フォレストガード<<森の防人砦>>の戦い
門の上までそう長くない階段を登りながら、悠人はいやに生々しい夢だとか、このタイミングであの地下で目を覚ましたら少しは虚 脱感に覆われるかもといった事を未だに考えていた。金属と布が肌をこする感覚や腰にぶらさげたナイフの重さを確かに感じていても、悠人にはこれが現実の出来事と思えなかった。
六時間以上まえにここへ連れてこられてから、既に寝て起きてをしているにも関わらず、頭のどこかでこれが夢か何かに違いないという想いにすがっているのだった。
壁の上は通路になっており、間隔を置いて並べられた松明の明かりに手すり際にずらりと並んだ兵隊の姿が浮かび上がっていた。
五十人ほどいるだろうか。揃って鎧ではなく革で作られた厚めのカラーレスジャケットの様な物を着て皆手に弓を持っており、矢はいつでも引けるようにつがえられている。一様に不安と恐れの表情を浮かべ、視線は胸壁の向こうにある森との境に向けられて動かない。
「隊長。隊長はどこだ?」
クジョーが呼びかけに応じて人列の奥から一人走り寄ってきた。刈り上げた髪と鼻の下の口ひげが特徴の男はクジョーに頷きかけ、悠人の顔を珍しそうに見つめた。
「それで、彼がそうなのか?会議での話を信じるなら、この外国人に作戦の要を託せばいいと」
「はい、隊長。サー・カートライドも納得の上、ここに連れて来るように指示しました。異界人、彼はマシュ隊長だ」
ジェスが答えると、マシュ隊長は悠人の顔から右手へと視線を移した。
「全く、こりゃいよいよ最期だな。逃げ場無しの上、頼みの綱はどこからきたかも分からない奴とは……」
「敵の様子はどうだ?笛も太鼓も二度も鳴らされたぞ」
クジョーが尋ねた
「それが奇妙なんだな。奴らは確かに砦を包囲しているが、攻撃して来ようとしない。それどころか未だに森から出て来ようともせん。向こうが有利な事は奴らも分かっていそうなんだがな」
「複雑な作戦を奴らが採るとは思えん。何を待っているのか知らんが、今の内に伝えておこう」
クジョーが悠人に向き直って言った。
「極めて単純だ。我々はできる限りの時間を稼ぐ。但し、長くは持たんぞ。お前はその間にその不思議な力で奴らを返り討ちにしてくれ」
簡単だろう、とばかりに簡潔にクジョーは述べたが、聞いた悠人は必死だった。
「何度も言っただろ!そんなこと出来ないって!あんた達は何か勘違いしてるんだ。戦いだの魔法だの、日本人の俺に出来るわけないだろ!今だってワケがわからないのに......」
「例えわからなくともそれ以外に道はないぞ」
クジョーが宣告した直後だった。真っ暗な森の中にポツンと一点の明かりが浮かび上がり、それに連なる様に次々と小さな光が広がっていき、瞬く間に森の中を埋め尽くした。まるで森林火災の如く赤々と輝く灯がゆっくりと前進するにつれて、それを掲げる者達の姿が照らし出された。
「なんだ、あれは...... 」
まるで人に近づけたゴリラの全身に筋肉を盛り、緑色に塗りあげた様な姿だった。上半身はほとんど裸で下は腰布一枚を巻くのみである。片手にこん棒や斧、剣を持ち、もう片手に身長の半分を覆うほどに長い扇型の盾を持っていた。一群が壁の目の前に達する頃には猪の様に口から突き出た牙と、長く伸ばした苔の様な髪が確認出来た。
「オーク共!ついに出て来たか!」
ビクッとして驚いて振り向くと、メリドラとカートライドがそこにいた。化け物の行進に見とれている間にやって来たのだろう。カートライドの方は顔をしかめて、群れをじっと見下ろしている。
「こりゃダメだ。イスダリル様、七竜様、お助けを...... 」
隣でジェスの力無い声が聞こえたが、誰も気にしていなかった。今や、そこにいる兵士達の目は地上の群団に釘付けだ。
群れの中から一人のオークが進み出て、壁の上を見上げて怒鳴った。
「人間共!」
割れ鐘の様な声だった。
