・・。君を送り届けるこの隊を率いている」
「悠人です。昨夜は有難うございます。助けてくれて」
「いいさユート。我々も君に救われた。」
正確には互いに助け合えたとはいえない。ハレンがオークの首を切り落としたのに対して悠人は訳も分からず掌を爆発させただけで、あれがなければ彼は殺されていただろう。一瞬迷って悠人は言おうとした所でメリドラが口をはさんだ。
「私はメリドラ・ラキウス・ハイドキン。テンクルス王国のキンネイドであり、ダンカン王の娘である。砦ではその力が役立ったようだが、果たしてイスダリルがお前を遣わしたにせよ違うにせよ、引き続き我らの役に立つことを願おう」
「どうもよろしく。メリドラ、ラ、キウスさん?」、、
彼女がメリドラと呼ばれているのは知っていたが、妙に長い名前に悠人が戸惑っているとメリドラは胸を張った。
「ここはエルシオンゆえ、大陸風の名で呼んでいい。ハイドキンと」
「彼女も外国人だ」
ハレンが説明した。
「だが理由があってな。七領土の中では遊学騎士として暮らして貰っている・・・・・・」
「七領土と何度か聞きましたが、この大陸はどういう土地なんでしょうか」
悠人の質問にハレンとメリドラは顔を見合わせた。
「詳しく話していたら朝になってしまう。まず我々が出て来た境森領だが・・・・・・」
ハレンは腰から巻き布を抜き取って悠人の前に放った。拾って広げてみると塗料で線やら地名らしき文字が書いてあり、これは地図らしい。
「まず右上の端を見てみろ。『ボルズ』の文字が読めるか?」
言われた通りの箇所をみると確かにあの不思議な文字で『ボルズ』と書いてあり、全体の四分の一を占める線で囲ってあった。
「そこが今野営している場所、大陸最東北部の境森領だ。ウォール・バルトン大公が治めている。今朝あった彼を覚えているな?」
「ええ」
悠人はよく覚えていたが、一つ気になっていた。
「でも彼、俺には一言も直接喋りかけて来ませんでしたよね?名前も聞かれなかったけど、それはここでは普通なんですか?」
「ああ・・・・・・。いや、バルトン公には事情があった」
ハレンはキャンプの奥を窺いながらここで少し声を落とした。視線の先は、あのエンロア卿という男がテントを張っている。
「朝はエンロア卿もいた。バルトン公は異界渡りのたとえ些細な情報でも彼に与えたくなかったに違いない」
「なぜ?情報を交換するものと思ったのに、一人にだけ隠しておくんですか?」
メリドラがフンと笑った。
「エンロアは犬さ。王妃派の犬だよ。コソコソと領内を嗅ぎまわって、長い事政治に口を出す機会を狙っているのさ」
「よせ、メリドラ。どこで誰が聞いているか分かったものではない」
「犬!?彼は仲間ではないのですか?それに王妃派って?」
ハレンは深く息を吐いた。
「話せば益々複雑になる。それは追々説明しよう。ともかく道中では彼に気をつけてもらいたい」
「はあ・・・・・・。わかりました」
「話が逸れたが、この領境と次の境界線の間の一本の道が『警報の道』だ。我々はこの道を通って低い王庭領を通過して王都、セトランズへ向かう」
地図の中心に広く書かれた楕円の内側には低い王庭とあり、更に線が南に一本、左端の「セトランズ」とある括りへ伸びている。ここが目的地らしい。
「ここまでどれくらいかかるんです?」
「低い王庭まで早くても次の月になる」
「ひと月も?」
遠いだろうと思いはしたが片道一ヵ月以上は予想外だった。失踪者の情報を得たのに、これではまた見失ってしまう。
「これじゃ、せっかくの手掛かりが無駄になってしまう。もっと速くは行けないんですか?」
「これが最も近い道だ。」
しかしハレンはそう告げた。
「増してユート、君を連れているのだから、慎重にならねばならん」
「しかし私も気になるな。ハレン」
メリドラが小枝を折って火にくべた。
「要塞の守りはどうなるのだ?あのオーク共が攻めるつもりなら、準備にそう長く掛けると思えんぞ」
「それは今は心配しなくていい」
ハレンは火に視線を落として再び声を潜めた。
「出発の前に言ったが、バルトン公にはいざという時に備えての考えがある。我々は焦らず、遅れないようセトランズに行く事が先決だ」
声に心配を漂わせながらもハレンはそう言い切った。
「さあ、もう寝よう。ユートは中央のテントを使ってくれ」
「散々だ。今日は」
野営の隅で一人の若い兵士が言った。野営の隅に位置する焚火は小さく、二人の青年が見張りに立っている。警戒をぬからぬようにと命じられた闇の中の木立からは、何ら気配を感じない。
「見てたよ。ありゃ一日で一番笑えたね。骨をぶっつけられてどんな気分だ、アントン?」
