王の都へ
食堂での慌ただしい小会議から、バルトン公、ロゼック侯、カートライドの三人は一階にある厨房の裏庭に移動していた。南外城壁のすぐ内側にある小さなこの庭にはいくつかの種類のハーブが植えられた薬草園として使われており、主に料理人以外には来る者もほとんどいない。
「急な出発だが、エンロア卿に反対を唱える余地を与えたくなかった」
バルトン公が二人に告げた。
「最近は特に私の決定を覆そうとしている。特別顧問である事を理由に決議の場で口を出し放題だ」
「王妃がそう命令しているのは間違いないでしょう」
ロゼック侯も同意した。
「一度も証拠を掴めていませんが」
「ああ。しかしこんな時にまで介入させ続けるわけにはいかない。それに何より、もうひとつの目的を悟られたくなかった。カートライドにもそれを知らせて置きたいのだ」
「閣下。もうひとつの目的とは?」
カートライドが尋ねると、バルトン公は周囲を素早く見渡してから続けた。
「王に宛てた手紙には、今境森領が面している危機を脱する事ができたらその後は異邦人を王都に遣わせる旨が含まれている。もし援軍が送られ、砦を奪い返すことが出来れば今度は王の問題の為に彼を送るつもりだ」
「あの男を王城に?その間我らはどうするのです?」
「その間の守りの事は、別の手を考えている」
驚くカートライドにロゼック侯が言った。
「少なくともお前達が戻るまでは心配ないだろう。本題だが、これから頼みたいことがある。『鼠の穴場亭』へ立ち寄ってもらいたい」
「『鼠の穴場亭』ですか?ロウ・ガーデンにある宿屋の?」
「そうだ。彼は王都へ向かう途中で消息を絶った。しかし、一度だけそこから手紙を送ってきている」
「その手紙には何が書かれていたのです?」
「それは・・・・・・」
言い淀むロゼック侯に代わってバルトン公が続けた。
「今、教える事はできない。宿の主人に何か重要な物を預けてあるそうだ。私からの使いと伝えれば受け取れるはずだから、それを必ずここに持ち帰れ。ただしエンロア卿には察知される事の無いようにしろ。彼に知られる事は絶対に避けたい。部下の目にすら触れられることの無いようにしろ。現場での判断は君に任せる」
こんな時に随分物々しく漠然とした話だが、境森公から直々の頼みとあればカートライドも断れない。それに公自ら命令するという事は余程大事なことなのだろう。
「分かりました。仰せの通りに致します。バルトン公」
その時厨房からバタバタと足音が聞こえてきた。どうやら人の出入りがあったらしい。バルトン公は素早く振り返り
「立ち聞きはされなかったとおもうが」
少し心配そうに言った。
「そろそろ行け。怪しまれてもいけないからな。それと」
カートライドにロゼック侯が拳程の革袋を渡した。受け取ると、余程中身が詰まっているらしく掌にずっしりと重い。驚くカートライドにバルトン公が告げた。
「それが必要になる。いざという時は気前よく渡せ」
森からこの城塞にきた道よりずっと長くかかるだろう距離をまた馬の背で抱えられながら進むと思うと悠人はうんざりだった。だから、城の前に馬と共に今度は馬車も曳かれて来た時はほっと胸を撫で下ろした。それは馬車というより荷車にベンチを向かい合わせに置いた様な物だったが、荷物を積んでも五人は十分に寛げる大きさはある。
メリドラとエンロア卿、ついてくる騎馬の兵士が十七人。後はカートライドが来るのを待つのみだ。
「バルトン公は何を話し込んでいる?支度はもう済んでいるぞ」
エンロア卿はイライラとしていた。彼は馬車には乗らないらしく、自分の馬と男を一人つれている。男はエンロア卿と違い見た目は普通の髪の黒い若い男で、彼もまた馬に乗り自分と卿のものらしい荷物とを背負っている。鎧に身を包んだメリドラは何やら巻物を広げて真剣な顔で読んでいた。
ドタドタと何人かの足音がして今度は数人の女と、少し遅れるようにしてカートライドとロゼック侯がやって来た。女達が抱える籠や革袋から胃に直接届く様な香ばしい匂いや爽やかな甘いが香るのに気づいた時、悠人の腹はまるで空腹であることを忘れていたかの様に鳴り出し口から涎が溢れた。
「ああ、食べ物が運ばれていたか」
カートライドがどこか安心した様に言った。
「カートライド、一体なにを話し込んでいたのだ?」
エンロアが聞いた。
「大したことではない。我等が留守の間の事について、些細な事柄ですよ。エンロア卿」
カートライドが静かに答え、メリドラも
「出発できるのだから問題なかろう」
と言って巻物をしまった。
「エンロア卿、馬車を使わないのか?」
ロゼック侯が聞くと
「私は自分の馬に乗る。それと従者をつれていく」