「ゴリグナックの長、ウズガクが告げる!お前達の立て籠もるこの板きれのごとき壁など!我等の槌で粉々にしてやろう!お前達が砦と呼ぶこの小屋が、お前達を守ると思っているなら勘違いだと思い知らせてやる!」
「あいつら......人間の言葉を喋るのか?」
悠人は愕然としたが、カートライドは当たり前というかのように
「まあ、ここらでは珍しいがな」
とだけ返した、下に向けて叫んだ。
「オーク共よ、よく聞け!今お前達が脅したこの砦は、コンヴィール帝国の時代に築かれたものだ。何世紀もの間、蛮族から森の境を守り続けてきた!オークがどれだけ群れてこようとこの砦を落とせはしないぞ!」
しかしこの返事を無視して、ウズガクは続けた。
「お前達に、血を流す事無く立ち去る機会を一度だけくれてやろう。門を開き、砦を明け渡せ!そうすれば森から立ち去る間手を出さずにおいてやろう。だが、断るなら全員の頭を串刺しにしてここに晒してやるぞ!」
「その機会をやるのはこちらの方だ。死体の山に埋もれるのが嫌ならば、今すぐ引き返せ」
カートライトは断然と言い切ったが、相手は揺るがなかった。
「門を破ったら、お前の血を真っ先に浴びるとしよう。」
「やれるものならやってみろ。暗黒の豚から生まれた悪鬼の仔め!」
今度はメリドラが挑発し返したが、もう返事はなかった。
ウズガクは振り返り、そこに広がる、見えるだけでも数百はいる大群に向かって吠える様な、雄たけびの様な声を出した。
「イヴォールダスクス!ダラフォール。エンノール ヴォクサス!」
これに続いて大群が一斉に叫び、地が轟く程に足踏みし、手に持つ武器を空気が震える程にガンガン鳴らしてまた叫んだ。
その様子を見たカードライドは剣を抜き、騒音に負けじと大声で呼びかけた。
「来るぞ!全員応戦用意!」
カートライドが牛の角らしき物を取り出すと、先端を口に当て、吹いた。どうやらこれが角笛らしい。先ほどからのとは違い、高くラッパに近い音が鳴った。すると応える様に同じ音が三度、砦のあちこちから還ってきた。
「弓隊、引け!」
マシュの合図で弓兵が皆一息に弓弦をひきしぼり、矢じりを敵の最前列に向けた。相手の方では不規則だった武器や足を鳴らす音がまとまり始め、すぐに地面を揺るがすひとつの大きなリズムとなった。ズシンと一回ごとに響くそれはこちらの方兵士にプレッシャーとなって伝わり、沈黙の壁上に緊張が走る中、カートライドが命令した。
「始めろ」
「狙え。放て!」
マシュの号令一下、狙いを定めた射手達が最前列の敵めがけて一斉に矢を放った。約五十本程のそれらは敵の頭上に降り注ぎ、シュトンといくつも音をたてた直後、何人かのオークが前のめりにどうと倒れた。
途端に全てのオークが静まり返った。一瞬の静寂の次の瞬間ウズガクが咆哮と共にこちらへ突撃し、続いて全てのオークが雪崩を打って押し寄せてきた。
「手を止めずに撃て、壁を破らせるな!」
指示すると同時にマシュ自身も弓を引くが敵が余りに多く、絶え間ない射撃も敵の勢いを殺すに至らない。オーク達は飛んでくる矢を恐れず、撃たれた味方を踏み越えて突進してきた。
「シャロスの加護よあれ!」
カートライドが叫び、剣を抜いて高く掲げた。
「天上要塞よ!」
メリドラも同様に叫び、剣を抜いた。
一方悠人といえば、右手を見つめて半自失である。映画の様な戦いが始まり、すぐに何かをせねば今夜死ぬという(それも、あの怪物に首を刎ねられて!)だが傷を見つめていたところで何も起きず、いきなり強く肩を掴まれ我に返った。
「どうした?急がないと皆死ぬぞ!」
ジェスが縋る様な顔で急かした。
「あんた、異界渡りなんだろ?イスダリルから遣わされてきた使途なんだろ?だったら早く、その力を使って何とかしてくれよ!ここは長くは持たないぞ!」
「そう言ったって・・・・・・」
掌の傷は光るばかりで、何かが起こる気配はない。起こし方が有るとして、そんなものは知らないが。
