森の守り砦
少しずつ記憶が甦ると共に今の状況に疑問が溢れてきたが、質問をする事も許されなかった。メリドラとハレンと呼ばれた男が「砦」とやらに帰ると決めてすぐ、悠人は強引に引っ立てられ(体が痺れて気づかなかったが両手を前に縛られており、合わせた拳は布で巻かれていた)隊の中に囲われながら駆け足を強要された。背中に剣の先を突きつけるのはメリドラで、彼女が片手で片手を掴んでいるので少しも足を休める事ができない。今の悠人は裸足だった。
「待って、少しは休ませてくれなかいか?」
悠人が足の痛みを訴えても耳を貸す者はなかった。
「黙って走れ。でないと心臓をひと突きにしてやる」
後ろからメリドラが脅した。ただの脅しではないらしく、背に僅かに食い込む切っ先を確かに感じる。
「本当に痛むんだ!こんな格好で走るなんて無茶だろ......せめて両手の縄をといてくれ」
そう頼んだ瞬間、益々剣が背中に突き立両手てられた。
「両手が自由になったらどうする?ええ?」
彼女の声が一層警戒を帯びた。
「その右手を使って逃げるつもりか?私がおめおめそれを許すと思うか?」
「囚人と話すな!」
隊の先頭からハレンが言った。
「到着までもうすぐだ!急げ!」
右手を使うとはどういう事なのか気になったが、それ以上は誰も口を開かず、質問できる雰囲気でもなかったので、黙って走るより他になかった。沈黙のなか、恐ろしい言葉が頭に甦って来た。
「カルト教団」
仮に自分はあの建物で拉致されているのだとしたら?この中世のような格好の連中は危険な集団で、この場所は樹海か地方県に連れ出されたのだろうか?恐ろしい考えが次々と巡る。ふと、獣道が左右にだんだんと開いて行く事に気がついた。これから森の奥で開かれる秘密の儀式に、自分は生け贄として供されるのではないだろうか?見かけは日本人には見えない。外国から来たのか。
一行の足がいきなり止まったので、悠人は前につんのめり、そのまま膝から地面に倒れた。
「着いたぞ。後をつけられてはいないな?」
襟首を乱暴に捕まれて引っ張り立たされた瞬間、ここが日本であるという前提を覆す光景が目に入った
森が大きく切り開かれており、真ん中に大きな三メートル程の石造りの壁、壁は木材で更に増築されており、その内側から丸い塔がひとつ突きだしている。大きな旗が垂れているのが良く見える。旗には樹とそれを庇うようにおかれた盾、盾の上に停まる鳥が刺繍されていた。
正に、フランク族の歴史資料に見る様な「砦」だ。
これほどの建築物を誰にも気づかれずに建てられるはずがない。少なくとも日本では。
まさか......外国か。
門の前まで進むと、扉が奥に開いて中から十人ほど甲冑の男女が出てきた。
「ご無事で良かった。待ち伏せの報告を受けていたので、隊長らがどうすべきか協議しておりました」
先頭の一人が報告した。
「報告とは?他に生き残りがいるのか?」
ハレンが尋ねた。
「はい。例の密猟者です。彼の話では、番人たちは全滅だとか。嘘を言っているかもしれませんが」
「本人に直接確かめる。それより隊長達と話がしたい。捕虜を一人連れてきた。牢へ入れておけ」
悠人はそこで引き渡され、門の中に連行された。塔より少し低い為にきずかなかったが。外壁より内側の中心、塔の左隣に四角い建物があり、ハレン達はその中へ、悠人は塔の入り口から螺旋状の階段を下り、暗い地下の牢屋が並ぶ廊下を通って奥の一室、木の机と椅子があるだけの狭い部屋へと連れ込まれた。両手首に片方ずつ鉄枷を嵌められ、鎖でひじ掛けに繋いで仕上げに猿轡を咬ませると、ここまで連れてきた二人の男は下がり、しばらく沈黙が場を支配した。この瞬間にも生贄の儀式の準備が進んでいるのか気になるがしゃべる事も出来ない。奥の壁に掛けられた松明以外に光は無く、ようやく届く明かりの中に悠人は一人、助かる術に頭を凝らせていると、いきなり扉がバンと勢いよく開き、悠人の体が思わず跳ね上がった。
入り口の方は薄暗かったが、深紅の赤毛は良く見える。
「七領土の保護者にしてエルシオン王である。ヴァロル・クルネル陛下から与えられた権限により、これからお前を取り調べる。異邦人」
メリドラはそう切り出すと、一つ巻物を机の上に広げた。
「私、エリシオン王ヴァロル・クルネルは、キンネイド人のテンクルス領主、ダンカン・ハイドキンの次女、メリドラ・ハイドキンにエルシオンにおいて遊学騎士の身分を保証し、境の森領のディープウッド公の下においてのみ、治安維持活動への参加を認めるものである」
一度文面に目を走らせてまず感じたものは、大きな違和感だった。書かれている奇妙な人名やら地名らしいものは一旦おいておき、もう一度ゆっくり読み直そうとして驚愕した。文に使われている字体は、日本語はもちろん英語とも中国語とも違う。この尖っていたりくねっていたりする奇妙な字体は、悠人が見たことのないものだった。
しかしそれよりも……なぜ自分はこれが読めるんだ?