「良いと思うか?黙って見張ってろ。ルース」
ルースはへらへらと笑った。
アントンは本来なら今頃自分の家で寝ていたはずだ。しかし突然防人砦が爆破され、いきなり現れた『異界人』を護衛するために呼び寄せられた。挙句その異界人からは骨を投げつけられる始末だ。
「聞いたか?砦を落としたオークは千を超えてたって話だ。信じられるか?十匹集まれば殺し合わずにいられない奴らだってのに」
実際これほどの敵が灰の川から侵入してくるのはアントンやルーカス等若者にとっては初めてだった。
少なくとも、アントンが生まれてからの十九年間は要塞が危機に瀕したことなど無い。それが一晩で一変し、境森からオークが溢れて来るという。
「そういえば、お前の村は森の辺りだろう。心配じゃないのか?」
アントンが尋ねると、ルーカスは大して気にしない風で答えた。
「オーツハング村さね。なぁに、心配いらねぇよ。あんななんもねえようなとこじゃ、オークも素通りしちまうやな」
彼はどうも事態を軽く見ているようだ。アントン自身もディープウッドが容易く奪われるとは思わない。だが森の防人達が退けられ、その砦が失われたとあってはその意味をこの田舎者に分かるように言ってやらねばと考えている所へ後ろから新たに二人組が現れた。
「やれやれ、連中やっと眠った」
交代のハンスとポットだった。木こりのハンスは大柄で肉付きもよく、喋り方も粗野だが聞き取りやすい。短い時間で知り合った中では一番まともな男だ。
「今日は色々とおっつかねえことだらけだあ。防人砦が焼け落ちちまっただなんて、とっつあんに報せてもしんじねぇだよ」
もう一人の小太りの男、ポッドは明らかにルーカスと同じ人間だ。森の守りがひとつ失われた事は珍事件か何かと同義らしい。
「やっと交代かね。俺はテントにいくか」
ルーカスが立ち去り、漸く眠れると、あくびを抑えながらアントンも立ち去ろうとすると、ハンスが引き留めた。
「まあ待て。さっき向こうで聞いたんだがよ・・・・・・。どうやらあそこにいるのは異界人らしい」
「今更知ったのか、もう知ってるよ」
アントンは呆れたがハンスはまあ待て、と続けた。
「もちろん皆とっくに知ってる。改めただけさ。俺が言いたいのは、一儲けのチャンスが巡って来たって事だ」
「ハア?いきなりなんだ。これ以上馬鹿な話で寝る時間を削ろうってんなら・・・・・・」
「違うって」
声を抑えながらもハンスは口調を熱くした。
「つまり、俺達はいつまでも木こりやこんな見張りなんかして暮らすわけにはいかねぇだろ?こんな事が起きる時には・・・・・・」
その時何かがガサリと動く音がした。小さな音だが、夜の静寂の中ではアントンにはっきり聞こえた。
「しっ。今のは動物か?」
「なにが?」
ハンスは話に夢中で聞こえなかったらしい。
「今の音だよ。近くになにかいる」
「獣だろ。それより・・・・・・」
「明かりをこっちにくれ。おい、そこにだれかいるのか!」
大声で呼びかけてみたが返事はない。松明を掲げても茂みの中までは照らせず、気のせいかと思いかけた時、パキッと枝を踏み折る音がはっきり響いた。今度はハンスも聞こえたらしく、驚いた顔で腰の剣を抜いた。
「おーい。なんかあったか?」
ポッドがこちらの様子に気づくのと、アントンがナイフを片手にもう一歩前に踏み出すと同時にバキバキと大きな音を立てて巨大な影が飛び出し、四足で地面に着地するとそのままシュッと地面を横切ってたちまち森の奥柄と消えていった。
「うおっ、なんだ!?」
ハンスが後ずさった。
「熊か?」
「いいや、狼みたいだった」
アントンは獣が去った方角を窺った。闇に包まれて姿は良く見えなかったが、松明の灯に一瞬ギラリと反射するものと確かに視線が重なった気がした。
「どっちにしろ、牛みたいにでかい・・・・・・」
「ひえ、あんな奴ぁはじめてだあ。こいつぁ夜の間は火から離れねぇほうがいいだよ」
ポッドが戦慄した。
「どのみちあれはもう行ったし、念のため明日報告しよう。他の当番には俺が伝えておく」
アントンは早歩きでその場を後にした。森で狼を見た事ならある。だがただの野獣のそれとは違うあの邪悪で鋭い眼光はほんの短い間に嫌な不安と恐怖を胸に残すには十分だった。もしまだあの場にいたら微かな震えを二人に気付かれたかもしれない。しっかりせねば。深森城塞の住人が森辺の村人に情けない姿を見せるわけにはいかないと、恐れを振り払う様に頭を振ってアントンは隣の見張り場所へ向かった。
防人砦の焼け跡は未だに空に濛々と煙を上げていた。周囲の防壁はすっかり焼け落ちて半壊した本丸が露わになっており、赤々と燻る残骸が忙しく作業する者達をうっすらと照らし出している。水を撒いて回り、瓦礫や炭を運んでいるのは人間ではなく、オークだった。