と素っ気なく答えて後ろに居る黒髪の若者を肩越しに親指でさした。ロゼック侯は、まあいいだろう。と頷き全員に向かって
「王から援軍を得て戻る事を祈るぞ。イスダリルの加護よあれ!」
と告げ、これが合図となって三人は馬車に乗り込み、騎兵がそれとエンロア卿と従者を囲む形で出発した。ロゼック侯は馬車が城の敷地から出るまで見送っていた。二頭の馬に曳かれた馬車はかなりの速さで走り出し、ロゼック侯の姿はみるみる小さくなっていく。あっという間に街の中を通り過ぎて詰め所の前を通ると、森の防人砦の兵士達が手当てを受けている所だった。御者が城門の先の勾配に備えて少し速度を落とすと彼等も悠人達に気が気づき、通り際に元気の有る者は片手を挙げて声を掛けてきた。悠人はクジョーやジェス達を思い出して見つけようと思ったが馬車はそのまま城門を通り抜けた。
坂道を降りて馬車は再び元の速さで駆け出すと、元々定まらない座り心地がむき出しの地面を走ることによって更にガタガタと上下に揺れるので、尻が痛くなる様で普段ならとても乗り心地が良いとはいえないが、ずっと走りに馬と腰を据えて休む機会の無かった今の悠人にとっては電車の指定席に座ったように感じた。
道がやや平坦になり、車体が安定するまで、三人の間に会話は無かった。それぞれ脇の景色に目をやったり膝を見つめていたりしたが揺れが収まって初めてカートライドが荷物の中から籠と革袋を引っ張り出して口を開いた。
「バルトン公が用意して下さった。ありがたい。城では食べる暇も無かったからな」
籠から覆いが外されると、中からガワガワとした見た目の丸い物がゴロゴロと幾つも詰まっていた。更に別の籠からは油の良い匂いと共に鳥のすね肉が出てきた。革袋は何か液体が入っているらしい。
三人、特に悠人はやっと食べることを思い出したかの様に黙々と食べた。パンは見た目通りガサガサした食感で鶏肉も塩味を感じる程度だが今は全く気にならない。パンも肉も一口ごとに力に変わるように感じた。袋の栓を開けてみると、中からは葡萄の匂いがしており口に含むとなんと中身は酒で、どろりとしたやや強めの物だ。悠人は咽てしまったが、メリドラとカートライドは平気らしく喉を鳴らして旨そうに飲んでいる。
「全く、生き返ったぞ!モディーナに栄光あれ」
籠の中身を粗方食べつくした後、一息ついてメリドラが喋り出した。
「それにしても、あの戦いの後で一息もつかずに遠征とは。いよいよ危惧されて来た事になったとはいえ、全てが急ではないか?」
腹が満たされてきて緊張も緩んで来たらしく、カードライトも落ち着いた顔になっていた。
「バルトン公には考えがあるんだろう。いきなり異邦人が我らの前に現れた事もある。そうといえば・・・・・・」
そう言って悠人を見た。
「まだお互いによく話をしていなかったな。異界渡りよ。砦ではメリドラが君を取り調べたのだったな?」
「あー、そうだよ・・・・・・いえ、はい」
悠人はつい普段の喋り方をして慌てて改めた。二人の事は何も知らない悠人もこれまでの様子で二人が兵隊達の隊長であることは分っていた。先程はどうやら偉い人を相手に失礼をしてしまったらしい。話し方には慎重にならなければいけないだろう。今放り出される事はないだろうが、右も左も分からないこの世界で頼れる 数少ない人間を不快にさせない方が良いのは確かだ。
「確かに。あの時は肝心な事は何も聞けていなかったな」
メリドラが頷いた。
「この男、今はこの姿だが尋問の時は間違いなく全身が黄色だったぞ。肉付きもこんなによくなかった。東方の猿人か何かと思ったくらいだしな。出身はノポンとかいったか?」
「確かに、群島諸国のどこかなら納得だがそうでもないのだろう?」
「二ホンも島ですよ。東アジアにあって・・・・・・」
「アジア?聞いた事もないな。それは野営地で詳しく聞くとして、確かこの地へは連れてこられたといっていたそうだな。その時の事を覚えていないのか?」
悠人は覚えている事を二人に話した。失踪事件があった事。四人の子供を探した事。廃墟での出来事や目が覚めたら森に居た事・・・・・・。
二人は静かに聞いていた。
「なるほど。相手の顔は見ていないのか。何かわからないのか?声を聴いたりとか」
カートライドは興味深げに尋ねた。
「いいえ。誰かに近づかれた事にも気づきませんでした」
あの建物の入口から階段まで悠人は間違いなく一人だった。後ろから襲うには待ち伏せか、後からこっそり入ってくるしかない。上階へは防火扉が閉じているために隠れられなかったはずだ。部屋の扉は全て確かめてはいない。だが見回りがあったはずだ。男の子四人を連れて隠れていられるものなのか?