「お前はこの砦の先、灰の川近くで見つかった。だが、そんな風貌は見た事がない・・・・・・どこからきた?大陸の人間ではないな。東のアエシュか?南方諸島のいずれかか?答えろ」
「待ってくれ。灰の川ってなんだ?ここは日本じゃないのか?」
慌てて悠人が聞き返すとメリドラのこちらを見る目が奇妙な物を見る目となり、
「二ホン?そんな国は初めて聞いた。エリシオン大陸にも、海の外にもその様な国があると聞いた事はない」
ここまでの会話でもう悠人は気がおかしくなりそうだった。
「なあ!君達が何を言っているのかよく分からないし、どうしてそんな恰好なのかも知らないが、これは誘拐同然で、監禁だぞ!目的はなんだ、身代金なら・・・・・・」
「誘拐だと!身代金だと!」
メリドラが怒って身を乗り出した。
「言って置くが、お前にはイカンダジョスの容疑もあるんだぞ!」
「イカンダジョスってなんなんだ一体」
次々と飛び出してくる訳の分からない言葉にもう疲れてきていた。
「おまえは我々の隊に対する魔法を伴う密偵行為あるいは奇襲の疑いが掛かっている。領内に敵を招き込む行為だ。実際におまえが見つかったのは戦いの現場で、攻撃を受ける直前まで我らの他には誰もいなかった」
・・・・・・どうやらこいつらは戦争中で、魔法使いのスパイか何かと疑われているということか。それもどうやら相当重罪らしい。冗談じゃない。
「君達の戦いなんてなにも知らないし、気を失っていたんだ!ここには誰かに連れてこられただけだ。こっちこそエリシオンなんて聞いた事も無い!魔法だなんてどうかしてる!もし自由にしてくれたら、君達を詮索したりしないから、ここから出してくれないか?」
このいかれた連中は自分をここへ運んだ奴らとはまた別の者達らしい。しかし、好意で拾ったとはとても言えず、ここにいる限り安全ではないということはいい加減分かった。
「お前が敵の仲間で無い証拠は無い。潔白が明かされるまで釈放も無い」
返事は冷たいものだった。
「質問は終わっていない。お前が魔法に身に覚えがないというのなら・・・・・・」
メリドラは腰から短剣を一本スルリと抜き、机を回りこんで近づいてきた。悠人は身を強張らせたが、切られたのは右手を覆う布のみだった。
「お前が魔術師ではないなら、これは一体なんだ?」
開かれた自分の右手の平を見て、悠人は今度こそ驚きで大声でさけんだ。
「こんな傷は私も、此処の誰も見たことの無いものだ。何らかのブラックマジックに因るものじゃないのか?」
悠人の右手の平には人差し指の付け根から手首の淵まで斜めにざっくりと切り傷が付いていた。痛みは全くないが普通の傷と違うところは、まるで奥底から光っているかの様に、傷全体が淡く白い光を帯びている点だった。
メリドラは悠人自身の驚き様を疑いの目つきで眺め、
「これが果たして何なのか。お前の素性をもう少し詳しく調べる必要がある。我々に危険が無いとわかるまでな」
そう言うと、番兵を呼び寄せ、悠人を牢に入れるよう告げた。