そうしているうちに、オークの先頭は壁の真下に取りつき始め、各々が盾を掲げ合わせ、頭上を覆って矢を防いでいた。
「族長を先に狙え。ウズガクを殺せ!」
カートライドが指示するが、ウズガクはとっくに門前に到達したオークの中におり、見つけるのは困難であった。更に、迫るオークを掻き分けるようにして、合掌させた盾を連ねたものに守られた長い物が迫って来た。
まずい。とマシュは叫んだ。
「あれは槌だ。門を攻撃されてはまずいぞ!火矢を掛けて燃やせ!」
向かってくるそれを確認した数人の兵が松明から矢じりに火をつけて放ったが、いずれも合わせた盾に遮られてしまい、簡単に止められそうになく、今度は何組かのオークが梯子を掲げて、槌よりも速くこちらに進んで来た。
「奴ら、梯子まで!」
カートライドは唸った。
「クジョー。今助けをよこせそうな所はあるか?」
「反対側の敵が、最も気配が少ないそうです。急げば間に合うでしょう」
再び角笛が鳴り、一度だけ反応が返された。ほとんど同時に敵の梯子が到着し、間を置かず門から左右に次々と立て掛けられた。
「梯子を落とせ、登らせるな!」
一部の兵が梯子を押し倒そうとするが、数が少なくい上、オークの巨体もあって中々うまくいかない。漸く一つを倒した兵士が迂闊に下をのぞいた途端にバキッと音がして仰向けに倒れ、その頭には斧がスイカに食い込む鉈の様にめりこでいた。
「よしわかった。に、逃げよう」
精一杯の考えを頭でまとめて悠人は提案した。
「お前馬鹿か!?逃げるってどこにだよ?」
とうとうジェスの口調も変わり、悠人に押し迫ってきたが、どこでもいいから、この場から離れたくて悠人は必至だった。
遂にオークが梯子を上りきって姿を現し、目の前の兵士に剣を振り下ろして打ち伏せると通路に飛び込んだ。もう弓矢では敵を防ぎきれず、次々にオークに乗り込まれ、兵士達は今や剣を抜いて戦い始めた。槌を運ぶオーク達も邪魔が無くなり、一気に距離を詰めて門前に達すると守りを解いて丸太の様な本体を露わにし、最初の一撃を叩き込んだ。
「ここまでか、畜生。こうなりゃ一匹だけでもやるぞ!」
ジェスも覚悟を決めて剣を抜いたその時、時の声と共に新たな兵士達が横から現れ、二人を勢いに巻き込んで乱戦の場に駆け込んだ。もみくちゃにされ流れに抗いながらやっと脱した時には悠人は一人になっていた。ジェスは引き離されて行ったらしい。
それほど幅広くない通路の中は人とオークが入り乱れ、オークはその武器を振るい、振り下ろし、或いは叩きつけて邪魔な樹木の如く相手を薙ぎ倒した。対する人の兵士は力ではほとんど劣りながらも盾で一撃を忍びつつ、剣で腕や胴を切り付け、突き刺して応戦した。そこへ応援の部隊が加わって悠人は誰かの背や肘に弾かれながら北壁と東壁の接する端の方までフラフラと逃れたが、そこでとうとうオークと面と向かって鉢合わせしてしまった。
オークは鼻息も荒く、こん棒を掲げて向かってきた。
「ウワッウワッ・・・・・・待て!」
すんでの所で腰のナイフに気が付き、引き抜いたそれを突き付けて見せた。
「下がれっ。あっちへいけ!でないと・・・・・・」
悠人が言い終わるより先にこん棒が勢いよく振り下ろされた。すんでの所でナイフで庇ったが、背中から地に叩きつけられ、肺から空気が一気に吐き出された。右手は一撃の衝撃で痺れ、起き上がることも出来ずにもがいていると、オークの足が、胸に乗せられた。
「死ね、人間」
改めて悠人の頭をぶち割ろうとこん棒が振り上げられる。その痛みを想像して無駄と思いつつ左手で顔を覆った。次の瞬間、ヴギンッと音がしてオークの首がコロリと落ちた。血が吹き上がる胴がドサリと倒れると、その向こうにカートライドの姿が現れ、有無を言わさず悠人の腕を掴んで(しびれた方の腕だ)引っ張り起こすと一瞬、何か言おうとした様だったが、すぐに息を吐き