「その見回りの男が犯人ではないのか?」
カートライドが指摘した。そういえば彼は見回っているとは言っていたが本物の警備員という保証はない。もし警備のふりをしてあの廃墟に潜み、次の獲物を待っていたのだとしたら?いなくなったふりをして後をつけ、わざと学生たちに助けを求めさせて地下に降りるよう仕向ければ不意を衝くことができるだろう。
「そうだとしても、理由はなんだろう?」
目が覚めたあの時、悠人は森の中にいた。攫われてきたにしても、なぜ?
「私も疑問だな。ハレン。人攫いがいたとして、なぜそいつはそんな事をする?」
メリドラが肉を齧りながら言った。
「異界渡りの話しを信じるならこの男は異世界と呼べる場所の者だろう。そんな所からわざわざ大勢エリシオンへ連れて来る意味なんかあるか?この男もどうして境森なんかに放って置くのだ?」
「その先に連れて行こうとしたのかもしれない。オークに妨げられて一人で逃げたのかもな」
「もしそうだとして、そこまで一人でやったなら大した奴だ。余程強力な魔術師か、大勢でやったかだろう」
メリドラは不信に満ちた目で悠人を見た。
「或いは、ただこいつが我々を騙しているとも考えられるぞ。この姿は本来の姿かもしれないし、魔法で変身しているかもしれない」
未だに疑い続けるメリドラに、悠人はつい語気を荒げた。
「だから覚えている限り、本当なんだよ!何が起きたかなんて自分でも分からないんだ!」
熱くなりかけた二人の会話にカードライトが割って入った。
「まあ待て。メリドラ、今更疑ってかかっても仕方がない。セトランズではっきりするだろう」
「セトランズ?」
悠人は何かと食って掛かるメリドラよりカードライトとの会話をつなごうと思った。今のところ彼は悠人を問い詰めたりもせず、問いかけに答えてくれている。
「我々が向かっている、王の直轄領だ。そこに都と王の城がある」
「俺以外の人達・・・・・・『異界人』達はなぜ皆そこに?」
バルトン公という男は自分の様な者が各地に現れたと言っていた。誘拐にしても被害者達を一か所でなくバラバラに捨て置くなんて不自然だ。
「大半は現れたその場所で何らかの騒動を起こしたそうだ」
カートライドは少し思い出すように空を見上げた。
「中には、領主に害が及んだ騒ぎもあると聞く」
「あのレズリー卿か」
メリドラは笑いながら骨を放った。
「全くいい気味だ。王妃の為にせっせと励んだ蓄財がもとで災難を受けたのだからな」
「それを都では言うなよ。ともかく、そんな者達は今の君の様にセトランズへ連れて行かれた。もう半分の者は自ら辿り着いたそうだ。だが一部の異界人は来ていない」
「来なかった?まだ保護されていないのですか?」
「いや、申し出は断られた。その際に幾つか小競り合いもおきたらしい。強力な力で抵抗されて兵士達も手出しが出来なかったそうだ」
カートライドは難しい顔をした。
「それだけではなく、中には姿をくらませた者までいる。君が彼らを探しそうとしても、簡単には会えないと思った方が良い」
なぜそんな事が、と悠人は一瞬困惑したが、直ぐに答えが巡ってきた。怖かったのだろう。昨日の自身を思い返せば、彼等の混乱がどれ程のものだったのか察しが付く。強力な力を使ったという事はその身に悠人と同じような変化をきたしているはずだ。この現実とは思えない状況のなかで、今頃彼等はどうしているのだろうか。
悠人は黙って齧り終えた骨を投げた。しかし思いに耽っていたせいで手元が狂い、並走していた騎兵に命中してしまった。慌てて顔をそらしたが、一瞬目が合ったように感じて悠人の背筋は冷えた。
満腹になると3人の口数は無くなり、暫く目を閉じて揺れに身をまかせ、日が暮れた森の中で馬車が止まるまでそのままにしていた。