「急げ、お前達!奴らは待ってはくれねぇぞ」
新しく軍団の長となったシャグハドは思う様に進まぬ後始末に苛立ちを募らせた。合流を告げられている相手は今回の計画の本営にいる連中だ。余り作業の遅れた様を見せない方が良い。しかし、彼も含めオーク達の士気は高くは無かった。
「シャグハド。ガルナッド族の奴らが戻ってきた」
同族のオグリルがやって来た。
「全員か?」
「いや。半分位だそうだ」
「つまりどれ位だ?」
「分からねえ」
「おい、オグリル」
シャグハドは呻いた。
「それじゃお前を遣った意味がねえだろうが。部隊長のお前がそれを分かってなきゃ、他に誰に聞けってんだ?」
「だがよ、俺達は逃げた戦士なんて数えたことがねえだろう?そもそも『兵士』なんてなったことはねえ。『部隊長』なんて全くわからねえ」
「俺達はそうしないとならねえんだよ。オグリル」
シャグハドは首を振った。自身もウズガクに近かった為に成り行きで後任となったに過ぎない。
「そうしろって仰せだ。奴らからな」
「ハッ」
オグリルは心底忌々しそうに唾を吐いた。
「俺は疑問だぜ。例の野郎がどれだけ・・・・・・」
背後でドサッと音がして途端に辺りが騒がしくなり、何事かと振り向く二人の所まで怒声が届いた。
「どけってのがわからねえのかよ?ええ、この阿保共が。もう一つ二つ頭を叩き割ってやりぁ気が済むのか!」
オーク達を散らしながら幾つかの影が近づいて来る。並みのオークより頭一つ大きい体は太い筋肉をしていながら体型や目鼻立ちは人間により近い。深い鋼色の体は普通オークは身に着けないはずの胴鎧に収まっており、一歩歩くたびにガチャガチャと音を立てた。猛々しさと残虐さを放つ目がギロリと二人を睨んた。
「来やがった」
低くオグリルが唸った。
境森の遥か先、果ての台地に棲むハイオーク達が現れた。
「お前が長か?」
シャグハドは座ったまま目の前まで来た相手を見上げて頷いた。
「ああ。ゴリグナックのな」
「お前ら鼠共の群れなんざいちいち知ったことじゃねえ」
ハイオークは地面に唾を吐いた。
「俺が聞いてんのはよ、てめえが軍の指揮を執ってんのかってことよ!お前がウズガクなんだな?」
「率いるのは俺だが、ウズガクは死んだ」
「死んだ?じゃあおめえは誰だってんだよ!?」
「お前こそ誰だ」
オグリルが語気を強めて言った。
「名も名乗らずに、好き放題言いやがって」
「てめえ、次に口を突っ込んでみろ」
ハイオークがズイと一歩進み出たとき、その顔に付いた返り血に気づいたシャグハドは制止しようとした。
「おい、オグリル・・・・・・」
「そしたらどうなるってんだ、え?お前らは彼の『ご主人様』とやらの使いだろうが、俺は部隊長のオグリルだ!」
この時オグリル自身はよく知らない肩書で相手を退かせる事ができるだろうと真面目に考えていたが、相手は皆大笑いするだけだった。
「おめえが部隊長だって?ならよ、このウルシュ族のドスモグ様が教えてやらぁ。てめえはもう部隊長じゃねえのよ!お役御免だこの馬鹿野郎!」
ドスモグの肩越しに抜かれた剣が一閃し、オグリルの首はあっけなく胴体から転がり落ち、死骸が血を噴いて倒れるのと同時に周囲のオークが怒りに吼え飛び出してくるのとが同時に起きた。皆手に武器を取り、ドスモグと名乗るハイオークに迫るもその前に他のハイオークが同様に剣を抜いて立ちふさがった。
「やめろ!」
シャグハドも立ち上がって警告するも間に合わず、叫びと短い剣裁の音の後、新たに五つばかり屍が地面に転がった。
「てめえら静まれ!」
ドスモグの怒鳴り声でオーク達の足が止まった。
「まだ文句ある奴ぁいんのか?俺達はてめえらなんか少しばかり殺しても構わねえ。だがよ、その前にまだてめえらを役立てなきゃならねぇ。いいか、これからはこのドスモグ様が見張ってやるからな。怠ける奴は切り刻んでやるからそう思え!」
オーク達を仕事に戻らせ、ドスモグはシャグハドに尋ねた。
「この中にここでの戦いで、奇妙な人間を見たやつはいねえか?」
「どんな人間だ?」
「ここの人間の誰とも違う奴だ。いいか、そいつは何としても生かして捕まえなきゃきゃならねぇ。少しでも覚えがある奴がいたら連れてこい。捕らえりゃ褒美が出るぜ」
「人間一人に?どういう奴なんだ?」
「俺だって知らねえ。異界人とかいう奴だ。ご主人様の計画に必要だ。直々に仰せつかったのよ」
ドスモグは誇らしげに言った。
「そいつを使って殺しまくってやるのよ、人間共をな」
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