「もしお前が本当になにもできないなら、戦えないなら今すぐ逃げろ。下へ降りて砦の監獄塔までいき床下扉を開いてそこから逃げろ。遠くまで逃げきれないだろうが、此処よりましだ」
「あぁ・・・・・・ありがとう」
頭を割られずに済んだ事を安緒する余裕も無く、カートライドの絶望を覗かせた顔から目を逸らして力なく返事し、階段の方へ振り向いた途端またしても目の前にオークが現れ、体が硬直した。
族長と名乗ったオークである。両手に血塗れの剣と斧を持ち、隆々とした体には近くで見ると赤の模様が施されており、石炭の様に赤い瞳を光らせたウズガクは悠人を見て口の端を上へと歪めた。
笑っている・・・・・・
「哀れだな。人間」
喋りながら、ウズガクは一歩、窺うように近づいた。
「砦は落ち、我らはお前達の王国に進軍する。七つの領土すべてを征服してくれる。お前の救いは、それを見ずに死ぬ事だ」
「待て、私が相手だ!」
カートライドが二人の間に進み出て挑発した。
「王国までお前達を行かせはしない。ここで死ぬのはお前だ!」
言い終わるやいなや素早く踏み出し、真っ直ぐ敵の頭にぐ剣を振り下ろす。ウズガクは頭上で武器を交差して受け止め、高い金属音が響いた。交差した武器を今度は開く様にしてカートライドを押し返し、その勢いで斧を一閃させた。カートライドは飛び退き、体制を整えようとするがその間を許さぬとウズガクが剣も斧も上段から振り下ろした。カートライドはこれを横っ跳びに避けて剣をはじき、更にウズガクのやや開いた右の胴に隙を逃さず飛び込み剣の柄をこれでもかとばかりにめり込ませた。これには応えたのか、体を折って膝をついたウズガクにカートライドがとどめを加えんと振り上げた剣を降ろす直前、ウズガクの斧が平に突き出され、無防備な胸を強打されたカートライドは突き飛ばされて後頭部も強かに打ち付けた。
もがくも頭を打った為に上半身すらまともに上がれず、剣も手から離れたカートライトを前に、悠人は慌てた。この騎士は立ち上がれそうになく、階段はウズガクの背後にあるため逃げられそうにない。相手は今や立ち上がり、こちらを見据えて歩き出そうとしている。角を曲がった通路に逃げ込もうと思ったが既にそちらでも戦いが始まっており、到底突っ切ってはいけそうにない。何よりカートライドをこのまま見殺しには出来なかった。自身のそばに己のナイフが転がっているのを見つけたが、正面から挑むなどできず、動けなかった。
ドクンドクンと心臓が鳴る。迫る危機に口から飛び出そうだ。ふと悠人は、ドクンという鼓動が、胸だけでなく掌の傷からも感じる事に気が付いた。まるで今までにない熱を伴い、傷の中が脈動するようだ。
しかしそちらに注意する間もなく、ウズガクが剣を納め、空いた片手でカートライドの首を掴んで宙吊にした。
「お前たちの指揮官が死ぬのを見ろ。次はお前の番だ」
そのまま斧を首筋にあてがい、一気に引き裂く寸前、悠人が背中にとびかかった。拾い上げたナイフを肘に構えて突進したが、勢いばかりの刃はオークの肉に深く食い込みはせず、浅く突き立った所でつんのめってしまった。
カートライドを手放したウズガクは呻きを漏らしてナイフを払い落とし、悠人に向き直った。今の横やりへ激怒の具合は、その目が示している。いよいよ身を守る物は無く、悠人は恐るべき力で首を掴み揚げられた。
このまま絞め殺す気らしい。窒息で朦朧としてきた悠人の耳にパンっと乾いた音がきこえた。革を打つような、風船がはじけるようなその音は悠人自身の右手から発されており、ウズガクも思わず力を緩めて音の源へ視線を落とした。
傷から光が溢れんばかりに発光し、破裂音の度に閃光が走っていた。ウズガクは少し戸惑いをみせたが
「貴様、魔術師か?無駄なあがきだ!」
再び力が込め直され、斧が喉に食い込んでくる。
「死ね!この犬野郎!」
悠人は引き絞る様な叫びを上げた。その途端、視界が爆発した。